ここから本文です
ajra7444.com
祝!! 200,000訪問者達成!! 2018.05.25 これからもよろしくお願いします。

書庫過去の投稿日別表示

へぇ〜

アーセナル去った“敏腕スカウト”、新天地が決定! 行き先はブンデスリーガの…

4/12(金) 11:00配信  
フットボールチャンネル


アーセナル去った“敏腕スカウト”、新天地が決定! 行き先はブンデスリーガの…
スヴェン・ミスリンタート氏【写真:Getty Images】
 ブンデスリーガのシュトゥットガルトが11日、スポーツ・ディレクター(SD)としてスヴェン・ミスリンタート氏を招聘したと発表した。

【写真】アーセナルからもランクイン! プレイヤー能力値ランキング

 ドルトムント時代に香川真司やロベルト・レバンドフスキ、ウスマン・デンベレといった選手の獲得に尽力したミスリンタート氏。2017年12月にドルトムントからアーセナルへ移った後、ピエール=エメリク・オーバメヤンやベルント・レノなどの選手をチームに連れてきている。

 アーセナルのスカウト部門を務めていたミスリンタート氏だが、2018年2月にアーセナルのフットボールヘッドに就任したラウル・サンレヒ氏との方向性の違いが生じ、今年2月にアーセナルを去ることを決断していた。そして今回、シュトゥットガルトのSDに就任することが決定。一方でミスリンタート氏を失ったアーセナルは、今も新しいSD探しに奔走している。

フットボールチャンネル編集部




フットボールチャンネル編集部

立川志らく、ぜんじろう非難に釘「三流芸人間違い」

[2019年4月12日9時42分]
落語家の立川志らく(55)が、爆笑問題の太田光(53)と「どちらが先輩か」をめぐって舌戦を繰り広げているお笑いタレントぜんじろう(51)に対するネット上の罵詈(ばり)雑言にくぎを刺した。
ぜんじろうが太田から呼び捨てされたことに端を発した今回の騒動。志らくは、自身の劇団の舞台に出演するぜんじろうを「世界を舞台に活躍している一流のスタンダップ喜劇人」と絶賛した上で、「太田さんとどんどんやりあって欲しい。ぜんじろうは、いやぜんじろう君、いやぜんじろう様は論客だから盛り上がるよ」とあおっていた。
11日更新のツイッターでは、ぜんじろうに非難が集中していることを受け、「彼の発言を非難するのは自由。だが売れていないくせに、三流芸人は間違い(太田さんのは愛情)」「落語家でも歌舞伎役者でも演劇人でもテレビ以外で活躍している人は沢山いるのだ。テレビに出ていないから売れていないと罵声を浴びせるのは己の無知をさらけ出していることになる。人を非難する場合はきちんと調べるのが礼儀です」とくぎを刺した。

開くトラックバック(0)

似た感性かな。

岡本隆史 

「自ら泥沼にはまらないと、次の道は開けない」――2年の休業を経て、大沢たかおが挑む逆境

4/12(金) 8:35 配信


俳優デビューから25年を迎えた、大沢たかお。2018年の夏には、ミュージカルの聖地・ロンドンのウエストエンドで舞台に立った。実はその少し前、2年ほど俳優の仕事を離れていたという。「2年間ぼうっとしていたから、異様にエネルギーがたまっていた」。なぜ休んだのか。そして今、エネルギーの向かう先は。(取材・文:水田静子/撮影:岡本隆史/Yahoo!ニュース 特集編集部)
(文中敬称略)
悩む暇もない。ロンドンで受けた衝撃

「あんなに長く休んでいたのは、初めてですね」
2015年、NHK大河ドラマ『花燃ゆ』に出演して以来、約2年間、仕事から離れていた。20年を超える俳優生活で、これほど芝居をしない期間はなかった。
「次に何かに出ても、いいパフォーマンスができないような気がしたんです。それで、いただく仕事も全部お断りして。嫌なんですよ、何となくやるのが」

