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Ym菌の株式会社山有様から、有機野菜セットが届いた。

例の人参も入っている・すぐに一本出して洗い名までかぶりつく、甘い、カリカリ感が心地よい。

新米・大根・サトイモ・菜っ葉・人参等、ドレを食べても最初に来るのが「自然な野菜の甘味」が前面に
 躍り出てくる感じだ・当然、食べる楽しみと同時に、滋養分を100%引き出す調理だが、とりあえず 生食分とクリームシチュウに分けた。

寒さが強い今日は「シチュウ」が食べたいとのスタッフ並びに友人達のリクエストに荻野自ら調理。

昭和30年代の日本の平均的家庭料理にした・美味い・本当の野菜の葉味、芋の味、人参の味だ・新米は

甘くピカピカに磨かれ玄米、粟・稗・アマランサスを加え「雑穀米」とした。

食べた物が体を作るなら、がん細胞など自滅すると感じられるほどの「たべもの」だ!


超高温により蒸気が立ち上がる(YM菌による超高温好気性醗酵システム)社長が発見したパチルス属等に属する特許微生物。(写真4)

肥料を作る会社だと決め付けてはなりません・何と、腸内活性ヨーグルトの醗酵菌には、大腸と小腸に有益な働きをする世界初の「ヒト由来の乳酸菌(YM菌)と酪酸菌」を使用して1000億の善玉菌を補給します。

凄いヒントが隠れていると荻野は思っております。「抗癌腸内活性醗酵菌」の登場か?んーー?

志賀島神社と金印

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志賀島神社ではお清めは塩ではなく、「砂」で御参りの際の作法が書かれています。(写真1)

志賀島神社の宮司・安曇氏の自宅〔写真2・参道なかほどです)

神社から見た玄界灘(写真3)

金印公園〔写真4・5)

志賀島神社入り口、階段下の左側にある箱に砂が入っており、階段を登り境内に入る前に砂でお払いします・上りきって神社参拝時も砂が置いてあります(写真6・)

1260年ジンギスカンの孫クビライが大帝国「元」の王「汗」に即位してからついに蒙古は、南宋
〔上海付近)ヲ滅ぼし中国全土を手中にした。1268年元は日本に使者を送ったが鎌倉幕府は無視、
1274年文永の役・約3万五千の兵で対馬に侵攻・博多湾から上陸占領した・元軍は大宰府を攻略せんとした・一部が志賀島に上陸したので島民は太宰府方面に逃げた・
日本軍は長い槍と弓と太刀で日没まで死力を尽くして戦ったが、強力短弓と毒矢鉄砲のような最新武器と戦術の違いで全く勝ち目は無かった。しかし夜になると地の利を活かしてゲリラ戦を展開し、丁度接近して来た台風で元の舟は沈んだ。

1279年〔弘安の役)14万の大群で2度目の遠征・博多湾に上陸しようとしたが防塁が築かれ上陸できず、防塁のない志賀島にだけ上陸し弘安の役の主戦場となった、しかし元軍は、江南軍と合流すべく伊万里湾に引き上げたが、ここで再び台風にあい全滅した。

文永の役で元の戦術を研究し承知した日本軍は勇敢に戦い元軍を海上に追い落とした・元軍は船内で
伝染病が発生、なれない海上の船上生活で新鮮な食料・飲料水も満足に供給できず、世界中を席巻した
草原の騎馬軍団は日本軍の勇敢なゲリラ戦と台風により壊滅したのである。

何時の世も、健康な生活環境が無ければ士気にも影響し、哀れな結果が待っているのは現代でもなんら変わる事はない。

健康な生活を築き、見直し、常に健康一番で生きていきましょう。

本日、かごしまのYM菌の会社から有機野菜の小包が届きました。明日、公開します。

呉越同舟

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九州博多湾志賀島・ついに来ました憧れの金印と安曇族の拠点。

玄界灘の海岸から150メートル・裏は猪がすむ山という立地に住む友人と、今度博多に来たら「志賀島」に連れて行けとねだっていたことが、今回叶うことになった。その友人に「志賀島の安曇族」について話した。信じるかなと彼の顔を見ると、「ウン・俺の親戚が志賀島神社の宮司をしている・名前は安曇だ!」と言われ、こちらが「んーッ・本当?」

昔・昔の話です。
中国で「呉の国」と「越の国」が争い、越が勝利し、呉は負け全滅を避けるために呉の水軍の船で大陸か
ら福岡の志賀島に逃げのびたのです。呉は交易などしながら県土従来何時の日か大陸に攻め上ろうとしていました・
だが、大陸では「越」の国は「楚」の国に破れ、全滅寸前にまで追い詰められました。志賀島の呉の人たちは之を聞き、「越」に助け舟を出します。之を「呉越同舟」といいます。

この呉の人間が「安曇族=呉」なのです。越は呉の手引きで暮らし安く稲作に向く北陸へと居を広げます
越の人々が暮らす「越後」「越中」などがそうでしょう。

安曇族は現在の長野方面にまで稲作開墾し「安曇野」などに定着します。

「文永の役(1274年)、弘安の役〔1281年)の「元冠」があり、弘安の役の折、蒙古軍が
博多湾に上陸を試みるが日本軍は20kにも及ぶ防塁を築き之を迎え撃った・いち早く到着した東路軍は
防塁の無い「志賀島」に弘安4年6月6日上陸したが日本軍の切り込みを受けた・博多の北部に東西10キロにも及ぶ細長く伸びた半島で通常「海の中道」とよばれ、志賀島に上陸して内陸に攻め込もうとしても難攻攻守の地であり、地形を知らない元軍は日本軍の餌食となった。志賀島は弘安の役の主戦場・6月13日元軍は江南軍と合流すべく伊万里湾に引き上げたが、ここで台風に会い全滅した。
元軍を壊滅させた後、日本軍は高麗人とモンゴル人、及び漢人は捕虜とせず殺害、かってより交易のあった「南宋人」は捕虜として助命、それ以降、博多の唐人町は南宋人の町であるとも言われている。」
南宋とは現在の上海周辺のこと。


志賀島の樹木の植生を知るために神社の裏山に入り込みました、植林の後などなく薬木のウラジロガシの木の大木が繁ります・興奮してドンドン深い山に分け入ります。だが、あちらこちらで「ドン」「バン」と音がします・近くにあった看板を見て驚きました。猪捕獲のため立ち入り禁止地区で鉄砲の音だったのです。あわてて山を走って降りました。

あしたに続く

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