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へぇ

菅田将暉『3年A組』は、次作への“壮大な実験”だった

日刊大衆
※画像は日本テレビ『3年A組』番組公式ホームページより
 5週連続で視聴率が上昇、4週連続で最高視聴率(ビデオリサーチ調べ/関東地区/以下同)。この字面を見ただけでも日曜ドラマ『3年A組-今から皆さんは、人質です-』がいかにスゴいドラマか、お分かりいただけるだろう。主人公の柊一颯を演じた菅田将暉(26)はじめ、ヒロインの永野芽郁(19)など注目の若手実力派キャストがそろった本作も、いよいよ3月10日で最終回を迎えるが、その前に3月3日放送の第9話を振り返っておこう。
 第9話は事件から3年後のシーンから始まった。久しぶりに集った3年A組の面々。再会を喜ぶうちに、景山澪奈(上白石萌歌/19)のドキュメンタリー映像を見ることに。その後、舞台は3年前に戻る。景山を殺害した犯人が一颯だったという情報がネットを駆けめぐるが、それはすべて一颯の計画だった。一颯は景山の自殺の真相を語りはじめて……という展開だった。
 まずこの放送は3年後の同窓会(のような集まり)からスタートし、視聴者のどぎもを抜いた。その前週には突如、特撮ヒーロー、ガルムフェニックスが登場し、刑事の郡司(椎名桔平/54)と格闘を繰り広げた。学園モノということもあり、登場人物は回を増すごとにそれぞれがキャラ立ちしてくるという構造で、そのためこのドラマはだんだんとストーリーが複雑になっていった。奇抜な展開に複雑なストーリー、『3年A組』は地上波のドラマで、なぜここまでの冒険をしたのだろうか?
 筆者はこのドラマが「打ち切りなし」を前提に作られた(と思える)ところに注目したい。最終回第10話の放送は3月10日。ストーリーは3月1日の日付から始まっており、最終回では3月10日が描かれる。そう、現実でも劇中でも3月10日が最終回なのだ。
 これはドラマ制作当初から考えられていたであろうアイデアで、よほどのことがない限り、10話までフルに放送することが約束されていたと推測できる。それゆえに、毎度謎が深まるミステリー、教師と生徒がぶつかりあう学園モノ、登場人物それぞれの成長物語、といったあらゆる要素を詰め込んだドラマにできたのではないだろうか。いろいろな要素を詰め込んでも、奇抜な設定を入れても、ドラマを最後まで走らせることができる余裕と腹づもりがそこにはあったのだ。

■次の日曜ドラマも画期的な設定が

 8話や9話で終わってしまうドラマも少なくない中、走り続ける中でファンを獲得し続け、今、見事にゴールテープを切ろうとする「3年A組」の挑戦と勇気ある決断に拍手を送りたい。しかし、一方でこの『3年A組』は、次の日曜ドラマに向けての実験でもあったのかもしれないのだ。
 次の日曜ドラマ『あなたの番です』は交換殺人をテーマにし、なんと2クール半年間に渡り放送されることが決定している。田中圭(34)と原田知世(51)という人気役者2人が主演とはいえ、半年も放送される民放の連ドラは珍しく、どんな作品になるか放送前から話題だ。このドラマもミステリーもので、たくさんの人物が登場する群像劇。『3年A組』のヒットなくては踏み切れなかったような企画なのだ。
 2017年に同じ枠で『愛してたって、秘密はある』が本当の最終回を有料サイトで配信したり、90年代のヤンキー漫画『今日から俺は!!』にコメディ要素を盛り込みヒットさせたりと、とにかく実験的な取り組みが目立つ日曜ドラマ。『3年A組』の大ヒットを受けて、2クールぶちぬきミステリーという新たな実験が成功するのかどうか? ぜひ見守りたいと思う。(ドラマライター・半澤則吉)
※画像は日本テレビ『3年A組』番組公式ホームページより

バーカ!