休業中には、米国、カリフォルニア州を訪れた。
「昔みたいに学生をやってみたらどうなるかなと、ふと思って。短期ですが、大学に通ったんです。中国語やコミュニケーション論などの講座を受けて。レベルが高くて全然ついていけなかったけど、学生たちの学びに対する貪欲さに刺激を受けました」
「リュック背負って、ビーサン履いて」、毎日通った。
「学食で食べたり、タコスのおいしい店を教えてもらって並んでみたり。誰も僕のことなんか知らないし、ごく普通の暮らしをしていました。自由でしたね。自分の勉強とか好きなこととか、そういうことを普通にしたかった。二十何年、芝居しかしてこなかったから」

もともと旅が好きで、英語が堪能。休暇が取れると飛行機に飛び乗る。2015年から2016年、ブロードウエーで、渡辺謙主演のミュージカル『王様と私』がロングラン上演されていた。大沢もこの舞台を見に、ニューヨークへと飛んだ。
「舞台を見に行ったら、渡辺謙さんから直接演出家を紹介されて。『明日、何してるの?』と聞かれたんです。翌日、のんきにコーヒー片手に会いに行ってみたら、ピアニストやプロデューサーがいて、いきなり『ちょっと歌ってみて』と。『えっ?!』という感じでした。それから2年後、ロンドンの舞台に出ることになったんです」
2018年夏、ロンドンで1人アパートを借りて、稽古に入った。ミュージカルの聖地・ウエストエンドで、公演は約3カ月間。渡辺謙演じるシャム国王の右腕、クララホム首相役を務めた。公演期間の後半には、週に1度、渡辺に代わってシャム国王も演じた。

「ものすごく大変でした。海外の劇場で初めてのことばかりなのに、2役ですし。もちろん全部英語です。キャストは、最初の稽古で歌って踊れてしまうような、つわものばかり。衝撃でしたよ。みんな、次のスターを目指してしのぎを削っているわけです。実力勝負の世界。代役が2人控えていて、しょっちゅう『体調、悪くない?』ってささやくんですよ」
上演が始まってからも、毎日毎日、ダメ出しの連続だった。
「紙に書かれてどんどん渡されるんです。ここ聞こえない、クリアじゃない、セリフ間違ってる……。昼と夜の部の間、休憩も食事も短縮して2時間ぐらいで直す。夜の部のミスは、早朝から起きて修正する。もうやるしかなくて、悩むだの、落ち込むだの、そういう暇もありませんでした」

『王様と私』でシャム国王を演じた(写真提供:Trafalgar Entertainment Group)
意見のやりとりも身の回りの世話も、マネージャーではなく、自分でやる。日本にいるときとは違い、1人用の楽屋も用意されていない。
「たとえ代理人がいたとしても、『おまえの意見は?』とダイレクトに求められる場です。『どうしたいの?』『楽屋、ここで大丈夫?』、全部自分で答えます。そういう部分は、僕は全く抵抗ありませんでしたね。自分の意志で出ているわけですから。何もかも、経験してみなければ分からなかったこと。半年近く、彼らの国、彼らの言語の中で仕事をしたことは、ものすごく勉強になりました」

休業を経て、異様にエネルギーがたまっていた

『王様と私』に出演する前、休業明けの大沢は、もう一つ大きな役に向き合っていた。映画『キングダム』、原作は累計3800万部を突破した、超ベストセラーコミックだ。
「昨今、漫画原作がたくさん実写化されて、見る側も辟易(へきえき)しているところがあるんじゃないかと感じていました。そんな逆境のなかで、しかもこれだけの人気作品。だからすごく挑戦しがいがあると思ったんです」

