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(一)
シーシュフォスが課された刑罰の様な仕事を終えて、駅東口
のネットカフェに入った時は、まだ10時前だった。無駄な出
費を抑える為に、公園のベンチで新聞を読んで時間を潰してい
たが、疲れが背骨あたりから全身に及び、その倦怠から一刻も
早く逃れたかったので、思っていたより早くいつもの所へ入っ
た。馴染みの店員が手早く個室をくれて、私はそこへ入るなり
何も為ずに横になった。
全身の緊張していた細胞が緩んでいく音が、耳の奥で「ごお
おっ」と聴こえた。疲れていたが眠れなかった。それはわが身
に迫る将来への不安からだった。一体、何故こんなことになっ
たのだろう。
私が東京へ来るきっかけは、実家から投稿した漫画が最終選
考まで残り、出版社から専用の原稿用紙をもらい、それまでの
貧しい暮らしに差し込んだ、一条の光に夢を託したことから始
まった。勤めていた会社を辞めて上京し、生活は日々アルバイ
トに暮れる酷いものだったが、漫画家として成功する夢がその
辛さも耐えさせた。仕事をやりながら漫画を描くのは絶望的に
困難なことで、アルバイトで残した僅かの金で一ヶ月の生活
を費やし、仕事をせずに集中してマンガに取り掛かり作品を仕
上げると云う生活を繰り返した。ただ、いつも最終選考までは
いくが、入選の栄光に浴すことは無かった。つまり一円にも成
ら無かった。ある日、天からの啓示のように突然アイデアが閃
き、その可能性に自分の中で勝手に期待が高まり、寝る時間も
忘れ、仕事のことも忘れ、渾身の想いで作品の下書き(ネーム)
を作り、出版社へ持ち込んだ。担当者に「いい、これで行こう。
」と言われて喜んではみたが、さて、すぐに仕事を捜さないと暮
らしていけない。そんなマンガ以外のことに時間を費やしている
と、担当者から信じられない言葉を聞かされた。
「君が描いてこないから、アレ、他の人にやって貰うことに
した。」
その男は他誌で連載を終えたばかりの新人マンガ家だった。
ご丁寧にその男が描いた下書きまで見せてくれた。私が考えた
決め台詞まで一緒だった。私のアイデアは、担当者に因って「
パクられていた」。帰りの地下鉄の駅で、かつて経験したこと
の無い怒りで身体の震え止まら無かった。
しばらく自分の身に起こった事が納得できず、仕事に行く気に
もならず部屋の中でボーッとしていた。やがて大家がアパート
代の催促に何度もきた。私は、部屋を出て行くしか無かった。
(つづく)
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「パソ街!」1−5
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(二)
眠りが遅れて襲ってきた為朝寝坊した。目が覚めた時は、すで
に仕事が始まる時間だった。日雇い派遣はこっちの都合で休むと
次の仕事も溢れるようになる。寝坊したことわりを連絡して散々
謝って許してもらい、シャワーを済ませて日用品の入ったバック
を背負ってネットカフェをでた。それでも今日一日は自由を得た
「奴隷解放の日」だった。いつの間にか、この国には奴隷制度が
復活していたのだ。
早春の朝日がまぶしかった。棲家の無い者にとって季節天候は
決定的である。冬の深夜を何処で過ごすかは命に関わる。この冬
は温暖化が言われていたので油断をしてしまった。凍える街の隅
っこで眠ろうとしたが、寒さで眠る事も出来ず散々歩き回った末
肉体的にも精神的にも限界を超えた。限界を超えると脳が警告を
発した後、「運命に任せろ!」と告げて自ら判断のスイッチを切
断してしまった。そして私の命を支えていた多くの分子たちが私
を棄てそれぞれ元の物質へと換わっていった。もはや私は風であ
り雪であり闇であり世界そのものだった。世間や社会が消滅して
私も消滅しようとしていたが、まだ生き延びようとする生命の本
能だけが残された神経を研ぎ澄ませていた。気が着けば見知らぬ
廃墟ビルのレストランのソファに眠っていた。
ホームレスにとって地球の温暖化は有難い限りだ。このまま熱
