北永劫回帰線

かつて我々は精神であった。ところが、今や我々は欲望である。

万物照応

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「偽善」

「偽善」

 生きることは、生きものの「本能」である。ところが、我々の

「理性」は生きることにも意味を求めようとする。やがて、「理

性」は生きることの意味を、或いは無意味を「本能」に伝えて、

「理性」と「本能」の確執が始まり、或る者は「本能」を棄てよ

うとする。つまり、自殺とは「理性」による「本能」への裏切り

なのだ。何故なら、「本能」は生きることの他はないからだ。

 愛することは、感情であり「本能」である。ところが、我々の

「理性」は愛する感情も思い通りに従わせようとする。やがて、

「理性」は愛によって、争うことの無意味さを「本能」に伝えて

、感情による確執を終わらせようとするが、或る者は逆に憎しみ

を懐く。つまり、愛する感情は「理性」の思い通りには為らない

のだ。何故なら、愛とは「本能」的な感情で「理性」に強いられ

て生まれるものではないからだ。

 イエス・キリストは、争いの絶えない世の中を愛によって救お

うとしたが、強いられた愛は偽善を生むことになる。そもそも、

社会は偽善によって成り立ってはいるが、自己の感情を曲げてば

かりでは自己が失われる。昨今の国旗、国歌の問題にしても、無

理に頭を下げさせても、愛国心が生まれるとは思えない。そもそ

も、日本人が国家を意識するように為ったのは近代になってから

だ。山里で実りを頼りに暮らす者も、町中で金を追い回す商人も

、国とは生まれた地のことで、そのほとんどが国家などとは関わ

らずに一生を終えた。だからと言って愛国心が無かったとは言え

ない事は、先の戦争で命懸けでお国の為に戦った国民を見れば解

るではないか。そもそも、国旗、国歌などと言うのは、侵略を繰

り返した西欧の国家が、異民族を支配する為に作り出されたもの

だ。アメリカの移民が星条旗に敬意を表すのを見て、ほぼ単一民

族で単一言語の我が国が、そこまで西欧の国家を真似なくても良

いではないか。政府の記者会見を見るとアメリカのホワイトハウス

を真似ているとしか思えない。そもそも、自分が生まれた国を愛さ

ない者などいるわけが無い。国民の祝日にさり気なく日章旗を掲

げるのが、慎ましい日本人の愛国心ではないか。キリシタンの踏

み絵のように、国旗、国歌を使って愛国心を強いることは、素直な

大和心に偽善を強いるようなものだ。むしろ、黒船が来るまでは、

日本は世界で唯一の国旗、国歌など気にしなかった国では無か

ったのか?国家意識の啓蒙は理解出来るが、上から強いられる

と、素直に国を愛する心が歪みはしないだろうか?

国家は国民がいなければ成り立たないが、人間は国家が無くても

存在することが出来る。故に、人間は国家に先行する。


                     (おわり) 




 

