広島カープXプロ野球2008

ゴールの向こうに 君が待っているから その時は その時は 笑顔で抱きしめてよ(わたしは風になる/福山雅治)

野村謙二郎スペシャル

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赤い旋風日南上陸。

オレの神様野村謙二郎様が引退以来再び赤ヘルの戦闘服を身にまとったどー!

よって当書庫久しぶりの更新じゃ!


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昨年度のセ界の新人王↑も『走攻守揃った伝説者』の前では直立不動de絶対服従!

「昨年は1点差で28試合負けた。得点力アップには走塁力を高めないといけない」「そつのない走塁を身につけることは、守備意識を高めることにもつながるんだ」。練習終了後のミーティングで再度、走塁の重要性を繰り返した野村コーチ。ベテランの緒方孝市外野手は「今は打撃や守備に比べ、走塁がおろそかになっている気がしていた。若手にはいい勉強になったのでは」と話した。
中国新聞より抜粋


嗚呼、次期赤ヘル将軍ってこんな感じで赤ヘル軍を統率するんじゃなぁ(ウットリ)
広島一筋で2000本安打を達成し今季限りで引退した野村謙二郎(39)が26日、都内で行われた駒大野球部OBのパーティーに出席し、大学・社会人ドラフトで広島3巡目指名の梵英心内野手(25)と初対面した。

野村は、俊足巧打で1年目から「1番・遊撃」候補の梵を後継者に指名。

「広島の野球を復活させてほしい。スキのない走塁など、すべてにやってくれると思う。僕的には7番をあげてもいいかな、と思う」
と太鼓判を押した。

三次市出身の梵は「テレビで野村さんばかり見ていた」といい、駒大進学を決めたのも野村にあこがれていたから。

「野村さんは、人の練習していない時に練習していたと聞き、僕もやった。1年間出れば、それなりに活躍する自信はある。いつかは7番をつけて、僕が新しい7番にしたい」
と目を輝かせた。


・・・ん?

「僕的には7番をあげてもいいかな」

だってぇ?!

マジっすか?謙二郎さんよ。まぁオレのヒーローのあなたが期待を込めて言うんなら文句ないけどな!

でもなぁ、新人が一年目から容易に活躍できるほどプロの世界は甘くないけんなぁ。

なんとか梵には野村直伝の魂を受け継いで一年目から活躍してもらいたい。

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〜けがとの闘い〜  (中国新聞より抜粋 2005.6.29)


 
 ■光から陰へ 1900日間の苦節

 入団以来11年間、積み上げた安打は1566に達した。この間に盗塁王、最多安打、ベストナイン各3回。すべてが順調に見えたとき、アクシデントに見舞われた。

 2000年4月8日、阪神2回戦(広島)。一塁ベース手前で倒れ込み、うめき声を上げた。「今思えば、あれがすべてだった」。けがとの闘いの始まりだった。


 ■筋力4分の1に

 左太ももの肉離れ。筋肉は断裂していた。「野球人生が終わってもおかしくないくらいの状態だった」と福永トレーナー。5月に実戦に復帰したが、故障個所をかばうあまり、他の個所が肉離れを起こす。7月から治療に専念した。左脚の筋力は、全盛期の四分の一にまで落ちた。

 背番号7は完全に陰の存在となった。アメリカでのリハビリ、自主トレを経て臨んだ01年。しかし、左脚の痛みは消えなかった。5月には左ふくらはぎを肉離れ。痛みを隠し、代打でプレーするのがやっとだった。02年には左右の内転筋痛を発症。「成績を出せないから使ってもらえない。励まされても、その言葉が頭に残らない。酒に逃げたこともあった」。シーズン37安打は過去最低の数字だった。

 
 ■引退を覆す再会

 引退を考えた。「ただ、結論を出すのはもう一度、目いっぱい練習して完全燃焼して、それからでいい」。志願して臨んだ日南秋季キャンプ。そこで転機は訪れる。打撃コーチとして復帰した内田コーチとの再会だった。「弱気になってたが、十分できると思ったよ。あとは気持ちをいかに取り戻すかだった」(内田コーチ)。汗をかき、泥だらけになり…。その21日間が、野村の野球人生を救った。

 へこんだままの患部を見ながら、けがとともに歩んでいく覚悟を決めた。「米国でリハビリ法を学び、同じけがをした人の話も聞いた。僕ほど重傷の人はいなかったけどね」。そんな歩みを、「2000安打」という数字が支えてくれた。04年、残り143本で始めたカウントダウンTシャツ。「早いんじゃないのといわれた。絶対に打つと自分にプレッシャーをかけていたんだ」

 一歩ずつの思いで積み重ねた安打は今年6月23日、2000に達した。「どれだけ多くの人に支えられ、励まされたか。そのことを忘れずにいたい」。光から陰へと転じたあの日から、約1900日。背番号7は、絶え間ない拍手を聞きながら、時の流れを思った。

