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 旅行中の支払いはできるだけクレジットカードと決めていた。ATMから現金は引き出せるのだが手数料

がかかるし、通常レートより高そうだ。また防犯の面からも日本と違って高額の現金を持ち歩くことは危

険だ。ただ安宿やホステルの場合現金しか受け付けないところがたまにある。ここは当然カードが使え

た。会計は最後の日にするとして、デポジット代わりにカードとパスポートを見せる。鍵を渡してくれ

た。部屋は3階でシャワー付。トイレは共同だった。エレベーターはない。年季の入った木製の階段を登

る。ギシギシと音はするし少し傾いているような踏み段もあったが、一応ヨーロッパらしい赤いじゅうた

んが敷かれており木製の腰壁やアンティークな階段灯と相まっていい雰囲気を醸し出していた。


 さて、通常、バックパッカーといえば宿泊先はユースホステルと相場が決まっている。なにより値段が

安い。パリ市内だと20ユーロ前後だろうか。4〜8人ぐらいのドミトリーと呼ばれる相部屋なので同じ旅人

同士情報交換も出来る。ただしいろいろと制約もある。ホステルにより様々だが、門限や、シーツ代が別

途必要だったり、消灯時間あったり、など等。また他のデメリットとして、プライバシーがない、盗難の

危険性が高い、とりわけ夫婦に不向きなのは男女部屋が別々だということだ。部屋に入ってしまうと次の

朝まで連絡が取りにくい。またパリのような大都市は別だが地方のホステルは町外れにあることが多い。

理由はヨーロッパの歴史と関係がある。中世ヨーロッパは疫病の時代でもあった。荒れ狂うペストなどの

伝染病のおかげで当時のヨーロッパ全体の人口が減ったほどだ。この当時、有効な治療法もなく、彼らに

できることといえば病人を隔離することぐらいだった。ヨーロッパの街は城壁で囲まれている。そのため

通常、城壁の外に病院が置かれた。そして後代に医学の進歩や下水道の整備などのおかげで疫病の流行が

ある程度おさまると、幾つかの病院があまって不要になってきた。さて、病院の構造だが、中のつくりは

複数のベッドが並べられた大部屋、そして食堂である。これはドミトリー式のホステルと非常によく似た

構造である。改装が容易だ。そこで多くが旅人用の宿に転用されたのである。悪病の流行がおさまったと

はいえ病気を他の街から持ち込む第一原因とされた旅人との必要以上の接触は敬遠されるのが普通だっ

た。これは自分の国を持たないためにあちらこちらの国をさまようユダヤ人やチガニー(ジプシー)への

差別の歴史ともつながるのだが、少なくとも夜は街の外に出て欲しいと考えるのは街の住人の当然の願い

だろう。もちろん現代にそのような考えはとうに忘れ去られているが、建物は変わらずそこに残っている

のである。それでも駅から歩いてすぐにいける距離であればいいのだが、バスに乗って…ということにな

ると金銭的にも時間的にもコストもかかる。一人旅なら私も絶対にいくつか利用したと思うのだが、夫婦

の場合、先に挙げた理由もあって安ホテルで個室をとった方が何かと便利なのだ。Wベッドの部屋ならド

ミトリーx2人分の宿泊料にもう少し足せば手が届く。場合によっては同料金かこちらのほうが安い場合も

あるのである。


 さて鍵は昔ながらのいかにも『カギ』という形をした真鍮製のものだった。穴に鍵を差し込んで開けよ

うとしたが開かない。試行錯誤すること約2分、なんとか開いた。今回はどうやらプチ試練で済んだよう

だ。古いために回すのに少しコツがいるようだった。中は私たちの想像以上に良かった。全体としてはシ

ャワールームも入れて6畳ほどで決して広くはないのだが、清潔なこざっぱりとした部屋だった。こうい

う旅行なのでホテルの部屋の質はけっこう覚悟していたのだが、さすがあの値段だけのことはあった。初

日からこんないいところに泊まっていいのだろうかとさえ思った。ま、なにはともあれ荷物を下ろすとベ

ッドに崩れこむように横になった。寝転ぶという行為自体、日本出発の日に自宅のベッドで目覚めて以来

久しぶりであった。あれからもう何時間たったのだろう、…考えるのも面倒くさくなってしまった。

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 再びメトロの4号線で先ほど来た方向へ戻る。車両の中は行きよりも若干すいていた。だいたいの乗客

