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フランス、パリ編。 カルチェラタンに宿をとり、重いバックパックも置いて、さあパリの街にくりだすぞ! パリといえばやはり凱旋門、というわけじゃないんですけど、この近くに住んでる友人の家を訪ねるので、まずはここにやってきました。 2年ぶりでしたがやはり堂々たるものです。 うーんパリに来たって実感できます。 先回来たときは外観だけ見て中に入らなかったので、今回は是非屋上に上がりたいものです。 パリは数日逗留するつもりなので、それもまたあとで。 |
パリ 10-12区
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詳細
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エッフェル塔の真正面にかかるイエナ橋を渡るとそこに広大な緑の公園が広がる。シャイヨ宮である。セーヌ河岸から少しなだらかな丘陵になっており、公園自体その傾斜をうまく生かした構造になっている。その丘の上には翼を広げたような建物が左右対称に建っている。現在それらは博物館などに利用されているが、ここはもともと1937年のパリ万博の会場として建てられたものである。道理でエッフェル塔が真正面に美しく見えるように設計されているはずである。 セーヌ河を渡ると少し車の交通量が激しいニューヨーク通りがある。信号を待って、公園の脇の階段とスロープを使って丘の上を目指す。さすがにここもパリ観光で有名なところだけにたくさんの観光客であふれていた。何人かを追い抜きながら丘の上の展望台を目指す。途中、池の上にエッフェル塔を眺めているかのような裸婦像があったので、隣に妻に座ってもらって一枚撮った。あたかも2人でエッフェル塔を静かに眺めているような、なかなか面白い写真になった。 息を少し切らしながら丘の上の展望台に出た。なるほど、エッフェル塔が真正面に、その全容をあらわにしている。ここでは多くの人がエッフェル塔を背景に記念撮影をしたり、ぼんやり眺めたり、友達と語らったりして、それぞれのゆったりとした時間を楽しんでいた。それにしても、ここから目の前に広がるパノラマ全てが見事に整備された、広大な緑で彩られていることに軽い驚きを覚えた。狭い日本では考えられない土地の使い方である。シャイヨ宮からエッフェル塔を中心にシャン・ド・マルス公園、陸軍士官学校、そのはるか向こうのフォントノワ広場までが一つの美しい景色を織り成しているのである。ここもまた全体として、あのヴェルサイユの庭園と同じ、広大なフランス式庭園のひとつと言えるのではないだろうか。フランス人の美意識がこのような都市計画にまではっきりと現れていることに改めて感心させられる。 さて、真正面にそびえているエッフェル塔であるが、建設当時は大変不評だったらしい。その時のパリ万博終了と共に取り壊される話もあったそうである。現代では当たり前の、その鉄骨だけで構成された、無骨な容貌の建物に、当時の人々は違和感を覚えたのであろう。なにせ今までの歴史には全くない構造であり、デザインである。 当時、その反対派の急先鋒の、とある文学者などはエッフェル塔がとにかく嫌いで、エッフェル塔に入っているレストランにあししげく通ったそうである。理由はここにいれば彼の大嫌いな、いまいましいエッフェル塔を見なくて済むから、だったそうだ。この逸話から「エッフェル塔嫌いのヤツはエッフェル塔に行け」ということわざが生まれたとか、なんとか。 この鉄の塊の構造物が建てられた当時の時代背景であるが、帝国時代全盛期である。帝国主義といえば鉄。当時、鉄はまさにその国の力の象徴だった。鉄道、軍艦、大砲、製鉄技術の向上が帝国主義の時代に拍車をかけた。もちろんこの時代の流れは建築デザインにも大きな影響を及ぼす。パリの街には鋳物の鉄で作る流線的なデザインであるアールデコ調の建造物があふれた。ただ鉄だけで作られたこのエッフェル塔も当時は時代の最先端であると同時に、かなり奇抜な建物だったのである。 それにしてもこの鉄塔が壊されなくてよかった。当時の人々の英断のおかげで、今やこの鉄塔は誰もが認めるパリのシンボル、という地位を獲得した。今現在、この塔の美しいシルエットにケチをつける人はいないであろう。これを真似たのか世界中にたくさんの鉄塔がある。我等が日本も東京タワーをはじめとして数々ある。しかし世界中でもっとも美しく優雅なシルエットを持つのはこのエッフェル塔であろう。当時は物議をかもし出したかもしれないがそれでもフランスの美意識はしっかりと反映されていたのである。 シャイヨ宮から見えるエッフェル塔を見ながらそんな事を考えていた。 |
