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さすがナポレオンが遠征しただけあって、ルーブルのエジプトコレクションは充実している。ミイラの棺だけでかなりの数があった。 一枚目:古代エジプトのミイラ 2枚目:古代エジプトのネコのミイラの棺 猫は古代エジプトでは神として崇められた神聖な動物だった。当然、死後はミイラにされ丁重に葬られた。ちなみに猫の原産地はエジプトからナイル川をさかのぼったエチオピア辺りの草原といわれる。 3枚目:古代エジプトのミイラの棺 4枚目:古代エジプトのパピルスの古文書 5枚目:古代エジプトの円柱と像 6枚目:スフィンクス 一枚目:『ミロのビーナス』 ギリシャ彫刻の最高傑作といわれる。エーゲ海のミロス島で発見された紀元前2世紀ごろの作品。サモトラケのニケと同様、腕がないのがさらなる芸術性を高めているといわれる。 2枚目:アテネ像かな? 3枚目『アウグスツス像』 ローマ帝国初代皇帝アウグスツス。彼の彫刻は多く残されているが、いずれも若い頃の姿である。若さや精力をローマ初の皇帝としてアピールする必要があったのか。 4枚目:『キューピットとプシュケー』18世紀の作品 新古典主義の代表作。大変脈動的な作品で、おもわず見とれてしまった。 代表的な写真を掲載してみたが実際の展示の数はこんなものではない。とにかくオルセーの時と同様、有名な展示品は、疲労と戦いながらも一つ一つ目に焼き付けるようにして見てきた。足早に通り過ぎたものも少なくない。とにかく見るのに1〜3日かかると言われるルーブル美術館を3時間で見た。
美術館を出た時、日はまだ明るかったが、さすがにこの日は疲れたので早々にホテルに引き返した。この時、初めてホテルの大通りの向かい側にネットカフェがあるのを発見した。この旅の期間中、仕事は以前の同僚に留守を任せてきた。連絡事項はメールでやりとりする手はずだった。またこの後、オランダとイタリアでメル友と会う約束をしている。彼らにも私たちが無事ヨーロッパに着いたことを連絡する必要があった。 正確に言うとカフェではなかった。ネット・コインランドリーである。店員も客もアラブ人かアジア人だった。洗濯する合間に母国の家族と連絡を取るもっとも安く便利な方法なのであろう。私も早速メールチェックした。日本の相棒はなんとかがんばってやってくれているようだった。アムステルダムとミラノの友達もメールで連絡を取ることができた。後日、会うのが楽しみである。 さてこの日の夕食は疲れていたせいか、お米が食べたくなった。幸いホテルの横はインドレストランだった。今夜はここに決めた。店員はインド人だから当然英語が通じる。彼と適当に話を楽しんでいくつかオーダーした。 パンもラッシーも美味しかった。が肝心のカレーとタンドリーチキンが美味しくない。いや美味しくないというより辛くないのだ。そう、味は悪くないのだ。でも少しがっかりした。食後インド人のウエイターがどうだったか聞いてきたので率直に「辛くなかったのでいまいちだった」と告げた。彼は心外な顔をして、「フランス人は我々アジア人と違って辛いのが全くダメなんだ。だからウエスタン風の味付けをしている。言ってくれればオリジナルの味付けにしたのに。」と残念がっていた。 この日は本当に疲れた。食後ホテルでシャワーを浴びるなり11時には泥のように眠ってしまった。 明日はいよいよパリを発つ。 |
パリ 1-4区
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今まで見てきた3F,2Fは絵画や近代彫刻が多く展示され、まさに美術館であったが、ここ1Fは古代オリエントのコレクションが数多く展示されている。エジプト文明、メソポタミア文明、ギリシャ文明、ちょうどヘブライ語聖書の時代になるだろうか、ルーブルはここではまさに考古学博物館の装いになる。どちらかといえば私は近代美術よりここを見に来たようなものだ。期待で胸が高まった。 1、2、3枚目:『遊翼人面雄牛像』他 古代アッシリア アッシリアは紀元前6,7世紀にチグルス・ユーフラテス河沿いに栄えた帝国である。その全盛期のサルゴン2世の宮殿に飾られていた像である。