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引き続きサン・マルタン運河を左手に見ながら歩いている。人通りは私たち以外にほとんどなく、運河を航行する船もない。大通りから離れているせいか街の喧騒も聞こえない。ただスズメの鳴き声が時々聞こえる。実に静かなものである。 運河がカーブにさしかかった辺りの対岸に少しばかりの緑がありその奥にしゃれた建物がある。北ホテルHotel du Nordである。昔の名画「北ホテル」の舞台となったホテルだ。ガイドブックによると1階に映画をイメージしたバーがあるらしいが、残念ながら私はこの映画を見ていない。外観だけを楽しんで先に進む。 運河には幾つかの橋が架かっている。歩行者専用で鉄製のアーチ型だ。それがまた無粋な形ではなく19世紀の古きよき時代を思わせるようなレトロなデザインなのだ。アーチと書いたが本当に見事な半円を描いている。これもまたこの運河の風景に良き趣を添えている。 さらに歩くにつれ水が流れる音が大きくなってきた。先に閘門があるのだ。門の手前には信号機もあり、さながら道路のようだった。丁度船が入ったところらしく締め切られた水門の中に轟々と水が注ぎ込まれていた。不思議なことにこの閘門の先は車道がまたいでおり、その先は細長い、奥へと続く緑の公園になっている。リシャール・ルノワール大通りだ。運河はここからセーヌ河の手前までこの大通りの地下を流れているのだ。 この運河をクルーズする観光船があると聞く。ということは何キロかは地下トンネルを進むということであろうか。しかしパリなら地下クルーズも悪くない。なぜなら地下に張り巡らされた下水道や水路もまたパリの自慢の一つだからだ。 パリの下水道は総延長2100km、人が往来出来るものだけでも1500kmもある。堂々世界一だ。パリの街がどうしようもなく美しい理由の一つは電柱・電線がないことだが、それは上水道も含め全てのライフラインがこの下水道に敷設されているためだ。 このパリの下水道の歴史は14世紀にまでさかのぼる。時代は中世、ヨーロッパ中にペストが蔓延していた。実に全人口の3割がこの病気で死んだ。原因はたくさんあるが、当時の汚物の不適切な処理は見逃せない。フランスといえば今ではクリーンなイメージがあるが、この汚物の歴史だけはいただけない。 昔のヨーロッパの都市の家にトイレはない。つい近代まで人々は部屋の中でおまるを使用し、それを外に捨てていた。例えば、ソルボンヌ大学の創立は確か12世紀だったと思うが、当時の学生達の寄宿舎の横の道は汚物まみれだったという。彼らは部屋で用を足すと窓から自分の汚物を道に投げ捨てるのだ。道を歩いていて運が悪いと汚物を頭からかぶってしまう。そのためにヨーロッパでは、日傘や大きな帽子が発達した、と言われているぐらいだ。これで伝染病が流行らないほうがおかしいのである。公衆トイレや公共浴場、水道を整備したかつてのローマ帝国とはえらい違いである。実際、古代ローマ帝国の時代、疫病伝染の記録はあまり見当たらない。 しかしペストの洗礼を受けた14世紀の人々は教訓から地下に下水道を整備し、汚物や汚水をそこに流すことにより街の衛生状態の向上に成功した。疫病もかなりおさまった。その後もフランス革命をはじめとする数々の政治活動、第二次世界大戦中のナチの抵抗運動にもこの下水道は使われた。そんな歴史がある。 文豪ビクトル・ユーゴーが自著「レ・ミゼラブル」の中でこのパリの下水道に関してかなりのページを割いて説明しているのもうなずける。サン・マルタンは運河であって本物の下水道ではないが気分だけでも十分に味わえるのではなかろうか。そういえばパリのどこかに下水博物館なるものがあったように思う。私たちは行かなかったが。 **** コメントおまちしてま〜す(・∀・)ノシ *****
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パリ 10-12区
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いよいよ、パリ観光の始まりである。まず手始めにどこに行こうか地図を見る。やはりパリのへそであるシテ島から始めたいが、この東駅のすぐとなりにサン・マルタン運河が流れている。 この運河は1825年にナポレオン1世によりパリ郊外のウルク運河からセーヌ河をつなぐ全長4.6kmの運河として造られた。高低差が25mほどあるため9つもの閘門(こうもん)がある。 運河は基本的には川ではない。人間が人工的に掘った物資運搬用の水路だ。ヨーロッパでは特に18世紀の産業革命によって街同士、国同士の物資の流通が盛んになった。しかし鉄道もトラックもなかったこの時代、船こそが大量輸送の主人公だった。ヨーロッパはアルプスを除けば基本的には平野が広がっている。そのためクモの巣のような大運河網がヨーロッパ全土に張り巡らされた。 鉄道と道路が整備された現代、ヨーロッパの運河はその役目を終えたかのように思えるが、その景色はもはやヨーロッパの風土に溶け込んでおり、今でも多くの人に愛されている。この運河を描いた名画も多いし、今でも運河なしでは語れない古きよき街もたくさんある。バカンスシーズンともなれば運河航行用のキャンピングカーならぬ自家用キャンピングボートで1〜3ヶ月かけてゆっくりと運河クルージングを楽しむ人も多いという。なにせその気になれば北海から黒海にでもこの運河網を使って船で抜けられるのだから。 ところで流れがあっては逆方向に進む船は大変だ。そのため運河は高低差をなるべくなくして水の流れを最小限に抑えている。川と言うより細長い池に近いかもしれない。もちろん平野が多いヨーロッパとて山や丘や低地など高低差はある。そのため要所要所に閘門が設けられている。船が水路で高地に上って行きたい場合まずこの装置の中の船一隻分の空間に入る。そこで入ってきたほうの門を閉じ、水を注ぎ込み水位を上げる。船はエレベーターのように高さを上げてゆく。そして高いほうの運河と同じ水位になると進行方向の門が開き船は先を進む。逆は水を抜くだけである。この同じ技術はパナマ運河やスエズ運河でタンカーのような巨船にも用いられている。その原型がここにあるのである。 さて東駅からヴェルマン公園を右手に見て東にしばらく歩くと、そのサン・マルタン運河に出た。幅20mぐらいだろうか、満面とたたえたその水面は流れがないため鏡のようにさざなみ一つ立っていない。両脇にはやはりマロニエの並木に石畳の歩道そしてレトロな街並み。これぞパリ!と叫びたくなるような風景だった。実際にはパリ中心部を流れている運河はこのサン・マルタンだけでパリのどこにでもある風景では決してないのだが。 この運河の先にバスティーユ広場がある。 **** コメントおまちしてま〜す(・∀・)ノシ *****
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Gare du Nord(パリ北駅)も立派な建物だったがGare de l’Est(パリ東駅)も引けを取らない造りであ |
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翌朝7時に腕時計の小さなアラームが鳴った。ここはパリなのだ、という意識が程よい刺激となってすぐ |
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もう、このまま眠りこけたいぐらい疲れていたが、お腹がすいた。なにせ飛行機の中で最後の食事をし |