舞台は紀元前、中国の春秋戦国時代。天下の大将軍を夢見る少年を描いたエンターテインメント大作で、大沢は秦の六大将軍、王騎を演じた。強烈な個性を放つ、怪物のような男――。読者からの人気もひときわ高い。
起用した松橋真三プロデューサーは、こう語った。
「王騎は強烈な風貌で、知性もある。王騎の存在が映画の説得力を左右します。それは同時に、批判にさらされやすい役どころでもあって、懐が大きい人でないと引き受けてもらえません。僕は、大沢さんしかいないと思った。大沢さんとは15年ほど前、『俺は鰯―IWASHI―』というドラマでご一緒して。殺し屋の役だったんですが、都会的でスマートなイメージとは違う面があると感じました。やると決めたら、体もしっかりつくる。王騎役をオファーしたら、すぐに原作を全部読んでくれ、3日後には返事をもらいました。決めたら早い人で、『撮影まで1年あるので、体をつくります』と」

大沢は、原作の大男に近付くため、撮影予定日から逆算して体づくりを始めた。王騎の絵のコピーを自宅のあちらこちらに貼りつけ、イメージをつくっていった。
「普段、僕は75キロくらいなんですが、トレーニングしながら、半年で90キロぐらいまで増やしました。監督やスタッフと何度も衣装のデザイン、メイクを試行錯誤して。衣装は体が大きくなるたびに作り替えました」

王騎を演じる大沢 Ⓒ原泰久/集英社 Ⓒ2019映画「キングダム」製作委員会
中国でクランクインする日、撮影場所には「飛行場からぼろぼろのバスに乗って、6時間ほどかけて」行った。だが、大沢は全く苦にならず、むしろ気分は高揚していた。
「2年間ぼうっとしていたから、異様にエネルギーがたまっていたんでしょうね。厄が明けた人って、強いじゃないですか。バスの窓から何を見ても目がきらきらしてしまって。壮大なセットを見て、やっぱり巨大な演目だと鳥肌が立った。キャストは全員、俳優生命を懸けてここに来ているっていう気迫があって、ゾクゾクしました。僕はもう、そういう現場が大好きですから」

「あと1週間、撮影が延びていたら、体が壊れていたかもしれない。自分のできる限界まで、役と向き合った。これがうまくいかないと、この先ずっとうまくいかない。そういう大きな賭けに出た役ですね」
「協調性なし」。ずっと周りとズレていた

王騎のような特異なキャラクターで声を掛けてもらえるのは、「小さい頃から変わり者だと言われてきたからかも」と言う。
「子どもの頃から、とてつもなく生きづらかった。なんでみんな足並みをそろえなくてはいけないんだろうと、違和感しかなくて。親、先生、友達の言うことさえも、聞きたくなかった。だけど自分の思ったことを主張すればヘンな目で見られるわけで。中学を卒業するまで、通知表にずっと書かれていましたよ、協調性なしって。母親はもう諦めていたし、親戚からも大沢の三男坊は変わっている、と。でも偏屈だとか誰になんと言われようと、自分の考えで僕は動きたかった。だからすごく独り。孤独でしたよ。なんで自分だけこんなに周りとズレているのかって」

大学時代、ファッション誌のモデルを始めた。だが大沢は笑顔を見せない、ここでも“変わった”モデルと言われた。当時、爽やかに笑うモデルたちの中で異色の存在だった。
「笑いたくなかったんです。『モデルだからって、なぜ笑わなくちゃいけないの?』って。編集部の人たちにしたら問題児ですよね。険悪になったこともありました」
しかし、どこか寂しさを湛(たた)えたまなざし、一篇の物語をまとったような空気感が、次第に読者から支持され、人気を得ていった。

「単純に格好いいほうがいいじゃないですか。二枚目とかそういうことじゃなくて、自分はこう思う、こっちのほうが断然いいはず、という感覚です。曲げたくなかった。結局、子どもの頃からずっとそうで、それが今も続いている感じです」
自分の感性のままにカメラの前に立つ。これが大沢たかおの表現者としての出発点だった。
7割の力でやるのなら、俳優をやめたほうがいい

モデル生活を6年間送ったのち、なぜか「続ける気力を失った」。仕事をやめ、何をしたらよいのか分からず、1年間引きこもったことがあった。翌年、俳優に向いているのではないかと誘われ、26歳の時にドラマデビューする。すぐに人気俳優となるが、彼は度々、こんなふうに人生をリセットしている。「燃え尽き症候群、ということでもないんですけど――」。