ZOZO前澤氏を退場させたことで、日本が失った「大きな可能性」

3/12(火) 10:00配信  
現代ビジネス

ZOZO前澤氏を退場させたことで、日本が失った「大きな可能性」
写真:現代ビジネス
パラダイムシフトを起こす男

 さる2月7日にZOZOTOWNを運営する前澤友作氏が「twitter休止宣言」をした。その1カ月前には、例の「一億円キャンペーン」でリツイート数の世界記録を打ち立てており、ホリエモンと比肩するほどのtwitterの使い手となっていただけに、残念な話だ。

 最後のツイートが「本業に専念します」だったことを鑑みると、先日の決算で本業初の減益となったことが、休止宣言の表向きの理由だろうが、何かをつぶやくたびに各方面からバッシングを受けることに辟易したことが大きいのではないか、と筆者は推察する。

 ここで筆者が問題提起したいのは、前澤氏のような才能の持ち主を袋叩きにして、発言の機会を奪ってしまうことが、はたして日本にとってプラスなのだろうか、ということである。

 筆者はベンチャーキャピタリストとして活動していたことがあるが、「ゼロイチ起業」がいかに難しいものか、身をもって知っている。このことについては拙著にも詳しく書き、ベンチャー界隈からは大きな反響をいただいた。

 前澤氏率いるZOZOは、まさに筆者がベンチャーキャピタリストとして活動していた時期に上場準備を行っており、多くのベンチャーキャピタルが「投資させてもらいたい」と足繁く通ったベンチャー企業である。

 当時はまだ、ネットビジネス自体に胡散臭いイメージがあったうえに、ネット決済のインフラも整っていなかった。特に「アパレルのネットビジネスなど成立しえない」とまで言われていた。サイズや色などの違いがあるため販売点数が多いわりに、流行の移ろいが激しく、在庫管理が難しいからだ。

 実際に、私も過去、ZOZOの競合だったネットEC企業へ投資をしていたが、その企業は在庫管理に失敗し、数億円の不良在庫を抱えて事業撤退を余儀なくされた。

 そのようななかで、ZOZOは、全ての取り扱い商品を自社計測し、一度ユーザーが自分のサイズを把握すれば、試着せずともサイズを選べ、在庫を抱えず集客できるネットモール(百貨店モデル)を作ることができた。

 問題をひとつひとつ解決しながら「ネットで服を買う」という新しい文化を日本に築き上げたのは、ほかならぬZOZOTOWNだと断言できる。

 プライベートでも、バスキアの絵画をアーティスト最高落札額で更新する123億円で買い、月への旅行を目指すなど、常に話題を創り続けている前澤氏。筆者は、孫正義氏の次のパラダイムシフトを起こすのは前澤氏ではないかと強く感じていた。
「パイの奪い合い」はもう限界
 ここでいうパラダイムシフトとは何か。簡潔に説明しよう。

 これまでのインターネットビジネスでは、「winner-takes-all(勝者総取り)」型の経営手法を目指すことが理想だとされてきた。孫正義氏率いるソフトバンクの経営戦略は、「winner-takes-all(勝者総取り)」戦略の典型だ。

 ADSLを浸透させるために、ヤフーBBのモデムを無料配布したことを筆頭に、最近では、paypayの100億円キャッシュバック企画を実施。強烈な先行投資を行い、そのジャンルの「ナンバーワン」になることで、その後のビジネスで勝ち、投資を回収するというスタイルだ。一気に顧客を囲い込むことで勝者総取りを目指していく戦略が、孫氏のお家芸なのである。

 しかしながら、インターネットの勝者総取りモデルには、致命的な弱点もある。海外の企業が国境の垣根を飛び越えて、「世界の勝者」となるべく市場に参加してくる、ということだ。日本のECの草分けであった楽天は、早々にアマゾンに首位の座を明け渡した(「ジェトロ世界貿易投資報告」2017年版)。mixiがFacebookに完全に息の根を止められたことは、もう記憶にもないかもしれない。

 中国のように、国策として米国のネットサービスを遮断しない限り、日本独自のネットサービスが、いわゆるGAFAと言われる巨大プラットフォームに勝てる見込みはない。

 それを理解している孫氏は、米国に殴り込みをかけるようにしてスプリントを買い、「ビジョンファンド」の10兆円を運用して、世界中の新しいネットサービスの青田買いを行っている。つまり、孫氏自体が、すでに日本におけるインターネットサービスには(きらびやかな)未来がないことを理解しているのである。