この国は旧約聖書の古代イスラエルと同時期に栄え、古代イスラエル人の北方の脅威、残虐な民として旧約聖書の多くの書の中に幾度となく名が挙げられている。当時はこの地方にもライオンが多く生息していて、アッシリア人はライオン狩りを最高の娯楽として楽しんでいた。まさにそれを物語るレリーフである。 4枚目:同アッシリアの宮殿に貼られていたレリーフ 5枚目『アパダナの大斗』 古代ペルシャ帝国 西暦3〜5世紀にインダス川から小アジアにまで栄えたペルシャ大帝国の首都ペルセポリスの大宮殿の柱の頂点で天井の大梁を支えた部分。アレキサンダー大王が東征の際、火をかけた宮殿。その時のススがついているか?! 絵画コレクションはあれほど疲れ果てながら見ていたが、さすがこの階の考古学的展示物を見はじめると不思議に目が覚醒し、力が涌いてきた。やはり好きこそ・・・である。もう疲労や足の痛みどころではない。今まで日本で、本で読んできた歴史が、その本物のそれらが今まさに目の前に広がっているのである。もう浮き足立ちながら、かつ貼り付くように見ていった。 1枚目:古代メソポタミアの粘土板に刻まれたクサビ型文字 紙がなかったこの時代、メソポタミアでは記録に粘土板が使われた。クサビをハンコのように粘土に押しつけて文字を刻んでいった。 2枚目:『ハムラビ法典』 古バビロニア 「目には目を・・・」で有名な282条でなる法を記録した石碑。「目には目を…」は聖書にも出てくるがいずれも今日考えられているような復讐を促すものではなく、罪の重さに応じた公正な裁きを求めたものである。1901年にフランスの発掘隊が発見した。 3枚目:バビロニア人のマスコット 新旧バビロニア帝国の首都バビロンは宗教都市だった。街の辻々には無数の神々の像や神殿が置かれ、人々は外出用にこのような携帯用の像を持ち歩いていたと考えられる。 4枚目:メソポタミアの六角柱(プリズム) 当時、この地方での出来事や法律の一般的な記録法として、このような角柱が多く用いられた。 5枚目:ルーブルの城砦跡 これは中世のもので展示物というよりルーブルの歴史そのものを物語る遺跡。ここはもともと城砦として建てられた。14世紀のシャルル5世の時のもの。地下にある。 やはり考古学コレクションは面白かった。疲れが一気に吹き飛んだ気がした。 つづく
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もう、どこをどう周ったのか、詳細な記憶はない。覚えているのは疲労と眠気で倒れそうな体に鞭打って歩き回った事だろうか。すでに午前中にあの広大なヴェルサイユ宮殿を歩き回った私の足には全体に痛みが走り、鏡を見たわけではないが目の下には絶対クマができていたであろうと確信できるほど睡魔が絶えず襲っていた。 ガラスのピラミッドの中は地下一階からの吹き抜けになっていた。そこは壁のない大ホールが広がっており、壁際にはチケット売り場がある。その空間に多くの人々が行き来しており、まるで日本の都市部の駅の改札口前のようであった。天井がガラスのためにビニールハウス効果で中は暑いぐらいだった。 チケットはすぐに買えた。日本語のパンフレットがあったので見学の参考に見てみたが、広すぎるのと外せない展示品が多すぎるのでまるで役に立たない。とにかく手当たりしだい、しらみつぶしに見て行くことにした。 最近パリの美術館では、他の人の鑑賞の邪魔になる、という理由から写真撮影が原則禁止になったそうだ。私たちが訪れた時はフラッシュと三脚を使わなければOKだったので、幾つか代表的な作品を撮る事が出来た。 一枚目:『民衆を導く自由の女神』 ドロクロワ作 1830年の七月革命を描いたあまりにも有名すぎる絵。自由民主主義の象徴ともいえる一枚であろう。 2枚目:『カナの婚礼』 ヴェロネーゼ作 イエスキリストが水をブドウ酒に変えた、初めての奇跡が行われた場面。この絵はとにかく大きく、その迫力に驚かされた。 3枚目:『モナリザ』 ダヴィンチ作 ルーブルの絵画はどれも一級品の価値があるにもかかわらず、手を伸ばせば触れそうなぐらい一見無防備に展示されているが、さすがにこの絵だけはガラスの中に納められ、監視員の目も厳しかった。