帯気候になって呉れないかとさえ思う。そうなると外で寝ても苦
にならないし寒さに備える必要もない。ホームレスが苦にならな
いときっと皆んな働かなくなって、その時から先進国のCO2排
出量が減り始めるのかもしれない。
熱帯の働かない若者に日本人が、
「何故、働かない?」と尋ねたら、
熱帯に住む若者が、
「何故、働く?」と聞き返してきて、
日本人が、
「楽な暮らしができるだろう」と云うと、
熱帯に住む青年が、
「働かなくても、楽に暮らしてる」と言った、
って熱帯になれば日本だってそうなるかもしれない。
冬の間は廃墟ビルのレストランのソファで運良く寝泊まりする
ことが出来た。私を棄てた分子たちも人肌を恋しがって又戻って
来てくれた。さらにその厨房には廃業前の缶詰やパスタなどがそ
のまま放置されていた。さすがにコンロは着かなかったが、さっ
そく缶に閉じ込められたトマトやアスパラガスを解放して私の胃
に閉じ込めた。それでも何時誰か来ないかが気になって落ち着け
ないレストランだった。東京に在るものは全てに所有者がいるこ
とを改めて知った。空き地の雑草一つもその土地の所有者のモノ
なんだ。ここで行われているのは所有権の奪い合いなんだ、まだ
空気の所有者までは現れていないが。
私はすこし歩いて近くの国家が所有する河川敷へ行った。
(つづく)
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(三)
風が川面を叩いて春を告げ水面は目覚めて軽く波立つ、そんな
長閑な朝の始まりが立つ瀬を失くした自分の面にも少しは生きる
歓びを目覚めさせ、鳥の囀りさえ笑っているかのように聴こえて
、私も心が少しは沸き立って水面へ到る斜面の土手の草むらにバ
ックを下ろして横になった。街の喧騒も少し外れるとまだこんな
ところがあるのだ。
「何が?」
「永遠が!」
遠くに掛かる陸橋に後も切らずに続く車の流れと今の自分の措
かれた境遇が、まるで先頭集団から離されていく後続のマラソン
選手の焦りに似た不安を感じさせたが、どうすることも出来ない
あきらめが逆に気を楽にさせて、寝転んで両手を伸ばして大きく
欠伸をした。それからバックの中から一冊の本を出した。それは
、資源ゴミの集積場に無造作に捨てられていた八冊の中の一冊で
、そのタイトルを見た時、それまで私の脳血管を閉塞していた血
栓が消滅したかの如く積年の苦悩が一瞬にして解決した。それは
「実存は本質に先行する」、サルトルの本だった。そのあとの本
文は私にとってどうでもよかった、というよりこの一文は強烈だ
った。実際図書館で「嘔吐」も読んではみたが全く理解出来なか
った。翻訳の難しさもあるのだろうが、なんでアロエだかマロニ
エだかの木の根っこを見て「吐き気」を催したのか皆目判らなか
った。「存在と無」は最初のページを繰らずに置いた。「実存は
本質に先行する」、これだけで充分だった。つまり、私はずーっ
と「実存には本質が先行している」と思っていたのだ。
私は実存主義の本を読んでいても使われる哲学用語が全然頭に
入ってこない、さらに文化と翻訳の壁がある。日常の言葉で語れ
ない思想が日常に広まる訳が無い。突き詰めると「ものごと」は
狭義に拘らざるを得ないのは判るが、突き詰められた真理が深海
の海底では光輝いていても引き上げて見るとただの茶瓶だったで
は見向きもされないだろう。
つまり存在には「意味がある」と思っていた。しかし「意味が
ある」とすれば意味を与える存在があることになる。「生きる意
味」だとか「何の為に」とかの問いは、常に自分の外に答えを求
める。私は生きる意味を「問うこと」の無意味さを知った。
(つづく)
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(四)
「ぽちゃっ。」
水面を跳ねる魚の音で目が覚めた。気付かない間に眠ってた。
やはりネットカフェのリクライニングシートでは睡眠は満たされ
ない。手足を伸ばして寝ることがそれほど大事だとはこんな暮ら
しになるまで分からなかった。いつも頭の中は「どこで寝るか」
が占めている。「何の為に生きている?」と聞かれると間違いな
