北永劫回帰線

かつて我々は精神であった。ところが、今や我々は欲望である。

短編小説

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「カナ縛り」


         「カナ縛り」

 
「この部屋に男の人が入るの、あなたが初めてよ」

「へーっ、それは光栄だ。おれの部屋に君が来たのは、えーっと何人目

だっけ?」

「いいよ!数えなくたって」

 赤子の反応には「人見知り」だけでなく「場所見知り」ということば

もあるらしいが、高校生の時に一コ上の彼女が、今日は家に誰も居ない

から遊びに来ない?と誘うので、シッポを膨らまして、いやシッポを振

って着いて行った。彼女の部屋に入ると、いつまでも二人っきりで話を

したりゲームをしたりするつもりなどなかったので、イチャツいている

うちに絡み合って彼女のベッドの上に倒れ込んだ。しばらくして、彼女

の喘ぎ声が次第に大きくなって部屋中にこだまし始めた時、突然後ろの

ドアが開いて、「何やってんだ!」と彼女の喘ぎ声を遮るように大きな

怒鳴り声がして、振り返ると見知らぬ中年おやじが顔を真っ赤にして立

っていた。おれは何をやっているのかいちいち説明しようとは思わなか

ったが、ただ、そっちの方からだけは見られたくないなぁ、と思った。

その男は彼女の父親で、予定を変更して一人で戻ってきたらしい。もっ

とも彼女は「あの人、マジ親じゃないから気にしなくていいよ」とは言

ったが、そういう問題じゃないだろと思った。

 その時以来、おれの赤子は「人見知りは」はまったくしないが「場所

見知り」をするようになって、馴染みのない部屋はもちろんのこと、セ

キュリティーのしっかりしたホテルの客室であっても、コタツの中の猫

のように丸くなったまま全く反応しなくなった。

「早く入ってよ、他人に見られたくないから」

彼女は部屋の中からドアの前で躊躇っているおれを促した。

「ごめんごめん」

彼女の部屋は何処にでもあるマンションの2LDKだった。彼女がリビ

ングのドアを開けて中に入ったので後に続いた。すると突然奥の方から

何か物音がした。おれは、

「えっ!誰か居るの?」

「ネコが居るの」

ソファで寝ていたネコがおれの侵入に驚いて、部屋の隅に設えられたキ

ャットタワーに慌てて飛び移った音だった。彼女が言うには、それはノ

ルウェージャンフォレストキャットって種類で、小型の成犬よりも大き

かった。ネコはその最上部から大きな目でおれを見降ろしていた。

「大きなネコだね」

「でも、かわいいでしょ」

「さっきからじーっとおれを見てる」

「男の人を見るの初めてだから」

「オス?」

「それがね、くれた人はメスだって言ったんだけど、わたしもてっきり

メスだと思って飼っていたら、しばらくしてキンタマが出て来たの。そ

んなことってあるのかしら?」

おれは、ネコの性別の雌雄がどう決着するかよりも、彼女が「キン〇マ」

と言ったことにビックリした。普段はおれが下ネタを言っただけでも厭

な顔をして窘めたのに、猫を被っていたのかもしれない。
彼女はそう言い残して、帰途にコンビニで買った惣菜などを持ってキッ
チンの方へ行ったので、おれはしばらくネコと睨み合っていた。すでに