が座れる程度の込み具合である。それにしても車内が暑い。こちらも重い荷物を背負ってウロウロしてい

たせいもあるだろうが、この日のパリは湿度があった。他のパリジェンヌたちも暑そうだった。見たとこ

ろこの車両には元々クーラーがついていないようだった。そういえば去年の夏の猛暑の際、あまりの暑さ

にフランスのバスの運転手たちがバスにクーラーを付けるか、もしくは半ズボンでの勤務を認めろ、とス

トライキを起こしたニュースを思い出した。プロバンスならともかく北フランスの夏はさほど暑くないと

聞く。まあ、暑いは暑いのだろうが日本の夏のモンスーン気候の殺人級の暑さではないはずだ。窓が開け

られない高速特急はともかく普通の公共の乗り物はクーラーがついていないのが当たり前なのだろう。そ

れにしても、暑い。明日からパリ観光でこのメトロにはお世話になるはずなのに、先が思いやられる。

15分ほど乗って先ほど乗ったGARE DU NORD(パリ北駅)の2つ手前のChateau d’Eau駅で降りる。この駅

と次のGare de l’Est(パリ東駅)とのちょうど中間に目指すホテルがあるからだ。階段を上がりストラス

ブール通りに出た。複数の車線がある大きな通りである。もう夜の11時過ぎだというのに車の往来は結構

激しかった。ホテルは東駅に向って右側にあるはずである。足の痛みをこらえながら足早にホテルを探し

ながら歩いた。途中で4,5人の若者のグループに出くわした。突然、なまりのある英語で「お前達は日本

人か?おれは日本が大好きだぜ!」と大声で話しかけてきた。明らかに酔っている。少し身の危険を感じ

た。ここで足を止めれば囲まれて身包みはがされそうな気がしたのでスピードを落とさずに

「Okay, I see. I see.」 (はいはい、わかった、わかった)

と目もくれず言い返してそのまま歩きとおした。追いかけてくるかと少し心配したが彼らは単に我々をか

らかっていただけのようだった。彼らは日本人がイメージする白人のフランス人というよりはアラブかト

ルコ人ぽいオリエンタルな面構えだった。


 そうしているうちに、とうとうマジャンタ大通りとの大きな交差点の角に来てしまった。ホテルはこの

辺のはずである。他のホテルなら何件か見かけたがお目当てのホテルは見つからなかった。ここもダメ

か?少し落胆して、町の角を、足を引きずるように曲がり、マジャンタ大通りを少し歩いた。横にはもう

すでに閉店したレストランが見えた。よく考えてみればまだ夕食も食べていない。お腹がすいたなぁ…。

そんなことを考えながらレストランの隣に目をやるとガラスの扉の横に銅板のホテルの看板が掲げられて

いた。星が三つ彫られていた。「三ツ星ホテルかぁ〜」。残念ながら私が探していたのは1か2つ星であ

る。ヨーロッパのホテルは大抵どの国も観光局により1〜5段階にランク分けされ(フランスは4つだった

か?)、それが星で表わされている。1つ星なら大抵バックパッカーが利用するような安宿、ドミトリー

(相部屋)も少なくない。5つ星ならVIPが利用するような一流、もしくは高級ホテルといった具合であ

る。各ホテルは自分の星の数を正直に玄関に掲げなければならないので、旅行者は中に入らなくてもその

ホテルの大体のレベルと値段を知ることが出来るのである。ただしこのランク付け、大方の目安にはなる

ものの、国によって基準が微妙に異なり、場合によっては、大通りに面しているか、シャワーの数、税金

対策、などの条件に左右されるため2つ星なのに平均的な3つ星の上クラスの部屋だったり、その逆もあ

ったりと多少の当たり外れはあるのである。もっともこの時はそんなことを思い出す余裕もなかった。た

だ、もう疲れて歩けなかった。目の前にはランクが少し上とはいえホテルがある。初日からいきなり予算

オーバーだが背に腹は代えられなかった。この時点で夜の11時半だったのである。妻に「ここを当たっ

てみよう」と告げて扉を開けて入ってみた。中は狭い。日本の個人経営のビジネスホテルぐらい、いや、

もっと狭かっただろうか。手前に6つのソファーとテーブルが置かれたささやかなロビーがあり、そのす

ぐ奥にカウンターがあった。中に受付の男性がいた。

「Bonsoir.」(ボンソワール:こんばんは)

