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昼食後RERで再びパリに戻った。疲れを少しでもとるために目を閉じてみたが、疲れているわりにはそれほどぐっすりは眠れなかった。なんだかんだと旅行の緊張と興奮が無意識のうち続いているようだ。 次に向うのはエッフェル塔だ。パリに来てここを外すわけにはいかない。都合のいい事にこのRERのC線上にエッフェル塔駅がある。私たちは数十分後そこで途中下車した。昨日はあいにくモヤがひどかったのでここをパスしたが、今日はどうだろうか。 駅を出るとヴェルサイユと同じくパリ市内も最高の天気だった。駅はセーヌ河沿いにある。河を背後にに街路樹の向こうにエッフェル塔が見えた。塔の真正面までは川沿いを少し上らなければならない。私たちは興奮を抑えながら足早に歩いた。 エッフェル塔。今やパリの、いやフランスの象徴ともいえる建造物である。「300メートル高さの国旗掲揚ポールを持つのはフランスだけだ」とも言われる。そんなこの塔も建設当時は賛否両論だったようである。建設されたのは1889年、フランス革命100周年記念事業、そして第四回パリ万博のために建てられた。 この万博は日本とも関わりがある。1889年と言えば日本では明治時代。ちょうど東海道本線が開通し、大日本帝国憲法が発布された年である。当時何人かの留学生が国費でヨーロッパに送り込まれていたので、彼らの幾人かは建設されたばかりのこの塔を見たに違いない。当時としてはヨーロッパでも斬新な、日本では見たことも想像もしたこともないこの鉄の塔を見て度肝を抜かれたことであろう。 日本がこの国際的な催しに参加し始めたのは1867年の第2回パリ万博からで、佐賀藩と薩摩藩が出展した。明治維新後も政府主導で日本館が建てられ、今までの西欧文化にはない日本の工芸美にパリジエンヌたちはとりこになり、ジャポニズムと呼ばれる日本スタイルが流行した。ミュージカル「オペラ座の怪人」映画「ムーランルージュ」をはじめとする多くの当時のパリを舞台とした映画や写真、演劇に日本の扇子が小道具で出てくる。今でもフランス人に日本びいきが多いのはこの流れによるところが大きい。 この当時に開催された幾つかの万博を通して日本文化はフランス文化に大きな影響を与える。例えば昨今、多くの日本人女性をとりこにしているルイビトンの模様のデザイン。あれは元々漆塗りの大名道具(たしかはさみ箱?)にその家の金箔の家紋が秩序正しく並べてデザインされていたのを参考にしたものである。いつぞやのパリ万博で展示されていたものを当時のルイビトンの社長が感銘を受けてアレンジしたものである。 話を戻そう。塔の真正面に来た。エッフェル塔は予想以上に大きかった。ただっぴろいともいえる敷地に堂々と4本の足をすらりと伸ばして建っている。その足の向こうには広大なシャン・ド・マルス公園、陸軍士官学校の建物、ユネスコ本部、さらに遠くにはモンパルナスタワーが見える。
より近づいて真下から仰ぎ見る。やはりとてつもなくでかい。写真を撮ろうにも、困ったことにフレームに収まりきらない。そういえばここはパリでも有名な自殺の名所らしい。海外ニュースや映画で、ここによじ登るお騒がせ男をしばしば見る。なるほど、ここは中も下も観光客があふれている。まさに目立つにはうってつけの場所だ。 もちろん私たちも展望台に登るつもりだった。つもりだったのだが、エレベーター前に長蛇の列ができている。ここには東西に二つのエレベーターがあるのだがいずれもすごい行列だった。それでもとりあえず並んでみたものの、行列は全く動かない。それでもここの係員に聞けば、観光シーズンのピーク時に比べればぜんぜん空いているそうである。階段でも登れるそうだが、あの広大なヴェルサイユを歩いた後ではとてもそんな気分になれなかった。なにせ目の前に堂々とそびえたっているこれに階段で上るか、と思っただけで気を失いそうになる。 展望台に行くのをあきらめた私たちはこの塔の真下からの堂々たる威風を目に焼き付けてセーヌ河の対岸にあるシャイヨ宮に向う事にした。そこからのエッフェル塔の眺めが最高らしいのである。 |
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2006年12月27日
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