北永劫回帰線

かつて我々は精神であった。ところが、今や我々は欲望である。

万物照応

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        「アタラクシア」改稿

 


 フランスの思想家ジャン・ジャック・ルソー(1712〜78)

は「人々の間における不平等の起源と基礎に関する論文」の第二部

の冒頭に以下の記述を残している。

「ある土地に囲いをして『これはおれのものだ』と宣言することを

思いつき、それをそのまま信ずるほどおめでたい人々を見つけた最

初の者が、政治社会〔国家〕の真の創立者であった。杭を引き抜き

あるいは溝を埋めながら、『こんないかさま師の言うことなんか聞

かないように気をつけろ。果実は万人のものであり、土地はだれの

ものでもないことを忘れるなら、それこそ君たちの身の破滅だぞ!』

とその同胞たちにむかって叫んだ者がかりにあったとしたら、その

人は、いかに多くの犯罪と戦争と殺人とを、またいかに多くの悲惨

と恐怖とを人類に免(まぬが)れさせてやれたことであろう?」

(岩波文庫「人間不平等起源論」本田喜代治・平岡昇訳)

 ルソーは晩年その著作によって迫害され不遇のうちに一生を終え

たが、彼の思想は後の人々を啓蒙して市民革命が起こり民主主義の

実現に大きな影響を与えた。更に、近代社会はその根本に於いて彼

の人権思想が色濃く反映され、今では彼が迫害を逃れて孤独な散歩

者として夢想した道はジャン・ジャック・ルソー通りと名付けられ

ている。私は、近代を見直すに当たってはルソーから始めるべきだ

と思って上の本を読んだ。ただ告白すれば、時間が無くて彼の全て

の本を読んでいないので恐る々々言うのだが、我々はルソーの思想

を克服せずに西欧の近代社会を真似たことがそもそもの間違いだっ

たのではないだろうか?つまり、我々は社会を語る前にまず人間そ

のものを知るべきなのだ。同じ著作の中でルソーは、未開のカライ

ブ(カリブ)人と文明人を比較して、文明人を、

「世の中の人々が自分をどう見ているかということを相当に重んじ、

自分自身よりもむしろ他人の立証に基づいて幸福になり、自分に満

足することのできるような種類の人間」だと言い、「社会に生きる

人は常に自分の外にあり、他人の意見のなかでしか生きられない。

そしていわばただ他人の判断だけから、彼は自分の存在の感情を引

き出しているのである」

 さらに、ちょっと文脈がおかしいが、

「このような傾向から、あんなに立派な道徳論がいくつもあるにも

かかわらず、どうして善悪に対するこれほどの無関心が生まれてく

るか、また、どうして、あらゆるものが外観だけのものになってし

まったために、名誉も、友情も、美徳も、そしてしばしば悪徳まで

もついにはそれを誇りとする秘訣を見いだすようになり、それらす

べてが人工的で演技的になってしまったのか、要するに、あんなに

多くの哲学や人間愛や礼節や、崇高な格言のさ中にいながら、どう

してわれわれは何であるかという問いを始終他人にむかって問いつ

づけ、しかも、けっしてそれをわれわれ自身にむかっては問おうと

しないで、われわれは偽瞞的で軽薄な外面、つまり徳なき名誉、知

恵なき理性、幸福なき快楽だけをもつことになったのか」

と批判したが、何と!これは将に我々の社会のことではないか。栄

盛の至りには国の異なりを問わず等しく枯衰の末路を辿る運命なの

か。

 私は、常々日本人から社会を奪えば日本人は消滅するだろうと信

じて疑わないが、つまり孤独な日本人など存在しない、否、喩え居

たとしてもそれは社会から逸(はぐ)れただけに過ぎない。我々は

社会に生まれ、社会の為に生き、社会を惜しんで死んでいく。我々

の成功とは社会的成功を言い、我々の正義とは社会正義であり、我

々の真実とは社会的真実だけである。我々にとって社会こそが生き

る目的である。しかし、果たしてそうだろうか?人間は自らを生き

ることこそが目的であって社会とはその為の手段に過ぎないのでは

ないだろうか?ジャン・ジャック・ルソーは、社会的な身分や生い

立ちと言った素性を生む以前の、人々が助け合うということがその

場限りのことであった、従って義務や責任などが生まれる暇のない

時代の自然人にまで遡(さかのぼ)って、如何にして社会が形成さ

れたかを記述している。彼は人間を個人として捉えその本質を「非」

社会性に求めた。つまり、社会とは個人を補う為のものではないか。

それでは自然人とはいったい何の為に生きていたのか?彼は「自然

