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 アンネの日記で有名なアンネ・フランクの隠れ家にやってきた。
ここもアムステルダムに来たら是非訪れたい場所のひとつだった。
私が「アンネの日記」を最初に読んだのは小学校6年生の頃だった。
当時、子供ながら太平洋戦争に興味を持ち、昼休みともなれば図書室に行って関連の本を読み漁っていたのだが、太平洋だけでなくヨーロッパでも戦争による数々の悲劇が起きていたことを知った。

 フランク家はもともとドイツで代をかさね、アンネもそこで生まれたが、ナチのユダヤ人迫害から逃れるためアムステルダムにやってきた。
しかし、当時の人々の期待を裏切るように1940年、ナチはオランダを占領する。
今も昔も民族差別が皆無ともいえるぐらいこの問題を克服していいるオランダで、ナチ主導によるユダヤ人の迫害が始まる。
オランダ人のほとんどは何パーセントかでもユダヤの血が入っているし、他の国に売れるような何の特産品もないオランダが、世界有数の経済国家でありえたのはダイヤモンドなどを扱うユダヤ人商人によるところが大きい。
そのため、当時のアムステルダム市民もユダヤ人には同情的だった。
そのような背景の下、フランク家もここで2年にわたる潜伏生活を送ることになる。

 家は西教会の近くにごく普通に建っていた。アンネは日記の中でしばしばこの教会について触れている。当然だが記述どおりだ。
家の前にはささやかながらアンネの銅像があり、多くの花が供えられていた。
家の中は完全に博物館になっているが、建物の躯体は伝統的なアムステルダムのそれである。
途中、アンネの家族の身分証明書や持ち物などが展示されていた。
結局、これら8人家族で、強制収容所から生きて出られたのは父親のオットーだけだったことを考えると一抹の悲しみを覚える。
 一番の見所は、母屋と隠れ家を隔てる本棚だ。
移動式で、カモフラージュに使われた。アンネたちはどんな気持ちでここを出入りしたのだろう。
隠れ家側の幾つかの部屋は思っていたよりは広かった。日記によれば、当時この下は印刷工場かなにかで使われており、昼間はそれら労働者にばれないように足音を消して床を歩いたという。
実際に私もやってみた。彼女たちの恐怖と隣り合わせの潜伏生活を少しでも理解できただろうか。
窓の外には石畳の通りとマロニエの木が見える。これも日記の記述通りで、アンネたちはここから親衛隊の車や、摘発されたユダヤ人たちを、明日はわが身の思いで見ていた。

 廃墟でなければ弾痕が刻まれているわけでもない。ただの家だ。
しかし、ここも当時の凄惨な歴史を語る生き証人であり、戦争の愚かさ、悲しさを訪れる人の心に深く刻み込む。
 この後、ユダヤ人街に行ってみた。
ユダヤ人の象徴であるダビデの星のモニュメントが建っている以外、なんでもないただの町並みだった。
平和なものである。
この当たり前の平和が世界中の国や民族、街に訪れてほしいと願うばかりである。

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