|
「順逆不二の論理 ―― 北一輝」
高橋和巳(著)
(2) 『国家改造案原理大綱』
高橋和巳が「まえがき」で指摘していたように、北一輝は、もちろん彼
の才能を乞われてのことだが、国内の「均しからざるを患う」前に、中国
で起こった革命「武昌起義」のすぐ後で中国革命同盟会に招かれて「革命
顧問としての北の活躍がはじまる。」彼の革命家としての活躍はここでは
割愛するが、やがて、北一輝は「中国革命からは疎外され、革命は彼のき
らう孫文派が中核となり、彼はもはや中国革命の見透しを失っていた。」
皮肉なことに彼が孫文を嫌った理由の、内乱を治めるに他国の力に頼らな
いという主張が、ここではその孫文によって外国人である北一輝に向けら
れた。彼は、已む無くその地での経験を生かして日本の改革を構想する。
「1919年(大正八年)、ほとんど『国家改造案原理大綱』の執筆を終わ
ろうとする上海の北一輝のもとへ、大川周明が迎えに来た。中国より、日
本のほうがあぶないからと。」その頃の日本の状況は、「第一次世界大戦
後急速に発達した資本主義と台頭する労働運動が激突し、言論界はそれを
反映しつつ吉野作造の指導される大正デモクラシーと反動との戦いがたた
かわされていた。シベリア出兵の失敗とワシントン会議による軍部の威信
失墜は、軍隊内に革新運動をうながし、農村は疲弊して、貧農はその娘を
妓娼に売って飢えを凌いだ。前年18年、悪徳商人の買占めと投機、財閥
資本家の買占めと輸出によって米価は高騰し、ついで富山県の一漁村の主
婦たちの『米よこせ』の蜂起をきっかけに八月から三か月にわたる大規模
な暴動が起こっている。」
彼の著わした『国家改造案原理大綱』は固より国家体制の転換を迫るも
のだ。その要旨は、「天皇大権により三年間憲法を停止し、戒厳令施行中
に、国家改造内閣をおき、二十五歳以上の男子の平等普通選挙による国家
改造議会によって革命政治を協議施行しようとするものである。」そのほ
か現政権下で施行されている様々な法律の廃止や要職官吏の罷免など、要
するに現政府機能を停止させてすべての権力を一時的に天皇に預け国家の
大改造を行う。「国家改造内閣および議会がなすべき改造の大綱は以下の
ようである。私有財産を三百万円、私有土地も同様、一家時価三万円分に
限定し、一切の超過分はそれを国有化する。」等々。もうこれは社会主義
国家そのものである。そして、彼はこう言う、「戦ナキ平和ハ天国ノ道ニ
非ズ」と。
その後、1923年9月1日には関東大震災が起こり戒厳令が敷かれ大
正デモクラシーの灯は消え世情は一気に不穏な空気に覆われた。私は、東
日本大震災が起こった時、再び歴史は繰り返すのではないかと怖れたが、
その歴史とは、度重なる経済恐慌の後、1929年には世界恐慌が起こり
人々の暮らしはさらに追い詰められた。そして、31年に満州事変が起き、
相次ぐ軍部によるクーデターが企てられ、1932年2月9日、前蔵相、
井上準之助が暗殺され、3月5日三井合名理事・団琢磨が暗殺される。続
いて5月15日、犬養首相が暗殺された。(五・一五事件) そして、33年
には凶作に苦しむ東北地方を昭和三陸地震が襲い津波で多くの人が被害
に遭った。暗澹たる世相に「北は、国家改造の機運を感じつつ」行動に向け
て動こうとしていた。しかし、「軍隊内では、いわゆる皇道派と統制派の暗闘
がしだいに激しさを加えつつあった。いわゆる皇道派青年将校は、ほぼ北の
思想的影響下にあった。」そんな対立から皇道派のクーデター計画が統制派
によって密告され(士官学校事件)、その責任から皇道派の真崎教育総監が
更迭、それを憤った相沢三郎中佐は統制派の永田鉄山軍務局長を刺殺した。
すると、「統制派は、皇道派の勢力を一掃するために、その根城である第
一師団を満州に派遣しようとした。満州に派遣されてしまっては、すべて
の計画は無に帰する。」2月26日、降り積もる新雪を血気に逸る青年将
校たちの軍靴が踏締めたが、頼るべき肝心の天皇は彼らの蹶起趣意書を言
下に斥けられ、世の中の「均しからざるを患いて」立ち上がった「正義軍」
は「賊軍」と看做された。
革命家・北一輝は、恐らく覚悟を決めていただろう。2月28日憲兵隊
に拉致され、裁判で死刑が宣告され、1937年8月19日執行された。
54歳だった。
私は、今の混迷の時代がその頃と重なって見えて仕方がない。もちろん、
国家の在り方も違うし同一に語ることの誤まりは分っているが、その時代
背景が奇妙に一致しているように思えてならない。隣国との領土を巡る軋
轢や世界恐慌が取り沙汰される世界経済、更には、長引く不況から抜け出
せない閉塞感に追い打ちをかけるように襲う大震災、にもかかわらず民意
を蔑ろにした官僚政治と猫の眼のように入れ替わるトップリーダーたち。た