がもしわれわれを健康であるように運命づけたのなら、私はほとん

どこう断言してもいい、思索の状態は自然に反する状態であり、瞑

想する人間は堕落した動物であると」まで言っている。つまり、意

識や感情に「道徳」とか「愛」とか言葉をつけて思索する様になっ

たのは即ち人間が堕落したからである。人間が堕落した動物か進化

した動物かはまあ同じようなことだが、ただ思索とは社会的な行為

なのだ。そしてその社会的な思索によって得られる結果は当然の如

く社会的な結論に帰着する。だから「何の為に生きるか?」という

懐疑こそが社会的な瞑想なのだ。何故なら自然人は存在することに

懐疑など抱かない。コギト(cogito ergo sum)は堕落した人間の

瞑想である。

 社会こそが生きる目的である我々日本人もまた、自分が人間か蛙

(かわず)か知らないまま一生を終え「自分とは何か?」などと問

わない。我々が哲学と信じる儒教などは所詮処世訓に過ぎない。そ

れは我々が在るがままに生きる自然人を経ずに先ず国が存在したか

らだ。「この土地に囲いをして『これはおれのものだ』と宣言する

ことを思いつき、それをそのまま信ずるほどおめでたい人々を見つ

けた最初の者」によってこの国が創られた。ところが、この国には

残念なことに、杭を引き抜きあるいは溝を埋めながら、「こんない

かさま師の言うことなんか聞かないように気をつけろ。果実は万人

のものであり、土地はだれのものでもないことを忘れるなら、それ

こそ君たちの身の破滅だぞ!」とその同胞たちにむかって叫ぶ者は

現れなかった。その結果、自分自身を知る前に社会を知り、孤独を

怖れて社会が絶対となった。ただ、日本にもルソーに比する思想家

が存在したが「おめでたい」人々はすでに聞く耳を持たなかった。

つまり、我々の歴史はルソーの言う堕落した動物から始まってしま

ったのだ。

 そして今や我々の精神のミッションにはニュートラルが存在せず、

常に力の強い方にオートマチックにシフトチェンジする自動制動装

置まで付いている。我々は孤独を怖れるあまり易々と社会に阿(お

もね)って、そしてそれが更に自分自身を見失う原因となってしま

った。そもそも意思のある生物は孤独な存在である、否、孤独こそ

が意思を生むのだ。寧ろ社会との連帯を求めるから孤独に耐えられ

ないのだ。自分自身と共に在れば孤独ほど他人に邪魔されずに自由

で幸福な時間はない。自分を自身以外の一切から切り離し、自らの

存在そのものを快く楽しむ。エピクロスの言う「アタラクシア(平

静な心)」こそが孤独の快楽である。悟りを求める、従って瞑想す

る「禅」とは違う。自らの手によって感覚をニュートラルにチェン

ジして、自分自身を感覚する楽しみ「アタラクシア」を取り戻そう。

と言うのはルソー曰く、自分自身との一体感は自然人にとっては当

たり前のことだからだ。すると孤独の不安が薄れ自分だけの世界が

広がり、社会が遠くに去っても自分自身を見失うことがなく、やが

て「井の中」だけが世の中ではないと気付くのではないだろうか。

                                (おわり)


 

「対馬が良い」

              「対馬が良い」



 産経新聞は【対馬が危ない】というキャンペーンを去年あたりま

で張っていたが、それによると「韓国人が対馬の不動産を次々と

買収している」と云う。いずれは対馬を占領するつもりではないか

と伝えている。実際、対馬は韓国の領土だと主張する者まで現れ

ているらしい。更に、朝(雲)新聞では「2009年1月26日、対馬

市長と同市会議長は防衛省を訪問し防衛大臣宛てに対馬の自衛

隊を増強するように自衛隊誘致・増強提案書を渡した。」

 ただ、記事云々よりも「朝(雲)新聞」なる新聞社が存在するこ

とを知らなかったので笑ってしまった。ウィキペデイアによると「

防衛省・自衛隊関連のニュースを主とする」ちゃんとした「日本の

新聞」らしい。成る程それで「朝雲」なんだ、確かに「朝日」が出

るのを遮(さえぎ)っているし。中国人はこういうパクリ方を見習

わないと。笑いが逸脱を容認するんだ。「まあそんな堅い事仰らん

でもよろしいやおへんか」。今や「褒め殺し」では無く「笑い殺し」

の時代なのだ。

 そんな事よりも、普天間基地の移設問題は迷走しているが、それ

ならなぜ対馬が候補に挙がらないんだろうか?私は「対馬が良い」

と思うんだが。対馬海峡を通過する中国やロシアの艦船も捕捉し易

いし、東シナ海や日本海にも繋がっているし、(聞こえては拙いが)