テーブルには彼女の白ワインとおれの焼酎が置かれていた。彼女は惣菜

を温めて皿に移し替えて、そしてグラスとアイスペールを持って戻って

来た。ふたりはさっそくカンパイをしてそれぞれのグラスに口を付けた

。すでに彼女はおれの部屋には何度も訪れていたので、つまり二人は「

出来ていた」のでいまさら何の気兼ねもなかったが、強いて言えば、お

れの「場所見知り」だけが気掛かりだった。そこでおれは何処に居るの

か分らなくなるまで酔っ払ってしまおうと思って普段よりもグラスを傾

けるピッチを上げた。やがてアルコールで理性を流し落とした二人は残

った本能に促されて絡み合った。別に官能小説を書くつもりはないので

あまり閨房の様を詳しく描写するつもりはないが、この酩酊作戦は性交

、じゃなかった成功した。彼女に誘われてベッドに移った時には何処に

居るのかさえ忘れて本能が意識を凌駕した。しかし飲酒がもたらした酩

酊は気紛れで思わぬ覚醒が訪れた。彼女が喘ぎ声を洩らした時に「あの

時」の事が甦った。思わず振り返ると薄暗い部屋の衣装箪笥の上からさ

っきのネコが二人の行為をじっと見ていた。彼はさすがに「何やってん

だ!」とは言わなかったが、おれは、そっちの方からだけは見られたく

ないなぁ、と思った。羞恥の記憶は現実への執着を喪失させる。すっか

り酔いも醒めて、おれの赤子は「場所見知り」をして忽ち萎えてしまっ

た。散々彼女の罵声を浴びながら、彼女が和室に用意してくれた布団に

シッポを巻いて退散した。

 どれほど眠ったのか覚えていなかったが、用を足そうと思って起き上

がろうとしても体が起こせない。ジタバタしているうちに尿意がひっ迫

してくる。ここで粗相をするわけにはいかないと焦ってもどうにもなら

ない。「あっ!こっ、これは金縛りだ」と思って大声を上げた。すると

彼女が部屋の引戸を開けて現れた。

「ちょっと、夜中に大きな声を出さないでよ!」

「かっ、金縛りだ!おい、この部屋、なんかいるんじゃないか?」

「縁起でもないこと言わないでよ。カナちゃんが上に乗ってるだけじゃ

ない」

頭を起こして胸元を見ると、おれの胸の上でネコが丸くなって寝ていた。

ネコを払い除けてトイレへ駆け込んだ。戻ってきたおれは、

「おい、さっきこのネコの名前なんて言った?」

「カナ、カナちゃん」

「えっ!カナ・・・しばり、か」

「カナちゃん」は畳の上で前足をきちんと揃えて座りながら穢れのない円

らな眼でおれを見た。その眼はなにか別の世界から本能を弄ぶ人間たちの

さもしい理性を観念的に窺っているように思えた。否、それともただおれ

のふしだらな情欲が清澄な無辜の視線に堪えられなかっただけかもしれな

い。間もなくして彼女とは会わなくなった。

                                        (おわり)

