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 再びドゥオーモ広場に戻ってきた。
残念ながらこの年、大聖堂は大改装中でファサードは足場に囲れてその全貌を見ることが出来なかった。
悔しいので、去年07年の6月にもう一度ミラノを訪れたら、上の3分の2は工事が終わっていて、それなりに見られた。(下のトラックバック参照)

 ヨーロッパの町に広場は欠かせない。
ローマ帝国、いやギリシャ時代から町は広場を中心に造られていった。
キリスト教公認後は、教会や大聖堂が横にセットとなった。
広場は憩い、情報交換、市、演説、布告、裁判、時には死刑の場となった。
このミラノの広場など、第二次世界大戦中には、独裁者ムッソリーニとその家族が絞首刑に処せられ、数日間放置された。

 今はそんな陰惨な歴史があったことなどウソのように、観光客と鳩であふれている。
で、その鳩だが、黒人のお兄さんたちがここで鳩の餌を売っている。
顔つきからしてエチオピア人だろうか。
売り方はちょっと強引で、広場を歩いている観光客に無理やり餌を掴ませる。
「腕をおもいっきり開いて、握っている手を広げてごらん」というから、その通りにすると、体中に鳩が群がって飛んできた。
で、「一袋50セントだよ、買わない?」という具合だが、私はおもしろかったのだが、それを見ていた妻が怒りだした。
ぼったくりだったり、鳩に夢中になっている間に何かスラれたらどうするの!ということらしい。
「財布とカメラは注意してるし、50セントなら安いもんじゃないか」と説明しても、彼女の怒りは収まらず、プイと人ごみの中に消えてしまった。

 彼女が消えた方向は、広場の横にあるガレリア・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世。
いったい何の名前だ?と思うが、プラダの本店などがある高級商店街だ。
天井はガラス張り、建物は大理石、床はフレスコ画、と高級感であふれている。
日本の商店街とは比べ物にならない豪華さだ。
ウインドショッピングでもすれば帰ってくるだろうと、大聖堂の横で有名な尖塔群を見ながらぼんやりしていた。
案の定、1時間後、ご機嫌な顔つきでその辺りから出てきた。

 思えば、見知らぬ外国の町なぞ、怖くて一人で絶対に歩けない人だったのに、この数週間のヨーロッパ放浪で、えらくたくましくなったようだ。
うれしいようで、「もう、置いてくぞ!」の切り札の一言が通用しなくなり、悲しくもある。  
 

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 ドゥオーモを出てその周りを散策してみた。
ミラノといえばミラノモードと呼ばれるぐらいファッションの街だが、夫婦ともどもブランド品には関心がない上に、あのブランド街界隈はスリが日本人を狙っていそうなので行かなかった。

 石畳の車道にはトラムの線路が敷かれ、新旧の車両たちがひっきりなしに走っていた。
さすが、イタリアの経済都市だけあって銀行も多い。
道往く人も観光客より、スーツに身を固めたビジネスマンが多かった。
ついでなので、銀行で余ったスイスフランをユーロに両替した。
行員たちは愛想がよく、適当なおしゃべりをしながら接客していた。
日本の銀行のまじめな雰囲気とはかなり違う。

 写真屋さんを見つけたのでここぞとばかりに、撮り溜めた写真のデータをCDに焼いてもらおうと思ったが、まだ開いてなかった。
営業時間は9:00から、とある。今すでに9:30.
今朝も8:30ごろにホテルの近くのコインランドリーにたまっていた洗濯物を持って行ったが、閉まっていた。
そこも「8:00〜」と書いてあったのだが。これがイタリア時間…、と納得する。

 この時の旅ではモバイルコンピュータは持っておらず、カメラ用のメモリーカードも512MBを一枚しか持っていなかった。
当時は512MBでも1枚7000円ぐらいしたので、贅沢も出来なかった。
それでもフィルムカメラよりは断然枚数も撮れたものだが、パリを出てからこっち、なぜかカメラ屋さんやデータを移してくれる店を見つけられなかった。
実は、スイスからイタリアに下るベルニナ急行辺りでは、メモリが尽きてしまわないかハラハラドキドキしながら節約して写真を撮っていた。
せめて景色だけは撮っておきたかったから、レストランに入っても一皿一皿料理を撮るような余裕はなかったのだ。

 しょうがないから1時間ほど辺りを観光して帰ってきたら、ようやく店のシャッターを開け始めた。
なにはともあれ、これでまた写真を撮り続けることが出来るので、メモリを預けて再びドゥオーモ広場に戻ってみた。



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 ミラノといえばこの大聖堂、ドゥオーモである。
第二次世界大戦中も、ミラノとその周辺はイタリアの工業地帯であったため爆撃を受けたが、この聖堂は戦災を免れた。
14世紀に着工し、完成に500年近くの歳月を要した、世界最大のゴシック建築である。
イタリアの教会は古代ローマ時代の流れてを組んでいるため、ローマ会堂風のロマネスク建築のものが多いが、フランスで発展したゴシック建築の最大のものがここミラノにあるのは興味深い。

 この聖堂の最大の特徴は、天に向かって突き出している無数の尖塔群であろう。
その数は135本にもおよび、先には聖人の像が据えられたりしている。
聖堂外部全体としては3600体もの像があり、この辺りは神話の神々や帝国の英雄の像で満ちていたコロッセウムなどのローマ帝国の巨大建造物の流れを汲んでいる気がする。