だ、その時代と異なっているのは新しい社会を描くことのできる傑出した人
物が現れないことだと言えば、やはり危険すぎるのかもしれない。ただ、
「寡なきを患えず」とも「均しからざるを患う」社会であらねばならない。
(おわり)
|
「読感」
[ リスト | 詳細 ]
|
「順逆不二の論理 ―― 北一輝」
高橋和巳(著)
ある日、図書館に行くと、不用になった本を処分するためか、持ち帰り
自由と書かれて並べられていた雑多な本の中に、高橋和巳の全エッセイ
集「孤立無援の思想」を手に取って持ち帰った。その中にこの一編は収
められていた。高橋和巳は読んだことがなかったがもちろん名前だけは
知っていた。かつては、本屋に行くと文庫本の棚に必ずと言っていいほ
ど「悲の器」と「邪宗門」が薄っぺらな本を押し退けて幅を利かせてい
た。しかし、残念なことに彼は、これからの活躍を多くの読者が期待し
ていた矢先の三十九歳の若さで惜しくも病でこの世を去った。
彼は、まえがきで「論語」の「寡なきを患えずして、均しからずを患
う」を引用して、「北一輝の歩みは、『均しからざるを患う』純正社会
主義から出発し、生涯、社会主義的色彩をのこしながらも、やがて『寡
なきを患え』て富を外に求める政策を容認し、さらにはそれに理論的根
拠をあたえるにいたる悲劇的な過程をたどっている。」と記す程度に留
めて、後は自分の想いを極力挟まず専ら北一輝が残した著作と行動を追
っただけの、それでもドラマチックな、2・26事件への関与で死刑に
なるまでの「革命家」の生涯を伝えている。
北一輝は、佐渡島で醸造業を営む家に生まれた。小学校の頃に病んだ
眼疾が痼疾となり生涯隻眼を強いられた。その隻眼によるものなのか、
霊感が敏かった。大人になっても「北はしばしば幻覚に恐怖し、夜など、
子どもように亡霊の出現をおそろしがって、便所にゆくのにはわざわざ
妻をおこしていたという。」後年、「『立正安国論』に傾倒し、みずか
らを日蓮に擬しはじめ」日蓮宗に帰依して霊告を妻に記述させ『霊告日
記』なるものまで残している。とは言え、彼が霊力に従って何か画期的
なことを行なったとまでは明らかにされていない。偏に、彼の為した仕
事は彼自身の「秀抜な頭脳」と不断の努力によって、隻眼にも拘らず書
物を読み漁り培った知力の賜物である。「中学時代には、すでにそうと
う高度な漢字を身につけていた。」また、「中学時代、すでに佐渡では
彼の文名は高かった」という。決して霊に導かれて得たものではない。
彼は、二十二歳の時に著わした『国体論及び純正社会主義』が刊行後
すぐに発禁処分を受けたが、その思想は表題の通り社会主義思想そのも
ので、私が思い描いていた右翼のオーソリティーというイメージと違っ
ていたので驚いた。『生きるとより死に至るまで脱する能わざる永続的
飢饉の地獄は富豪の天国の隣りにて存す』と、「現代の階級社会は経済
的貴族国の時代である。」と言いブルジョワ社会の不平等を憤った。そ
して、維新により「日本は経済的公民国家をめざしたのである以上、土
地および生産手段の所有者たるべきもの、『徴兵的労働組織をもつ』権
利をもつのは国家のみであるはずだ。」これは社会主義思想そのもので
ある。(第一編 社会主義の経済的正義) では、彼の言う国家とは如何
なるものか。『国家とは政府のことにあらず』またその国家は中世的階
級国家ではなく、公民国家である。『日本天皇と雖(いえど)も国家の一
分子たる点に於いて他の分子たる国民と同様』であり、その『愛国心に
於いては階級的差別なし』。北は、「天皇を最高の源から総体としての
国民と同等の一機関、同等の一分子とみなそうとしたのである。(第二
編 社会主義の倫理的理想)そして、人類を、かつて猿から進化を果た
して『類人猿』と呼ぶように、やがて我々は人類を棄て神へと進化する
『類神人』へと到るべき『半神半獣の在者なり』と語る。『今日驚くべ
き人口は人類種族のまだ低度の進化なるが為めに他種族との競争に於い
て劣敗者の絶えざることよりして種族生存の為に必要に伴う天則なり』
と下等動物は群れを頼る本能に従うと言うのだ。そして、『日本今日の
過多なる人口は、人口過剰なる故に戦争生じるに非ず、戦争を目的とす
る中世思想の国民、戦争によりて優勝者たらんとする野蛮なる理想の国
家なる故に増殖しつつある天則なり』と、戦争を行うは動物本能に支配
された生存競争からで、「かれによれば、人類はそれ以上のものになる
ための『経過的生物』である。」従って、「その経過における冷酷な社
会淘汰、国家淘汰をも容認するのである。やがて人類は神類となり、道
徳は本能化するであろう。現在の道徳は、生活のため女子が売淫し、高
尚な理想のために男子は積極的に精神的売淫をすることを認めている。
しかし次の時代にいたるための過程ならば、むしろ、女子もまた奴隷の
ごとく貞節であるよりは、男子が堕落しつつある間、どこまでも平等に
堕落せよという。『女子学生の堕落は実は進化にして誠に以て讃美すべ
しとせん、讃美すべきかな』」 嘆きにも聞こえるこの言葉は資本主義社
会の下では男子が精神的売淫によって糊口を凌いでいるのだから、女子
が売淫に身を落すのも仕方がないではないか。まるで今の時代を語って
いるようだ。(第三編 生物進化と社会哲学)
高橋和巳が「この編にこそ北一輝の苦心があり、この書物がもった独
創的意味がある。」と語るのは、(第四編 所謂国体論の復古的革命主
義)である。「明治憲法の国体は、明文によって規定される機関 ――
帝国議会(貴族院・衆議院)、裁判所、枢密院、内閣と、藩閥勢力の温床
となった元老、軍事参議官、参謀本部、海軍軍司令部等の憲法外機関と
によってなっていたのである。天皇という絶対者を必要としたのは、こ
の後者の勢力だったわけである。万世一系論はその藩閥の御用イデオロ
ギーであり、機関説はブルジョアジーの志向を代表するものであったと
いえる。」「北は『国体論の背後に隠れて迫害の刃を揮い讒誣(ざんぶ)
の矢を放つことは政府の卑劣なる者と怯懦なる学者の唯一の兵学として
執りつつある手段』であることをみぬき、対外的に背伸びした明治憲法
の理念性を我がものとし、その理念を裏切る現実の陰の特権者や阿諛者
を弾劾したのである。」「国体論、それは日本のタブーであり、北自身
もいうように、『政論家も是れあるがために其の自由なる舌を縛られて
専制治下の奴隷農奴の如く、これがある為に新聞記者は醜怪きわまる便
佞阿諛(べんねいあゆ)の幇間的文字を羅列して耻じず。是れがある為に
大学教授より小学教師に至るまで凡ての倫理学説と道徳論とを毀傷汚辱
(きしょうおじょく)し、是れがある為に基督教も仏教も各々堕落して偶
像教』となっていたのである。そして北の苦心した著述も、この国体論
のために、細心の注意、ぎりぎりの線までの後退にもかかわらず、発禁
のうき目にあうのである。」
(第五編 社会主義の啓蒙運動) で「北はいう。『法律とは国家の理
想的表白なり、政治とは国家の現実的活動なり。凡ての者が此の明白な
る差別を明らかにせざるが故に、上層階級は社会の利益を図ると標榜す
る社会主義者を迫害するに却って社会其者の名に於いてし、社会主義者
は亦上層階級を国家の名の下に否認すべきに係らず却って国家其者の掃
蕩を公言して自家の論理的絞首台に懸かりつつあるなり』」ここで高橋
和巳は、北一輝の法律と政治の峻別と社会と国家の同一視を指摘して、
「政治の現実的矛盾を法の理想によって糾弾し(A)、法の非国家性(階
級性及び統一前の残滓)を逆に国家の名に於いて糾弾する(B)循環的な
二面作戦にも、日本的な意味はあったといわねばならない。」と言うが
ちょっと私には何を言わんとしているのかわからない。恐らく、既得権
益に巣食う権力者と資本家を異なる太刀で退治しようとしているのだと
思う。ただ、北一輝は「そうした法律闘争、平和的な手段だけでは社会
主義国家は実現しない。いやむしろ強力な力の支えのない社会民主主義
は悪であるとかれは躊躇なく断言している。」情けによる救済は事態を
誤らすばかりで、法の理想によって政治の現実を変えることは不可能だ
と言うのだ。「労使協調主義は講壇でとかれていただけでなく、189
6年、『社会主義には反対だが、貧富の差の激化を放任しておくわけに
もいかない』と、国家による社会政策の必要をといて、官立大学教授、
金井延・福田徳三・桑田熊蔵らが『社会政策学会』を作って運動してい
た。北一輝にいわせれば、これも、法律と政治の区分を知らない愚昧の
一つのあらわれである。政治の利害を社会的に調整することなどできな
い。それは、旧正義にかわる新正義が、国家の主体となり、その力によ
って実現する以外に方法はないのである。」今まさに我々は同じように
格差社会に苦しんでいるが、北一輝に言わせると、旧正義のままで如何
なる法的救済を行なっても社会を変えることはできないと嘲笑うに違いな
い。そして、「すでに道徳的に君子である資格を失った桀紂(けっちゅう:
中国古代の夏の桀王と殷の紂王。暴君の代表)を殺すことは、国家の目
的を無視する叛逆ではない。未来の正義によって現在の正義がたおされ
るように、国家はその一要素である君主を、国家全体の要請にしたがっ
て倒すこともありうる。」これを読むと、いま中東諸国で起こっている「アラ
ブの春」を思い起こさずには居れない。
やがて、その革命思想は変革の激動に揺れる中国に於いて活躍の場を
得た。辛亥革命は将に「革命家」北一輝の真骨頂であり理論実践の場と
なった。しかし彼は、「戦争と革命を区別せねばならぬという正しい論
理を、孫文がつぎつぎにおかすことで、のちには論理的敵対関係となる。
」『革命とは疑いなき一国内に於ける内乱にして、正邪いずれが授けら
れるにせよ内乱に対して外国の援助とは則ち明白なる干渉なり』こう考
える北は、アメリカからの援助を期待する「孫文とは当然あわず」その
経験を省みて憤慨をこめて『支那革命党及革命之支那』を書いて「のち
に大川周明によって『支那革命外史』として一本にまとめられた」。
これは、その著書から高橋和巳が抜粋した文を更に私が抜粋すること
になるが、「日本が中国の分割に荷担しようとするのは、自己の破滅を
みずからまねこうとする背理である。」つまり、中国への介入は何れ日
本にもその口実を与えることになる。「さらにそのうえ、つたない外交
によってドイツの怒りをかい、全ヨーロッパの民族の雑居するアメリカ
の排日感をあおれば、黄禍論による白人の大同団結をまねき、やがて、
それは英独連合海軍による元寇となるであろう。」英独連合海軍は生ま
れなかったが、北一輝はのちに『対外政策に関する建白書』を書いて、
「日米戦争ヲ考慮スル時ハ日米2国ヲ戦争開始国トシタル世界第2次大
戦以外思考スベカラザルハ論ナシ。則チ米国及ビ米国側ニ参加スベキ国
家ト其ノ国力ヲ考慮セズシテハ、経国済民ノ責ニ任ズル者ノ断ジテ与ス
ル能ワザル所ト存上候。・・・更ニ別箇ニ1敵国アリ。ソビエット露西
亜ハ日本開戦ノ翌日ヲ以テ断ジテ日本ノ内外ニ向テ全力ヲ挙ゲテ攻撃ヲ
開始スベシ。・・・要スルニ米露何レガ主タリ従タルニセヨ日米戦争ノ
場合ニ於イテハ米英2国ノ海軍力ニ対スルト共ニ、支那及ビ露西亜トノ
大戦争ヲ同時ニ且最後迄戦ワザルベカラザル者ト存候」
何と的確に国際情勢を予見していたことか。その後日本は北一輝の危
惧をまったく生かすことなく、かれの予見通りに「最後迄戦ワザルベカ
ラザル」に到り、皇民に一億玉砕を強い皇国存亡の時を迎えた。
(つづく)
|
|
「ドストエフスキーの生活」
小林秀雄の「ドストエフスキーの生活」を読んだ。ドストエフスキ
ーは若い頃に「罪と罰」を読んだきりだが、若過ぎたからか殺人の動
機を生んだ心理背景がまったく理解できず、主人公ラスコーリ二コフ
が殺人を犯して捕まるまでのサスペンスストーリーだけしか記憶に残
らなかったが、今ではそれすら忘れてしまい、ただ、読んだことがあ
ると覚えているだけだ。その後に「白痴」も読んだが、主人公ムィシ
キンが多額の遺産を手にした件(くだり)で、その頃、自分は食うや食
わずのその日暮らしで、どうしてそこの生活から抜け出そうかと煩悶
していたので、思いも寄らない財産が転がり込んでくるなどという凡
そわが身には起こり得ない夢物語に付き合えなくなって先へ進めなか
った。そしてそれ以来、ドストエフスキーの本を開くことは無かった。
かつて、ロシア文学が日本の近代文学に大きな影響を与えたことは
誰もが知るところで、それはどちらも西欧近代文化の波に圧倒された
焦燥感を共有していたからだろう。ロシアは新しい国家で文字通り西
欧文化の後塵を拝してきた。ドストエフスキーが生きた頃のロシアは、
西欧近代化の波が押し寄せ、皇帝による専制支配が揺らぎ社会変革の
激動の渦中にあった。それはちょうどわが国の徳川幕藩体制が揺らぎ
始めた幕末から明治維新の頃に重なる。明治新体制になると、近代文
学は、まずロシア語を修学した二葉亭四迷によって言文一致の文体が
世に認められ、続いてツルゲーネフやトルストイといったインテリゲ
ンチャの小説が翻訳され、人間とは、或いは社会とは如何にあるべき
かを模索していた人々は光明に集まる虫のようにそれに群がった。と
ころがその後、ロシアは二度の革命を経て社会主義国家への道を選ん
で、それは日本社会にも大きな影響を与えた。社会主義思想が持て囃
され日本文学にも影響を与え、白樺派が生まれた。私自身のことを言
えば、有島武郎は寝る間を忘れて貪り読んだ作家の一人だった。そん
な時代に生まれた小林秀雄はさすがにロシアの社会や文壇の事情をよ
く知っていた。当時、トルストイの死を巡って正宗白鳥の文に噛み付
いて反論したことは有名である。小林秀雄がドストエフスキーの「思想」
ではなく「生活」としたところに論争への拘りが垣間見れる。作家という
のは、或いは芸術家というのは理想という目的を手に入れる為なら、
現実をその手段として惜しみなく投げ捨ててしまうのだ。
ドストエフスキーの波乱の生涯は政治犯として捕えられたことから
始まる。(ペトラシェフスキイ事件) 彼と一緒に捕まった二十三人の
うち二十一人に死刑の宣告が言い渡された。そして、今まさに銃殺に
よって刑の執行が行われようとする直前になって、皇帝による特赦に
よって執行が免れた。そのうちの一人は気が狂れたという。ところが、
それらのことは皇帝によって予め仕組まれていたことだったというの
だ。その体験はもちろん彼の作家としての人生に大きな影響を与えた。
その様子は、彼と共に死刑を言い渡されたスペシュネフの回想によると、
「十二月二十二日の未明、被告一同は何の為に何処に行くかも知らず
馬車に乗せられていた。窓には厚い氷が張りつめて、往く道の様子さ
えわからなかった。『とうとう着いた。七時半であった。愕然とした
僕達の眼前には、断頭台と柱が二十本並んでいた。断頭台の上に連れ
られると、片側に九人、片側に十一人、二列に立たされた。やがて監
視の者が死刑の宣告文を読み上げた。読んでいる時太陽が出た。僕と
ドゥロフの傍らにいたドストエフスキーが「僕にはまだ死ぬんだとは
信じられない」とささやいた。ドゥロフは、折から大きな菰につつん
だ荷を幾つも乗せた荷馬車が着いたのを指し、「僕等の棺桶さ」と言
った。もう疑うものはなかった。死はそばまで来ていた、・・・・!』」、
ドストエフスキーが書いた「白痴」の主人公「ムィシュキンの言
葉を借りれば、『死刑というのは人殺しよりよっぽど残酷なものです
よ。森の中で夜強盗に惨殺される人だって、いよいよという最後の瞬
間まで逃れる希望を捨てやしない。そういう例しはよくあるんですよ。
咽喉を断ち切られていながら、希望はすてない、転げまわって救けを
呼ぶんです。それを、その逃れられない終末を確実に知らせて了う、
希望さえあれば十層倍も楽に死ねるところを、死刑囚からは、その希
望を取り上げて了う。宣告を読み上げるでせう、どうしたって遁れっ
こはないと合点するところに恐ろしい苦痛がある、世界中にこれ以上
の苦痛はありません。』」
そんな体験をした者が命拾いをしたからと言って退屈な日常生活へ
戻っていけるはずもない。更に、彼には持病の癲癇があってしばしば
卒倒した。激しい感情に駆り立てられて、人妻に一目惚れして奪い取
り、賭博にのめり込んでは借金を作り、兄や知り合いに無心する手紙
を多数残している。ここまで書いて太宰治を思い出した。彼もまた一
説によると境界性人格障害者(ボーダー)だったらしい。収まらない感
情を酒で紛らわせて情事に溺れ、厭世感に苛まれて自死行為を繰り返
し、遂に心中して果てた。彼が如何に破滅的で不倫理であったにして
も、彼が残した作品の純粋さは穢れることはない。
ドストエフスキーの賭博とはルーレットで、絶対に勝つ『システム』を
見つけたと言うから、ハテどんな『システム』かと思えば、「勝負のど
んな局面にぶつかっても、決してのぼせない、たったそれだけのこと
です。この方法でやれば、断じて負けない。必ず儲かります」(1863
年、パリより、義姉宛)、というバカらしいものだったが、それでも作家
だった彼は負けた腹いせからか「賭博者」という小説を書いて負けを
取り返すことができたのかもしれない。バルザックのように。
小林秀雄は「ドストエフスキーの生活」の中で、いかに生活や行い
が堕落していても、生み出される思想は穢されないことを言いたかっ
たに違いない。それは、正宗白鳥がトルストイの本に書かれた理想と
実際の生活がかけ離れていたことを嘲笑ったことへの反駁のように思
える。彼は、この本の巻頭の題句にニーチェの言葉を引用している。
「病者の光学(見地)から、一段と健全な概念や価値を見て、又再び逆
に、豊富な生命の充溢と自信とからデカダンス本能のひそやかな働き
を見下すということ――これは私の最も長い練習、私に特有の経験で
あって、若し私が、何事かに於いて大家になったとすれば、それはそ
の点に於いてであった。」(ニーチェ「この人を見よ」) ドストエフスキー
の眼はまさにそれであったと小林秀雄は文中にも引用して書いている。
そしてそれは、評論家小林秀雄が鍛えた眼でもあった。彼は、「美し
い花がある、花の美しさというものはない」(當麻)と言った。ゾレン「理
想」はザイン「現実」を越えて存在し得ない。「花の美しさ」とは現実を
見失った理想である。正宗白鳥はトルストイの理想とはかけ離れた現
実を嗤った。しかし、理想を求めない現実とは「ただのもの」でしかない。
芸術家や思想家とは理想を追い求める者、或いは理想から現実を見
て正す者である。彼らは如何に堕落した現実に甘んじていようと理想
を追い求めているのだ。たとえ、玉川上水で愛人と情死しようが、山の
神と諍い出奔して野良で横死しようがそこに自分自身はないのだ。
ドストエフスキーは、何度目かのトルコとの戦争になった時、こんな
ことを言っている。
「戦争というものは、最少の流血と、苦痛と、損害とを以って国民間
の平和を獲得し、幾分でも国民間の健全な関係を定める行動であ
ることを信じ給え。勿論これは悲しいことだ。が、そうだからと言って、
ではどうしたらいいのか。無期限に苦しむより、いっそ剣を抜いて了
った方がいいのである。文明国民間の現代の平和が戦争より何処
がいいと言うのか。それ許りではない。人間を獣にし残酷にするの
は、戦争ではなく寧ろ平和、長い平和だ。長い平和は常に残酷と卑
怯、飽くことを知らぬ利己主義を生む。就中、知識の停滞を齎す事
甚だしい。長い平和が肥やすものは投機師だけである。」(「作家の
日記」一八七七年、四月)
堕落した平和より国内秩序を健全にする戦争の方がましだと言う
のだ。まるで、生きているのはつまらんから死んだ方がマシだ、と
言っているのと同じだ。もちろん、その時代背景を配慮して読まなく
てはいけないが、ただ、「人間を獣にし残酷にするのは、戦争では
なく寧ろ平和、長い平和だ。長い平和は常に残酷と卑怯、飽くことを
知らない利己主義を生む」と言い、そして、「長い平和が肥やすもの
は投機師だけである」。 まるで今のこの国そのものではないか。が、
そうだからと言って、では我々はどうしたらいいのだろうか?いっそ
世界の閉塞状況をぶっ壊すために砲弾をぶっ放せというのは恐らく
何の解決も齎さない。すぐに元の木阿弥に戻るだけのことだろう。ア
メリカが軍事介入したイラクやアフガニスタンのように。これを引用し
た小林秀雄は戦中の「近代の超克」と題された対談で日本の参戦を
容認する発言をしていたことを思い出さずには居られない。
ドストエフスキーは人と社会が織り成して生まれてくる心理や観念
を様々な視点から注意深く観察することに経験を積んだ。「若し私が、
何事かに於いて大家になったとすれば、それはその点に於いてであっ
た。」と彼も言えただろう。小林秀雄はその本の中で、彼が「真理」と
いうものはどういうものであるかを、彼の言葉を引用している。
「僕は、公の仕事で、僕の最も深い確信をぎりぎりの結論まで持って
行った事がない。つまり自分の『最後の言葉』というものを書いたこ
とはない。(中略) 若し君が最後の言葉を発し、全く素直に(風刺的
な方法は全く避けて)『これこそメシアだ』と言えば、誰も信じようとは
しないだろう。何故かというと、君は君の思想の最後の結論を口に
するくらい馬鹿者だということになるからだ。多くの有名な機智に富
んだ人、例えば、ヴォルテェルのような人が、若し暗示や風刺や曖
昧さを一切捨てて、一と度己れの真の信条を吐露し、真の自己を語
ろうと決心したなら、恐らく十分の一の成功も覚束なかっただろう。
嘲笑されたかも解らない。最後の言葉というものを人々は聞き度が
らない。『一度口に出したら、その思想は嘘になる』というその『口に
出した思想』に対して、人々は偏見を抱いているのです。」(一八七六
年、七月、ソロヴィヨフ宛)
晩年の彼は、友人が口述筆記のために紹介してくれた若い女性
(21歳)と結婚をして、その時彼はすでに46歳だった、二女二男を
儲けたが、長女はすぐに病死し次男も若くして先立った、彼女に支
えられて安定した生活を得て、ライフワークの「カラマーゾフの兄弟」
を執筆したが、「完」を記すことが出来ずに急逝した。六十歳だった。
これを機会に彼の本をもう一度開いてみようかと思っている。
「でも、長いからな」
ロシア文学とは、一年の半分以上を氷雪で覆われた時間さえも
凍った土地で、部屋に籠って本を読むしか他ない人々のために、
読み終えるとヴォッカを飲むことしかなくなる読者のために、3行も
あれば語れる顛末を3ページ費やしても結末させない。
|
|
「火箭(かせん)」 資料を探すために図書館に行ったら、その資料は見つけられなか
ったが、年の暮れ(12月22日)に「草の葉」に記したボードレー
ルの「火箭・赤裸の心」を筑摩世界文学大系の「ポオ・ボ―ドレー
ル」の巻に偶々見つけたのでここに載せます。これは、小林秀雄の
「近代絵画」の中のボードレールの項に載っていたが、その後、そ
の文庫本を他人にあげてしまい、何十年も再読が叶わなくて後悔し
ていたのですが、と言うのも田舎の書店にはそんな本は置いていな
かったので、飛び上がらんばかりに喜びました。前置きが長くなり
ましたが、以下は私の人生を変えたボードレール「火箭」の中の一
節です。ただ、翻訳が現代語訳で軽すぎますが。
「火箭 15」より抜粋
「世界は終わろうとしている。まだ存在している理由があるとして
も、それは、現に存在しているということだけだ。なんと薄弱な理
由ではないか。その逆を告げるあらゆる理由、わけても、世界がこ
れから先天空の下で何をすることがあるのか、という理由と比較す
るなら。――けだし、かりに世界が物質的に生存を続けるとしても、
それははたして生存の名に値する生存だろうか。ぼくは、世界が、
南米諸共和国のようなその日ぐらしやふざけた無秩序におちいるだ
ろうとか、――それどころか、多分われわれは未開状態に帰って、