「夢」




        「夢」


 一か月くらい前だったか、大概の夢は目覚めと同時に忘れてしま

うんですが、そう言ゃあこの頃は、若い頃に比べて夢を覚えている

ことが多くなったといま気付きましたが、多分、現(うつつ)も残り

少なくなると生理的に夢の世界に親しむようになっていくからかも

しれませんが、その夢だけはしばらく頭から消えませんでした。

 何をしていてだったか忘れましたが、とにかく言葉の意味が解ら

ない。そこで国語辞典を開いて調べると、仮に「等閑」という言葉

とすれば、「等閑」は載っているのでですが肝心の意味が空白なん

です。「等閑」の前後の言葉の意味は何か書かれているが「等閑」

だけが何も書かれていない、抜けている。「あれ?」と思って、パ

ソコンの前に座ってキーボードを打つと、同じように意味だけが空

白だった。「何で?」と思いながら、「そうだ!図書館へ行こう」

と、図書館まで行って広辞苑を開いてもまた意味が載っていない。

とにかく、そんなことを延々と繰り返しているうちに目が覚めた。

 目が覚めても「どうして?」という思いだけは残った。そこで礑

(はた)と気付いた。つまり、自分の知らないことは夢の中でも知る

ことは出来ないんだ。性に目覚めた思春期のころ、夢の中で好きな

女性と抱き合いながら、いざ性交しようと彼女の股間を見るとモザ

イクがかかっていた。それでも目覚めたらどうしてか射精していた。

さすがに「等閑」の意味にはモザイクはかかっていなかったが、夢

の中では記憶にないことは現れないのだ。たぶん、私の夢の中に

現れる外人は日本語しか話せないに違いない。それが事実だとす

れば、たとえば夢の中に神様が現れてお告げを与えたなどというの

は、実は、性欲に促されて射精する夢精のように、強い願望から生

まれる妄想だろう。つまり、こう言えるのではないだろうか、夢が現

実の様々な拘束を遁れて如何に奔放に世界を創ろうとしても、記憶

を超越することはできない。われわれは想像力にしても何と現実に

縛られているのだろう。いやいや、そもそも想像力というのは現実か

ら派生するのであるから、現実と繋がらない想像など意味がない。

ただただ許せないのは、私の想像力が記憶の空白を補いもせず

にいい加減に、つまり「なおざり」に、否、待てよ、この場合は「おざ

なり」だっけ?ちょっと待って下さい、いま辞書で調べますから。

「あれ?」


                             (おわり)