28歳から2年を費やした、ドラマ『深夜特急』(1996〜1998年)の撮影を終えた後もそうだった。原作は沢木耕太郎による紀行小説。香港からイギリスへと乗り合いバスで放浪の旅をする、バックパッカーの青年役だ。慣れぬ異境の地で、撮影はドキュメンタリーのように続けられた。
「あの番組へ出ることは、自分の中で大きな選択だったんです。 俳優になってから幸いなことに役に恵まれて、連続ドラマをやり続けることはできたかもしれない。でも僕はいかにも厳しい、誰もやったことのない企画のほうを面白いと思っちゃったんですよ」
実験的ともいえる新鮮なオファーに、大沢の好奇心が騒いだ。

「安定と思える路線を行くか、そうでないか。僕はいつも大変なほうに突っ込んでいってしまうんです。そのほうが確実に得られる結果がいいし、成長するから。適度な道を選ぶと結果もその程度のものになる。これまで100本近い作品に出ていますけど、あまりにしんどくて、『これ参ったな』『もう限界だ』と、トンネルの暗闇に入ってしまった経験こそ、後々バネになっているんです。寝られないほど悩むし、学ぶし、努力するし……。俳優としても、人生においても、例外なく良い結果をもたらしてくれますね」
「俳優って、売れると周りがちやほやしてくれるし、イエスとしか言ってくれない環境になったりする。それではダメになるだけで、自分が自分のプロデューサーになって自ら泥沼にはまっていかないと、いいものはできないし、次の道は開かれていかない」

『深夜特急』で、その泥沼に飛び込み、全身で取り組んで帰国した後、また「空っぽ」になった。その後、大沢は活動の主軸をテレビドラマから映画へと移行する。
そして、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)に出合う。若き日に恋人を病で失った男性の切なさを演じ、興行収入85億円ものメガヒットとなった。 同年の『解夏』では、次第に視力を失っていく教師の恐れと悲しみの内面を、美しい長崎の風景の中で静かに表現し、日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞。映画俳優としてのキャリアを着実に積み上げていった。

「現場では、監督と意見を交わし、食い違うこともあります。年齢を経たことで聞く耳を持てるようになって、なるほどと思うようになった。いまや人の意見がほしくて、『助言マニア』ですよ。でも、ここは譲っちゃいけない、納得できないなというところは曲げません。自分の中の、これが『美しい』とか、根本的な感覚がある。それは妥協できない部分です」
魂の、深いところに触れる作品をつくり上げたいという。この一念こそが、俳優・大沢たかおであり、長年、制作陣に信頼され続ける理由でもあるのだろう。しばらく離れていたテレビドラマのプロデューサーから「大沢さんでなければならない。何年でも待ちます」と請われ、8年ぶりに主演した連続ドラマ『JIN−仁−』(TBS系、第1期が2009年、第2期が2011年放映)は、瞬間最高視聴率31.7%を記録するヒットとなった。

「(役を)引き受けた限りは、懸命にやります。何となく7割の力でやるのなら、俳優をやめたほうがいいと思う。映画なら何億円もの予算で、すべての夢をかけてキャスティングをしてくれる。絶対に成功させなければならないんです。作品の評価にも興行成績にも、やっぱり責任を感じます。撮影の一瞬一瞬がすべて。わずかな不安や自信のなさがあったら、引き受けるべきではないと僕は思っています」
苦悩しつつ、浮上しつつ、俳優という道を疾走し続ける。2年の休息を経て、今また、エネルギーがみなぎっている。
「いい作品を懸命につくり続けて、見てくれる人たちが少しでも何か糧としてくれるなら。それが自分の存在価値ですし、俳優はそこのみだと思います」

大沢たかお(おおさわ・たかお)
東京都出身。1987年にモデルとしてデビュー後、1994年、テレビドラマ『君といた夏』で俳優デビュー。ドラマ『星の金貨』『JIN−仁−』、映画『世界の中心で、愛をさけぶ』『地下鉄(メトロ)に乗って』『眉山−びざん−』『桜田門外ノ変』『藁の楯』『風に立つライオン』など、出演作多数。映画『キングダム』は4月19日から全国公開。特集ページ


