竹中平蔵氏「改革の勢い止めた麻生氏と民主党」平成でもっとも失われた時代について語ろう
リーマンショック、3・11を経て経済の悪化をたどった日本。そんな中行われた政策は、国政として適切なものだったのだろうか(撮影:今井康一) 「平成」時代の日本経済はどのように推移し、またどのような特質を有していたのだろうか。経済実態や政策に焦点を当てた場合、平成から私たちは何を学び、何を考えるべきなのか。
平成という時代を通じて筆者は、比較的長い間、経済政策に関わる仕事に携わった。不思議な縁というほかないが、それによって、さまざまな局面を内側から見聞きしてきたことも事実である。そこで経験し、考えたことを近著『平成の教訓』から赤裸々に示しながら、自省も交えて平成の経済社会を振り返ってみたい。
日本が陥った「CRICサイクル」小泉純一郎総理が行い、私も大臣として中心にいた平成の小泉改革の後、改革のモメンタムは一気に落ち込んだ。改善がある程度進んだことによる安心や慢心、改革飽きや改革疲れ、政治的な反発や反動など、さまざまな要因があるだろう。とりわけ改革によって利益を失い、不満を募らせていた既得権益者たちが、改革者の退場を機に、一気に改革の問題点をあげつらったことが大きい。
エコノミストのロバート・フェルドマン氏は、日本政府の典型的な行動パターンを分析して「CRIC(クリック)サイクル」と呼んでいる。
問題が大きくなって危機(Crisis)が来ると、大慌てで応急処置(Response)をする。それによって状況がやや改善(Improvement)すると、すぐに安心(Complacency)してしまう。日本という国は、つねにこのサイクルの繰り返しだ、というのである。Complacencyは、怠慢、自己満足、慢心と訳してもよいだろう。
起こったことは、実際CRICサイクルに沿っていた。経済がよくなったにもかかわらず、改革を止める動きはしだいに顕在化していった。
小泉内閣より後では、当時の改革を主導していった経済財政諮問会議の存在感も低下した。最大の理由は、ガチンコで民間議員ペーパーをぶつけるのではなく、前もって根回しを始めたことだ。穏やかなペーパーに基づいて話すから、侃侃諤諤の議論は姿を消し、予定調和的な官僚主導の会議になっていく(現在でもそう見える)。そこにリーマンショックと3・11が襲い、日本に「もっとも失われた5年」が到来したわけである。
日本ではこの間、毎年、内閣総理大臣が交代した。長期政権と経済の改善は、ほとんどコインの両面だ。政権が安定すれば、それなりの安定した政策を打ち出すことができ、経済がよくなる。経済がよくなれば、長期政権になる。
平成でもっとも失われた時代は、まったく逆だった。短期政権で経済パフォーマンスが悪くなる。だから首相のクビをすげ替える。すると政策が連続も徹底もできず、ますます経済が悪くなる。経済が悪くなれば、短期政権になる。リーマンショックのあと自民党から民主党へと政権交代が実現しても、同じことが続いた。
諦めた自民党、無茶苦茶な民主党小泉内閣は財政再建を軌道に乗せるため、「骨太2006」(経済財政運営と構造改革に関する基本方針2006)で長期的な財政健全化の仕組みを打ち出した。これを第1次安倍晋三内閣も、続く福田康夫内閣も引き継いだ。最大の問題は、リーマンショックが起こったとき、これを麻生太郎内閣が放棄してしまったことである。
もちろん世界的な金融危機だから、政府は巨額の財政拡大をしなければならない。ただし、それはあくまでも臨時の支出として扱い、ショックの傷はいつか癒えるはずだから、そのとき臨時の支出を終えて骨太2006に戻るべきだ。日本政府はこのシナリオを立てなければならない――そう私は考えていた。