           「広島風お好み焼きラーメン」


 私がいま住む町は、山陽と山陰を分かつ中国山地の山間地に位置

し、その盆地の地名は一説には三本の河川が交わるところから名付

けられたというほど長年の河による山の侵食とその堆積によってわ

ずかばかりの平地が形作られて、古くから山陰と山陽の交通の要所

として賑わいその名残は旧市街地に今も微かに留めている。高度成

長期に背骨のように縦貫道路が貫通し、それ以来の夢であった山陰

と山陽を繋ぐ横断道路は何度も構想されては頓挫していたが、とこ

ろが、政権交代による政策転換からアベノミクスの財政緩和で再び

公共事業が見直され一転して陽の目を見て、まもなく山陰と山陽が

高速道路で繋がり、その先は瀬戸内海を跨ぐ「しまなみ海道」へと

繋がり四国へも延びようとしている。当初は片側二車線の高速道路

を計画していたが、日本経済の停滞と軌を一にするように見直され

て実際は一車線道路に落ち着いた。それでも、山また山の「やまな

み」を串刺しするように走る道路の工事は難航して、まずは比較的

平坦な沿岸部からの二方向から山間部へと攻め上がるように着工さ

れてその一部はすでに開通したが、後は中国山地の難所の所どころ

に破線のように造られた道路を繋ぐばかりだが、それでも山の中腹

をくり抜いて思わぬところから顔を覗かせたトンネルの出口とその

先のトンネルの入口を地上の遥か上空にまで橋脚を立てて繋ぐ工事

は容易ではない。先日は、山陰の町から私の住む町までの開通式が

行われたが全線開通は来年の予定である。

 少し経ってから試しに走ってみたが目に映るものは山肌を削った

あとの法面とトンネルばかりで、まるで水路の中を流れているよう

で、当てもなくただ「流れる」ことに飽いて最初の出口でウィンカ

ーを点けて近くにオープンしたばかりの道の駅で休もうと思ったら、

すでに駐車場が一杯で仕方なく行き交う車もない市道を走っている

と、しばらくすると道の前方に一軒の店があった。看板には「広島

風お好み焼き」と書かいてあったが、ところがそのすぐ後に「ラー

メン」と書かれていた。遠くから見るとそれはまるで「広島風お好

み焼きラーメン」と書かれた一つの看板のように見えたが、近くま

で来ると別々であることがわかった。店の前のガラガラの駐車場に

車を止めて、このまま引き返して帰ってしまうのは口惜しかったの

で、何の期待もせずに話しのネタにと思って、まあ腹も空いていた

ので車を降りた。

 横長の一軒の店舗だったがドアが二つに分かれていて、一方のド

アの上には「広島風お好み焼き」と書かれた先ほどの看板があって、

もう一方のドアの上には「ラーメン」と書かれた看板があった。私

はそれを斜めから見て「広島風お好み焼きラーメン」と勘違いして

しまったのだ。どっちにしようかと迷いながらラーメンの方が調理

が早いと思ってそのドアを入ると、入口は別々だったが何のことは

ない、店の中で繋がっていた。10席ほどのカウンター席だけで、

カウンター越しに厨房のあるよく見かけるスタイルだったが、その

カウンター台はちょうど真ん中から先には鉄板が敷かれていた。「

いらっしゃい」と、店の端にあるテレビを観ていた亭主が座ったま

ま商売気のない応対をした。鉄板の敷かれたカウンター席の奥では

奥さんらしき女性がカウンターに俯せになって寝ていた。「しまっ

た!」と思ったが引き返すのは体裁がわるかった。私は、カウンタ

ー席に仕方なく腰を下ろして台の上のメニューを見ながら、何か口

実を見つけてこの店を退散する方法がないものかと考えていた。と、

その時、さっきの勘違いした看板のことが閃いた。私は、さすがに

そんなものがあるわけがないと思ってメニューも見ずに、

「あのぉ、看板見たんですけど、広島風お好み焼きラーメンってあ

ります?」

と、亭主の方が断るだろうと思って注文すると、亭主はあっさりと、

「できるよ」

と答えた。そして、奥で寝ている奥さんに、

「かあちゃん、陰陽(いんよう)ラーメン!」

と告げると、彼女は背を起こしてスクッと立ち上がった。私は茫然

