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マドレーヌ寺院、なんと甘くて美味しそうな教会名であろう。初めてこの寺院の名をガイドブックで見たときはそう思った。普通日本人ならマドレーヌと聞くとフランスのあの焼き菓子を連想するだろう。 コンコルド広場の北側に大通りを挟んで2つのかつての宮殿がある。現在この建物は改装され右側はフランス海軍省、左側は世界のVIP御用達の高級ホテル・クリヨンとして利用されている。その間にひょっこりとギリシャ神殿を思わせる建造物が顔を覗かせている。それこそがマドレーヌ寺院である。 マドレーヌとはマリア・マグダレネのフランス語読みである。この女性は聖書に出てくるイエスキリストの弟子のひとりであった人物である。もちろんイエスの母親マリアとは別人物である。 欧米ではなぜか昔からこのマリア・マグダレネを、ルカの7章の記述に出てくるイエスの足を自分の涙と髪で洗った罪深い女と同一人物と考えたり、最近では彼女とイエスとの間に愛人関係があった、もしくは結婚していたのでは、などの憶測や風説が立てられたりしている。いずれも聖書の中にはそのような記述は一切無い。 もしイエスキリストが結婚していたらその後のキリスト教の教義や歴史は大きく変わっていたであろう。またもし愛人関係があったのなら、当時のユダヤ人社会ではそれは死罪に値するたいへんな不品行であり、イエスのユダヤ宗教界を敵に回した大胆な宣教活動の大きな障害になったことであろう。時代考証や民族考証を怠り自国文化や現代人の感覚で歴史を見てしまうのはよくあることである。まあ小説や映画の話題作りとしては衝撃的で面白い話かも知れないが。 同一視されていた女性であるが聖書は「罪人」または「罪深い女」とだけ記している。が、後代の人々はこれを単に売春と解釈し、さらに彼女をマリア・マグダレネだと信じてしまった。そのためマグダレネのマリアは悔い改めた売春婦の守護聖人にされてしまった。 その聖人マリア・マグダレネに捧げられたのがこの教会である。 この建物はフランス革命以前に教会として建造がはじまったが、革命により工事は中断。後にナポレオンが使用目的を変更して工事を再開させたが、完成した時には彼はすでに失脚して皇帝の座にいなかったため再びカトリック教会として使用される事となった。 教会としてはロマネスクでもゴシックでもない、約50本のコリント式の柱で囲まれたエトワールの凱旋門と同じネオ・クラシック式の建造物である。 それまでのブルボン朝のフランスをはじめとするヨーロッパでは華やかで豪奢なバロック調やロココ調のスタイルが流行であったが、流行は必ず変動する。贅沢でゴテゴテした装飾に飽きた人々は古のシンプルで実質本位のギリシャ・ローマ風のスタイルを懐かしむようになった。その時の建物である。 実はこの界隈、グッチやエルメスなどの一流ショップが軒を並べるブランド街である。妻はブランド商品には関心はないが、女性としてやはりこの界隈全体は気になるようである。それでここでまた1時間ほど別行動をとる事にした。 私は一人でマドレーヌ寺院を一周してみる事にした。現在、完全な形でのギリシャの神殿は世界にほとんど残っていない。あっても全て遺跡である。この寺院は柱の内側に壁はあるものの、かつてのギリシャ神殿の完全体とはこのようなものであったのだろうかと想像しながら周りを歩いた。歩いてみると想像以上にこの教会は大きかった。玄関の扉が補修中で中には少し入りづらかったので、教会の入口の階段で妻が来るまでしばらくこの特異な建物をぼんやり眺めていた。
妻と再び合流して次はモンマルトルの丘の上にあるサクレ・クール寺院に向う事にした。マドレーヌ駅からメトロ12号線でLamarck Caulaincourt駅まで行った。
