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 ミラノといえばこの大聖堂、ドゥオーモである。
第二次世界大戦中も、ミラノとその周辺はイタリアの工業地帯であったため爆撃を受けたが、この聖堂は戦災を免れた。
14世紀に着工し、完成に500年近くの歳月を要した、世界最大のゴシック建築である。
イタリアの教会は古代ローマ時代の流れてを組んでいるため、ローマ会堂風のロマネスク建築のものが多いが、フランスで発展したゴシック建築の最大のものがここミラノにあるのは興味深い。

 この聖堂の最大の特徴は、天に向かって突き出している無数の尖塔群であろう。
その数は135本にもおよび、先には聖人の像が据えられたりしている。
聖堂外部全体としては3600体もの像があり、この辺りは神話の神々や帝国の英雄の像で満ちていたコロッセウムなどのローマ帝国の巨大建造物の流れを汲んでいる気がする。

 中に入ると、薄暗い堂内に高い天井に向かってまっすぐに伸びている巨大な柱群に圧倒される。
その奥で、ステンドグラスから木漏れ日のような光がさしている。
ゴシック建築の聖堂に入るといつも思うのだが、これはかつて西ヨーロッパ全体を覆っていた、うっそうとした森をイメージしているに違いない。
強引に言ってしまえば、ゴシック建築は、ケルト・ゲルマン人の精神の故郷である深い森のイメージと、ローマ・キリスト教文化が融合して出来たものであろう。

 実はミラノを初めとする北イタリア(チザルピーノ地方)には、ガリア(古フランス)と同じくケルトの部族が住んでいた。
ローマがまだ地方の一国家だったころ、彼らは食べ物がなくなるとローマを略奪する困った敵国だった。
ポエニ戦争時にはハンニバルの傭兵として戦ったが、戦後ローマの属州となる。
帝国最盛期には本国扱いされたぐらいローマと同化したが、やはり元は生粋のローマ人ではなくケルト人であった。
ローマ帝国崩壊後は、神聖ローマ帝国に支配されていたので、地中海文化よりもゲルマン文化の影響を引き続き受けた。
地元料理もバターやチーズをふんだんに使う。

 ミラノは今ではイタリア最大の都市であるが、ここにガリアやゲルマンの森を意識したであろうゴシック建築の傑作が建てられたのも納得がいく話である。


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