 中に入ると、薄暗い堂内に高い天井に向かってまっすぐに伸びている巨大な柱群に圧倒される。
その奥で、ステンドグラスから木漏れ日のような光がさしている。
ゴシック建築の聖堂に入るといつも思うのだが、これはかつて西ヨーロッパ全体を覆っていた、うっそうとした森をイメージしているに違いない。
強引に言ってしまえば、ゴシック建築は、ケルト・ゲルマン人の精神の故郷である深い森のイメージと、ローマ・キリスト教文化が融合して出来たものであろう。

 実はミラノを初めとする北イタリア(チザルピーノ地方)には、ガリア(古フランス)と同じくケルトの部族が住んでいた。
ローマがまだ地方の一国家だったころ、彼らは食べ物がなくなるとローマを略奪する困った敵国だった。
ポエニ戦争時にはハンニバルの傭兵として戦ったが、戦後ローマの属州となる。
帝国最盛期には本国扱いされたぐらいローマと同化したが、やはり元は生粋のローマ人ではなくケルト人であった。
ローマ帝国崩壊後は、神聖ローマ帝国に支配されていたので、地中海文化よりもゲルマン文化の影響を引き続き受けた。
地元料理もバターやチーズをふんだんに使う。

 ミラノは今ではイタリア最大の都市であるが、ここにガリアやゲルマンの森を意識したであろうゴシック建築の傑作が建てられたのも納得がいく話である。


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 湖水地方の町Leccoから、再び普通電車に乗ってミラノに向かう。
ちょうど学校が終ったのか、車内は地元の中学生でいっぱいだった。
うだるような暑さなのに、クーラーは付いていない。全ての窓を全開にして湖畔を走る。
中学生時代の夏休み、国鉄のクーラーなしの鈍行であちこち旅したことを思い出した。

 びっくりしたのが、その中学生の何人かが、車内でタバコを吸い始めたことである。
実はイタリアでは、最近未成年のタバコは禁止されたものの、少し前までは親が許せば小学生でも吸えたそうなのだ。
確かに、昔のイタリア映画で、時々子供が友達とたばこをふかしている場面を見たような気がする。
そのような背景があるため、未だに周りが迷惑でなければ別段注意されることも少ないらしい。

 停車駅に停まる度に子供たちの数は減っていき、午後5時過ぎ、列車はミラノ・セントラルステーションのガラスと鉄のアーチの中に滑り込んだ。
イタリアの首都はローマだが、ミラノは空路でも鉄道でも国の玄関的役割を果たしているイタリア最大の都市である。
この駅も独裁者ムッソリーニが、国の威信をかけて建設したらしく、たしかにホームの上部を覆うアールデコ調の屋根はイタリアのセンスにあふれて実に美しい。
ヨーロッパには美しい駅が多いが、ここはその5本の指に入るに違いない。
駅舎も大理石をふんだんに使ったネオクラシック調であり、ゴージャスという言葉がピッタリだ。
吹き抜けの高い高い天井、カメラのフレームに収まりきらない広さ、まるでどこかの王宮にでも迷い込んだようで、その下にある切符売り場などが、なにか場違いに見えるほどである。

 外に出て駅の外観も眺めてみたが、やはり巨大で豪奢であった。
前景を捉えるのにかなり駅から離れなければならなかった。
さて今宵のホテルであるが、メトロに乗ってホテル街に行こうかと思ったが、駅からちょっと歩いたところにいい安宿が見つかった。
中央駅から歩いて5分。メトロの駅のすぐ横。大通りの前。部屋も適度に綺麗。そして安い。
迷わずチエックインして、部屋に入って重いバックパックを下ろし、窓を開けると、理解できた。
すごい騒音だった。



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 店には普段着のおばちゃんたちと、シェフと思われるランニングシャツ姿のおじさんが休んでいた。
まだ食べられるか聞いてみたら、「入れ入れ」の手招き
イタリア語は分からないが、どうも昼の営業は終ったが、いっぱい余ってるから大丈夫、と言っているらしかった。

 初のイタリアで食べるイタリア料理なので、ここはしっかりコースを組み立てて、アンティパスト、プリモピアット、セコンドピアット、ドルチェと決め込もうと思ったが、カウンターに色とりどりのアンティパストの大皿と、リゾット類、肉料理が並べられていて、「もうシェフは休みにはいっちゃったから、ここから好きなの取りなさい」と言ってる。
ならばと、お米のサラダを大盛りと、イカとセロリのマリネと、その他少々を前菜にとる。
プリモピアットは残念ながらパスタ系はなく、チーズリゾットを。
イタリア北部はチーズとお米料理が有名なので、これはこれでよし。
セコンドにウサギのカチャトラを皿に盛る。
おばちゃんたちは「若いんだからもっととれ」と言っているようだった。

 しかし驚いた。どの皿も衝撃的なうまさだった。
どれもランチに余った料理を取ってあったもので、アツアツではないのだが、実にうまい。
ウサギ肉もフランス、イタリアではごく普通の食材。
食感は鶏肉に似ているが、もっと脂がすくなく、でも肉にコクがある。
カチャトラは冷めてもおいしい料理なので、これも大成功だった。
イタリア料理は日本で何度も食べてるはずなのに、どれもまさに本場のイタリアの味で、目からウロコが落ちた思いだった。

 お腹いっぱいになったところへ、おばちゃんの一人がドルチェ満載のワゴンを持ってきてくれて、やはり好きなのをとりなさい、とのこと。
このテラミスも衝撃的なうまさだった。
田舎町の片隅のレストランでこのハイレベルの味。
そして気さくなお母さんたち。
初のイタリア入りは、本場のイタリア料理の衝撃で始まった。



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