この駅、相当地下の奥底にあるらしくエスカレーターとエレベーターを駆使してようやく地上に出た。さらにそこから教会までは長い階段と坂道の連続であった。丘といってもパリの中心の一部である、緑も多いが建物が丘の斜面にびっしりと建っている。そのため今まで見てきた優雅でゆったりとしたパリの街並みとはずいぶん違う。こじんまりとした、しかしどこかあかぬけていて、おしゃれで、親しみやすい街並みだった。さらに坂道で町に高低差があるのもその美しさを引き立てている要因であろう。この辺りの道は少しごちゃごちゃしてややっこしい。地図を見てもよくわからないのでカンだけで山頂を目指した。坂や階段を登るごとに土産物屋やカフェが増えて観光地っぽく街がにぎやかになってゆく。私達は見物を終えて帰途につく観光客たちと逆方向を目指して歩いてゆく。 そしてとうとうたどり着いた。白亜のまるでイスラムかビザンチンを思わせる美しい巨大建造物がそこにはあった。サクレ・クール寺院である。 **** コメントおまちしてま〜す! (・∀・)ノシ ****
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パリ 5-9区
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オルセー美術館を後にした私たちはセーヌ河沿いからロワイヤル橋を歩いて渡った。対岸側は広大な緑の公園だった。チュイルリー公園である。 ここからシャンゼリゼ周辺は元々16〜17世紀あたりに貴族の宮殿や庭園として開発されたのがその始まりである。なんでもここの庭園を設計したのはあのベルサイユ宮殿を手がけたル・ノートルその人であるらしい。ベルサイユへは明日行くことになるのだが、共通しているのはやはり美しい幾何学模様と、とにかく広い、ということだろうか。 先ほどオルセーのカフェで20分ほど仮眠を取って少し元気を取り戻したつもりだったが、この公園に入ってまた疲れが出てきた。はるか向こうに池が、そしてさらにその向こうにコンコルド広場に立っているオベリスクがかすんで見える。 実はこの反対側はもうルーブル美術館なのだが、さすがに美術館のはしごはきつい。しかもルーブルはオルセーよりさらに巨大である。また、調べてみると、明日の木曜日は夜遅くまで開館しているらしいのでルーブルは明日の午後に訪れることにした。 というわけでコンコルド広場に向って歩いている。さすがに元宮殿の庭だけあって途中には様々な彫像が置かれていた。砂利道をひたすら歩き巨大な池を迂回し再び車の往来の激しい広場に出た。コンコルド広場である。 コンコルドとはフランス語で『和合』を意味する。しかしその平和的な名前とは裏腹にここには血塗られた歴史がある。そう、フランス革命時、ここにはギロチンが置かれ、マリー・アントワネットやルイ16世をはじめとする政治犯1343人が首を刎ねられた場所なのである。 もっとも、今ではここはそのような血なまぐさい過去があったとは想像もできない美しい広場となっている。東には先ほど歩いてきた緑のチュイルリー公園とルーブル美術館、南にはセーヌ川とコンコルド橋、西にはマロニエ並木が美しいシャンゼリゼ通りとその奥に凱旋門、北には現在はホテルと海軍省になっている2つの宮殿と、その間にはギリシャの神殿を思わせるマドレーヌ寺院が姿を覗かせている。 広場自体にはこれぞ噴水!と叫びたくなるような豪奢な2つの噴水と、その間に巨大な角柱がそびえている。これこそが19世紀にエジプトのルクソール神殿から移築された高さ23Mのコンコルド広場のオベリスクである。 近づいてみるとやはり高い。そしてその表面にはびっしりとエジプトの象形文字が刻まれていた。それはエジプトのファラオの中でも有名な人物の一人、ラメセス2世に関する記述だという。 正式にはこのオベリスクはエジプトからフランスへの友好の印として贈られたものである。決してその昔にかつてのヨーロッパ列強諸国が行った強奪によるものではない。それでも水面下で相当の政治的な働きかけがあったのであろうか、それとも上層階級の気まぐれであっさり贈られた物なのだろうか、私は知らない。 いずれにしてもこれがエジプトからここに運ばれた時には人々は熱狂したことであろうし、今でもパリっ子の誇りであろう。