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「叡知」
「叡知」とは、辞書によれば「すぐれた知恵。深く物事の道理に
通じる才知。」(大辞泉) とあっさり書かれているだけで、それ以上
の記述も見当たらなかった。「叡知」とは我々の知恵や理性を越え
てあるものだと思っていたが、先のブログの「親心」に載せた、コ
ウノトリの親が雛たちを日差しから守るために両翼を拡げて遮って
いる姿を見て、コウノトリには失礼だが、彼らに元々そんな知恵が
備わっているはずはないと思い、何故親鳥はそんなことを行動がで
きたのか不思議だった。仮にそんな知恵が元から備わっていないと
すれば、親鳥は羽毛もまだ生え揃っていない雛鳥たちが直接浴びる
日射に耐えられずに衰弱していく姿を見兼ねて、居ても立ってもお
れなくなり、その親心から翼を広げて日陰にする行為を無心で行っ
ていたのではないだろうか。それは、たぶん知恵からもたらされた
というよりも、雛鳥たちを何としても守りたいという強い想いが行
為をもたらしたのではないだろうか。
とすれば、知性を越えて「叡知」が在ると考えるのは反対ではな
いかと思った。我々の知性は生命が生み出した「叡知」がもたらし
たのではないか。つまり、知性とはその「叡知」が堕落した成れの
果てではないのか。そこにはあの親鳥が見せたような雛鳥に対する
強い執着がない。ただ原理に従ってものごとを行えば思い通りにな
ると信じている。しかし、世界は知性のマニュアルによって創られ
ているのではない。だから、知性以外の「叡知」が生まれず想定外
の事態に対処できない。恐らく、問題はその関わり方ではないかと
思う。大津波による原発事故を想定外の出来事と捉えるか、しかし、
その危険を想定して警鐘を鳴らしていた人だって居たではないか。
我々は、本来備わっていたはずの「叡知」を生む生命力を失い、そ
の抜け殻の知性だけで世界を捉えているのだ。そこからは、あのコ
ウノトリの親が思い付いたような「叡知」は生まれない。その「叡
知」とは、自らを犠牲にしてまでも我が子を守りたいという強い一
念からしか生まれないのではないか。「叡知」を伴わない知性から
は新しい創造は生まれて来ないことをコウノトリは教えている。しか
し我々の知性は、それを動物的本能と片付けてしまい、原発事故
を想定外の出来事と言って退ける。だが、自らの保身から生まれ
る知性からは新しい創造をもたらす「叡知」は決して生まれて来な
いだろう。むしろ、賢しい知性が破綻して生命の根源に立ち帰らざ
るを得なくなった時にこそ「叡知」らしきものに導かれるのではない
だろうか。
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従って、本来の「ブログ」
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「親心」
何でそんなことを知っているんだろう?
これぞ「叡知」だ!
それでもおかあさん、暑かろうに。
何故か亡くなった母を思い出して泣けてきた。
http://www.asahicom.jp/common_images/digital_logo_s.gif 2012年6月20日22時3分
翼を広げてヒナに日陰をつくるコウノトリの親鳥=6月7日、兵庫県豊岡市野上、小崎晃さん撮影
翼の日傘でヒナ「涼しい〜」 豊岡のコウノトリ 国の特別天然記念物・コウノトリの親鳥が兵庫県豊岡市の人工巣
塔で、翼を広げてヒナに日陰をつくる姿を、全日写連会員の小崎晃
さんが撮影した。
撮影は今月7日。ヒナが卵からかえったのは5月下旬。コウノト
リの野生化に取り組む兵庫県立コウノトリの郷公園は「ヒナが小さ
な時期にたまに見られる行動」と説明している。(新井正之)
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「大江健三郎 と くいだおれ人形」
「大江健三郎氏」
「くいだおれ人形」
「集会で話す大江健三郎氏」=6日午後6時41分、東京・日比谷公園、川村直子撮影
『脱原発署名「ずっと続く」 大江さん、大飯再稼働に反対』
私は大江健三郎氏の著作の愛読者です。
彼は何とキャッチ―な「題名」を考え付く人であるか。
「死者の奢り」「日常生活の冒険」「見る前に飛べ」
「持続する志」「厳粛な綱渡り」「洪水はわが魂に及び」
「万延元年のフットボール」
「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」等々
これらの優れた題名だけも十分ノーベル文学賞に値する
と私は思っている。だから、
「許して」 |
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「鵺(ぬえ)の鳴く夜は」