そしてここだけはすごい人だかりで、私も人をかき分けて絵に近づいた。何も感じないような、いやなにか引き込まれるような不思議な魅力を放っていたように思う。 4枚目:途中にあった彫刻像の保管所 修復中なのか、研究中なのか、はたまた単に保管してあるのかわからなった。 5枚目:『サモトラケのニケ』 紀元前の作とされる。頭と腕がないことがこの彫刻の芸術性をさらに増しているとも評価される。階段に展示してあった。見れば見るほど引き込まれるような像だった。館内で一番長く見とれていたかもしれない。 1枚目:『浴槽のガブリエル・デストーレ姉妹』 なぜ乳首をつまんでいるのか諸説ある。エロチックな不思議な絵である。 左2枚目:ヘレニズムの壺 右3枚目:エジプトのパピルスの古文書 4枚目:『ポン・デュ・ガール橋』 今も現存するプロバンスにあるローマの水道橋を描いたもの。この後ぐるっと各国周って行く予定! 左5枚目:『大工のヨセフ』 ということはロウソクを持っているのは幼子イエスか?光の明暗の描写が、溜息が出るくらい美しい作品だった。 右6枚目:『ルイ14世』 同じ絵がヴェルサイユにもあった。足が小さいのは当時の流行とも、美しく見せるために小さな靴を履いていたとも言われる。 つづく
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エッフェル塔を後にして,メトロを乗り継いでいよいよやってきた。ルーブル美術館である。歴史好きの私としては、パリに来てここを外すわけにはいかない。日本語では「美術館」と訳されているが、仏語“Musee”、英語“Museum”は博物館とも訳せる。30万点の所蔵の内訳は、絵画や彫刻などの美術品だけでなく、考古学の発掘品、歴史的文化遺産も多くを占める。もちろんどこまでが芸術で、どこまでが遺物なのか、誰が線を引いたわけでもないのだが。これまでに教科書やテレビでしか見たことのないそれらの本物の品々を、いよいよこの目で見ることが出来るのである。興奮を抑えられない。 セーヌ河沿いを走るLigne1のルーブル・リヴォリ駅から大通りに出てみると、道の右側におごそかな宮殿が横たわって建っていた。これこそまさにルーブル美術館のリシュリュー翼だった。建物は3階建てでとにかく長い。日本だとこのスパンに、いったいどれだけ多くのビルがひしめき合って建つのだろう、と思ってしまう。今からここを見学するのである。午前中に広大なヴェルサイユを見学して疲労していた私は、この建物の外観を見ただけで気を失いそうになった。 横長の建物のちょうど中央部から中庭に入れるので入ってみた。中庭も相当広く、全体がヴェルサイユ宮殿の玄関部正面広場に似ていた。それもそのはず、こここそがヴェルサイユができるまでのフランス王が住んでいた宮殿だったのである。 このルーブル宮は、フィリップ2世が1190年にパリ防衛用にここに城砦を築いた事に始まる。当時ノルマンディ地方はノルマン系イギリス人領で、彼らがいつパリに攻め込むともわからない時代だった。その後、時代と共にこの城は取り壊され、16世紀にフランソワ1世の手によりルネッサンス様式の宮殿が建設される。その後、19世紀のナポレオン3世の時代まで約300年、増築や改装を繰り返して現代に至る。 太陽王ルイ14世も、当然元々はここに住み、ここで政治を取り仕切っていたが、ヴェルサイユ宮殿完成と共に住まいと政務をそちらへ移し、以来この宮殿は顧みられる事が少なくなった。転機となったのはフランス革命で、ルイ16世がヴェルサイユからパリに連れ戻され、ここで処刑されるまでの約3年を過ごす。 その後1793年、国民公会がギャラリーとして多くの所蔵品を一般に公開した。これがルーブル宮の美術館としての始まりとなった。 建物はコの字型にリヴォリ通り沿いのリシュリュー翼、中央のスクエア,シュリー翼、セーヌ河沿いのドノン翼と3つで構成される。この構造ゆえ美術館としての館内移動は効率が悪かった。そこで1980年代に行われた「グラン・ルーヴル・計画」によって並行に立つ2つの建物の間に連絡路ともなる地下空間を作りその上にガラスのピラミッドが建てられた。 なるほど、中庭中央に、古典的な建物に囲まれて近代芸術的なモダンなそのピラミッドがあった。想像していたほど違和感はなかった。やはりこういう新旧をうまく溶け込ませるフランス人の芸術的センスは素晴らしい。