思っていること

「思っている事」

 地球環境の問題はグローバル経済の進行と同時に顕著化して、

我々は生存環境か経済発展かの逃げ場の無い選択を迫られてい

る。とは言っても、中国を始め近代化に遅れた国々に環境を守れと

言える国があるだろうか?こうして、我々が薄々気付いていた事

が、つまり飽食のツケを支払わされる時代がやって来たのだ。

我々が追い求めてきた豊かさはピークを過ぎたのかもしれない。

大袈裟に言えば文明の転換だ。それは豊かさを支えていた前提

が崩れたのだ。ひたすら上を目指していたが、土台が侵食されて

いたのだ。果たして我々は手にした豊かさを手放して、この文明

から身を引くことが出来るのだろうか?もう一度大地に戻って土

を耕す事から始められるのか?豊かさの誘惑を振り払って、つま

り発動機を使わずに、自らの手と足だけで賄うことが出来るのか

?何れにせよ、豊かさを支えていた大前提が崩れようとしている

のだ。

 折しも、アメリカ経済は未曾有の経済損失が明るみになって、

損失のグローバル化をも先導した。アメリカが世界経済のヘゲモ

ニー(主導権)を握って金融のグローバル化を推し進めたが、もは

やそれも翳りが見え始めた。それはアメリカ経済の失速と言うよ

りか、大量消費を謳歌して来たアメリカ物質文明に、地球温暖化

という憂いが立ちはだかり、豊かさへの欲望に制限が掛けられる

ことへの失望が重なって、今までのマニュアル通りには行かない

だろうという思いが、アメリカの危機をより深刻なものにしている。

我々は新たな試みや思考を模索して、地球環境という、此処で生き

る全てのものに平等にシェアされる負荷を如何にして軽減するかを

迫られている。もはや先進国は地球環境への配慮無しに発展させ

る事など出来ないのだ。放蕩の限りを尽くした者が、一転して節約

を強いられる事ほど辛い事は無い。燃費の悪いアメ車を捨て日本の

軽自動車に乗り換えるにも躊躇いがあるだろう。こうしてアメリカ経

済はしばらく内向きに終始して停滞を強いられるに違いない。世界

は環境問題によってパラダイムシフト(価値観の変化)を余儀なくさ

れるのだ。パラダイムシフトとは世界を変えることではなく、我々自

身の価値観を変えることからしか為し得ないのだ。

 さて、ご主人様を失った日本は「改革」と言い始めてから久し

いが、一体何が「改革」されたのか判然としないが、ただ、借金

だけは増え続けて、この国の財政改革とは負債を減らすことでは

無い事だけは解った。世界経済の失速が言われる中、多額の負債

を抱えて、それでも議員数を減らしたり、歳費を減額する話しに

為らないで「改革」など出来る訳が無い。民主主義とは国民の意

志で選ばれた代議員が、国民に代って政治を行うのだ。つまり、

その国の政治はその国民の質を超えて行われない。先日無くなっ

たアメリカのコメディアンは、「政治家をゴミの様に言うが、ゴミ籠

の中を幾ら捜してもゴミしか出てこない。」と言ったが、政治の責任

はその政治家を選んだ国民に負わされることだけは間違いない。

ただ、果たして国民にその自覚があるのだろうか?「政治の事は政

治家に任せて置けばいい」では民主主義は成り立たない。つまり、

民主主義とは素人(民主)による政治のことである。それがいかに

不甲斐ない政治であろうとも、まずは、我々民衆がそれを望んだの

だという自覚を持つこと、政治家を選ぶのは我々だという認識を持つ