つい今し方、ちょうどブログを更新し終わって一息吐いていると、
開け放した窓の下で何とも、この地方の方言で言う「いなげな」(「異気
」と書く) 獣の絶叫する鳴き声がした。それを字にすると、
「ギィヤャァウワァァ――ッ!ギィャャャウァ――ッ!ガワアァァ――オ!」
と、とても書き表せないが、その断末魔の叫びは何度も繰り返された。
私は、始めはネコの喧嘩でも始まったのかと思って関わらずに居たが、
その、恰も何者かに不意打ちを食らって今まさにこの世から消え去ろう
とするかのような無念を訴える叫びに動揺して網戸を開けて窓の下を
覗いた。その声は決してネコやカラスなどの鳴き声ではなかったが、そ
れでは他にどんな生き物が斯くも大きな声で泣き喚くことが出来るだろ
うか?しかし、窓から漏れる明かりは限られていて闇夜全体を覗うこと
は叶わず、その鳴き声は更に凄みを増して続いていたが確かめることは
出来なかった。しばらくすると絶叫は止み、絶命したのだろうか、再び夜の
静寂が戻った。そして、固唾を飲んで鳴りを潜めていた蛙たちが何事もな
かったように一斉に聞き飽きた恋の唄を奏で始めた。
ああ、我々が寝静まった後の与り知らない真夜中の世界の片隅でも、
今しも、生きとし生けるものたちは何時如何なることで自らの命を落とす
かもしれない恐怖と抗いながら、それでも闇の中を本能に追い立てられ
て生殖や捕食のために身を忍ばせて種を繋ごうとしている。いったい何
の為だろうか。それらすべての生きとし生けるものたちに定められた天
命は儚く、やがて全うしたものはその屍さえも晒さずに未練なく何と見事
に消え去ることか。
それにしても、あの絶叫はいったい何の鳴き声だったのか?昨日、
辺り一面を草刈りしたのでそれが何ものかを巣穴から追い出したの
か?
「気になる」
あっ、ホトトギスが鳴いている。
「一編書けたか?」
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「白飯を食べよう」
現代人の食習慣は塩分と脂肪分の取り過ぎで様々な病気を引き起こ
していると言われていますが、そんなニュースをテレビで観ながら夕
飯を食べていると、「そらそうだわな」と唐揚げを掴んだ箸を持ちな
がら納得しました。まず、ご飯を食べないで惣菜ばっかり食べている
んだもの。恐らく、全てのおかずには多少なりとも塩や醤油や油で味
付けがされているでしょう。更に外食でもすれば、ご飯さえも寿司飯
やかやく飯など塩や添加物で味付けされています。かつて、評判のラ
ーメン店で働いた時に、一つの器に出汁の素の粉末を大鍋に入れるほ
どの量を入れていました。「そら出汁が効いて不味いはずはないわな
ぁ」と思いながらも、ただ、「絶対に身体に良くない」と思ってそれ
以来ラーメンの評判店には行かなくなりました。商店は商売のためな
ら偽装だって何だってします。美味いものには美味くするための細工
が施されているのです。その仕込の様子を目の当たりにすればとても
美味しいとばかり言ってられない量の調味料や添加物がこれでもかと
いう程使われていたりします。そして、その濃い味に慣らされて何時し
か白飯を食べなくなり、その替わりに味の強い惣菜ばかり摘まむよう
になったことが最大の原因ではないでしょうか。かつて、我が国の食生
活は世界の中でも最もバランスのいい食事だと言われてました。19
70年頃です。その頃、白飯が食生活の中心でした。例えば、唐揚げ
一個やメザシ一尾で充分お碗一杯のご飯を平らげたもんでした。とこ
ろが、今や我々の食事は惣菜ばかりでほとんど白飯を食べなくなりま
した。当然ですが白飯自体には塩分も脂肪分もほとんどありません。
いくら塩辛いものや脂っこいものを食べても白飯が薄めてくれていた
のです。もっとも、惣菜ばかり食べる余裕など庶民にはなかったので
すが。その頃から比べてコメの消費量は半減しているらしいです。恐
らく、その減った分を塩や油で味付けされた惣菜が満たしているはず
です。いくら減塩や低脂肪に拘った惣菜であっても、そればかり食べ
ていれば全体に占める摂取量はそれほど変わらないでしょう。まず、
白米で腹を満たす食生活に戻すこと。惣菜はご飯を食べるための添
え物として食べること。そうすれば、惣菜の塩加減や油加減を気にせ
ずに腹いっぱい食べても大丈夫なんです。そのことをコメの関係者は
何故訴えてこなかったのだろうか?今や、我々にとって白飯を腹いっ
ぱい摂ることが塩分や脂肪分を摂らないで済む健康法ではないだろ
うか。
「じゃあ、ご飯入れる?」
「あっ、もう唐揚げでお腹いっぱい!」
(おわり)
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