中国や北朝鮮を監視出来るし、国境の防衛にもなるし、土地はある

んだし対馬にも金が落ちるだろうし、過疎も解消すだろうし、東ア

ジアの抑止力として、アメリカの海兵隊にとっても日本の防衛にと

っても対馬の現状にとっても、何よりも軍隊に苦しんできた沖縄に

とっても良いことではないのかな。これ以上は門外(感)で言えな

いけれど、なぜ対馬の市長は手を上げないのかな?私は普天間の米

軍基地を移設するのなら「対馬が良い」と思うんだけど。

 下に「投票」を作りました。どうぞお気軽に、

                                  (おわり)

「もどかしさ」

             「もどかしさ」



 過去の戦争の話しは、語る者も聞く者もある「もどかしさ」を感

ぜずにはいられない。語る者は平和な時代にその悲惨さをどう伝え

ていいのか解からない「もどかしさ」があるだろうし、聞く者も体

験のない話しにどう応えればいいのか解からない「もどかしさ」が

伴う。もちろんそれはこの国が平和であったからこそであるが、し

かし、それとは別にあの敗戦の総括についての「もどかしさ」が未

だ残されているからかもしれない。それまでこの国にも数多の武勇

伝が語られ、大概は眉唾だが、それでも聞く者は拳を硬くして相槌

を打ったものだが、降伏を受け入れない限り負けることは無かった

筈のあの敗戦から、悲惨な体験を語ることすら「自虐」的だと非難

され、その事実さえ半世紀を越えても「あった」「なかった」と揉

めているのを見ると、「もどかしさ」から面倒臭くなってしまう。

果たして省みて過ちを改める心算があるのだろうかと訝しく思う。

批判が国体に及び体制が改められることに危惧の念を抱いてのこと

だろうが、そんな「もどかしさ」の中から日本人の誇りが生まれて

来るとは思えない。事実を曖昧にして「もどかしさ」だけが残り、

再び権力者が同じ過ちを、国民に玉砕を強い、生きる意味に悩む若

者を自爆へと追い遣った「自爆史観」だけは、他国の自爆テロを非

難するのであれば決して許してはならない。純粋故に国家の為に殉

じようと逸る(はや)る若者達を諭す事も出来ず、ただ感涙に咽び

ながら見送った大人達の安っぽい美学こそ非難されるべきだ。人は

死ぬ為に生まれてくるのではない、生きることは本能である。「是

非など無い」のだ。まして若者に逡巡がない筈が無い。この国の親

達は自分の過ちを我が子の命で償わせてきたのだ。敢えて言うなら、

子供は親の為に生まれて来るのではない。若者が自分を殺さなけれ

ば生きられない社会の「システム」ではないだろうか。若者達こそ

はこの国の死に腐ったデカダンス文化を破壊し、そこから新しい社

会を再生させなければならない。

 現実に目をつぶる我々の習性は、戦後の社会にも受け継がれて、

子供達の未来を質草にして毎年莫大な借金を残し、少子化を嘆きな

がら、一方で多くの適合出来ない人間を間引ている。この国では親

の手形が無ければ通行も儘ならないのだ。コネを持たない者の多く

は社会に出て直ぐに自分が間違って生まれて来たことを知る。そん

な醒めてしまった人々が自分の子供に夢を語れるわけがない。それ

でも現老院による政治は過ちを改めることなく未だに「あった」「

なかった」を繰り返して、我々はまたしても曖昧な「もどかしさ」

の中で生きなければならない。さすが先進国の日本では事実は観察

する者によって異なって現われるのだ。我々は真実を語る勇気を、

「自爆」自棄による無差別殺人の大罪を懺悔して、同じ過ちを繰り

返させない為に事実を語ると述べた加藤被告を見習わなければなら

ない。

                                    (おわり)