ことから始めなければ民主主義は育たないのではないか。つまり、

どんな時であれ代議員を権力者に祭り上げてはならないのだ。幾ら

政治家の所為にしても、その結果は主権者たる国民に負わされるの

だから。

 私は民主主義とこの国の儒教道徳は相容れないと思っている。

我々のダブルスタンダード(本音と建前)は、この儒教道徳とデモ

クラシーによるアンビバレント(二律背反)にある。デモクラシーとは

国民は全て平等である。しかし、儒教道徳は身分の下の者に対し

て執拗に服従を求める。つまり、年下の者や弱い者に対してだけ

忠誠を強制する教えだ。わが国の少子化、高齢化はこの儒教道徳

の元では必然的に起こる。若くして子を持つことは年功序列の賃金

体系では、親の光でも無い限り無理だ。この国では生まれた時から

老後(年長)の為に生きているのだ。そして終身刑(定年退職)を終

えて老後を迎えて初めて自由を手にする。そんな社会に子供が増え

る訳がない。子供は遊ぶことをたしなめられて、社会に出てからの身

分(学歴)を高めようと習い事に追われ、長じては孤立を恐れて滅私

奉公を厭わず身を粉にして働いて、粉に挽かれて消えてから思い通

りの人生が始まるのだ。そんな社会では少子化は然も在りなん、高

齢化も宜なるかなである。これから生まれて来ようとする子らに、この

社会で生きる事のトライアルを行えば、間違い無く生まれて来ることを

拒絶するに違いない。

 さらに儒教社会とは閥社会である。それは身内に甘く余所者には冷

たい。東アジアの国々がいつも詰まらないことで言い争いになり、過去

を持ち出しては非難し合うのをみると、私はクリスチャンでは無いが、ヨ

ーロッパに広まったキリスト教の「博愛」の精神の偉大さが頭を過ぎる。

今やヨーロッパは多くの国が集まって一つに為ろうとしている。恐らくは

、キリストによる「博愛」の精神が無ければ生まれなかったのではない

か?我々アジアの人間は、ニーチェが言ったハリネズミの友情のよう

に仲良く為ろうとしても、お互いの針が邪魔をして抱き合えないのだ。

 儒教の祖孔子は戦乱の時代を憂い、嘗ての周公の良き時代を取り

戻そうとして、過去の秩序を蘇らせよう、後ろを向きながら進む方向を

確かめて歩いた人である。つまり、古(いにしえ)に理想を見ていた。

それは彼の巫師という家柄が影響しているのかもしれないが、儒教に

限らず仏教の末法思想にしろ、アジアの思想の底流には「世界は経る

程に悪く為る」という原理主義の思想が強く在る。それは時を経ても教

義の本質を見失うまいとする意識からであるが、いずれにしろ世が移ろ

いで行く事とは無垢が失われて穢れていく事なのだ。つまり、古いもの

が尊いのだ。このことはわが国の前例主義や、世襲制度、年長に対し

ては逆らえない慣習に現れている。だから、儒教文化からは新しい考

えは生まれない。何故なら、新しいものは古いものを破壊することから

生まれるからだ。我々が出来る事は精々「温故知新」、つまり、古いもの

からしか新しいものが生まれないのだ。それは、パラダイムシフトを理解

していても、古い文化に執着して変化を賤しむが故に新たな対応が遅れ

るのだ、いつも。

                               (おわり)






 




  







 
 

 
 

 

 


 