開くトラックバック(0)

へぇ〜

「ZOZO」前澤友作社長、日本版長者番付18位→22位後退 保有資産610億円減

前澤氏が所有する「ブガッティ・シロン」(鈴鹿サーキット提供) 前澤氏が所有する「ブガッティ・シロン」(鈴鹿サーキット提供)
 米経済誌「フォーブス」は11日、日本版長者番付を発表した。衣料品通販サイトなどを運営する「ZOZO」創業者の前澤友作氏(43)の保有資産は2830億円(18位)から約2220億円(22位)に下落した。「球界参入」や「月旅行」など世間をにぎわせてきた前澤氏だが、業績は低調で、アナリストは「今年が正念場」とみている。

 「本業に集中します。チャレンジは続きます。必ず結果を出します。しばらくツイッターはお休みさせてください」。2月7日を最後に自身のツイッターを休止すると投稿し、巻き返しを誓った前澤氏。フォーブスが発表した日本版長者番付でも順位を落としていたことが明らかになった。
 フォーブスは有価証券報告書などの公開情報を含め、独自に分析。同番付によると、前澤氏は15年が23位、16年が17位、17年が14位と順位を上げ、総資産は2000億円〜3000億円台を推移していた。昨年は18位の2830億円だったが、今年は22位までランクダウン。総資産は610億円減の2220億円まで下落した。
 世間の話題をさらった1年だった。前澤氏はフットワーク軽く、ソーシャルメディアのツイッターやインスタグラムなどを積極的に活用。ファンらとネット上で直接やりとりするスタンスを貫いた。女優・剛力彩芽(26)との交際も堂々と宣言。カップルでの写真を投稿するなど、順調に交際を続けてきた。
 だが、奔放な言動などで、炎上もたびたび発生。市場関係者は同社の将来性などについて、厳しい見方を強めるようになった。18年7月にはツイッターでプロ野球界への参入を突然、表明したが、半年足らずで撤回。今年1月にはツイッターで100人に100万円を贈る企画を発表したものの、その後、株価は大幅に下落した。前澤氏は同社の発行株式の36%を保有しており、資産に大きく響いた形だ。採寸可能な「ZOZOスーツ」の無料配布も増産体制が整わず、独自の値引きサービスも一部のブランドから反発を呼び、離反を招いていた。
 ツイッター休止から約2か月。昨年7月18日に4875円を付けた株価は、この日、1878円。アナリストは「今年が正念場」とみる。沈黙を守る前澤氏の次の一手は―。
 ◆スーパーカーをイベントに提供
 前澤氏は鈴鹿サーキット(三重・鈴鹿市)の「スーパーカーフェスティバル サウンドパフォーマーズ」(28〜30日)に協力する。ブガッティ・シロン(推定3億円)と特注のパガーニ・ゾンダZOZOの2台を提供。これらも資産の一部だ。同イベントにはほかにフェラーリ、ランボルギーニなど40台以上が集結する。担当者は「本物のスーパーカーの迫力を体験してほしい」と話した。
 ◆610億円ってどのくらい?
 ▼スカイツリーとほぼ同じ高さ 1万円札で積み上げると610メートル。東京スカイツリー(634メートル)より少し低いだけ。ちなみに、ツリー本体の総事業費は650億円だった。
 ▼1万円札で敷き詰めると… 縦76ミリ、横160ミリの1万円札610万枚の延べ面積は、7万4176平方メートル。東京ドーム約1.6個分。
 ▼東京のど真ん中に劇場が持てる! 東京都が国から買い取りを予定している、青山劇場を併設する「こどもの城」(渋谷区、2015年閉館)の建物と土地が610億円。
 ▼球場を造れる! 日本ハムが23年に北海道北広島市に完成を予定している新球場の建設費用が600億円(周辺施設などを含む)でお釣りがくる。

開くトラックバック(0)