 「パイの奪い合い」の果てにある勝者総取り戦略は、よほどの体力がある企業でないと、仕掛けることは難しい。成熟しきった市場においては、敗北の可能性も高い。そのような状況下で必要なのは、「新しい市場を生み出す創造力」なのである。

 市場を生み出す創造力、とは、薄く広く浸透する「便利なサービス(商品)」をつくることではなく、これまで評価されてこなかったまったく新しい価値観を生みだし、それを表現して人々に理解させる、ということだ。

 ここで新しい市場を創造するときに必要になるのが、アートへの造詣である。近年、山口周さんの著書『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』がベストセラーになるなど、ビジネスマンがアートを理解することの必要性を説くムーブメントが起きているが、勝者総取り方式に限界が見えている中、これは必然だと思っている。

 なぜ、成熟しきったビジネス環境下において、経営者にアート的感覚が必要なのか。アートの本質は、世の中に存在しない新しい価値観を生み出し、それを提示し、その文脈を人々に理解させることだからだ。

 前澤氏はバスキアの絵を123億円で落札したが、会計的な原価で考えれば、バスキアの絵は数万円程度のものである。そのモノ自体に対してではなく、その絵が描かれた背景や文脈に、人々は多額の対価を支払うのである。

 これは、ビジネスにおいても本質は同じだ。例えばApple社の製品。言うのも野暮な話だが、iPadもiPhoneも、原価は驚くほど安い。しかし、洗練されたデザインとUI、ジョブスの哲学に共感するユーザーが、Apple教の信者としてその付加価値を評価し、新製品が出るたびに高単価で買い続けているのである。こうした価値を生み出し、ビジネスに結び付けるのが、勝者総取り方式とは違う、もう一つの戦い方だ。

 さて、成熟した社会にアートを用いて新しい価値を生み出し成功した、歴史上の人物がいる。織田信長である。

信長は分かっていた
 天下布武のもと、尾張から日本統一を目指した織田信長は、統一目前にして、本能寺の変で没してしまう。

 そんな信長が、「天下統一後の世界」を見越してアートへの投資を行なっていたことをご存じだろうか。

 戦国時代は、有能な武将がしのぎを削って領土を奪い合い、勝った側がその領土を功労者に分け与えて、家臣の忠誠心を維持する。これはいわば戦国時代の「勝者総取り方式」で、天下統一を成せば、その武将は有能な部下を多数抱え、かつ、幅広く税を徴収することができるようになる。

 しかし、このモデルには限界があった。奪う領土がなくなってしまえば、家臣に与える領土がなくなってしまうのだ。戦の時代が終わっても、有能な才能は現れる。ところが、彼らに与える領土がない。ほかの家臣から奪えば、不平不満がたまることになる。結果、人材の停滞が起こるか、あるいは限りある資源をめぐって争いがおこることになる。

 信長は、このジレンマに気づいていた。

 そこで、新しい価値として生み出されたのが、茶道であり、茶器なのである。

 甲斐攻略で戦功を上げた滝川一益が、信長に対し「珠光小茄子」という茶器を恩賞として求めたが、与えられたのは関東管領の称号と上野一国で、大変残念がったという話がある。それくらい、当時の茶器は、土地よりも価値を持つものになっていた。

 一方で、信長に反逆して追い詰められた松永久秀という武将は、名器「古天明平蜘蛛」を差し出せば許しを請えると言われたものの、それを渡すのが惜しすぎて、茶器に爆薬を詰め込み爆死したと言われる。

 土地は農作物を生み出すが、茶器そのものは何を生み出すでもない。合理的に考えれば、土地や命より茶器の価値が高くなるわけがないのだが、そこにはロジックだけでは計り知れない人間の「勘定」ではない「感情」が存在するのである。

 茶器が土地の価値を超えたときに、「天下統一後」のジレンマは解消されることになる。無限に生み出せる茶器に土地以上の価値が生まれれば、権力者は土地の代わりに茶器を渡せばよくなるからだ。だから、信長は茶器(やほかの美術品)の価値を高めようと尽力した。

 ただ土をこねて焼き固められた器を、命以上に大切なものにまで高めるためには「収集」と「誇示」の作業が必要となってくる。これを世界最大規模でおこなっているのが大英博物館である。