とりあえず挨拶した。彼は年のころは30代半ばだろうか頭が前の方からきれいに禿げ上がっていた。誠

実かつ人がよさそうな感じだった。彼も軽くうなずいて挨拶し返してくれた。 Wベッドの部屋を探して

いるのだが一晩いくらか聞いてみた。

「一泊95ユーロです。」

やはりそうだろう、パリでの3つ星の中級ホテルの平均的な料金だ。私はパリでは一泊50〜60ユーロぐらいを

想定していたのだ。この時、別に何を思ったわけでもないのだが、事情を説明した。ただ、聞いてほしか

っただけだったのかもしれない。

「今日の夕方空港に着いてまだホテルを探せないでいます。自分としては1つか2つ星のホテルを探して

い たんですが…」

そこまで言った時、彼はすかさず私に言った。

「じゃあディスカウントしてあげるからうちにしたらどうですか。もう夜も遅いし。実は今バカンスシー

ズン直前で今夜も部屋がいくつか空いてます。1泊72ユーロでどうです?」

・・・思いがけない申し出におもわず聞き返してしまった。

「えっ、いくらだって?」

「だから72ユーロでいいですよ。」

話は即決だ。私は彼と力強く握手した。彼に対する心からの感謝の意味も込めて。

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          上:GARE DU NORDの駅舎の正面。この明るさで夜の9時ごろ
           下:パリのメトロの切符。上の真中がメトロのマーク   



 初めて手にしたのは160ユーロ、当時のレートで約22000円程だろうか。心配だったことがまた一つ解決し

て安心したがすぐに気を引き締めた。ヨーロッパはとにかくスリや引たくりなどの軽犯罪が多いと聞く。

周りを見渡して注意深く現金を財布に納めた。今回の旅に備えて財布も一工夫してある。スリ対策のため

に財布にコイル状に巻かれたビニールでコーティングされたワイヤーロープと、その先に脱着可能なカラ

ビナを付けてある。これを用心のためにベルトに装着する。バックパックを担いでいるとはいえ日本人は

狙われやすいし、我々も現地に慣れていない。格好など言っていられないのだ。盗まれでもしたら全てが

台無しになるのである。


 現金も手に入れたしホテル探しにかかることにした。重いのでその場にバックパックを下ろしてガイド

ブックであるLONELY PLANETを広げてみた。パリは星の数ほどホテルがあるのだが、実はここから10分ほ

ど歩くと同じような規模の大きさのパリ東駅がある。旅行者が集中するこの辺りはパリでもホテルが密集

している地区なのである。が、やめておけばいいのに、シテ島周辺に行くことにした。事前に飛行機の中

で目星を付けておいたホテルの一つがそこにあるのだ。日もまだ明るい。日本の夏の6時ごろの明るさ

だ。気分的にも楽観的になっていた。でも実はこの時、夜の9時だったのである。今思えばこの辺でさっ

さと探すのが得策だったのである。この後も、何度、このヨーロッパの夏の日の長さにだまされたこと

か…。行けば何とかなるだろう、楽観的な憶測と共に地下鉄に乗る。


 先ほどは気が焦って自動券売機の前で混乱してしまったが、本を見ると普通の切符がBillet、10枚綴り

の回数券がCarnetと呼ばれることがわかった。しかもパリ市内はどこまで行っても一律1.30ユーロである。

券売機も少し変わっている。日本のように料金別にたくさんボタンがあるのではなく、手前にあるローラ

ーを回して買いたい種類を選択する仕組みなのである。さしずめマウスのご先祖様みたいなものであろう

か。小銭も先ほど駅の売店でガムを買ったのでいくらか持っている。切符を手に入れて改札機に通す。今

回はあっさりと金属バーが回った。先ほどの苦労がウソのようである。まあ、当然なのだが。シテ島へは

METORO 4号線を利用する。ここから7駅先だ。途中、通路や階段で広告をいくつか見かけたが、とにかく

おしゃれである。どの広告も粋なのだ。全てに共通している特徴は“艶っぽさ”であろうか。デザインの

根底に女性の色っぽさ、体や顔のラインのイメージやエロチズムがあるのである。なにせパリのMETOROの

マークですら、女性があたかもキスしているかのような横顔のラインと地下鉄の路線のラインを掛け合わ

せたようなデザインなのである。これは日本の公共交通では絶対にありえない形である。ホームに下りる

とすