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フランスはパリにやってきまいりました。 まずすべきことは宿探し! 今回は学生の街、カルチェラタン地区で探すことにしました。 若者の街らしく、気さくに入れそうなカフェやお店が多く、賑やかです。 何軒か見て、今回はココ!町角のホテルにしました。 隣が日本のグロッサリーストアだったのは偶然でした。 受付は2階にあって、部屋は4階でした。 なかなかリーズナブルなお値段で、さすが学生の街ってとこでしょうか。 おなじみ、パリの建物らしい螺旋階段を登っていきます。 これがけっこうきつい! ホテルの部屋から見た夜のカルチェラタン。 部屋代が安い訳がわかりました。 若者の街、つまり真夜中まで外はどんちゃん騒ぎです。 うるさい、うるさい。明け方の3時頃まで酒に酔った若者どもが大声をあげてました。 ちょっと静かになったと思ったら、パリって朝の5時か6時ごろから、ご存知の方も多いと思いますが、清掃車というかスイーパーが爆音を立てながら町を周るでしょ。 ほぼ一晩中、騒音ですごいホテルというか町でした。 もっともこっちは旅の疲れでそれなりには眠れましたが。 今度からカルチェラタンの宿は考えものだな・・・。 |
パリ 5-9区
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コメント(4)
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フランス、パリ、メトロ4号線に乗ってシテ島の近くサン・ミッシェル広場にやってきました。 パリ北駅周辺は静かで宿もたくさんありますが先回泊まったので、今回は賑やかな若者の街などどうだろう?と言うことでカルチェラタンにやってまいりました。 パリの中心地、しかもソルボンヌ大学のおひざ元だけに若者と観光客であふれてます。 すぐに宿探し、と行きたいところですが、まだ朝の9時。 ヨーロッパの安宿はあまり早く行き過ぎても掃除中とかで迷惑がられるので、メールチェックも兼ねてマクドナルドで時間をつぶすことにします。 せっかくパリにいるんだからカフェにでも行きたいところでしたが、ネットがつながるかが問題なので。 マックフルーリを食べながら2日ぶりにメールチェックやらブログチェクやら…。 マックフルーリ日本にない味でした。M&M’s味だったかな? |
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2009年もあっという間に過ぎ行きました。 思えばこのブログも3年がたちました。 このヨーロッパ編パリからスタートしたんですよね。 エッフェル塔。いい天気でした。 次に移動した国はベルギー。 これはブリュッセルの駅から撮った大聖堂です。 ベルギーはやっぱりビールがおいしかった! そしてオランダ、アムステルダム。 アムステルダムは町中に張り巡らされた運河に風車に跳ね橋がとても美しかったです。 その中にポルノショップ、売春宿、ドラッグカフェか乱立するというなんとも興味深い町でしたw。 そして寝台車でスイスへ! ここはユングフラウヨッホへ向かう途中のグリンデルワルド。 スイスはどこまで行ってもアルプスの山々がどうしようもなく美しかったです。 そんなこんなでイタリアに入り、今のローマに到達しました。 まだまだ続く上に、ヨーロッパ・イギリス中欧編、アメリカ編、国内編も多数ご紹介することになりました。 これからもよろしくお願いします。 |
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久しぶりのパリのupです。 『のだめinヨーロッパ』見てたらこの橋が一瞬映った(?)ので。 セーヌ川にはポン・ヌフやコンコルド橋等、有名で綺麗な橋はいくつかありますが、このアレクサンドロス3世橋はその装飾において一番美しいと言われています。 この橋はその名前から連想されるように、ロシア皇帝アレクサンドロス3世がフランスと友好条約を結んだ記念に、最後のロシア皇帝ニコライ2世が1900年のパリ万博に合わせて建設したものです。 フランスとロシアの結びつきは日本人が考えるより濃く、当時遅れていたロシアにとってフランスは憧れの的でしたし、ロシア革命前夜には多くの亡命ロシア人がパリで革命の準備を地下で進めていました。 さてこの橋は美しい。 橋詰の塔や彫刻像など、見事な装飾で見る者を圧倒します。 日本では絶対につくれない、いや、金にモノを言わせて仮に造ったとしても周りの景色と調和せず浮いてしまうでしょう。 なぜなら、この橋は、セーヌ川を含めナポレオンが眠るアンヴァリッドまでの広大な緑地、広場までを含めて、一つのフランス式庭園構想に組み込まれているからです。 フランス式庭園とはベルサイユに代表されるように、均整の取れたデザインでとてつもなく広大なのが特徴です。 この周りの風景との調和ゆえこのきらびやかな橋の美しさが引き立つのです。 |