 イギリス帝国が世界中に植民地を抱えていた際に、各地に存在する貴重な財である美術品や書籍などを収集(ときに強奪)することで、世界中の財をイギリスに集めた。そして、それらを展示することで、大英帝国の権力を誇示し続けた。

 同様に信長も、日本中から茶器を集め、千利休を中心に茶道という文化を浸透させることで、その価値を高めることに成功した。信長に許可を受けなければ茶会を開くこともできず、茶器を使う場面すらも統制することで、その価値を上げていった、と言われている。

 信長の後を継いだ豊臣秀吉は、権力者たちの間で価値が高まった茶器を、大茶会を開催し、一般に公開することによって、さらなる茶器の価値向上を進めていったのである。アートというのは、見返りを緻密に計算している功利的なものなのである(もちろん、すべてがそうであるというつもりはない。アートは目的達成のための一つの手段になる、ということだ)。

「100人に100万円」の本当の意味

ZOZO前澤氏を退場させたことで、日本が失った「大きな可能性」
【PHOTO】gettyimages
 ここで前澤氏に戻りたい。前澤氏がバスキアの絵を123億円で落札したとき、世界中にYusaku Maezawaの名前がとどろいた。これを受けて、ホリエモンが「世界に名前を売るには、安いくらいの投資だ」とコメント。対して前澤氏は「売名行為などで落札したわけではない」と述べたが、意識的かどうかは別にして、筆者は「アートを使いこなす力」こそが、前澤氏の最も優れた点ではないかと思うのだ。

 それを象徴するのが、物議をかもした「一億円プレゼント企画」である。前澤氏のツイートをリツイートした人の中から、抽選で100名に100万円をプレゼントした、あの企画だ。「金持ちの道楽」「ばらまきで人気を買った」など、さまざまな批判の声が上がったが、彼らはことの本質を理解していないのだろう。

 実際にリツイートをして当選した100人の面々を見てみると、その多くがアートに携わっている人たちだった。もちろん、どこまでをアートに含めるかという議論はあるが、前澤氏には、明らかに新人のアーティストに投資をしようという意図があったはずだ。

 当たり前のことだが、投資とは「投資したもの以上の見返り」(リターン)を得ることが目的である。投資する対象としては、金融資本自体か、物的資本、人的資本がある。金融資本への投資は、利息や売却益がリターンであり、物的資本への投資は生産力増加によるリターンである。

 そして、人的資本への投資の見返りは、知識や経験を得ることにより、次なる再現性を生み出すリターンである。

 これらの中で一番難しく、しかし最も大きなリターンを得られるのが人的資本への投資である。金融資本への投資は、多くの金融商品がコモディティ化しており、すでに型が決まっていることから、リターンの幅もある程度決まっている。このご時世、全ての人が、あらゆる金融商品にアクセスできることを考えれば、金融商品は必然的にローリターンになることがわかるだろう(もちろん、突然100倍に化ける株などもあるにはあるが)。

 次に、物的資本への投資。これは、建物や機械などへの設備投資となる。競争優位性のある特殊な機械などを開発すれば効果的な投資とはなるが、モノである以上、世界で唯一にはなり得ず、類似品も出てくる。また、技術革新は日々行われていることから、時が経つにつれて陳腐化していく。ただ、投資してもゼロになるわけでもないことから、ミドルリスクミドルリターンといえるだろう。

 そして、一番のハイリスクハイリターンとなるのが、人的資本への投資である。人への投資は、その人が突然去ってしまえば何のリターンも生まない。入社三年目で社員が辞めてしまえば、その会社は多額の投資をほとんど回収できない。

 一方で「組織は人なり」の言葉の通り、優秀な人材を集めることができれば、経営環境が変わっても、事業を変化させながら対応させることができる。

 私も、ベンチャーキャピタル時代に1000人以上の起業家と接し、投資をしてきたが、ベンチャー投資の成否は、結局「人の目利き」なのだ。特にベンチャービジネスは、5年もすれば経営環境が変わり、変化を求められる。

 10年ももつビジネスはほとんどないのが現実だ。ソフトバンクが、ソフトウェア販売会社から通信回線に移り、携帯から投資ファンドにビジネスの中心を変えていっているのが分かりやすいだろう(これを業界では、軸足を変えるという意味で「ピボット」と呼ぶ)。

