く「寝る為に生きている。」と答えるだろう。街を彷徨っていて
も人を気にせずに眠れる「夢の楽園」ばかり捜している。棲家を
無くす事は睡眠を無くす事だった。アウシュビッツでは不定期な
水滴の音で眠らせない拷問があったらしいが、自分の身に何時何
事が起こるか分からない状況では、水滴が落ちてこない静寂こそ
が最も神経を消耗させ疲労困憊の末に、ついには死を覚悟しなが
ら眠るのだろ。次の憲法には是非「如何なる睡眠も、これを犯し
ては成らない。」と云う「睡眠の自由」を保障して欲しい。夜中
にホームレスのテントに押し入って眠っている人間を殴り殺すの
はいかに残酷なことか知るべきだ。
「ぽちゃっ。」
魚は良いよなあ、泳いでいるだけでいつも目の前に食べるものが
やって来るもんな。人の世界では、ただ歩いてるだけで目の前に
納豆定食やカレーライスが浮いて来ること無いもんな。次に生ま
れて来る時は絶対に植物性プランクトンを餌にする魚に成りたい
。でも、自分も大きな魚の餌になるんだろうけど。
お腹が空いたので何か食べなくちゃ。万引き、物乞い、情けを
乞う事、これを私は強く自分に禁じていた。それはきっと楽な方
法だろうが、手を染めると抜けられなくなるのが嫌だった。もち
ろん一生こんなことはしてないぞ、と思っていた。いちど三日間
食えない事があった。仕事が続いて週末には五万円程のお金があ
ったが久々の大金に目が眩み、大盛り牛丼たまご付き、サウナに
入って小奇麗になって、カプセルホテルで手足を伸ばし、缶ビー
ル飲んでエッチビデオに興奮し、人並みの暮らしを味わうと、こ
んな暮らしにケリ着けて、たったひと間の部屋でいい、楽な暮ら
しがしたくなり、一攫千金夢に見て、開店前のパチンコ屋、並ん
だ甲斐が報われて、早速もらった玉手箱、ここで止めるか思案橋
、うまくいったら仕事をせずに、ひと月遊んで暮らせると、よく
よく欲に勝てなくて、取れぬ魚群の海算用、夢を見たのは一瞬で、
濡れ手に泡の玉手箱、空けてびっくり空手箱、呼び戻そうと追い
銭を、有り金叩いて投げたけど、「海」の藻屑と為りにけり。
有り金を摩ってしまった。
落ち込んだ、本当に落ち込んだ。それ以来、私はすこしずつ金
を残そうと思った。一日二食にして、昼はスーパーで2本100
円の袋入りのフランスパンと100円の砂糖を買い、砂糖を水で
溶かしてパンにつけて食べている。
(つづく)
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(五)
遅いブランチ(?)を済ませて街を歩いた。平日の午後と云って
も下町の駅へ向かう通りはさまざまな人が行き交っていた。自転
車に子供を乗せて買い物から帰る主婦や、これから買い物に行く
人などを避けながらあてもなく歩いているとまた元の駅前へ出た
。駅前の広場ではひとりのストリートミュージシャンが何時終わ
るとも判らないギターのチューニングをしながら行き交う人々を
窺いながら、自分のパフォーマンスに好意的な人が来るのを待っ
ているのだろうか。足を止める人がいれば何時でも始めようとし
ているが誰も興味を示さないので始まらない、また始まらないの
で誰もが無関心に通り過ぎる。いつの間にか人々は彼の前を避け
て通る様になりそこだけ異質の静けさが漂い始めていた。もしか
すると彼は曲を始めるつもりを失くしたのではないかと思えるほ
どいつまでもギターの調整をしていた。ただ、もし地震でも来れ
ば彼が誰よりも早くこの場を逃げ出すに違いなかった。私は彼の
歌に興味があった訳ではないが、時間潰しにと思ってオープニン
グを今か今かと待っていた。しかし何時まで経っても始まらない
からその場を離れなれなくなっていた。このままだと彼は地震が
来るまできっと何もせずに終わるに違いないと諦めた時、彼は私
の方に目線を向けた。私は一瞬驚いたが立場の気楽さから彼を余
裕で見つめ返した。すると彼は困惑を悟られまいと弱々しく俯い
たがその心情が伝わってきたので、私はその男の前に行って座っ
てやった。今度は彼が驚いて顔を上げたが、意を決したのかピッ
クを取って弾き始めた。
「STAND BY ME」だった。私は可笑しくなったが、彼