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昼食後RERで再びパリに戻った。疲れを少しでもとるために目を閉じてみたが、疲れているわりにはそれほどぐっすりは眠れなかった。なんだかんだと旅行の緊張と興奮が無意識のうち続いているようだ。 次に向うのはエッフェル塔だ。パリに来てここを外すわけにはいかない。都合のいい事にこのRERのC線上にエッフェル塔駅がある。私たちは数十分後そこで途中下車した。昨日はあいにくモヤがひどかったのでここをパスしたが、今日はどうだろうか。 駅を出るとヴェルサイユと同じくパリ市内も最高の天気だった。駅はセーヌ河沿いにある。河を背後にに街路樹の向こうにエッフェル塔が見えた。塔の真正面までは川沿いを少し上らなければならない。私たちは興奮を抑えながら足早に歩いた。 エッフェル塔。今やパリの、いやフランスの象徴ともいえる建造物である。「300メートル高さの国旗掲揚ポールを持つのはフランスだけだ」とも言われる。そんなこの塔も建設当時は賛否両論だったようである。建設されたのは1889年、フランス革命100周年記念事業、そして第四回パリ万博のために建てられた。 この万博は日本とも関わりがある。1889年と言えば日本では明治時代。ちょうど東海道本線が開通し、大日本帝国憲法が発布された年である。当時何人かの留学生が国費でヨーロッパに送り込まれていたので、彼らの幾人かは建設されたばかりのこの塔を見たに違いない。当時としてはヨーロッパでも斬新な、日本では見たことも想像もしたこともないこの鉄の塔を見て度肝を抜かれたことであろう。 日本がこの国際的な催しに参加し始めたのは1867年の第2回パリ万博からで、佐賀藩と薩摩藩が出展した。明治維新後も政府主導で日本館が建てられ、今までの西欧文化にはない日本の工芸美にパリジエンヌたちはとりこになり、ジャポニズムと呼ばれる日本スタイルが流行した。ミュージカル「オペラ座の怪人」映画「ムーランルージュ」をはじめとする多くの当時のパリを舞台とした映画や写真、演劇に日本の扇子が小道具で出てくる。今でもフランス人に日本びいきが多いのはこの流れによるところが大きい。 この当時に開催された幾つかの万博を通して日本文化はフランス文化に大きな影響を与える。例えば昨今、多くの日本人女性をとりこにしているルイビトンの模様のデザイン。あれは元々漆塗りの大名道具(たしかはさみ箱?)にその家の金箔の家紋が秩序正しく並べてデザインされていたのを参考にしたものである。いつぞやのパリ万博で展示されていたものを当時のルイビトンの社長が感銘を受けてアレンジしたものである。 話を戻そう。塔の真正面に来た。エッフェル塔は予想以上に大きかった。ただっぴろいともいえる敷地に堂々と4本の足をすらりと伸ばして建っている。その足の向こうには広大なシャン・ド・マルス公園、陸軍士官学校の建物、ユネスコ本部、さらに遠くにはモンパルナスタワーが見える。
より近づいて真下から仰ぎ見る。やはりとてつもなくでかい。写真を撮ろうにも、困ったことにフレームに収まりきらない。そういえばここはパリでも有名な自殺の名所らしい。海外ニュースや映画で、ここによじ登るお騒がせ男をしばしば見る。なるほど、ここは中も下も観光客があふれている。まさに目立つにはうってつけの場所だ。 もちろん私たちも展望台に登るつもりだった。つもりだったのだが、エレベーター前に長蛇の列ができている。ここには東西に二つのエレベーターがあるのだがいずれもすごい行列だった。それでもとりあえず並んでみたものの、行列は全く動かない。それでもここの係員に聞けば、観光シーズンのピーク時に比べればぜんぜん空いているそうである。階段でも登れるそうだが、あの広大なヴェルサイユを歩いた後ではとてもそんな気分になれなかった。なにせ目の前に堂々とそびえたっているこれに階段で上るか、と思っただけで気を失いそうになる。 展望台に行くのをあきらめた私たちはこの塔の真下からの堂々たる威風を目に焼き付けてセーヌ河の対岸にあるシャイヨ宮に向う事にした。そこからのエッフェル塔の眺めが最高らしいのである。 |