としながら「えーっ!できるんか!」と焦ったが今さら断ることが

できなかった。

 それは、まさに「広島風お好み焼きラーメン」そのものだった。

奥さんは鉄板で少し小さめだが香ばしく焼いた太めの拉麺を挟んだ

肉厚の広島風のお好み焼きを焼き上げると、亭主はそれを平ための

丼に受けてラーメンスープをかけた。私はその様子をカウンター越

しに、時には立ち上がって眺めながら、その手際の良さは決して今

始めて試みているとは思えなかった。そして、

「はいよ」

と、出された「広島風お好み焼きラーメン」を呆気にとられて見つ

めていると、というのもスープに浸かったお好み焼きの表面には陰

陽道の大極図が描かれていたのだ。亭主が、

「冷めちゃうと不味くなるじゃろ」

と言ったので、私は、

「あのぉ、これ、どうやって食べたらいいのですか?」

と尋ねると、

「口で食うんだ」

と冗談を言ってから、

「まず、そのお好み焼きの皮を破って中の麺をラーメンのようにし

て食べてみな」

そう言うので、私はお好み焼きソースと山芋のすりおろしのようだ

が器用に描かれた大極図の真ん中を少し硬めの表面の皮を箸で破っ

てから中の焦げた麺を啜るとそれはまさしくラーメンだった。スー

プは乾燥魚介を使った和風のあっさり味だったが上に掛った調理さ

れた山芋のトロロがお好み焼きソース独特の酸味を柔和させ絶妙に

組み合わさって香ばしい麺に絡んだ。それはこれまで味わったこと

のない不思議な味だった。私は豚骨系のスープがまったくダメで、

特に背脂とか聞いただけで何故か肥満オヤジの脂ぎった背中を思い

出して吐きそうになる。やがて、脇に追いやっていた蒸されたキャ

ベツやお好み焼き本来の具を口にするとそのスープと絡みながらも

それはそれでしっかりと広島風お好み焼きの味を堪能することが出

来た。私は思わず、

「美味い!」

と言った。ボリュームに圧倒されながらも、あっという間に「広島

風お好み焼きラーメン」を平らげた。すると亭主は始めて愛想を浮

かべた。食べ終わって、私は亭主に、

「でも、何でこんなメニューを考えたのですか?」

と訊くと、亭主は、

「あんたのように何人も勘違いしてそれを注文するもんじゃけぇ、

作ってみようと思ったんじゃ」

彼らは、最初はお好み焼き屋を始めていたが、思い通りに客が増え

ず、そこで亭主がいま流行りのラーメン屋に変えようと言ったが奥

さんが頑としてお好み焼き屋を譲らないので仕方なく両方始めるこ

とになったらしい。そして、その店の看板から「広島風お好み焼き

ラーメン」が生まれた。つまり、看板から生まれた本当の「看板メ

ニュー」だった。

「いやぁ、それにしてもこんな変わったラーメンは始めてですよ。

是非ブログでお店の紹介をしたいので写真を撮ってもいいです

か?」

と訊くと、

「いやいや、まだ創作段階じゃけえ、それだけは堪えてくれ」

亭主が言うには、今はまだお好み焼きソースの「陰」とラーメンス

ープの「陽」の絡みがいま一つ納得できないで試行錯誤している

からそれは困ると言った。

「まあ、陰陽(いんよう)道が繋がる頃には完成させるつもりじゃ

けん」

「えっ!陰陽道?」

「ああ、陰陽道」

 山陰の松江と山陽の尾道を繋ぐ横断道を地元では「陰陽(いんよ

う)道」と呼んでいる。さすがに「おんみょうどう」とは発音しな

いが、山陰の「陰」と山陽の「陽」から単純にそう呼ぶようになっ

たにしては何とも妖しい名前である。亭主はお好み焼きとラーメン

のまったく異なった食べ物のコラボレーションを、それにあやかっ

て「陰陽ラーメン」と名付けた。というわけで、陰陽(いんよう)ラ

ーメンの写真や店の場所をブログに載すことができないのは残念で

すが、「陰陽道」が開通する来年まであと少し待ってください。

 それにしても、「広島風お好み焼きラーメン」はユニークで美味

しかった。きっとB級グルメグランプリにも出せばぶっちぎりでグ

ランプリを獲るに違いない。ただ、それまであの店が持つかどうか。



                                 (おわり)