麻生首相にも「これは一時的な話だから、埋蔵金を使って一時的に支出し、骨太2006はそのまま置いておくべきだ」と進言したが、聞き入れられなかった。この流れで改革の勢いは失われ、そのまま民主党政権に至ってしまう。自民党は、ある時点ですっかり諦めたように思われた。
長年与党の地位にある自民党は、どうしても思い切った改革ができない。だから私も、民主党政権が誕生したとき、やっぱり少しは期待をかけていた。民主党は昔の社会党とは違う。基本的な考え方は保守だが、小選挙区制と世襲に阻まれて自民党から選挙に出られず民主党から出たという人も、少なからずいた。彼らが力を持てば、改革する保守になってくれるかもしれない、と思ったのだ。
ところが、民主党の政治は、まったく無茶苦茶であった。国民の側も期待が大きかっただけに、「裏切られた」という思いが非常に大きい。その結果、国民が「改革」ということそのものを、見失ってしまったように思われる。旧民主党が分裂した各政党の支持率が、最大の立憲民主党で6〜7%、それ以外は全部合計しても共産党の3%以下(2019年1月時点)というのは、国民の絶望に近い喪失感の表れではないだろうか。
いま「安倍一強」が言われるが、実は政権は、強い反対勢力と戦っているときのほうが安定する。東西冷戦時代のアメリカとソ連もそうだった。反対勢力が崩れると、政権は不安定化し流動化する。平成の終わりはそんな状況に至った。よい与党のためには、よい野党が必要である。
後で知ったことだが、小泉氏はかつて、自民党の若手で唯一、田中角栄を正面切って批判した政治家だったという。ところが、勝つはずのない戦いを挑む非現実的な政治家かと言えばまったく違い、非常に冷徹なリアリストだと思うことが、しばしばあった。だから、「小泉改革」と呼ばれた改革の評価も、できたこともあれば、まったくできなかったこともある、と冷静につかんでいたと思う。
さまざまな問題を一挙には変えられない直接聞いたわけではないが、首相としては、やるべきことは全力でやり、不良債権処理と郵政民営化は約束どおり実現できた、と思っているはずだ。だが、その郵政民営化も、ぎりぎりのところで衆院解散・総選挙に打って出て、ようやく決まった。
改革途上で、もうこれで大丈夫、この先はうまく改革の方向に進むだろうと一息つける場面は、ほとんどなかっただろう。
選挙で選ばれた政権が世の中を変えるといっても、さまざまな問題を一挙に変えてしまうことはできない。1つの大きな問題を変えるには、まず戦略を練り、実現可能性を探り、法律を準備し、法案を国会に出し、議論のうえで成立させ、軌道に乗せていくプロセスが必要だ。これは1年では無理で、やはり2年かかる。
小泉内閣は、まず経済財政諮問会議で骨太の方針を作って政策と予算が決まるプロセスを変え、並行して不良債権処理、道路公団民営化、郵政民営化を行った。5年5カ月の中では、まずまずよくできた、と考えている。
教育改革、社会保障改革、税制改革をはじめ、着手すらできなかった改革も不十分な改革も少なからずあった。小泉政権のやった改革は不十分だったという批判は甘んじて受けたい、と私は思う。しかし、小泉政権のやった改革がよくなかったという批判は、承服できない。小泉政権以後、平成の改革が頓挫し、長い空白期間ができてしまったことは、かえすがえすも残念でならない。 |

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竹中平蔵、此れって慶応の名誉教授名乗っているが決して学者なんぞじゃ有りません。卑しい商人、金儲け第一主義の守銭奴にしか過ぎません。あきんどじゃ無きゃペテン師ですか。トンズラ安倍と気脈通じた大噓吐きなペテン師なのです。福沢諭吉翁も義塾の質の下落状況にさぞや嘆いて居られる事でしょう。此の儘であれば、早稲田の田舎者にも嘲笑されて仕舞う事に為りましょう。矢張り、政治は国立大出に限りますか!
[ hyoutanntugi ]
2019/4/25(木) 午前 10:10