志賀島神社ではお清めは塩ではなく、「砂」で御参りの際の作法が書かれています。(写真1)
志賀島神社の宮司・安曇氏の自宅〔写真2・参道なかほどです)
神社から見た玄界灘(写真3)
金印公園〔写真4・5)
志賀島神社入り口、階段下の左側にある箱に砂が入っており、階段を登り境内に入る前に砂でお払いします・上りきって神社参拝時も砂が置いてあります(写真6・)
1260年ジンギスカンの孫クビライが大帝国「元」の王「汗」に即位してからついに蒙古は、南宋
〔上海付近)ヲ滅ぼし中国全土を手中にした。1268年元は日本に使者を送ったが鎌倉幕府は無視、
1274年文永の役・約3万五千の兵で対馬に侵攻・博多湾から上陸占領した・元軍は大宰府を攻略せんとした・一部が志賀島に上陸したので島民は太宰府方面に逃げた・
日本軍は長い槍と弓と太刀で日没まで死力を尽くして戦ったが、強力短弓と毒矢鉄砲のような最新武器と戦術の違いで全く勝ち目は無かった。しかし夜になると地の利を活かしてゲリラ戦を展開し、丁度接近して来た台風で元の舟は沈んだ。
1279年〔弘安の役)14万の大群で2度目の遠征・博多湾に上陸しようとしたが防塁が築かれ上陸できず、防塁のない志賀島にだけ上陸し弘安の役の主戦場となった、しかし元軍は、江南軍と合流すべく伊万里湾に引き上げたが、ここで再び台風にあい全滅した。
文永の役で元の戦術を研究し承知した日本軍は勇敢に戦い元軍を海上に追い落とした・元軍は船内で
伝染病が発生、なれない海上の船上生活で新鮮な食料・飲料水も満足に供給できず、世界中を席巻した
草原の騎馬軍団は日本軍の勇敢なゲリラ戦と台風により壊滅したのである。
何時の世も、健康な生活環境が無ければ士気にも影響し、哀れな結果が待っているのは現代でもなんら変わる事はない。
健康な生活を築き、見直し、常に健康一番で生きていきましょう。
本日、かごしまのYM菌の会社から有機野菜の小包が届きました。明日、公開します。
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