 「性人伝」


  これは、中島敦の「名人伝」を下敷きにしたパロディーです。

 汚らわしい描写が頻出しますので、良い大人の皆さんは読ま

 ない方が無難でしょう。

                             ケケロ脱走兵




   *       *       *       *





                「性人伝」


 東京の新宿に住む起承(きしょう)という男が、天下第一の性の名人

になろうと一物をおっ立てた、あっ違う、志を立てた。己(おのれ)の

師と頼む人物をアダルトビデオを観て物色するに、今や女を抱かせて

は、名手・転結(てんけつ)に及ぶ者があろうとは思われぬ。百人の女

を相手に休まずに百発百中させたという達人だそうである。起承はは

るばる転結をたずねてその門にはいった。

 転結は新人の門人に、まず勃起せざることを学べと命じた。起承は

彼女の家に行ってその閨(ねや)に潜り込んだ。理由を知らない彼女は

大いに驚いたが、厭がる彼女を起承は叱りつけて説得し、無理に身体

を求めたが勃起させることはなかった。来る日も来る日も通い続けて、

おかしな恰好までして絡み合っても決して勃起させなかった。二年の

後には、彼女の方が呆れ果てて断りもなく家を替えてしまった。すで

に一物は用を足す時も空気の抜けた風船のように垂れ、さすが性の

名人を志すだけの一物といえども、彼は正坐をすれば膝頭が三つでき

ると噂されるほどの、それも遂には玉だけを残して竿は身体深くに

陥没してしまった。

 それを聞いて転結がいう。勃たざるのみではまだ性技を授けるに足

りぬ。起承は「そらそうだ」と合点した。次には、勃つことを学べ。

勃つことに熟して、さて、ものに依らずただの言葉から、凡そ情欲を

そそらざるものに到るまで、果ては何も思い浮かべずとも思いのまま

に勃起を操ることができ、自在に動かせること犬の尾のごとくになれ

ば、来たって我に告げるがよいと。

 起承はふたたび家に戻り、部屋中から欲情を刺激するものをすべて

除き、手始めに桃を、次に林檎と果実を見詰めて勃起を促した。それ

が上手くいくと、今度は態と性欲を催さないものを選んで勃起を催そ

うと試みた。始めは全く勃たなかったが三月めの終わりには、化粧品

や入浴剤などの香りのあるものに反応し、その香りを移した衣服やソ

ファ、やがて、香りがなくとも想像が働き、食器や書物にも情欲が湧

いてきて、遂には、家具や文具、ドアノブ、電化製品、照明にまで、

つまり、家中の有りと有らゆるものが情欲をそそるまでになり、起承

の一物は何時も反り返ったままになった。すると、その付け根を縛り

1リットルのペットボトルに水を満たしてそれへぶら下げて鍛え上げ、

今では限は腕っぷしを上回るまでに漲るまでになった。今度は、その

一物を思い通りに動かせるようにするために、部屋の中でひねもす一

物を露出させたまま、副交感神経を自在に操れるように訓練を繰り返

した。そして早くも三年の月日が流れた。ある日ふと気づくと嬉しい

ことがあるとその一物が犬の尻尾のようにパタパタと上下に振れた。

そして、肛門の筋肉を弛緩させると、左右にも動くようになった。し

めたと、起承は誤って真ん中の膝を打ち、痛い思いをしながら表へ出

る。彼はわが目を疑った。人々は欲情丸出しで歩いているではないか。

女性は淫靡な香りを漂わせて、起承の一物はそれだけで発射寸前だっ

た。道路のアスファルトを見ても建物を見ても店先の商品を見ても、

街中がセクシャルなもので溢れていた。雀躍として家にとって返した

起承は、脳裏に思い浮かべた記憶を頼りに一物には触れもせずに射精

して果てた。

 起承はさっそく師のもとに赴いてこれを報ずる。転結は高踏して胸

を打ち、はじめて「出かしたぞ」と褒めた。そうして、ただちに性技

の奥義秘伝を剰(あま)すところなく起承に授けはじめた。一物を自在

に操る訓練に五年もかけた甲斐あって起承の性技の上達は、驚くほど

速い。

 奥義秘伝が始まって十日のち、試みに百人の女を相手に、すでに休

むことなく百発百中である。勃起した一物を五指ように自在に操り弛

緩と膨張だけで腰を使わず相手を逝かせた。そばで見ていた師の転結

も思わず「善し!」と言った。

 もはや師から学び取るべき何ものもなくなった起承は、ある日、よ

からぬ考えを起こした。いまや性技をもって己に敵すべき者は、師の

転結をおいてほかにない。天下第一の名人となるためには、どうあっ

ても転結を除かねばならぬと。転結には愛する女性が居た。起承は秘

かに彼女を誘い出して不義を迫った。固より性風俗の世界に身を寄せ

る者は、貞操に拘っていては生きていくことは適わない。彼女は酒酔

に我を失し起承に身を任せた。やがて、転結はそれに気付いて、彼女

を咎めたが、彼女が人倫を失うは自分の生業に因すると深く省みて、

きっぱり仕事の竿を納めた。彼はこの危険な弟子に向かって言った。

もはや、伝うべきほどのことはことごとく伝えた。濔(なんじ)がもし

これ以上この道の蘊奥(うんおう)を極めたいと望むなら、ゆいて西の

方大阪の信太山の頂を極めよ。そこには寛容老師とて古今を曠(むな)

