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書庫イタリア・ナポリ、シチリア

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 イタリア南部、ナポリ近郊にある火山灰に埋もれた町ポンペイシリーズ続きで〜す。

ここは町の南側にあるトライアングル・フォーラムです。

ローマの町にはフォーラムと呼ばれる広場が必ずあります。

そこで人々は市をたてたり、情報交換したり、裁判したり、罪人を処刑したり、公布したり、演説したり。

これは後のヨーロッパの町の広場へと受け継がれていきます。

ドーリア式の柱が立ってますが、これはギリシャ神殿の跡です。
    

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6c/8b/akaisuiseinonya/folder/1035632/img_1035632_40773928_1?1244295360
 
 そのすぐ隣は、大劇場跡です。

ローマ文化に欠かせない演劇がここで上演されていました。

日本の代表的演劇である歌舞伎が成立したのが江戸時代初期、1600年代ですから、その1800年前にはここで喜劇や悲劇が演じられていたわけです。

 最近設置されたであろう骨組みは、ここで今でもオペラや演劇、コンサートが行われているからです。

スペインや南仏、イタリア、ルーマニア、ギリシャ、トルコなど古代劇場遺跡が残っているところは、たいてい今でも活用されています。

ロマンチックであると共に、音響視覚効果が今でも通用するからです。


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 南イタリアのナポリ近郊にある、1世紀に火砕流に飲み込まれたポンペイ遺跡編パート4。

南イタリアの太陽は暑い!

空気は乾いていますが、強い日差しがじりじり来ます。

でも家の中に入るとひんやり気持ちいい。湿気がないからでしょうね。

そりゃこの気候でワイン飲んだらおいしいでしょうよ。


その家の中に展示してあった人の形をしたモノ。

これは1世紀のポンペイの住人です。

当時、町には想像を絶する火山灰と軽石が降ってきて、逃げ遅れた人たちを埋めてしまいました。

そこへ超高温の火砕流が襲います。

灰の中で肉体は燃え尽き、人型の空洞ができます。

近年、町が発掘された際にこの空洞に石膏を流し込んでできたのがこのオブジェです。

火山噴火の恐ろしさを現代に語りかけているようです。

この他にも何体かあったのですが、古代ローマ人は現代人に比べてかなり小柄です。

人類全体の体が大きくなったのは、食糧事情や医療が進んだここ2〜300年の間ですから、当然かもしれま

せんが。

実物を見て、正直ちょっと不気味でした。


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 南イタリアのナポリ近郊にあるポンペイ遺跡編パート4です。

ここは何かの公共施設だったか、個人の家だったか忘れましたが、古代ローマの家は敷地の真ん中にこう

いう庭があって、庭を囲うように家が建てられそれぞれの部屋へはこの回廊を歩いて行きます。

この建築スタイルは,後世のヨーロッパでも同じですね。

パリのアパルトマンとか、市庁舎とか、外からは立派な建物が見えるだけですが、中に入るとこういう中

庭がよくあります。

緑がなくて噴水だけだったりしますが。


 こちらはタイルを重ねた柱がいくつかありますが、浴室跡です。

この上に床を貼って、その空間に熱い蒸気を流してサウナにしていたんですね。

古代ローマ人の風呂好きは有名で、公共浴場はどこの町にも必ずありました。

彼らの後継者を名乗るヨーロッパ人が風呂嫌いなのは皮肉な話です。

たいていは運動場、体育館、図書館などが併設されており、風呂も水風呂、大浴場、サウナなど、今のス

ーパー銭湯とアミューズメントパークを足したような大規模なものでした。

当時は仕事を夜明けから昼の12時か1時頃までして、こういうところで夕方5時ぐらいまで遊んで帰宅した

ようです。

入湯料は今のお金で確か25円か50円ぐらいだったと思います。

これも帝国の「パンとサーカス」政策の一環で、国もしくは政治家たちから平民へのサービスだったので

こんな価格で運営できたようです。

日本人も同じ風呂好きですが、贅沢な時間の使い方では明らかに古代ローマ人に負けてますね。


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 南イタリアはナポリ近郊にあるポンペイ遺跡編パート3です。

ポンぺイは西暦79年にヴェスヴィオ火山の大噴火により、火山灰と火砕流に飲み込まれた町です。

その後18世紀に発掘が始まるまで土の中に埋もれていたため、中世のローマ遺跡の破壊をまぬがれること

ができ(大理石なんで建築資材に使ったり、像を自分のコレクションにしたり、熱心なキリスト教徒が迫

害されてた時の恨みで皇帝像の鼻を折ったり…などなど)、当時の町の原型をほとんどそのままにとどめ

ています。
    

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6c/8b/akaisuiseinonya/folder/1035632/img_1035632_40483027_1?1242739616

 で、ここは掘り出された町の大通りなんですが、現代の道路と似ていませんか?

真ん中に石畳の道路。ここは馬車、荷車専用道路です。

そして両脇に歩道がちゃんとあって、立っているのがなんと横断歩道です。

なんで飛び石になっているかというと、馬車の車輪が通れるようにです。

道の横には泉というか、水飲み場があります。

水の確保には努力と投資を惜しまなかったローマ人。

井戸水を掘るなんてことをせず、遠くの山から水道橋や水路を町まで引いて、町中に水が出るようにしま

した。

人は水道の出口から水を飲み、馬は下の水溜から水を飲んだことでしょう。

馬が現代の車の役割を担っていたこの時代、なんて合理的な道路なんでしょうか。

古代ローマ文明恐るべしです。



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 南イタリアはナポリ近郊にあるポンペイ遺跡編パート2です。

ポンぺイは西暦1世紀に、火山灰に埋もれてそのまま現代まで時間が止まっていたため、古代ローマの町

並みを体験できるという、なんとも奇跡的な遺跡です。
    

https://blogs.yahoo.co.jp/IMG/ybi/1/6c/8b/akaisuiseinonya/folder/1035632/img_1035632_40379409_1?1242217092

 ここはかつての居酒屋の跡です。

ポンペイの町中にこういう居酒屋が100軒以上もあったそうです。

これはもちろんカウンター。

穴が開いているのは、ここにワインや料理が入っていた壺を入れていたのです。

木の樽が発明されるのは中世ですから、この1世紀当時は土器の壺にワインを入れて保存していました。

しかもたくさん量が入るように長細く、脚がないのでこういう穴に入れて固定しました。

今と違ってコルク栓もないですから、皮で口を覆って保存しました。

だから酸化も今のワインより早いし、アルコール度数も高かったようです。

なので当時はワインを水でハーフで割って飲むのが普通でした。

2代目皇帝ティベリウスは当時のワインをストレートで飲んでいたため、酒豪のレッテルを貼られていました。

いいなぁ、ここでオリーブとワインで一杯やってみたいです。

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