(百四)の余談

「余談」



 かつて東京の南端の川岸に居た時、下りの次の駅は河を跨いで隣

県になる駅ビルの本屋で、その頃熱烈に傾倒していた小林秀雄のラ

イフワークとも云うべき「本居宣長」の新刊書を、それまでは彼の

文庫本しか買ったことがなかった、平積みされたその新刊書を手に

しては、「否やっぱりこれは難しそうだ」と言っては元へ戻し、そ

れでもどうしても欲しくって戻って来ては手にして、「やっぱり高

いよ」などと思っていると、その店の店長らしき人が、恐らく新人

の店員さんを連れて私の後ろに来てこう言った。

「この本はもっと高く積まないといけないだ、二列で。うるさいん

だよ小林秀雄」

するとその新人の店員は私と同じ疑問を口にした。

「来るんですか小林秀雄」

店長らしき人は空かさず、

「しょっちゅう。こんな所まで見に来るんだよ、それで積まれてい

なかったら文句を言うんだ。家に帰る途中に立ち寄るらしいよ。ほ

ら、家、鎌倉だから」

 私はすぐ後ろで交わされた会話を一言一句覚えている。それが本

当の事なのかどうかは店長らしき人に確かめた訳では無いので何と

も言えないが、ただ、私はその後「本居宣長」の本の前で思案する

ことはなかった。もともと「本居宣長」と云う人物に興味も無かっ

たし、そもそも彼の名前を知ったのは国学者・平田篤胤が夢の中で

彼に膝まずいて対面している絵を見たことがあったからでそれ以上

の知識は無かった。それでも小林秀雄の一面をそんなかたちで知ら

されたことは随分頭から離れなかった。数年後、小林秀雄は亡くな

った。小林秀雄の本を見ると何時もあの時の本屋の店長の言葉を

思い出さずには居れない。

「うるさいんだよ、小林秀雄」

                         (おわり)

「バッタ物(もん)のチャイナ」

                  
 「経済の豊かさ」とは「豊かな社会」がなければ成り立たない。

「豊かな社会」とは公平公正が守られた秩序のある共同体である。

共同体とは共生を図る為に存在する。競争を計る為ではない。競い

合うのになぜ共同する必要があるか。社会の中では「共生は競争に

先行する」のだ。我々は何処かで「共生」を「競争」と「言いまつ

がい」してしまったのだ。権力者が力を縦(ほしいまま)にして富

を蓄えても、その行いによって国民に不信が蔓延し社会秩序が乱れ

る。いずれ誰もが利己的になり共生が見捨てられていく。絶望に耐

え切れなくなった者は命を棄てる覚悟で、つまり「自己責任」で、

社会に対する怨嗟を晴らす。そんな社会によって裏書された「豊か

さ」は何れ価値を失うに違いない。大金を掴んで無人島に逃げても

何も役に立たないのだ。当たり前のことだが「社会は経済に先行す

る」のだ。例えば中国は経済発展の渦中にあるが、このまま進めば

経済優先の結果格差が拡がり、遂には不平等や不正が蔓延り秩序が

破綻して、すでにそうなっているが、何れ社会秩序の破綻によって

経済バブルが崩壊するだろう。泡立て器を回し過ぎてバッタ物のチ

ャイナ(陶磁器)が壊われてしまうのだ。彼らは「暮らし」を見失っ

て「豊かさ」だけを追い求めているが、秩序とは「暮らし」の中か

ら生まれてくるのだ。器がなければ泡も立たない。何れ「豊かさ」

は水泡に帰して「暮らし」は新しい器(うつわ)に移し変えられる

だろう。つまり社会体制が転換するのだ。かの著名な経済学者が予

想だにしなかった逆転換が起こるのだ。彼が予言したかどうか知ら

ないが民主主義を伴わない社会主義は成り立たないのだ。ただ、対

岸の火事で済まないのは、泡立て器を手にした中国人のバッタ屋が

この国の器(社会)を求めて大挙跳梁することが気掛かりだ。その

時に、この国の国民は「我々の社会は秩序が経済に優先する」と毅

然と退けることが出来るだろうか。それとも背に腹は代えられない

とこの瀬戸際の経済を掻き回してもらおうと、「跳梁バッタ」に進

んで瀬戸物を差し出すだろうか。圧倒的な人の量と、俄に降って湧

いた「豊かさ」に惑わされて、日本を代表する企業が中国人によっ

て買収され、東京がチャイナタウンになり、領土の一部が(一部だ

といいが)合法的に占領される日も近いのかもしれない。つまり、

我々がかつて彼らに行ったように彼らも行なおうとするのだ。 

                         (おわり)

 バッタもん・・・「ばった」は、「投げ売り」を意味する古道具商の
          隠語であった。そこから、商品を格安で売る店を
         「バッタ屋」と呼ぶようになり、正規ルートを通さ
          ず仕入れた商品を売る店も、「バッタ屋」と呼ぶ
          ようになった。
          さらに、「バッタ屋」で売られている物を、「バ
          ッタもん」と呼ぶようになり、正規ルートの仕入
          れ商品でないことから、偽物商品や粗悪品なども
         「バッタもん」と呼ぶようになった。
          古道具商の間で「投げ売り」を「ばった」と呼ぶ
          ようになった由来は、バタバタ勢いよく落ちたり
          するさまを表す「ばたばた」「ばったばった」「
          ばったり」などの擬態語からと考えられる。
                          「語源由来典」
                 gen.official-blog.jp/about/より
         
         ちなみに関西では「パッチもん」という言い方が良
         く使われるが、その由来は諸説あってここでは長く
         なるので記載しません。
                          ケケロ脱走兵


                        

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