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西暦3世紀のローマ帝国は混乱期に入ります。 70年あまりの間に22人もの皇帝が生まれては消えてゆく。 この巻ではカラカラ浴場で知られるカラカラ帝、マクリアヌス、ヘラガバルス、アレクサンデルの4人が扱われます。 一見、博愛精神をとったような、その時は受けの良い政策も、長期的に見て国を弱体させた法律の典型です。 市民と非市民の差別をなくしたのは人道的とも思えますが、結果帝国内の住民は向上心をなくしてしまいます。 奴隷でも努力と運があればローマ市民になれるかも知れない、という目標が消えたわけですからみな適当に義務を果たして暮らすようになります。 日本の戦後から高度成長期に育った若者と、働かなくてもなんとなく生きていけそうな現代で育った若者と似ているかもしれません。 また仮想敵国であったパルティア帝国を衰退させ、より強力な敵ササン朝ペルシャを勃興させるきっかけを与えてしまいます。 国際政治の力学、パワーオブバランスというのは難しいものです。 戦争は勝っても、その結果がどんな因果を生み出すかを計算しなくてはなりません。 またこの時代より、皇帝は軍団兵士たちに気に入られないと容易に暗殺されるようになります。 軍人皇帝の時代の始まりです。 軍は国にとってもろ刃の剣。 取り扱いを誤ると自らが傷つき、時には致命傷となります。 これを抑える、軍事的にも政治的にも優れた才能を持つ支配者が現れなったことも帝国をさらに衰退させる原因となります。 |
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塩野七生『ローマ人の物語 31 終わりのはじまり [下] 』読み終えました。 賢帝マルクス、愚帝コモドゥス親子の後を継いだのは北アフリカ出身のセヴェルスでした。 コモドゥス暗殺後、帝国は再び内乱期に入ります。 この内乱を避けるためにマルクスはあえて息子コモドゥスに帝位を与えたのですが、やはり限界がきました。 もっともこのカラカラ浴場もセヴェルスが建設を開始し、死後に息子のカラカラに受け継がれて完成したので名前は息子のものとなってしまったようです。 あと、フォロ・ロマーノ内に知らない凱旋門が美術館側にあったのですが、それこそが彼がパルティアに勝利した記念の門でした。 だんだんつながりが見えてきた。 かれはたたき上げの軍人、ライン川防衛の将軍の一人だったので軍には理解があり、というより先帝が親衛隊とのごたごたで殺されたのもあると思うのですが、ローマ軍兵士懐柔のため彼らの給料を上げ、兵役中の結婚を認めるなどの優遇政策をとります。 しかし、これも今後のローマ帝国衰退の原因の一つとなってしまったようで、なんとも政治というものは難しいものです。 栄華を極めたローマ帝国はいよいよ滅亡への下り坂を転がり始めます。 |
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『翔ぶが如く』第9巻目、読み終わりました。 いよいよ西南戦争で有名な田原坂の戦いです。 司馬作品では物語の最後の最後でタイトルの意味が出てくる場合が多いですが、この『翔ぶが如く』もここで出てきました。 田原坂では双方坂道沿いに塁を築いて、薩摩兵はまさに翔ぶが如く穴から飛びだしては敵の類に飛び込んでいくその様でした。 それともう一つ、これだけ勇猛果敢な薩摩武士の別の特徴として、負けるとわかればそれこそ翔ぶが如く逃げてしまう、その特異な性質を表したものでした。 もともと軍略もなにもない西郷軍は田原坂であれほどの激闘死闘を繰り返したにもかかわらず、負けたと思いきや潮が引くように逃げてしまいます。 そう、この作品は西郷隆盛とはではなく薩摩武士とは、でしたね。 別の点で興味深かったのは、当時の日本人は捕虜となると手のひらを返したように敵方に味方してしまうということ。 西南戦争でも後の日清、日露戦争でもそうで、例えばロシア軍に捕まった日本兵は非常に協力的で日本軍の作戦、組織を簡単に教えることのみならず、道案内までしたそうです。 むしろそれが日本の戦国時代以来の特徴で、これに頭を抱えた軍部は東条英機にして太平洋戦争で「生きて虜囚の辱めを受けず…」が打ち出され、日本軍は敵の捕虜になることが禁止され玉砕、自殺、自決、特攻、といった悲劇が生み出されたようです。 もともと戦国武士は職業軍人なので、死ぬために戦っていたのではなく自分の立身出世のために戦っていたので、生き残ってこそなんぼ、そこは極めて現実的だったようです。 だから必死に戦うけど、負けるとわかればすぐ逃げるし、強い方に簡単に寝返る。 元々の武士道と、昭和軍人の精神または現代日本人の考え方、同じようでかなり違います。 それにしても薩摩武士というのは興味深い・・・。 |
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最近仕事が忙しくて本を読むスピードがおちてました。 久しぶりに塩野七生の「ローマ人の物語」続き「終わりの始まり[中]」読書再開しました。 この中巻では五賢帝最後のマルクス・アウレリウスの半生が扱われます。 彼は頭もよく誠実で、まさに賢帝なのですが物語の主人公としては面白みに欠けます。 そうですね、物語としては堅物で真面目な人物より、破天荒で天才的な人物のほうが面白みがあります。 同じローマの最高指導者でも、天才的な機智とユーモアに富んだユリウス・カエサルとは全くタイプが異なります。 当時のギリシャ哲学の2大流派ストア派とエピクロス派、前者は「ストイック」の語源になった通り物事を何でも悲観的にとらえ質素堅実な生き方を奨励したもの、後者は人生短いのだから楽しんでいこうという楽観、享楽主義的な生き方です。 彼はストア派の熱心な学徒でしたから人生も政治もそのままにそれがあらわれているのです。 私も上司か友人に選ぶならユリウス・カエサルがいいです。 そのかわり振り回されそうですが。 やはり自分の能力を生かしたいのならマルクスの下の方がいいかな? そして歴史のいたずらとでもいいましょうか、この偉大な父から次の皇帝に指名された息子コモドゥスは なんの政策も残すことなく愚帝として知られるようになります。 映画「グラディエーター」の若き皇帝です。 政治そっちのけで剣闘士試合観戦にのめりこみ、最後には自らも剣闘士の格好をして試合をする始末。 賢帝でも病弱だった父マルクスの息子であることを恥、神話のヘラクレスの落としだねであるとふれまわります。 マルクスがなぜ、この愚かなコモドゥスを次の皇帝に指名したのか、彼の生涯の最も謎な部分にも、単なる親馬鹿でそうしたわけではない当時の事情を塩野流の考え方で示されています。 賢帝といえどもその時代の情勢には逆らえないということでしょうか。 |