とにかく欧米人の古代エジプト、ギリシャ、ローマに対する憧れは我々日本人にはとうてい理解できないほどのこだわりがある。 エジプトのルクソールには元々2本のオリベスクがあったのだが、そのうちの一本が今ここにあるので、対のもう一本は今でも現地にそびえている。他にもエジプトのオベリスクは数本がニューヨークやロンドン等に移設されたらしいが、ここパリのコンコルド広場のオベリスクが一番華やかな待遇を受けているという。 **** コメントおまちしてま〜す! (・∀・)ノシ ****
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それにしても、それにしてもだ、すごいコレクションである。絵画にうとい私でも見たことのある絵ばかりである。ゴッホ、ドガ、ロートレック、セザンヌ、モネ、マネ、ドラクロワ、ムンク、ロダン、ゴーギャン、スーラ、ルノワール・・・まったくすばらしい。 そして本物はやはりいい。もちろん私は素人なので良くできた贋作と比べて、とかいう話ではなく、日本でこれまでに見てきた写真と比べて、という意味ではあるが。私は絵には興味はあるが、今まで真剣に見たことも調べたこともないのでよくはわからない。わからないのだが、ここで本物を目の当たりにするとこれらの作品からすごい力、迫力を感じるのである。各々が魔性的な魅力というか、なんともいいようのないオーラを放っている、とでも言えばよいだろうか。 また、日本の美術館と違って作品を本当に間近で見られるのもうれしい。基本的にバリケードなどはされておらず、触ろうと思えばそうできるぐらいに近くで鑑賞できる。作品自体も大きい。これはどんな立派で大きな写真集でも、この迫力は表現しきれないと思う。 ただ現実を言えば、この時の私はたいへん疲れていた。昨夜パリに着いたばかりで、今日も朝からずっと歩き回っているのである。しかも驚きと感動の連続である。疲れないわけが無い。きっと欧米人や本当に絵画に関心のある人ならこのオルセー見学だけのために1日を取り分けてゆっくりと鑑賞するのであろうが、こちらはなにせ時間が惜しい。いまさらながらに、ここについでのように来てしまったことに少し後悔した。 うっかりすると歩きながらでも睡魔が襲う。しかし壁には名画の連続。一枚一枚を頭の中に焼き付けるように、眠い目を見開いて本当に一生懸命に見た。こんなに命がけで絵を見ていたのはこの時、この場に私だけだったかもしれない。 つい最近パリの美術館で写真撮影が禁止になったというニュースを聞いた。じっくり鑑賞している人の邪魔になるからという理由らしい。私が訪れたこの時はもちろんまだ撮影OKで(三脚、フラッシュは禁止だが)、むしろそのことに驚いたのだが。 確かに観察していると1人か2人連れぐらいの個人は、仮に写真を撮っていてもそう気にならないのだが、問題は団体客である。ドイツ人やアジア系の団体が多いのだが、どやどやとやって来てはガイドさんが説明を始める。そして一斉に写真を撮るものだから雰囲気も何もあったものではない。そしてフラッシュを消し忘れている人が必ず数名いる。確かにこれは気分のいいものではない。私もなるべく団体さんとは離れて鑑賞を楽しんだ。(時々は日本人のガイドさんの話をそば耳立てて聞いていたが…) それとはまた別の団体さんもいる。地元の小学生たちの遠足だ。しかしこちらはかわいらしいもので、所々の名作の前で20人ぐらいが座って美術館のガイドさんの説明を熱心に聞いている。静かで、背も小さく、写真も撮らないのでこちらは全く気にならなかった。 興味深かったのは男女の裸の彫像や絵画の前で堂々とそれをしていることである。それらは美術品だけに人間のありのままの姿をそのままさらしている。しかし彼らは恥ずかしがることも無く、熱心にそれらを鑑賞している。日本の小学生ならもう大騒ぎになっているだろう。やはりこれも文化の違いだろうか。