へぇ〜

日産・ルノー・三菱自が新会議体、合議制に−ゴーン体制決別へ

3/12(火) 16:40
Bloomberg
日産・ルノー・三菱自が新会議体、合議制に−ゴーン体制決別へ

日産・ルノー・三菱自が新会議体、合議制に−ゴーン体制決別へ
Bloomberg
(ブルームバーグ): 日産自動車と仏ルノー、三菱自動車は12日、3社連合(アライアンス)の戦略を担う新たな組織「アライアンスオペレーティングボード」を設立すると発表した。カルロス・ゴーン前会長が強い権限を持って主導してきたアライアンス体制から決別し、3社のトップで構成する新たな会議体によって意思決定する仕組みへと改める。
アライアンスボードは、日産の西川広人社長兼最高経営責任者(CEO)、三菱自の益子修会長CEO、ルノーのジャンドミニク・スナール会長とティエリー・ボロレCEOの3社トップ4人で構成する。ボードの議長はスナール会長が務める。4人は同日夕、横浜市内の日産本社で共同会見を開き、方針を説明した。
会見でスナール会長は「さらに新しいステップに踏み出す。アライアンスの新たなスタートだ」と述べた。その上で「瞬時に大きく効率性を上げていきたい」として「大きく組織を簡略化する」との考えを示した。日産の西川社長は「名実ともに対等な関係でアライアンスを運営する」と語った。
従来は、日産とルノーの合弁でオランダ・アムステルダムにある「ルノー日産BV(RNBV)」や、同じく日産と三菱自の合弁会社である「日産三菱BV(NMBV)」がアライアンスの統活会社だったが、新しいアライアンスボードはこれらに置き換わり、運営やガバナンス(企業統治)を監督する唯一の機関となる。
また、3社が交わした覚書には、スナール会長が日産の取締役会副議長に適した候補者であると想定されると記されている。ゴーン被告の解職以来、空席となっている日産の会長職については日産ガバナンス改善特別委員会の提言を待つとしたが、スナール会長は「会長になろうとは思っていない」とし、「日産の独立性を尊重したい」と述べた。日産とルノー間の資本構成の見直しについては「この日の発表のポイントではない」としてコメントを控えた。
マッコーリー証券のアナリスト、ジャネット・ルイス氏は、スナール会長は資本構成を見直す議論よりもアライアンスの運営改善や成果を出すことを優先させたとの見方を示した。
取締役会出席できず
RNBVについては、ゴーン被告による不正の温床になっていた可能性があるとして日産とルノーが共同で調査している。日産と三菱自は、ゴーン被告がNMBVから10億円の不正報酬を受け取っていたと指摘していた。
アライアンスのウェブサイトによると、グループ全体で昨年1076万台の車を販売。世界で122の生産拠点を持ち、45万人超の従業員を雇用するなどトヨタ自動車や独フォルクスワーゲンと世界首位を争う自動車グループを形成している。
昨年11月の最初の逮捕以来勾留されていた東京拘置所から先週保釈されたゴーン被告は、この日の日産取締役会への出席を希望していたが、東京地裁は許可しないことを決定した。
ゴーン被告の広報担当者によると、地裁が取締役会出席を認めなかったことについてゴーン被告は「失望している」とした上で、同被告を取締役に選出した株主に対して「職業的な義務を全うするための準備ができている」と述べた。根拠のない容疑により、過去約20年間にわたって尽くしてきた会社に対して自分のアイデアや考え方を展開する機会が阻まれたことは残念だとした。
ゴーン被告の弁護を担当する弘中惇一郎弁護士は12日夕、報道陣に対して同被告が日産のリーダーシップを心配していたことを明らかにした。保釈後初の記者会見は同被告の体調と準備が整ってからとし、開かれるとしても来週以降で日程は決まっていないとした。
(c)2019 Bloomberg L.P.