井端弘和のショート比較が面白い。吉川尚輝は小園&根尾とは次元が違う

4/12(金) 7:03配信  

webスポルティーバ


井端弘和のショート比較が面白い。吉川尚輝は小園&根尾とは次元が違う
巨人ではセカンドを守る吉川だが・・・ photo by Sankei Visual
 今シーズンのプロ野球では、“高卒ドラ1位ルーキー“である広島の小園海斗、中日の根尾昂に注目が集まっている。高校時代に甲子園を沸かせた逸材が、今後どんなショートに成長していくかを楽しみにしている野球ファンも多いだろう。

【写真】井端弘和ならではの新生・原巨人論。「小林誠司は見限られていない」

 そこで、現役時代に球史に残る名ショートとして活躍し、現在は解説者として活動しながら侍ジャパンで内野守備走塁コーチと強化本部の編成戦略担当を担う井端弘和氏に、ゴールデンルーキーたちの評価を直撃。井端氏はその可能性に言及しながら、日本球界の未来を担うショートとして、巨人・吉川尚輝の名を挙げた。

――広島の高卒ルーキー・小園海斗選手の第一印象は?

「『体が大きいな』と思いました。大卒の選手のような厚みがありましたね。能力としては、走攻守すべてにおいてレベルが高いです。私もプロ野球の世界に入ってから約20年、『スーパールーキー』『即戦力に間違いなし』と言われた高卒の内野手をたくさん見てきましたが、彼はその中でも“稀に見る逸材“ではないでしょうか」

――とくに高く評価する点はありますか?

「守備が注目されることが多いですが、私が驚いたのはスイングの強さです。セ・リーグ4連覇を目指すチームの、一軍レベルの打者と比べても遜色ありませんでした。広島の前監督で、現役時代にトリプルスリーを達成した野村謙二郎さんのような、名球会に入るくらいの選手になってもらいたいですね。選手を“じっくり育てる“イメージが強い広島が開幕一軍のメンバーに加えたわけですから、それだけ球団の期待も大きいということでしょう」

――巨人との開幕3連戦の終了を待たずに、3月31日に二軍降格になったことについては?

「広島は一軍の二遊間が鉄壁ですから、二軍で試合を重ねて技術を磨いていくことが今の彼にとってはベストだと思います。プロで活躍するためには、高いレベルを維持して1年間プレーができる肉体的な強さ、体力が不可欠。そこを目指す上で、短期間でも一軍の空気を感じられたことが必ず生きるはずです」

――現役時代に名ショートとして活躍した井端さんから見た、小園選手の守備の課題は?

「体の使い方もそうですし......細かく言うとかなり時間がかかってしまいます(笑)。しかし今の広島は、私も中日時代にお世話になった山田(和利)さんが一軍の守備走塁コーチをされていますから、さまざまなことを学べたでしょう。二軍でもコーチのアドバイスをしっかり聞いて成長していってもらいたいです」

――同じく高卒ドラ1ルーキーとして注目される、中日の根尾昂選手についてはいかがですか?

「根尾は高校時代、投手や外野でも起用されていたので、ショートとしてのキャリアは実質1年もないくらいだと思います。経験はなくてもセンスはあるので伸びしろは大きいでしょうが、プロに入ってすぐに『スイッチ打者に転向しろ』と言われるのと同じくらい難しいことにチャレンジしている状況です。小園とは場数が違いますし、そこで比較してはかわいそうですね」

――それでも根尾選手は、『ショート一本で』と球団に直訴したそうですが。

「そうであれば、数年間はショートの守備を極めることに集中してもらいたいです。精一杯やった上でダメだと判断したら、他のポジションに挑戦してもいい。プロはよくも悪くもそういった“融通がきく“世界ですから」

――開幕を二軍で迎えた根尾選手が、今やるべきことは?

「これは小園や他の若い選手にも言えることですが、プロで長くプレーするための“基本“を習得することです。捕球、スローイングの感覚は選手によって違うので、『こうやればいい』という正解はありません。あくまで、自分に合った基本の形を作るということ。打球への反応などは年齢を重ねるごとに変化していきますが、若いうちに基本を身につけておけば、その変化にも対処しやすくなります」

――井端さんがその基本を身につけるために、現役時代に行なっていたことはありますか?

