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(三十一)
夢を見た。
闇の中より神がふらっーと現れて、それに気付いた私は慌てて
跪こうとしたら、神の方が先に私の前に平伏して、
「教えてくれ!私は何をすればいいのか?」
私は驚いて、
「えっ!あなたは全知全能でしょう、あなたの意志で思い通りの
世界を創ればいいじゃないですか。我々はただそれを受け入れる
だけです。」
「ああっ、お前も所詮人間か!いいか、意志などと言うものは全
知全能の者には必要無いのだ。それは無能な人間にしか役立たな
い。」
「それじゃあ、神に意志などは無いのですか?」
「必要無い。」
「では何故、あなたは我々人間をお創りになったのですか?」
「私が人間を創ったって?ふざけるなっ!お前達が私を創ったの
ではないかっ!」
「ええっ!」
「だからこうして何をすればいいのか聞きに来たのだ。」
「解りました。あなたは充分にお役目を果たされました。これか
らは、あなたが創られた『天国』で安らかにお眠りください。」
そう言うと、神は安堵したかのように静かにお姿をお隠しになっ
た。こうして神は死んだ。
寝過ごした、三十分も過ぎていた。牛乳配達は5時迄に配達に
出ないと、軽トラなので配達の最後になって朝のラッシュに捉まり
動けなくなるのだ。始めのうちは馴れなくて、順路帳を辿りなが
ら届け先を探していると、河を越えて隣の県まで行ってしまった
。判ってはいたが、河の近くは思い通りに道が続いてなくて、早
朝とは言え、陽は気配を見せても辺りはまだ暗く「あれっ、行き止
まりジャン!」とか言いながら苦心惨憺の末に大きな道路に出て
喜んでいたら、真ん中に対向車線を分ける非情の柵(さく、「しが
らみ」じゃないからね)に邪魔をされて、泣く々々反対方向にハン
ドルを切って橋を渡って県境を越えた。もちろん、配達は大幅に遅
れて店には苦情の電話が殺到した。
「やばい。」
私は急いで飛び起きて、その枕元にある本を見て夢の顛末が理
解できた。それは寝る前に読んでいた、図書館で借りたニーチェの
本だった。 私はニーチェに心酔していた。それはホームレスという
不遇に身を置く者が世界を俯瞰して認識し、徒に自らを卑下せずに
生きる為の心の支えであった。彼のアフォリズムは人間に対する鋭
い切れ味で私のルサンチマンを鎮めてくれた。私はダガーナイフの
代わりにニーチェを懐にしのばせていた。たとえば、
「学問の目標について。――なんだって?学問の究極の目標は
、人間に出来るだけ多くの快楽と出来るだけ少ない不快をつくり
だしてやることだって?ところで、もし快と不快とが一本の綱で
つながれていて、出来るだけ多く一方のものを持とうと欲する者
は、また出来るだけ多く他方のものをも持たざるをえないとした
ら、どうか? ――「天にもとどく歓喜の叫び」をあげようと望
む者は、また「死ぬばかりの悲しみ」をも覚悟しなければならな
いとしたら、どうか?おそらくそうしたものなのだ。」以下筆者
割愛、ニーチェ著「悦ばしき知識」信太正三訳 ちくま学芸文庫
ニーチェ全集8 第1書12より
こんなのを読んでいると、ホームレスでいることも覚悟出来ち
ゃうんだよね。
するとドアを叩く音がして、
「オイッ!起きろよ、5時回ってるぞ!」
「はいっ、すみません!すぐ行きます!」
(つづく)
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「パソ街!」31―35
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(三十二)
サッチャンとバロックの路上ライブは、サッチャンのファンが
勢いよく増殖して、人盛りがまた人を呼んだ。そしてその人盛りが