しゅうする斯道の大家がおられるはず。老師の技に比べれば、我々の

技のごときはほとんど児戯に類する。濔の師と頼むべきは、今は寛容

師のほかにあるまいと。

 起承はすぐに西に向かって旅立つ。己が業が児戯に類するかどうか、

とにもかくにも早くその人にあって技を比べたいとあせりつつ、彼は

ひたすら道を急ぐ。おっ立つ起承を、あっ違う、気負い立つ起承を迎

えたのは羊のような柔和な目をした、しかし酷くよぼよぼの爺さんで

ある。来訪の趣意を伝えて、透かさず下衣を下げて一物を露出して、

反り返った一物を自在に動かした。

 ひととおりできるようじゃな、と老人が穏やかな微笑みを含んで言

う。老隠者は起承を導いて、そこから二百歩ばかり離れた廓へと連れ

て来る。老師が馴染みの店へ入ると客俟ちの遊女が大挙現れて頭を下

げる。その中から二人を選んで部屋へ上がる。部屋に入ると老師に促

されて一人の遊女が衣を脱ぎ起承に抱きつく。気承の一物はここぞと

ばかり漲り、呆気なく女を放心させて自らも果てた。ところが、老師

曰くそれは所詮射之射というもの、好漢まだ不射之射を知らぬと見え

る。老師はもう一人の遊女に向くと、では射というものをお目にかけ

ようかな、と言った。起承はすぐに気がついて言った。しかし、衣は

どうなさる?衣服は?老人は衣服を重ねたままだった。衣?と老人は

笑う。裸で抱き合ううちはまだ射之射じゃ。不射之射には、一物も膣

もいらぬ。

 言い終えると、老人は股を割いて面する遊女に向かって腰を前後に

振ると、女はぴくぴくと體を震わせながらよがり声を漏らした。そし

て、その場に倒れ込み、悶絶しながら歓喜の叫び声を上げて気を失っ

た。

 起承は慄然とした。今にしてはじめて交合の深淵を覗きえた心地で

あった。

 九年の間、起承はこの老名人のもとに留まった。その間いかなる修

業を積んだものやらそれは誰にも判らぬ。

 九年たって山を降りてきたとき、人々は起承の顔つきの変わったの

に驚いた。以前の負けず嫌いな精悍な面魂はどこかに影をひそめ、な

んの表情もない、木偶のごとく愚者のごとき容貌に変わっている。久

しぶりに旧師の転結を訪ねたとき、しかし、転結はこの顔つきを一見

すると感嘆して叫んだ。これでこそ天下の名人だ。我儕(われら)がご

とき、足下に及ぶものではないと。新宿の風俗界は、天下一の名人と

なって戻って来た起承を迎えて、やがて竿師として活躍するものと期

待した。

 ところが、起承はいっこうにその要望に応えようとしない。そのわ

けを訊ねた一人に答えて、起承は懶(ものう)げに言った。至為は為す

なく、至言は言を去り、至交は交えずと。しごく物分りのいい新宿

の都人士はすぐに合点した。女体と交わらぬ性の名人は彼らの誇り

となった。

 やがて起承は身を固めた。連れ合いは老師の一人娘であった。その

閨房の中まで覗うことは叶わなかったが、老いてもふたりはまるで幼

子のように仲睦まじく暮らした。ある日、起承がかつての知人のもと

に招かれて行ったところ、主(あるじ)は大勢の娘たちを侍らせて彼を

歓待してくれた。起承が何事か訊ねると、主は、是非百発百中の名人

技をここで見せて欲しいとせがんだ。起承は思い当たらないので、主

に何のことかと尋ねた。主は、客が冗談を言っているとのみ思って、

ニヤリととぼけた笑い方をした。起承は真剣になってふたたび尋ねる。

主は客の眼をじっと見つめて、其方の一物ははて何のために有る?起

承は慌てず、用を足すためにある。更に主は、では奥方とも情を交わ

さずか?起承曰く、情を交わすに體を交えず。主は狼狽を示して吃(

ども)りながら叫んだ。

「ああ、夫子が、――古今無双の性技の名人たる夫子が、交合いを忘

れ果てられたとや?交合うことも、男根の使い途も!」

その後、新宿では、誰もが體を交えず情を交わそうとしたが身につか

ず、すぐに多情を取り戻した。それを伝え聞いた起承は、こう呟いた

という、

「至情は多情に非ず」

そして、

「至福とは多福に非ず」

と。


                                 (おわり)

 
 中島敦 「名人伝」 (青空文庫)