「私が現役のときは、チームメイトや相手チームの選手の動きを観察し、それが自分に合うかどうかを試していました。たとえば、立浪(和義)さん(元中日)や久慈(照嘉)さん(現阪神一軍の内野守備走塁コーチ)などの守備を参考に、『捕球はこの選手、スローイングはこの選手の動きを取り入れてみよう』と試行錯誤を繰り返したんです。

 実際に一連の動きにして打球をさばいてみると、『捕球まではいいけど、スローイングに移るまでの動きがしっくりこないな』といったことが多々あります。そういった違和感をなくしていく過程で、“基本“を身につけることができたんだと思います」

――現在の中日二軍の内野守備走塁コーチは、井端さんとの“アライバ“コンビで活躍した荒木雅博さんが担っていますね。

「そうですね。荒木が根尾をうまく導いてくれるでしょう。中日は根尾を将来の“ミスタードラゴンズ“としてチームの中心に据えることを考えていると思いますし、それだけの能力もある選手ですから、私も期待しています」

――そんな2人の高卒ルーキー以外で、井端さんが『日本球界の未来を担うショート』として注目している選手はいますか?

「巨人の吉川尚輝です。直接指導をしていた昨年であれば『手前味噌』と言われるでしょうけど(笑)。今年の侍ジャパンのメンバー選考の際も、稲葉(篤紀)監督に私から推薦しました。『ショートとセカンドの両方を、もっとも高いレベルで守れる選手』という考えは監督も同じだったようで、真っ先に内野手のメンバーに決まりました。DeNAの大和も近い能力がありますが、年齢的なことを考えると、やはり吉川が第一候補でしたね」

――そこまで高く評価する吉川選手の魅力を教えてください。

「一番の魅力はスピードです。先ほど話した小園、根尾には申し訳ないのですが、次元が違いますね。しかし巨人に入団してから昨年までの2年間は、とくに守備において、持っている能力を3割程度しか出せていなかったように感じます。今はチーム事情でセカンドを守ることが多いですが、彼の持ち味がより生かせるのはショートだと思っています」

――その理由は?

「守備におけるスピードは、広島の菊池(涼介)と同等のトップクラスですが、残念ながらそれを送球に生かしきれていません。セカンドとファーストは距離が近いためか、勢い余ってしまうというか、捕球から送球に移る際のボディバランスを欠くことがあるように感じます。その課題は克服すべきですが、彼の場合は、ショートのほうが勢いを保ちながら送球につなげることができるのではないかと見ています」

――今の吉川選手にアドバイスをするとしたら、何を伝えたいですか?

「私は内野手を指導する際に“ボール捕る“ことを最優先するように伝えています。それは吉川がセカンドを守るときの課題にもつながるのですが、すべての打球を全力で捕りにいくとバランスを崩してしまい、体勢を整えるために無駄なステップを踏んでしまうことがある。そういった選手には『1、2歩いらないステップをする分、(その間に)打者はファーストベースに近づいてしまう』と言い聞かせています。

 送球より速く走ることができる選手はいませんから、いかにスムーズに送球動作に入れるかが大事です。打球の速さ、グラウンドコンディション、打者の走力を考え、『この打球なら80%、60%で捕りにいってもアウトにできる』『あの打球なら待って捕っても間に合う』という感覚をつかめれば、安定感が増すでしょう」

――吉川選手が成長すれば、今シーズン中にもショートを担う可能性はあるでしょうか。

「すぐに坂本(勇人)と代わることは考えにくいですが、準備はしておいてほしいですね。昨年も坂本がケガで離脱した際にショートを任されていましたが、いつ同じような状況になってもいいように意識して練習をしてもらいたい。それが吉川本人、巨人の将来にとっても大きなプラスになるはずです」

寺崎江月●取材・文 text by Terasaki Egetsu



















開くトラックバック(0)

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事