わが文明の草深い廃墟をふみ分けながら、銃を手に食物をあさりに
いくことになろう、だとかいうのではない。否。――なぜといって、
このような運命、このような冒険は、原始時代の名残りともいうべ
き、いくばくの生命力を前提とするものだから。仮借ない道徳法則
のあらたな実例、あらたな犠牲となって、われわれは、それによっ
て生きていると信じてきたものによって滅びるであろう。機械がわ
れわれをすっかりアメリカ化し、進歩がわれわれの中の精神的部分
全体をまるで委縮させてしまう結果、理想家たちの血なまぐさい、
冒涜的なあるいは反自然的な夢想のどれをもってきても、進歩の歴
然たる諸成果とはくらべものにならぬ、ということになろう。ぼく
は、およそ物を考えるほどのあらゆる人に、生命のいかなる部分が
今日なお残っているかしめしてくれと要求する。宗教については、
これを語ったり、その残存部分を探したりすることは無用と思う、
なぜなら、いまさらわざわざ神を否定する労をとることがこの領域
で可能な唯一の破廉恥行為であるようなしだいだから。私有財産は
、長子相続権の廃止とともに実質的には消滅してしまった。だが、
いずれ人類が、復讐の念にもえた人食い鬼さながら、諸革命の遺産
の正当な相続者をもって任ずる者たちから、食物の最後の一片まで
うばいとる日がくることであろう。これとてまだ最悪の不幸ではな
いだろうが。
人間の想像力は、いくばくかの栄光に値する共和国あるいは他の
形の自治国家というものを――神聖な人間や一種の貴族によって指
導されるとしてだが――さしたる困難もなく考えることができる。
だが、世界の破滅、あるいは世界の進歩――この際名前などはどう
でもよい――が顕現するのは、とくに政治制度によってではあるま
い。それは、人心の低劣化の結果として現れるだろう。かろうじて
残る政治的なものは万人の獣性にしめつけられてもがき苦しむだろ
うとか、為政者たちは、みずからの位置をたもち秩序の幻影をつく
り出すために、今日すでにかくも硬くなっているわれわれの人間性
をも戦慄させずにはおかぬような手段にうったえることを余儀なく
されるであろうとか、今さらいう必要があるだろうか。――この時
代になると、息子は、十八の年にではなく、十二の年に、がつがつ
した早熟さから早くも一人前になって、家庭をとび出すことであろ
う。彼がとび出すのは、英雄的な冒険をもとめてでもなければ、塔
にとじこめられた美女を救い出すためでもなく、崇高な思索によっ
て屋根裏部屋に不朽の名誉をあたえるためでもなくて、商売を始め
るため、金持ちになるため、そして破廉恥な父親と――知識の光明
を普及し、その時代の「世紀」紙をすら迷信の手先とみなさせずに
はおかぬような新聞の創立者兼株主たる父親と、張り合うためなの
だ。――この時代になると、宿なし女や淪落の女たち、何人も情人
をもったことのある女たち、すなわち、悪のように論理的なその生
活のなかにあって、気まぐれな輝きを見せる軽はずみのゆえに、ま
たそれに対する感謝の念から、時に人が天使と呼ぶことのある女た
ち、――その時代になるとこの女たちは、血も涙もない分別、金以
外のものはいっさい、色恋のあやまちまでふくめて、すべてを断罪
する、分別以外のなにものでもなくなってしまうだろう。――その
時代には、美徳に似たところのあるもの、いな、富の神への熱誠で
ないすべてのものは、とほうもない滑稽あつかいされることになる。
司法権は、もしこの恵まれた時代になお司法権が存在しうるとして
のことだが、栄達のすべを知らぬような市民の権利を剥奪するであ
ろう。――お前の妻は、おおブルジョワよ!お前の貞節なる半身は
――彼女が法律的に正当な妻であることが、お前にとっては詩なの
だが、――今や法的正当性のなかに非の打ちどころのない破廉恥さ
をもちこんで、お前の金庫の油断なく愛情深い番人と化し、つまり
はお妾の理想的タイプにほかならなくなってしまうだろう。お前の
娘は、ゆりかごの中で、あどけないままに年頃の色気をただよわせ
て、百万フランで買われる夢を見るのだ。そしてお前自身は、おお
ブルジョワよ!――今日よりさらに詩人でなくなったお前は、こう
したことになんの不満の種も見いださず、なにごとも悔やむことは
あるまい。けだし人間のなかには、ある部分が弱くなり退化するの
に比例して、強化し発達する他の部分があるからだ。――じっさい、
この時代の進歩のおかげで、お前の胸と腹のうちには、臓腑だけし
か残らぬことになろう。こういう時代は、どうやら大変近くにせま
っている。それどころか、この時代がすでに来ていはしないかどう
か、われわれの天性の鈍磨だけが、現に呼吸している環境を認識す
ることをさまたげる、唯一の障害をなしているのでないかどうか、
誰が知ろう!
