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 ノートルダムのファサード前から歩いてすぐのところに、アントワープの中心部、マルクト広場がある。ここもいかにもベルギーらしい風景だった。広い石畳の広場を囲うように風格のあるどっしりとした市庁舎、レゴで作ったような切妻段々破風のかわいらしいギルドハウスが建っている。一見、ブリュッセルのグラン・プラスに似ているが、グランプラスほどはゴチャゴチャしておらず、もう少しゆったりとした雰囲気だ。
 特に目立つのは市庁舎で、なぜか建物の正面一面に、各国の旗が立てられていた。国旗というのはたいていどの国のものでも派手な原色を使っているが、不思議と古い石造りの建物とマッチしている。比べてはいけないと思いつつも、一部を除いて、我が国の一般的な地方の市庁舎がいかに無粋でお粗末なデザインであるかを思い知らされる。歴史が違うのだから、どうしようもないのだが。

 このような広場にはたいてい銅像や噴水があるものだが、ここのそれは面白い。切断された手首を投げているポーズの像なのである。時間になると像のあちらこちらから水が噴出すのだが、趣味がいいのか悪いのか知らないが、この像が投げようとしている手首の切断部からも水がピューっと噴出す。
 実はこの像こそ、この街の「アントウェルペン」の名前の由来を物語るものなのだ。
その昔、この辺りがローマ帝国の植民地で低地ゲルマニアと呼ばれていたころ、町の横を流れるSchelde川に暴れん坊の巨人アンティゴーンが住んでおり、時折人々を苦しめていた。そこにローマの一兵士ブラボーがこの巨人を退治して、彼の手を切り落として川に投げたという伝説がある。地元のフラマン語で手がant、投げるがwerpen、でアントウェルペンという町の名前になったというわけだ。ちなみにこの兵士の名前ブラボーも訛って、ブラバントというベルギー北部地方の名前として残っている。

 このような伝説が信じられるほど、当時のローマ社会では辺境の片田舎だったこの地方だが、それでもここがかつてのローマ帝国の一部であったことを物語っている。日本人には理解しにくいが、ヨーロッパ人にとって自分の町や地方が古代ローマ帝国の支配下にあったかどうかは現代でも大変重要な問題で、こんな伝説でもこの街とベルギー人にとっては世界に誇れるすごい逸話なのである。

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