しかしこの年齢から教科書の写真ではなく本物の絵にじかに触れることができるとは、なんともフランスの子供たちは幸せである。 また単に説明を聞くだけでなく子供たちの方からも積極的に質問をしていた。しっかりしたものである。疑問に思ったことや自分の意見をためらうことなく、はっきりと人前で言う習慣がもうこのころから身についている。日本人の、人前でもじもじしている子供たちもそれはそれでかわいらしいが、国際化のこの時代、我々もそろそろこういう習慣を身に付ける必要があるかもしれない。 それにしてもこの広さと、名画の名作の連続に本当に疲れた。限界を感じた私は中階のカフェでコーヒーを片手に腰掛け、少し目をつぶった。あっという間にその場で眠りに落ちてしまった。 **** コメントおまちしてま〜す! (・∀・)ノシ ****
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オルセー美術館へ行った。この美術館はそのコレクションの素晴らしさから、今やルーブルに次ぐフランスを代表する美術館となっている。 オープンしたのが1986年という新しい美術館にもかかわらずにだ。作品としては1848年から1914年までの絵画、彫刻、写真、部屋の装飾などの美術品が展示されている。印象派を中心にほぼ19世紀ということになるが、絵画がもっとも芸術的であり、美術として理解しやすい時代のものと言えるかもしれない。 私はそれまで絵画鑑賞をする機会があまり無かったので芸術に関する知識はほとんど無いが、興味は昔からあった。良い絵は見ているだけで心を打つし、芸術はその時代の歴史を反映する。これを機会に芸術に触れてみるのもいいかと思った。 チケットを購入し中に入ってみた。さすが人気の美術館だけあって人は多かったが、並ぶほどではなかった。玄関部は少し大きな劇場の様で普通だったが、展示ホールに出てそのセンスのよい広々とした空間に少し感動した。 地上階、中階、上階に分かれ、特に地上階は中央通路にもちょっとした階段が造られており、高低差をよく生かして彫刻関係がセンスよく展示されている。その両脇はあたかも古代エジプトの遺跡を思わせるようなデザインでそれぞれの小部屋に間仕切られており、それら内側の壁には誰もが知っている名画群が展示されている。 天井が高い。全体としては丸いカマボコ型であり、そのほとんどの面積をガラスの天窓が占める。その横壁にも積極的にアーチが用いられており、いかにも19世紀のクラシック様式とアールデコを匂わせるデザインであった。それもそのはずこの建物は元々1900年のパリ万博の際に鉄道の終着駅として建てられたものなのだ。その後、様々な事情により駅は閉じられ、ホテルや劇場と、様々なものに転用されたが最終的に美術館として改装された。そう言われてみればいかにもヨーロッパの首都の駅舎らしい建物だ。名残として今でも地下にRERの現役の駅がある。 早速、生の芸術に触れてみるために地上階からせめてみることにした。 **** コメントおまちしてま〜す! (・∀・)ノシ ****
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ブランド物に全く興味を示さない妻もやはり女である。食後このあたりのお店に行きたいと言い出した。パリ滞在の時間は限られている。その間に美術館を含む大体の観光名所は網羅したいと思い、少し時間を気にしながら計画的に周るつもりだったが、パリまで来てファッション系のお店に全く行かないのも女性にはかわいそうなので少しお付き合いすることにした。 さすが心得たもので行きたい店の名前や位置をかなり正確に知っている。今回、ヨーロッパに行きたいと言い出したのは私の方で、妻は当初あまり関心を示さなかった。彼女はすでに結婚前に家族とローマ・パリ・ロンドンと旅行したことがあるのである。そのため私は旅行前に暇さえあれば行きたい国や街の下調べをしていたが、妻は全く何もしてなかった。それでもいざシャンゼリゼに立つと、どこにどんな店があるのか、たちまちひらめくようである。 