ほうほう。

メーガン妃へのヘイトツイート、7割がわずか20のアカウントから

2019年03月12日(火)18時00分
松丸さとみ
1月から2月中旬までの間にヘイト・ツイートの数は5204件に達した Chris Jackson-REUTERS
<メーガン妃に対して数多くの嫌がらせツイートが投稿されているが、その7割がわずか20のツイッターアカウントから発信されていることが明らかになった>

反メーガンのツイート、1カ月半で5200件超

英チャールズ皇太子の次男ハリー王子と結婚した元ハリウッド女優のメーガン妃に対して数多くの嫌がらせツイートやヘイト・ツイートが投稿されているが、その7割がわずか20のツイッターアカウントから発信されていることがこのほど明らかになった。
サセックス公爵夫人ことメーガン妃は現在、ハリー王子との子を妊娠している。しかしその妊娠を「ウソ」だと主張するものや「国に帰れ」などの嫌がらせツイートが横行しており、英国王室はソーシャル・メディア(SNS)のガイドラインを発表するに至った。
米メディアCNNによると、人種差別やファシズムに関するリサーチを行なっている英国の団体ホープ・ノット・ヘイト(憎悪ではなく希望を)が、1月から2月中旬までの1カ月半に発信された、メーガン妃に否定的なハッシュタグを使ったツイートについて調査した。CNNは細かい数字を掲載していないが、英デイリーメール紙はホープ・ノット・ヘイトが分析したヘイト・ツイートの数は5204件に達したと伝えている。
メーガン妃に否定的なハッシュタグには、英国が欧州連合から離脱する「Brexit」(ブレグジット)をもじって「megxit」(メグジット)としたものや、「ペテン師公爵夫人」(Charlatanduchess)というものもある。CNNによるとこうしたハッシュタグは、「Brexit」や、トランプ大統領のキャッチフレーズ「アメリカを再び偉大に」を意味する「MAGA」といった政治的なハッシュタグとともに使われることもあるという。

たまりかねた王室、ブロックも辞さないとの方針を提示

デイリーメールによると、ホープ・ノット・ヘイトの調査で、5204件に達したメーガン妃へのヘイト・ツイートのうち70%に相当する3600件超がわずか20のアカウントから発信されていたことが分かった。そのほとんどが、一連のヘイト・ツイートを発信するためだけに開設されたアカウントだ。中には、あからさまな人種差別や「国へ帰れ」などの言葉も含まれていた。ハリー王子の子を妊娠しているのなんて嘘であり、それを隠し切るために代理母を雇っているという理論を展開しているツイートもあるという。
ホープ・ノット・ヘイトの調査員はデイリーメールに対し、「我々のデータ分析によると、アンチ・メーガンの挑発的なツイートがいかに少数のアカウントから発信されていたかが分かる」と語った。また、この傾向は例えばアンチ・イスラムを唱えるオンラインでの嫌がらせにも同じことが言え、一部のアカウントやボットと呼ばれる自動で発言するアカウントが協力してメッセージを広めていると指摘している。
こうした事態を受けて英国王室は、ソーシャル・メディア・コミュニケーション・ガイドラインを発表した。王室や、チャールズ皇太子夫妻の公邸クラレンス・ハウス、ウィリアム王子夫妻などが暮らすケンジントン宮殿がそれぞれ運営する公式SNSでコミュニケーションする際の指針となるものだ。

ミュート・ワードに登録した単語......

ガイドラインによると、これらの王室SNSは「安全に議論し、自由にコメントや質問、提案をできる環境を作ることを目指している」。その上で「禁止事項」とし、「人種、性別、宗教、国籍、障害、性的指向、年齢をもとに差別すること」を含む5項目を箇条書きで挙げている。こうしたガイドラインに沿わないコメントは王室側で削除するなどの措置を取り、該当ユーザーをブロックする可能性もあるとしている。必要であれば警察に通報するとも書いている。
CNNによると、黒人を差別的に表現する単語や、ナイフと銃の絵文字について、王室側はすでにミュート・ワードとして登録しているという。
CNNはまた、今回の分析で判明したアカウントのいくつかはすでにツイッター社が凍結済みだと伝えている。
ジャーナリストのヨミ・アデゴケ氏はCNNに対し、メーガン妃が外国人であるだけでなく、黒人の血を引いていること、そして離婚経験者であることで、英国人が「公爵夫人」や「ロイヤル・ファミリー」と聞いた時にイメージするタイプの人ではないと説明。こうしたことが嫌がらせの原因なのではないかと分析している。