「雪辱」 




                 「雪辱」  



 変な時間に目が覚めて、飲まずに寝れなくてコンビニへビールを

買いに行こうと家を出ると、外は雪だった。寝る前には降ってもい

なかったが、寝てる間に足首が埋まるほど積もっていた。部屋に戻

ってコートと毛糸の帽子を身に着け足してブーツを履いて雪が降り

頻る中を出掛けた。足下の新雪が踏み締める度にギュッギュッと鳴

った。街灯が所々を照らす狭い裏道には俺の足跡だけが残された。

足元を気にしながら歩いていると、独りの男がこっちへ向かって歩

いて来た。まだ眠気が残っていて、雪景色は堪えるしかなかったが

他人と係わるのは鬱陶しかった。

 動物の本能というものは知らないものと出会った時に好奇心より

もまず恐怖心が先行する。怪しいものではないかと疑いながら相手

を探る。動物にとって生きるとは不安の中を生きることである。動

くことのできない植物などは不安を感じても逃げることが出来ない

ので恐怖心は無用である。無用な感情は淘汰され、植物は不安を

知らないから憂いのない美しい花を咲かすことができるのではない

だろうか。彼女らは折られようが切り倒されようが恨まない、無いの

だから。それはひとつの諦観である。なまじっか動ける動物はすべ

てが自己責任である。警戒心を解いて襲われた後には逃げなかっ

た悔恨が残る。だから、動くものは常に後悔と共に生きている。か

と言って、四六時中不安の中で生きるには身が持たない。そこで

共同体が生まれ、それぞれが互を認知し合って不安を少なくしよう

とする。他者を知ろうとするのは自分の不安をなくすためなのだ。

猫は猫の本能に従って、犬は犬の本能に従って、不安を減らすた

めに他者を知ろうとする。賢しい知性とは好奇心からではなく恐怖

心から生まれるのだ。

 俺は、向こうから来る男がどんな奴なのか見た。この裏道で二人

の大人がすれ違うには狭かったし、積もった雪がさらに狭くした。

奴は別に変な恰好をしているわけではなかったが、頭と肩には雪

が積もっていたが気に掛ける様子もなかった。すると、奴も俺の方

を見たので目が合った。俺はすぐに目線を逸らした。まったく出会

ったことのない男だった。

 人は不安から逃れるために共同体を作ると言っても、都会の生活

は度を越えている。かつては、向こう三軒両隣の晩御飯の献立さえ

も知るほどの付き合いだったが、ま、それはそれで鬱陶しいことだ

ったが、人々が密集して然も多様化して無関心にならざるを得なく

なると、突如としてその無関心が不安を呼び覚ます。すると、急に

街までがよそよそしく感じられて不安の妄想が止まらない。もはや

都会は不安から逃れるために相応しい共同体ではなくなった。それ

どころか反対に、「大都会の中の孤独」に苛まれ無縁社会の無関

心こそが人々を不安に陥れる。我々は遠い社会にばかり関心がい

って、身近な生活への関心が薄れてしまった。

 二人はあと十歩も歩けばどちらかが道を譲らなければならなくな

るだろう。別に俺は道を譲ることにこだわりはなかったが、それで

も奴とすれ違うほどに身体が近付くことが鬱陶しかった。そして、

奴はいったい何者かと思った。

 たまたま道ですれ違う者が何者であろうと、たとえば大通りで行

き交うだけならば気にも掛けないことが、袖擦り合うほどの狭い道

で出くわしたことが煩わしい因縁を生む。つまり、俺が奴を不安に

感じるのはこの状況こそが原因ではないのか。見知らぬ者とのこの

距離感こそが不安をもたらすのだ。他者のことは知れば知るほど不

安は減り、従って、不安は情報に反比例し、そして、近付けば近付

くほど不安は大きくなるので、距離にも反比例する。つまり、他者へ

の不安が増大する状況とは、知らない者が近寄ってくる時、つまり、

「未知との遭遇」の瞬間である。

 そんなことを思いながら歩いていると、いよいよどちらかが道を

開けなければならなくなった。俺は道を譲ろうと身を除けると、奴

も同じ側らへ身を交わした。それでは行き交えないので再び俺が反

対側へ移って道を開けようとすると、奴も同じようにそうするでは

ないか。「馬鹿かっ」と思いながら、互いにそんなことを繰り返して

いては埒が明かないので譲らずに前に進もうとすると、あろうことか、

奴と正面同士でぶつかってしまった。

「痛ってえ!」

一気に怒りが込み上げてきて、奴の顔を睨み付けると、何と!奴と

は花屋のショーウインドウに映った自分の姿だった。俺は積雪に惑

わされて道を誤っていたのだ。

 奴がガラスに映った自分自身だと知って、俺はぶつけた鼻に手を

当てながら、情報量は距離に反比例するのだと付け加えた。相手を

知るには近寄らなければならないのだ。しかし、それでは不安が増

大する。何とか近寄らずに知る方法はないものか・・・。

「あっ、それでインターネットが生まれたんか」

俺は思わぬ発見に気を良くした。ただ、そこからコンビニまでの雪

道には鼻面をショーウインドウに思いっ切りぶつけて流れ出した鼻

血が点々と続いたが、この恥ずべき出来事は降り積もる雪が雪(そ

そ)いでくれることだろう。                                                                             
                                  (おわり)

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