ガイド本には、このピラミッドにある中央入口はいつも大変混んでいて、行列が出来ていることが多い、とあったが、時間が午後3時だけに並ぶ事もなく入れた。この美術館はとにかく広い。普通、美術好きな人などは3日ぐらいを費やして見学するらしい。当然朝から1日かけて見る。だから午後は比較的空いている。そのため3時からは割引料金となる。 ただこの日は水曜日。通常ルーブルは6時30分で閉館なのだが、毎水曜日は9時30分までやっている。だから私たちもこの日を選んだのだが、思惑は大成功だった。これなら比較的空いてる時間帯にゆっくりと見学できる。それでも3〜4時間のうちに全てを見なければならない。疲労が溜まっている私たちにそんな事が出来るのか、でもここまで来たら全てをこの目で見てみたい。とにかく見学を開始してみる事にした。 |
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この美しいステンドグラスに彩られたここサント・シャペルは,1245年にルイ9世の命により建設が始まり、わずか33ヶ月後の1248年に完成した。トータルで182年かかったノートルダム寺院の工事期間とはえらい違いである。やはりカテドラルと普通の教会では大きさや、基本設計、装飾の規模も違うのであろう。 この教会の設計者が目指したのは高さであろう。それも物理的な高さでなく見た目の仰高性である。ものをスマートに見せるには縦の線を強調して、横の線を極力無くせばいい。我々が着るシャツの柄と原理は同じだ。 ビジネスでは縦縞のストライプのシャツが好まれる。細くスマートに見えるからだ。横縞のボーダーはラガーシャツに代表されるように大きさを強調する。安定性と重量感を敵チームに印象付けてプレッシャーを与えるためだ。 ノートルダム寺院はファサードに2つの四角の塔がそびえていてなんとも重量感があるが、こちらは高さ75mの尖塔が建っていてすっきりしたイメージを与える。 内部構造も、ノートルダムは古典的な4層造りに対してサント・シャペルは−1,2階には分かれているが−全体としては単層式である。1階は一般庶民用の礼拝堂で、2階は王侯貴族専用だった。そのため2階部分には、横の線がほとんど見当たらない。16本の柱は全て天井のてっぺんにまで伸びており、その間に石壁の部分はなく、すべてステンドグラスがはめ込まれている。本来壁が受け持つべき加重は全て外部のバットレスが受け持っている。この教会こそゴシック建築の極みとも言うべき建物なのかもしれない。 壁が全てガラスのために光が堂内いっぱいに差し込んで明るい。このステンドグラスもやはり聖書物語が描かれている。その数は1000をこえるという。たしかにこの光の洪水ともいえるステンドグラスの饗宴は溜息が出るほど美しかった。いや、色とりどりのガラスを透してさしこむ淡い光に包まれたこの空間の、神々しい、荘厳な、そして敬虔な気持ちにさせる演出が素晴らしかった。 ノートルダムは不安と絶望が支配する人間社会の暗闇のどん底から天からの救いと希望の光を仰ぎ見るイメージだが、ここ、サント・シャペルは天国の光そのものの中に招き入れられたようなイメージである。これは身分や貧富の差を越えて全ての人間に開かれている公のカテドラルと、贅沢な暮らしで日々を謳歌している貴族専用のチャペルとの考え方の違いかもしれない。厳粛なだけでなく設計者の遊び心が伺える。 また、ガラスがはめ込まれていない壁もすばらしい。金色を下地に色とりどりの宗教画が描かれ尖頭アーチ部分には細かな装飾が施されている。装飾の仕方が、富が豊かなオリエント、東ローマ帝国に源を持つオーソドックス(東方正教会)風にも思える。さすが貴人専用の空間である。 私たちはこの光の海の中に身をゆだねて、もうしばらくこの空間を味わうことにした。 **** コメントおまちしてま〜す! (・∀・)ノシ ****
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