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夕食を楽しんでいる間にようやく日が沈んで夜が来た。ここまできたからにはせめて外見だけでも見ておかねばなるまい。そう、世界的に有名なキャバレー、ムーランルージュである。モンマルトルの丘の下、クリシー通りにそれはある。この周辺はパリらしからぬネオンが点る雑然とした雰囲気の繁華街である。逆に夜のパリの象徴とも言えるが。 そもそもここに最初に飲み屋街ができたのは、丘の上の女子修道院がワインを生産していた事と無関係ではないらしい。もともとモンマルトル地区は湿原地帯で人が住むには適当ではなかった。この丘もセーヌ河の泥が堆積したもので、地区全体の土壌は赤い粘土質でできており、大きな建物が建てられずブドウ畑と風車が数基回っている寂しい農村であったらしい。ムーランルージュのシンボルである赤い風車はここからきている。 その後19世紀のパリ大改造で市内から追われたボヘミアン(ジプシー、ロマ族もしくは移民の貧民層)がこの辺りに貧民街を築き上げた。安い家賃に引かれて貧乏な若手芸術家達も集まってくる。もともとあった飲み屋街にキャバレーや売春宿ができてゆくのは自然の流れであったろう。その後、地盤に杭を打ち込むなどの新しい建築技法の開発によりサクレ・クール寺院をはじめとする石造りの建物が建設され今日に至っている。 ムーランルージュはさすがにその中でもひときわ異彩を放っていた。ムーランルージュとはフランス語で「赤い風車」である。そのシンボルが怪しい光に照らし出されてそびえている。入ってもみたかったがディナーショーで130ユーロ〜と、ちと高額だし、予約も必要なのであきらめた。その上、今日の私達はドレス・コードもなにもあったものではない格好をしている。一応ネクタイは持ってきてたのだが・・・。 旅行に出るつい少し前に、イワン・マクレガーとニコール・キッドマンの映画ムーランルージュを見たばかりだったのでとりわけ興味深かった。映画はもちろん相当にディフォルメされていたが、それでもあの怪しい雰囲気は外から見ているだけでも伝わってくる。中ではトップレスのお姉さん達がフレンチカンカンを披露しているのだろうか。ロートレックも通いつめたようにここのショーは下品さは無く、全く芸術の域に達していると聞くのだが。 さて夜のパリ巡りとして次はメトロでエッフェル塔へ向った。夜景を狙うということで塔そのものではなく、エッフェル塔をもっとも美しく見られるセーヌ河の対岸、シャイヨ宮にやって来た。 昼間も相当な人出であったが、夜も全く衰えをしらない人の数であった。たしかにたくさんの人が集まるだけあって夜のエッフェル塔のライトアップはそれは見事なものだった。昼間はガスっていて撮影をあきらめたが、夜はガスも晴れ問題なくその輝きを放っていた。 あまりに綺麗なのでここは夫婦並んで撮りたかったが、いかんせん夜の撮影は難しい。それ以前にその辺の人にシャッターを押すように頼んで(失礼だが)構図がバッチリ決まっている写真を撮ってもらえた試しがない。こういう時のために携帯用ミニ三脚を持っていたのでそれを活用する事にした。ただでさえスリや引ったくりが多いと聞くヨーロッパ。少し不安ではあったがどう見ても盗られる雰囲気ではなかったのでセットしてやきもきしながら撮影した。 カメラの設置位置に限界があるもののなかなかいい写真が撮れたと思う。その後しばらく階段で腰を降ろし、夜風に吹かれながら光のエッフェルを眺めていた。贅沢な時間だった。 その後凱旋門にも行きたかったが、夜ももう11:30分。今日一日歩き疲れたのでホテルに戻った。 **** コメントおまちしてま〜す! (・∀・)ノシ ****
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