ほうほう。

「日本人と挨拶」を文化論的に考えると

2019年3月12日(火)17時40分
アルモーメン・アブドーラ(東海大学・大学院文学研究科教授、国際教育センター国際教育部門教授)
欧米やアラブの社会では挨拶は人々との距離を縮めるための手段だが…… georgeclerk/iStock.
<親しいながらも距離を保つ、日本人の独特な人との付き合い方>
文化摩擦と呼ばれる現象の多くは、互いの文化特有の物の考え方や見方をめぐる独断や理解不足などが原因とされる。日本を訪れた外国人に日本人のイメージを尋ねると、優しい、親切、真面目といったプラスのイメージの他、人見知りとか、冷たいというマイナスのイメージも聞かれる。なぜこのような両極端なイメージがあるのだろうか。自分自身としては、日本滞在23年が経つ今も、日本人の行動様式をめぐっては多くの疑問符を付けたくなることがあり、その独特で、ときに曖昧な特徴や個性に困惑させられることもある。
その一つが、日本人の挨拶に対する考え方である。日本人は何のために挨拶をしているのか。また挨拶をどのように捉えているのか。
今も昔も、どんな言語においても、人と人の挨拶行動は人間社会に普遍的に見られる現象である。「挨拶」は軽視できない、重要な「文化論」の一つとなり、人をつなげる大きな力となる。日本語の「挨拶」という言葉も、コミュニケーションの核心的な意味を秘めている。そもそも「挨」「拶」の両字ともが「近づく」という意味で、挨拶行動の本質を言い表している。しかしよく考えてみると、「お元気ですか」、「はい元気です、あなたはいかがですか?」、「ええ、元気です」などというような挨拶が日本人の間で日常的かつ頻繁に交わされることはあまりない。よほど長い間会わなかった人たちが再会したときなどに使うことが普通である。
私は朝早くに、都内の自宅から2時間半かけて職場へと出かけていく。エジプト出身のアラブ人である私にとっては日常のことだが、私は笑顔で近所の日本人と挨拶する。みなさんにとって、このような他人との積極的な交流は普通ではないことかもしれないが、私にとってはごく当たり前の自然な行動である。もちろん挨拶を周りの全ての人にすることは不可能だ。また、ここは人々が互いに気軽に声をかけやすい風土で知られるニューヨークやロンドンとも違う。つまり、周囲とのやりとりは朝夕の挨拶以上のものはなく、その挨拶でさえ使い方に特別な尺度がある。日本で他者との関係構築に最も重要なものと認識すべきは、他者との社会的距離を保つことであり、職場でも生活圏でも家庭内でも、その距離を越えたり取り除こうとしたりしてはならないということだ。
欧米やアラブの社会では、挨拶は同じ社会に暮らす人々との距離を縮めるための手段だが、日本ではこれと異なるルールが社会的行動の力学を支配している。つまり、距離を保つことが、同じ社会の人々との関係においてバランスを保つために必要であり、双方に調和と平和を保証するものである。
他人への歓迎や関心を示すための大げさな笑顔や飾り立てた言葉は、日本的思考では、それが求められる幾つかの場面を除けば、さほど重要ではない。最も重要なのは、「親しき中にも礼儀あり」と言われるように、繋がりや挨拶の程度を、あなたと他者を分ける社会的関係や距離の範疇に保つことである。
そのため私は、周囲との交流を望むエジプト出身のアラブ人として、ときには日本との架け橋になるべく努める一方、ときには他者と適切な関係を維持するために距離感を保つようにしながら、他者との付き合い方を制御できるようにならねばならない。
また、「言わなくても分かる」などのように、言葉によらない「察し」が大切だと考える文化的特色を背景にした日本語は本質的に長話には向かないから、どの程度言葉を発するかを常に考えなければならない。これは、社会的関係や他者との交流に必要な距離を保つためである。
2年ほど前に私が研究目的で、大学院生(田村氏)の協力により数人の日本人を対象に実施したアンケート調査では、次のような回答が得られた。
Q:あなたにとってのあいさつとはなんだと思いますか。
<回答者:日本人>
コミュニケーションの1つ。はじまり。コミュニケーションの基本。できて当たり前。あなたと敵対していませんよということ。円滑なコミュニケーションの第一歩。あいさつからはじめて良い人間関係を作る。存在を認めていますよ、ということ。興味がなかったら声かけない。初めて会う相手でもにこやかにあいさつをすると、次のアクションがおこしやすくなる。いい仕事ができるようにとか、次の話題に入るきっかけになる。緊張をほぐす。相手との距離を縮めたい。ラインをとっぱらいたい。次の話をするためのきっかけ作り。