「エ(ゴ)ロジー」

      「エ(ゴ)ロジー」       




 通りを挟む高層ビルの向かい合う二辺の峰が夏の青空を三角に

切り取り、その真ん中にある太陽が6本の光線を放射して両岸

のビルやその間を走る車の流れに無機質に反射して、行き交う人

々さえも無気質にさせるメタリックな午後の東京は、太陽ですら

人工の装置に見えてくる。

アスファルトで舗装された大地にはその恵みは届かず、予期せぬ

拒絶に途惑う光は、行き場所を無くし熱となって地上に滞り、人

々の血流を急かせ思考から冷静さを奪うことで意趣を返す。

 太陽は有史以来変わらぬ光線を、自然環境を破壊して怯える人

々の後頭部をジリジリと押さえつける。地球温暖化による自然環

境の変化は、ただ自然の変化だけでなく我々人間の意識の中にも

変化をもたらしていないのだろうか。もちろん知られていない事

だが、人々の冷静な思考が失われてしまったことが最も大きな破

壊なのではないだろうか?過熱したサバイバル社会は人々の共生

意識を破壊し、孤立した自己は絶望の中で自分本位な考えに終始

する。社会とは共生であるということを我々は忘れてはいないか



 意見を違える人の言い分に耳を貸さず、ついには感情的になっ

て何一つ前に進まない政治家や官僚の弁解を聞くと、もうすでに

温暖化による人間への破壊は相当進んでいるのかもしれない。テ

レビで政治家のディベートを見ていても、テレビ局が熱い討論を

演出しているのだろうが、議論が噛み合わないままテーマを置き

去りにして、自分の主張だけを声高に叫んでいるのを見ると自分

勝手なのは若者だけじゃぁないよなぁ、と思う。そんな政治家た

ちが集まって地球温暖化の防止を話し合っても、経済優先の中で

如何に自国の利益を守るかが第一で、CO2削減の効果のある基準

が合意されても実行されるとは思えない。やがて取り返しのつか

ない事態になって地球温暖化の最大の影響は、自分達の利害ばか

りを主張して協調して行動しなかったことだと省みる日が来るの

ではないか。

 アパートに住んでいた頃、ゴミの分別をうるさく言われ、ゴミ

袋に名前まで書いて、夜には出さないで、缶は潰して、ペットボ

トルはふたを外してラベルを取って水で洗って、それでも分別が

違っていると回収されないばかりか清掃局から注意をされるとい

うのでゴミを出す事が億劫になり、やがて部屋にゴミが溢れてま

すます兆劫になり、ついには私の頭の中まで溢れてきて、部屋に

居る時は昼夜ゴミの事が気になって、例えば可燃ゴミを入れたレ

ジ袋は可燃ゴミとして出しても良いのかとか、回収日の前の夜に

ゴミだらけの部屋で寝ずに分別をしたことがあった。

 ところがしばらく経ってからテレビのニュースで、私が住む区

の清掃局は分別回収後もずーっと不燃ゴミを焼却していたと報じ

ているのを見て、はらわたが立つほど腹が煮えくり返った。担当

者は「最新の焼却炉なので可燃ゴミを燃やしても有害物質は出ま

せんので心配要りません。」と、シレーッと語っていた。

「そっちじゃないだろっ!」

後で知ったが不燃ゴミを棄てる処分場が何年ももたないらしい、

しかし不燃ゴミはリサイクルされていると思っていた私は驚いた

、それじゃあ「プラ」の外に書かれたリサイクルマークはなんな

んだ!また、焼却したほうがコストが掛からないと言う、結局は

環境問題はコストの壁に遮られるのだ。私はこれを「エ(ゴ)ロ

ジー」と呼ぶ。

 おそらく現場を見ずにリサイクル社会を夢見て条例を作ったの

だろうが、区民にはリサイクル法で分別を強いながら集めたゴミ

には規制もせずに低コストの処理を認めていたらいつまで経って

もリサイクル社会など実現しない。それは先頃の再生紙のエコ偽

装も同じだろう。温暖化対策の会議でも華々しい謳い文句が並ん

だ条文が合意され成果を強調するだろうが、いくら厳しい数値目

標を掲げてもそれは子供の将来の夢ほども実現されないものだろ

う。何故ならどの国も経済の優先順位を下げてまでも温暖化対策

を優先させるとは思えないからだ。いつも我々は下手なサッカー

選手のドリブルのように、ボールを勢いよく蹴り出すのは良いが

そのボールに足が追い着かないでボールを失うのだ。日本の省エ

ネ技術は優れていると言われるが、それはオイルショックという

経済危機を乗り越える為に、エネルギー「コスト」の削減に必死

で取り組んだ「経済優先」の結果であって、もちろん繋がっては

いるが決して動機は環境のことを考えて生まれて来たものではな

い。幾ら環境の為と言えども採算が合わなければモノにならない

。それは分別ゴミのデタラメな処分や再生紙のエコ偽装を見れば

想像に難くない。

テレビでは頻りとエコロジーを訴えたり放送枠を割いてまでも

温暖化問題の番組を流しているが、たとえば、ディレクターが独

り出て来て、

「如何にすればCO2削減に効果のある番組が創れるかを色々と

議論をして来ましたが、遂に、我が放送局はこの様な無駄な電力

消費を節約することが最も効果的だという結論に至りまして、こ

の2時間の放送枠の間、何も放送しない事に決めました。

 御提供頂きましたスポンサー様には貴重なCM料をお預かりし

乍ら番組を放送しないというのはテレビマンとして誠に苦渋の選

択ではありますが、何卒、地球温暖化防止の為にご理解ください

ますようお願い申し上げます。尚、視聴者の皆様にはご支持を得

ることが出来ましたら、今後もこの様なボロイ、いやっ画期的な

番組を拡大してCO2削減に積極的に貢献する所存でございますが

、趣旨をよくご理解頂きまして他局の番組などにチャンネルを合

わせずに、是非とも電源をお切り頂ければ幸いです。有難うござ

いました。」ってやれば、昼間に誰も見ない色褪せた再放送を垂

れ流すよりもよっぽど効果があって、少しは国民も本気になって

CO2削減に取り組むのじゃぁないかしらん。

 政治家が呼びかけで始まったクールビズの沖縄特産の「かりゆ

し」ウェアも、内閣の後期高齢者が揃って着ている姿を見ている

と、どうしても「加齢臭」ウェアと発音を間違うのは私だけかな?
                 
         
                       (おわり)

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