最初に行ったのはSephoraという化粧品屋さんであった。相当大きな店で中に入ると品揃えがすごかった。さすがファッションの都パリである。私はもちろん化粧品には興味はないがこの品揃えは興味深かったので、妻がいろいろ物色している間に店内をくまなく探検してみた。それでも妻は飽くことなく商品を見ているので、店の外に出てシャンゼリゼ通りを散策してみた。 15分ぐらいして店に戻ると妻はまだいろいろと物色していたので引きずって店外に出た。 で、今度は子供服のいい店があるから今度はそこに行きたいと言い出した。Petit Bateauという店だった。何でも日本人は体が小さいので子供服でも問題ないらしい。そのほかにも何店か周りたいとのことなので時間を決めて別行動を取ることにした。私は再びシャンゼリゼ通りを散策してみた。 さて、トイレに行きたくなってきた。日本ならどこでもその辺りにコンビニがあるのでトイレに困ることは無いのだがヨーロッパにはコンビニは皆無といっていいほど無い。トイレは公衆トイレかカフェのを借りるわけだが、日本と違うのは有料だということだ。高いわけではない。一回20〜70セントぐらいだろうか、日本円で30〜100円程度だ。大抵は入口にお金を徴収する係員がいてお金を払うと入れてくれる。もしくは自動徴収機があって近くにある自動販売機で専用のメダルを買ってそれを投入するとレバーが回る仕組みである。 しかしこちとら日本人である。産まれてこの方トイレにお金など払ったことが無い。ケチと言われようがトイレごときにお金を払う気になれなかった。それでしばらくどうしようか考えながら歩いていた。マクドナルドを見つけた。まったく、この店だけは世界中どこにでもある。その時ふとひらめいた。マクドナルドはアメリカ系、だからトイレは開放されているのでは?トイレは地下にあった。はたして無料だった。軽い優越感に浸りながら用を足して店を出た。もちろん何も買ってない。 しばらくウロウロして、時間になったので妻と再び合流した。というより、まだ買い物していたので、店の中で見つけて名残惜しそうな彼女を引きづって店の外に出た。 この通りの反対側にLadureeというマカロンで有名な老舗のお菓子屋さんがある。日本のカルメラ焼に似たお菓子で上にいろいろな味のキャラメルが塗ってある。もしかすると源流は同じなのかもしれない。行ってみることにした。 信号を待って、シャンゼリゼ通りを横断した。やはりこの道は巾が広い。片側だけで5車線に側道と歩道がある。面白いので中央分離帯で一度信号待ちをしてみた。向こうには凱旋門が見える。反対側もまっすぐに道が伸びている。車はどこの国の大都市がそうであるように運転は荒かった。中央分離帯の安全地帯にいても怖いぐらいだった。 さて道を渡りきって店に入った。外観もそうだったが店の内装もたいへんゴージャスな造りである。高級そうなチーク材の棚の中に大小様々な大きさのマカロンが売られていた。色もたくさんあってきれいだった。他にもお客さんがたくさんいたが、皆40〜50代の紳士たちだった。ヨーロッパは日本とは違って男性も女性も甘いものが大好きである。いや、下手をすれば男性のほうが好きかもしれない。特にチョコレートは。しかもみなスーツ姿なので、まるで日本の銀座の高級ケーキ屋さんで見かける社用族のおじさんみたいだった。 私たちも4コだけテイクアウトで買ってみた。シャンゼリゼ通りを歩きながら食べてみたが、やはり美味しかった。フワフワの様でサクサクした感じである。甘さがまたちょうどいい。アメリカのケーキなどは頭が溶けそうになるぐらい甘いし、対照的に日本のお菓子は最近の流行で甘さ控え目でいつも物足りなさを感じる。しかしヨーロッパのスィーツは、この後たくさん食べることになるが、甘さが本当にちょうど良いのである。さすが本場である。 **** コメントおまちしてま〜す! (・∀・)ノシ ****
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