今度は他のミュージシャンを呼び込んで駅前の広場は彼等だけの
ステージでは無くなり、何時しか2,3組のミュージシャンが現
れて、サッチャンとバロックの幕間を繋いだ。私もその喧騒に紛
れて画架を2つ離して置いて間を紐で繋ぎ、サッチャンの熱唱す
る姿をロットリングで輪郭を取りアクリル絵の具で彩色した絵に
彼女のサインを書かせて紐に吊るした。ただ私の絵は本人ほど
の人気には為らなかったが、彼女のファンには結構売れた。
バロックはサッチャンが唄うオリジナルを創るのに苦労してい
た。それは、まるで倖田來未の歌をボブ・ディランが創るくらい
無理があった。(ボブ・ディランに代る日本人がいないことが哀
しい)
「あかん、判らへん!」
私が聞いた、
「曲?」
するとバロックは、
「いいや、何で知可子が『チカコ』と言うと気になるのか判らへ
ん。」
「えっ、まだそれ?」
「色々想像したんやけど、やっぱり『チカコ』やないとあかんね
ん。」
「どう言うこと?」
「たとえば、『ヨシコ』でも『サチコ』でもそうはならんのや。
なんでやろ?」
「知るかっ!」
「判らんやろなあ。」
バロックはサッチャンのオリジナル曲を創ることを諦めたのか
もしれない。それはサッチャンの歌に業界の者が目を付けて、彼
女の入った箱のフタだけが開かれようとしていた。
(つづく)
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(三十三)
たとえば、仕事をしている時なんかに、身体は働いているんだ
けど、頭の中が急に空白になって、「あれっ?俺は此処で何をし
ているんだろう?」って思う時が在る。ひとつの漢字をいつまで
も見ていると感覚がずれて、認識しているものとは違って見えて
くるのを「ゲシュタルトの崩壊」と言って心理学では知られてい
るらしいが、そういうのって視覚だけに限らず日常の生活でも起
こるのだろう。いつも通りに仕事をしていて、何がきっかけでそ
うなったのかは忘れたが、多分何かの間違いに気付いて、その
ことに思いが集中したからだと思うが、我に返ると急に自分の居
る場所が他所々々しく感じられて、まるでタイムマシンで違う世界
に送り込まれた様な違和感に苛まれることがある。我々は育った
環境に馴染んでその状況を認識して生活しているが、案外、この
世界との違和感は原始以来人類が根源的に感じていたのかもし
れない。それは最初の人間の「私は誰?此処は何処?」から、我
々の理性はその拠りどころを模索して宇宙の果てまでも認識の触
覚を延ばしているのだ。たとえば、Aを定義するにはAでは無いBを
定義しなければならない。さらにBを定義づけるにはA、B以外のC
を定義づけねばならない、そうやって我々の理性はAを定義する為
に宇宙を超えて異次元空間まで意味を探っている。それどころか、
一つの真理を手に入れても無数の謎が行く手を阻み、もはや、理
性は分断され、Ⅰでの真理がⅡでは真理ではなかったり、ⅢとⅣ
では正反対の結果が現れる。そして遂に我々の理性の根拠の絶
対性が疑われ始めた。つまり、今はAでも何時かBであるかもしれ
ない。
「あれ?俺はここで何をしているんだろう?」は我々の理性が意
味を見失った時に、自分自身を取り戻す為の警告である。それで
は意味など求めない本能は、たとえば、SEXの時は着ている物
と一緒に理性を脱ぎ捨てて欲望に任せて体を求め合うが、本能は
行為の意味を求めたりはしない。ただ、私はいつも乳児に帰った
様な乳房への愛撫や、情けない腰使いについ我に返ってしまい、
理性が蘇り、欲望が萎え、気まずい思いをしてきた。ある時など
は、東京の夜景が拡がる窓ガラスに、反射して映った自分の臀部
が卑猥に「くねる」のを見て、思わず「俺は此処で何をしている
