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再びメトロの4号線で先ほど来た方向へ戻る。車両の中は行きよりも若干すいていた。だいたいの乗客
が座れる程度の込み具合である。それにしても車内が暑い。こちらも重い荷物を背負ってウロウロしてい
たせいもあるだろうが、この日のパリは湿度があった。他のパリジェンヌたちも暑そうだった。見たとこ
ろこの車両には元々クーラーがついていないようだった。そういえば去年の夏の猛暑の際、あまりの暑さ
にフランスのバスの運転手たちがバスにクーラーを付けるか、もしくは半ズボンでの勤務を認めろ、とス
トライキを起こしたニュースを思い出した。プロバンスならともかく北フランスの夏はさほど暑くないと
聞く。まあ、暑いは暑いのだろうが日本の夏のモンスーン気候の殺人級の暑さではないはずだ。窓が開け
られない高速特急はともかく普通の公共の乗り物はクーラーがついていないのが当たり前なのだろう。そ
れにしても、暑い。明日からパリ観光でこのメトロにはお世話になるはずなのに、先が思いやられる。
15分ほど乗って先ほど乗ったGARE DU NORD(パリ北駅)の2つ手前のChateau d’Eau駅で降りる。この駅
と次のGare de l’Est(パリ東駅)とのちょうど中間に目指すホテルがあるからだ。階段を上がりストラス
ブール通りに出た。複数の車線がある大きな通りである。もう夜の11時過ぎだというのに車の往来は結構
激しかった。ホテルは東駅に向って右側にあるはずである。足の痛みをこらえながら足早にホテルを探し
ながら歩いた。途中で4,5人の若者のグループに出くわした。突然、なまりのある英語で「お前達は日本
人か?おれは日本が大好きだぜ!」と大声で話しかけてきた。明らかに酔っている。少し身の危険を感じ
た。ここで足を止めれば囲まれて身包みはがされそうな気がしたのでスピードを落とさずに
「Okay, I see. I see.」 (はいはい、わかった、わかった)
と目もくれず言い返してそのまま歩きとおした。追いかけてくるかと少し心配したが彼らは単に我々をか
らかっていただけのようだった。彼らは日本人がイメージする白人のフランス人というよりはアラブかト
ルコ人ぽいオリエンタルな面構えだった。
そうしているうちに、とうとうマジャンタ大通りとの大きな交差点の角に来てしまった。ホテルはこの
辺のはずである。他のホテルなら何件か見かけたがお目当てのホテルは見つからなかった。ここもダメ
か?少し落胆して、町の角を、足を引きずるように曲がり、マジャンタ大通りを少し歩いた。横にはもう
すでに閉店したレストランが見えた。よく考えてみればまだ夕食も食べていない。お腹がすいたなぁ…。
そんなことを考えながらレストランの隣に目をやるとガラスの扉の横に銅板のホテルの看板が掲げられて
いた。星が三つ彫られていた。「三ツ星ホテルかぁ〜」。残念ながら私が探していたのは1か2つ星であ
る。ヨーロッパのホテルは大抵どの国も観光局により1〜5段階にランク分けされ(フランスは4つだった
か?)、それが星で表わされている。1つ星なら大抵バックパッカーが利用するような安宿、ドミトリー
(相部屋)も少なくない。5つ星ならVIPが利用するような一流、もしくは高級ホテルといった具合であ
る。各ホテルは自分の星の数を正直に玄関に掲げなければならないので、旅行者は中に入らなくてもその
ホテルの大体のレベルと値段を知ることが出来るのである。ただしこのランク付け、大方の目安にはなる
ものの、国によって基準が微妙に異なり、場合によっては、大通りに面しているか、シャワーの数、税金
対策、などの条件に左右されるため2つ星なのに平均的な3つ星の上クラスの部屋だったり、その逆もあ
ったりと多少の当たり外れはあるのである。もっともこの時はそんなことを思い出す余裕もなかった。た
だ、もう疲れて歩けなかった。目の前にはランクが少し上とはいえホテルがある。初日からいきなり予算
オーバーだが背に腹は代えられなかった。この時点で夜の11時半だったのである。妻に「ここを当たっ
てみよう」と告げて扉を開けて入ってみた。中は狭い。日本の個人経営のビジネスホテルぐらい、いや、
もっと狭かっただろうか。手前に6つのソファーとテーブルが置かれたささやかなロビーがあり、そのす
ぐ奥にカウンターがあった。中に受付の男性がいた。
「Bonsoir.」(ボンソワール:こんばんは)
とりあえず挨拶した。彼は年のころは30代半ばだろうか頭が前の方からきれいに禿げ上がっていた。誠
実かつ人がよさそうな感じだった。彼も軽くうなずいて挨拶し返してくれた。 Wベッドの部屋を探して
いるのだが一晩いくらか聞いてみた。
「一泊95ユーロです。」
やはりそうだろう、パリでの3つ星の中級ホテルの平均的な料金だ。私はパリでは一泊50〜60ユーロぐらいを
想定していたのだ。この時、別に何を思ったわけでもないのだが、事情を説明した。ただ、聞いてほしか
っただけだったのかもしれない。
「今日の夕方空港に着いてまだホテルを探せないでいます。自分としては1つか2つ星のホテルを探して
い たんですが…」
そこまで言った時、彼はすかさず私に言った。
「じゃあディスカウントしてあげるからうちにしたらどうですか。もう夜も遅いし。実は今バカンスシー
ズン直前で今夜も部屋がいくつか空いてます。1泊72ユーロでどうです?」
・・・思いがけない申し出におもわず聞き返してしまった。
「えっ、いくらだって?」
「だから72ユーロでいいですよ。」
話は即決だ。私は彼と力強く握手した。彼に対する心からの感謝の意味も込めて。
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