ぼくはといえば、自分の中に時たま予言者めいた滑稽さを感じる
ことはあるが、医者の慈悲心といったものはこの胸のうちに見つか
るべくもないと承知している。この汚らわしい世の中に迷いこみ、
群衆にこづきまわされて、ぼくはさしずめ一人の疲れた男――背後
の深い年月に目をやれば醒めた迷夢の跡と苦い失望としか見当たら
ず、前方には、なんの新しさも、なんの教訓も苦痛もふくまぬ雷雨
ばかりが見える、そういう疲れた男だ。この男が運命から数時間の
快楽をぬすみ得た宵には、――できるかぎり――忘れ、現在に満足
し、未来には忍従の心をきめ、みずからの冷静さとダンディズムに
酔い、目の前を通り過ぎる者たちほど下劣でないことを誇りにして、
葉巻の煙を見詰めながらひとりごつのだ――この人間たちがどこを
指してゆこうと、ぼくに何のかかわりがあろう、と。
ぼくはどうやら、その道の人々が蛇足と呼ぶもののほうへそれて
しまったようだ。しかしこの数ページは残しておこう。自分の悲し
みの日付をとどめておきたいから。」
筑摩世界文学大系 37 「ポオ ボードレール」阿部良雄 訳
「火箭」・・・1 昔の戦いで火をつけて射た矢。敵の施設や物資に
火をつける目的で用いたもの。火矢(ひや)。
2 艦船が信号に用いる火具。
大辞泉 |
|
「草の葉」 かつて、関西での会社勤めを辞めて上京した折、山手線の高田馬 場駅だったと思うが停車した高架駅から何気なく窓の外を見ている と、夜の帷の中に赤いネオンサインに彩られた看板広告に「何じゃ これは?」と目を奪われた。そこには「草の葉」だったか「ホイッ トマン」だったか今では忘れてしまったが、そんな文言がそれも質 屋の看板に書かれていたからだ。私は「ホイットマン」も「草の葉 」も知らないわけではなかったが、ただ、それまで一度も読んだこ とはなかった。それでも、何故質屋の看板広告にアメリカの詩人ホ イットマンの「草の葉」をネオンサインにまでして宣伝しなければ ならないのか、また、それが質屋の営業にどれほどの効果があると いうのか電車が動き出しても気になって仕方なかった。恐らく、店 主がホイットマンへの共感が嵩じて人々にも知らせたいと思っての ことだなんだろうが、東京は変な街だなと思ったことを記憶してい る。ただ、幾ら記憶に残っても、私はその質屋を利用することはな かったが、ところが、本屋に立ち寄る度に岩波文庫のホイットマン の「草の葉」が目に障りネオンサインの看板が思い出されて、遂に それを買ってしまった。 私は、詩歌というものを字面ばかり追う癖から抜けられずに、叙 情に疎く心情に伝わることが稀だったが、それは恐らく、学校の授 業で生徒が興味を抱けるような詩歌が選ばれなかったからで、例え ば、万葉集などにしても古文の解読に大半が費やされ、やっと意味 が解ったら月並みな恋の歌だったりで労多くして益少なしで沁みて くることはなかった。それでも関西に居る時に、それは小林秀雄を 読んだからだと思うがボードレールの全集を買い求め、やっぱり彼 の詩も翻訳の壁があって意味不明で、ただ「火箭」の中の「世界は 終わろうとしている」以下の数行の言葉に衝撃を受けて、自分のそ れまでの人生など棄ててもいいと思った。つまり、それまでの私の 人生とは数行のボードレールに若かずだった。勤務していたホテル のフロントカウンターの中で、決められた仕事を何十年も従わなけ ればならないことに自分の生きる意義を見出せなかったし、そのま ま朽ちたくなかった。否、朽ちるなら自分の意志で朽ちようと覚悟を 決めた。 もしも私が、アメリカを代表する詩人は誰かと問われれば、間違 いなくホイットマンだと答えることに躊躇ったりはしないだろう。 彼の理性を超越した叡知を受け入れる寛容な精神こそは将にアメリ カンマインドの原点ではないだろうか。美徳はもちろん悪徳さえも、 希望はもちろん絶望さえも、生はもちろん死さえも、それらは何れ も繋がっているのだ。生きていることは如何なる辛いことに見舞わ れてもそれを補って余りある歓びではないか。将来への不安を抱え ながら、上京したばかりの激動の首都東京をただ眺めてばかり居た 自分をどれだけ励ましてくれたことか。不安や絶望、失敗や離別と いった辛ささえも生きていればこそ生まれてくるのではないか。生 きることとは死さえも受け入れることではないか。生きることに挫 けたっていい、しかし、挫けることを怖れて生きるなんて詰まらな い。そのオプチミズムは死滅をも受け入れ輪廻する自然生成への溢 れんばかりの歓喜に満ちていた。 「わたし 不動なるもの」 わたし 不動なるもの、「自然」のなかに悠然と立ち、 万物の支配者あるいは万物の女王、 理性にそむく物たちのさなかに自若たり、 その物たちのごとく色に染まり、その物たちのごとく 受身で、柔軟で、寡黙、 私の職業、貧弱、悪名、弱点、罪悪、そんなものは 思っていたよりささいなことだと悟り、 わたし メキシコの海を目ざし、あるいはマナハッタか テネシーの川に、あるいは遥かな北部か奥地にあり、 水上生活者として、あるいは森の住人として、 あるいはこれら諸州か沿岸諸州の、 それとも湖水地方かカナダのどこかで農場暮らし、 わたし たといどこで生活を営もうと、 おお さまざまな偶然事にも泰然として崩れず、 夜にも、嵐にも、飢えにも、嘲りにも、事故にも、挫折にも、 樹木や動物のように、正面から立ち向かわんと願う。 ウォルト・ホイットマン著「草の葉」より
|