んだ?」と我に返ったが、ちょっと休憩をして、二度と映ら無い
様にカーテンを引いてから、もう一度やり直したくらいだ。さら
に、男がどれほど理性的に振舞っても、ひとたび乳房を愛撫すれ
ば幼児の記憶が蘇り、大人の男としてのプライドが溶解していく。
想像して見るがいい、社会的な地位に在る者が女性の乳首に吸い
付く姿を。女は男が営々と築き上げた地位も威厳もプライドも忘
れて乳児のように乳房を弄ぶ瞬間を決して見逃さない。そして、
その時男と女の立場は逆転する。女は母親の寛容さで幼児を愛し
む様に我々の欲情を包み込む。そして最後は犬も情け無がるあの
腰使いだ。体を許した女が男を「舐めて」かかる様になるのは、
幼児への回帰に身を委ねた乳房への愛撫と、あの情けない腰使い
にあるのは間違いない。
そんな風に本能は「愛」に意味など求めないが、理性は「愛」
にまで意味を求める。「人を愛することは危険なことだ、だから
理性的に考えてから愛しなさい。」もはや我々の「愛」も理性に
諭されて純粋な力を失おうとしている。ただ、もしも理性がその
「愛」の力によって高められたとしたらどうだろうか?我々は自
身の本能や感情を忘れて理性に頼りすぎてはいないだろうか?人
間が存在することの合理性なんて何処にも無いんだから。「あれ
?俺は此処で何をしているんだろ?」って、理性に頼りすぎた者
の「ゲシュタルトの崩壊」なんだね。
「アート、こっちへ来なよ!」
サッチャンが呼んだ。
「何?」
「一緒に歌おうよ!三人で。ねっ、バロック。」
彼女はとても元気だった。
「何を歌うの?」
「ビートルズの『All You Need Is Love』!」
「あっ!それはいい!」
私はサッチャンの後ろで彼女に負けないくらいの声で歌った。
(つづく)
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(三十四)
路上ライブを終えた駅前広場には幾つもの街灯が陽の影になっ
た大地に人工の明るさを降らした。しかし、その上には漆黒の闇
に浮く満月が街灯に負けじと光沢を増して現れていた。歌い終え
たサッチャンことチカコは「路上」を通り過ぎて、かぐや姫のよ
うに「スター」を目指して天上に昇ろうとしていた。やがて音楽
事務所の者が迎えにやって来て、彼女はバロックの翁にその事を
涙を流して告げた。バロックは、
「よかったやん!」
ただ、音楽事務所は路上ライブをこのまま続けて、その延長でデ
ビューさせるつもりでいたが、明らかに彼等が売り出そうとする
彼女のイメージと、バロックの横で歌う彼女の曲は繋がらなかっ
た。そこで、彼等はバロックを説得してバックアップをするので
彼女に合ったラブソングを選曲してくれる様に言ったが、バロッ
クはアッサリと断った。予想しなかった拒絶に戸惑った彼等は、
「わかった!君も一緒に使うからさ、それならいいだろ?」
彼等はバロックにも所属契約を結んでCDの制作も約束すると言
ったが、バロックは、
「嘘っぽい!」
そう言って断った。彼には到底今流行りのラブバラードなどは歌
えなかった。
「今の音楽は変な宗教に洗脳されてるちゃうか。」
「何で?」
「聞いてても現実が見えてけえへんのや。まあ、気持ちは癒され
るのかもしれんけど。」
「そう言えばコンサートで客が動きを合わせているのを見た時、
そんな感じはしたよ。」
「気持ちわるいよな、アレ。」
「新しい賛美歌かな?」
「否、歌詞だけ見るとお寺の門前に書かれた念仏と変われへん。」
「有り難いけど、役に立たない?」
「音楽なんて元から約に立たんよ。」
「じゃ、何なの?」
「おもろ無いんや、説教っぽくて。」
「あっ、それで宗教なんだ。」
バロックもまた生きていくテーマを見つけられない一人だった。
彼は宗教批判が祟って天上からの使者のお迎えは無かった。