は歌うことに必死だった。しがれた声でゆっくりとコードを確か
めながら彼は歌い終わった。ひとつの障害を乗り越えた後は手綱
を放された馬の様に続けさまに歌った。二三曲知らないものがあ
ったが、七十年代のフォークソングだと思われる耳にした事のあ
る曲はスローなアレンジで上手かった。気が付くと私の後ろには
十人ばかりの中年のオヤジが遠巻きにしながら聞くともなく足を
止めて立っていて、今度はその一画が人集りになっていた。おそ
らく彼らの青春の歌に違いないのだろう。
終わりの合図か、彼が大きく右手を振り下ろして弦を擦って、
音の流れを遮ると辺りは一瞬静まり返った後、幾人かのオヤジか
らパラパラと拍手が起きた。私もつられて手を叩いた。彼はその
拍手に驚いて頭を上げたが、顔には遠目にもわかるほど汗をかき
昂揚が伝わるほど紅潮していた。三十才前のそんなに若くはない
が優しげな顔をした男だった。声はしわ枯れていたがまだ表情に
は若者らしい戸惑いがあった。
「なっ、何かリクエストあれば...、出来るモノならやります
っ!」
彼は恐る恐る言葉を発したが、それはさっきの歌声とは思えない
ほど弱々しかった。すると何処からともなく声がかかった、
「キャロル・キング!」
彼は、
「IT’S TOO LATE やります。」
と言って、また彼の世界へ戻った。
私の知らない曲名だったが、曲が始まると聞き覚えのある曲だっ
た。彼は自信があったのか顔は決して上げずにギターのコードを
見ながら頭を左右にしてより大きな声量で歌い上げた。
オーディエンスはさらに増えていたが中年オヤジをはじめ誰もが
その物悲しい調べに聴き入っていた。何度かサビのリフレインを
繰り返す時には小声で一緒に歌う人までいた。最後には、上手く
歌い終えた自信からか周りを見渡す余裕を見せて、さらにさっき
よりも多くの拍手を浴びた。そればかりかリクエストしたと思し
き人は彼の前にあるギターケースの中に千円札を放って彼を讃え
る言葉をかけた。つられる様にして幾人かがそこにコインを入れ
た。彼のストリート・ライブは熱狂のうちにアンコールのボブ・
ディランが始まった。
私は役割りを無事果たしたプロデューサーよろしく、すこし離
れた植え込みの石に腰を下ろして彼の興行の様子を眩しげに、そ
して思わぬ成功に驚きながら眺めていた。私が離れてからも彼の
オールディーズは益々調子付いて駅前のビルに響き渡って行き交
う人は誰もが視線を彼に向けた。そしてついに名残惜しいフィナ
ーレを迎えた。彼は起立して頭を下げ礼を言うとオーディエンス
も大きな拍手で答えた。彼がギターを肩から外して足元のペット
ボトを飲み干したら、中年オヤジのオーディエンスも三々五々に
散って行った。私は予期せぬ出来事に呆然としていたが、彼は私
の方へやって来て頭を下げながら熱唱で使い果たした擦れ声で、
「どうも、ありがとう。」と言った。
私は、
「あなた昔の歌良く知ってるね。」
「バロックしか唄えんのや。」関西弁だった。
「バロック?」
「古い唄のこと。」
「ああっ、なるほど。」
彼曰く、今まで一度もバンドのユニットに入ったことが無かった
ので、いつも一人で弾ける曲を探していると古い曲しか無かった
。それで古い曲ばかり練習していると本当に嵌まってしまって、
今では七十年代の弾き語りこそが自分に合う曲だ、と言った。
「今日、はじめての路上やったから、ちょっとビビってたけど、
兄ちゃんのお陰で上手いこといったわ。ほんま、ありがとう。」
「へえーっ、はじめてだったの、その割に上手かったね。」
彼は私の言葉を聞かなかったように、
「今日は声がヤバイからもうやめるけど、明日また此処で演るか
らよかったら来てーや。」と言った。
彼は大阪の会社を辞めて音楽で勝負する為にギターひとつで三日
前に東京に出て来たらしい。それで、何処か安く寝れる処を知ら
ないかと言うので自分が使ってるネットカフェを教えてやった。
彼はその安さに喜んで「そうするわ。」と言った。私と彼は同じ
ネットカフェでまた顔を合わすことになった。
(つづく)
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