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市民球場へは、行きませんでした。

泣くなら、独りきりになれる場所でと思いまして・・・

引退試合序盤の午後7時過ぎ。

仕事を片付けたおれはクルマをぶっ飛ばし、球場のある中区を通り過ぎ、東区を過ぎ、府中を過ぎた。

AM1350を指しているカーラジオからは、今夜の主役野村に贈る予想通りの赤イ大歓声。

真っ赤に染まったスタンドを微笑みながらみている野村の姿が目に浮かぶ。

午後8時過ぎ。気がつくとクルマは呉を過ぎて音戸大橋を渡り江田島へ。

この場所には失恋したり、落ち込んだ度に訳もなく1人よう来とるんよ。

野村引退=失恋? そんなことを考えながら静かな海辺の近くにクルマを止めた。

ここからは携帯ラジオに切り替えて、防波堤に腰かけ、ほっかほか亭で買ったエビフライ弁当をパクつきながら、野球中継と穏やかな波音をBGMに対岸の市民球場方面の灯をぼんやりと眺めていた。

午後9時半過ぎ。球場を埋め尽くしたファンも選手もみんなワイワイ楽しそうだ。「野村がセンターを守ります」とアナウンサー。監督もファンのハートを掴むのがウマいのう!と嬉しくなる。引退セレモニーで野村が言ったとおり、やっぱり野球は楽しくなくっちゃなー。

試合終了後、野村は最後の最後まで大人のため子供のためにファンサービスを心がけた。

防波堤に座った青年は、もちろん、街の灯がぼやけて見えるくらいに、泣いていた。

笑って泣いて最後の試合をみんなと十二分に満喫した野村は幸せもんじゃ。

目に焼き付けたかい若ゴイたちよ。17年間の努力の結果はこんな素晴らしい形で戻ってくるってことを。

涙を拭ったオレはふと思った。「こうしちゃおれん、野村にもらい続けてきた勇気を自分の明るい将来を築くためのエネルギーにせにゃいけん!」と。


さて、2005年度のシーズンもお終い!明日からまた愛するカープのために自分のためにがむしゃらでいきましょーみなさん!

〜挑戦者〜  (中国新聞より抜粋 2005.6.28)


 
 ■メジャー断念「後悔なし」

 パ・リーグが「イチローフィーバー」で沸き返る1995年。セ・リーグで旋風を巻き起こしたのは、野村だった。セで45年ぶりとなる「3割、30本塁打、30盗塁」への期待が高まった。「ホームラン打者ではないから縁はないと思っていた」という28歳のチャレンジに、「大リーグへ最も近い男」という活字が躍った。

 ■トリプル3達成

 不思議な力を感じていた。4月中旬に第1子が誕生。そこから猛打が始まった。「人間というのは(気持ちが)盛り上がった時に思わぬ力が出るんだな。技術的には何も変わっていないんだから」。5月は3割6分8厘、9本塁打、9盗塁で月間MVP。打棒は止まらなかった。

 打率、本塁打は9月中旬に楽々達成。最後に残ったのは、皮肉にも「最も自信があった」という盗塁だ。右肩の痛みで、手から帰塁できず、大きなリードは奪えない。10月6日のヤクルト最終戦で古田から二盗し、ようやく3部門をクリアした。「これを新たな目標の支えにしたい」。喜びの言葉に、強い意志が隠されていた。

 その年のオフ、契約更改の席で初めて大リーグ移籍の希望を口にした。92年の日米野球の時から抱いていた思い。自信があったわけではない。「ただ、挑戦したい。それだけだった」

 ■FA宣言もせず

 最大のチャンスが2年後に訪れた。大リーグの新球団の誘いを受け、フリーエージェント(FA)の権利も取得。本場の野球に挑む気持ちは燃え上がった。しかし、「広島に残るべきかどうかで、シーズン中から気持ちが揺れに揺れていた」。最終戦を終えた10月14日、恩師の太田誠・駒大監督を訪ねた。

 深夜の会談は、5時間に及んだ。「もう峠を越えている。それにお前が抜けたらカープはどうなるのか、そんなことを言ったと思う」(太田監督)。野村は結論を言わなかったが、恩師は確信していた。翌15日の記者会見では「FA宣言せずに残留」を発表。広島でのさらなる挑戦を選んだ。

 イチローがメジャーへ移った2001年、出発前に電話があった。「野村さんが先にいってくれると思っていた、ってね。ただ、自分の決断には後悔はないよ」。2人が球界の話題をさらって10年が経過した。イチローは今月14日(日本時間15日)、大リーグ通算1000安打、野村も23日、日本で2000安打を達成した。舞台こそ違え、2人の挑戦は結実した。

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