「ところでバロックってどんな音楽だっけ?」
私の質問に彼は何も言わなかった。
こうしてまたバロックは一人に為った。当初、音楽事務所の者
はその広場で別のユニットを組んでサッチャンを歌わせようとし
たが、彼女がバロックに気を遣い固辞した為にその話は流れた。
バロックは以前のように中年オヤジを相手に深夜に及ぶ泥酔いラ
イブを復活させたが、私はサッチャンが居なくなった事で稼ぎを
失った。私は決して絵が上手い訳では無いが、ひとたび路上で恥
を曝すと、案外人の冷たい目にも馴れて、「案ずるより産むが易
し」とはこの事だと実感した。折角、産んだものを見殺しにする
のも忍びないので、もう一度路上で絵を売りたかったが、さて、
私は何を描けばいいのだろう?そんなことを思いながら朝まだ暗
い中から牛乳配達をしていた時、マンションの八階当たりの外通
路から、東京湾へ拡がる街並の上に、西の空には漆黒の宇宙に散
らばる星座の煌きを従えた半月が、澄んだ大気の中で朧ろではあ
るが冷たく光り、東には何処までも続く家並みが空に迫り、その
狭間から日の出を知らせる陽光が眠りから醒めぬ雲を朱に染めて
、さらに漆黒の闇を薄めて明と暗が水墨画のように微妙に変化し
て、正に私の前で夜と朝が対峙していた。闇の漆黒に瞬く星、朧
げな月、眠る街並に灯る明かり、夜明けを知らせる陽光の白や黄
色、白雲に映る朱色、空の青、高層ビルに反射するメタリックな
光、それぞれが刻々と移り変わり見飽きることは無かった。
「ああっ、私はこんなところで生きていたのか!」
気付かなかった今までを取り戻すように、配達を忘れて何時まで
もその景色を眺めていた。
「一体何時までかかってんだよ!何かあったのか?」
会社へ戻ると社長が心配して待っていたが、私は配達が遅れた
理由を言えなかった。
(つづく)
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(三十五)
私は絵のテーマを見つける為にスケッチとデジカメを持って都
内を歩き廻った。しかし、習性とは恐ろしいもので、かつてホー
ムレスだった頃、後ろめたさを隠すために人込みに紛れ込もうと
したが、こうして絵になる風景を捜していても、自然と足がビ
ルの立ち並ぶ繁華街に向くのには辟易した。目ぼしい景色に
もちろん出会すことも無く、昔のようにひたすらビルの谷間を
彷徨う破目になった。目的を持たずに彷徨う東京は限りなく広い
。ホームレスの頃、家並みが続く道をすこしでも休める公園でも
あればと思い、当ても無く歩いたが、行けども行けども家並みは
途切れることが無くて、危うく都心の住宅街で遭難するかと思っ
たほどだった。かつてデカルトは「方法序説」の中で「森で迷った
ら真直ぐに進め!何故なら永遠に続く森は無いから。」みたいな
事を言ったが、私は「東京で迷ったら引き返せ!」と言う、何故なら
東京の家並みは永遠に続くからだ。幹線道路に面した高層ビルの
、防災の為に仕方なく造られた素気ない広場のベンチで休みなが
ら、地震の多い日本で、何故こんなビルを建てるのかと雲に霞ん
だ最上階を眺めた。ただ他人事として、東海大地震で倒壊する
高層ビルを見てみたい気もする。高層ビルを好んで建てようとす
る都市は、アメリカに始まって日本、中国や東南アジア、ドバイ
などの中東産油国と、何れも新興国の成金の示威の象徴ではな
いのだろうか?ヨーロッパではあまり聞かないよね。その時、この
高層ビル群を水墨で描けないだろうかと閃いた。もしかすると趣き
の新しい絵になるのじゃないか?私は早速その高層ビルを見上げ
ながらスケッチしようとしたが、首が痛くなってカメラで撮るだけ
にした。
(つづく)
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