<回答者:外国人>
・Smileで'How are you?''Long time no see.'はeasy to make friend. Habit. Everytime important for make friends
・Important. Communication is important.大切です。気持ちがいいです。
・Politeだと思う。Friendlyだから。
・知っているひとにはあいさつします。知ったらalready 友達、一回だけでも友達と思う。
・More friendly 人と仲良くなるため。
これらの外国人の回答と日本人の回答を比べてみて印象的なのは、表情の「smile」とコミュニケーション手段の「easy to make friend」(すぐ友達になれる)の回答部分である。日本人と外国人が実践している挨拶は挨拶でも、その目指すところが違うようである。
例えばミャンマー人では、「今は連絡をとっていない過去の友人」と道端ですれ違ったとき、挨拶をすると全員が答えたのに対し、日本人ではしないと答えた人の方が多かった。一方で、「今も連絡をとっている友人」に対しては、全員が挨拶をすると答えている。日本人は現在の関係性を重視しているのだろう。ミャンマー人は、相手が自分のことを確実に認識している状態であれば、必ず自分から挨拶をすると言える。
また、日本人は仕事とプライベートをきっちり分けたいという考え方を持っていたり、親しくない相手に個人的な情報を公開したくないという考えを持ったりしていることが分かった。そのことは日本人の挨拶行動に大きく影響していると考えられる。小規模な調査ではあるが、全体を通してみると、外国人の方が自分から挨拶をする確率が高いと言える。
挨拶とは何かということへの認識は外国人と日本人で大きくは変わらないように思える。しかし日本人は、挨拶は「できて当たり前」としつつ、「一度話をしただけの職場の人には挨拶をしない」と答えているところなどを見ると、挨拶の捉え方と実際の行動との矛盾が感じられると言わざるを言えない。この点については、日本人は学校や職場の新人研修など教育の場で、「しっかり挨拶するように」と理想論ばかりを教え込まれ、実際にはそれを幼少時から体験していないと言えるのではないか。つまり、大人や先輩が教育的に指導するだけで、実際の社会生活や家庭生活の中では、きちんと挨拶が行われていないのではないか(田村氏)。このような状況が、日本人の「必要最小限」の挨拶行動を作り出しているのかもしれない。
一方、アラブ人は三度の飯よりおしゃべりが好きな民族である。そのため挨拶を交わす際にも、慌てず急がず、そして丁寧に相手の健康、家族、仕事など一つひとつについて「〜はどうですか」と尋ねるのが大事な礼儀となっている。「アッサラーム アライクム」というアラブ世界の代表的な挨拶は「あなたに平和を」という意味の言葉だが、これは道端でもどこでも、出会ったどんな人とでも交わす基本的な挨拶の言葉。しかし大抵の場合、このひと言では終わらない。
「宗教とは周りとどう接するかということそのもの」と考えるイスラム教の聖書であるコーランは、「あなたがたが挨拶された時は、更にそれより良い(丁重)な挨拶をするか,または同様の挨拶を返せ(Sorah An-Nisa ( The Women ) - Verses No.86)」と挨拶の大切さを伝えている。また、「人(同胞)に微笑むこそ、善徳なり」と言葉だけでなく、身体動作を含む挨拶が人間関係や平和な社会作りにとって重要であると諭している。
日本人の挨拶観とは少し異なるかもしれないが、アラブ人にとっては、挨拶する相手が毎日会っている人であるからこそ、熱烈に時間をかけて挨拶し、身振り手振りで表現し、いかにあなたに会いたかったかと熱く伝えることが何より大切なのである。
20年以上も前の話だが、私が生まれ育ったカイロの、とある地域の一角に老舗のクリーニング屋があった。その店のおやじさんの口癖は、「挨拶と笑顔は、善徳なり」だった。そして、おやじさんのその声は今も色あせることなく、ここにある。

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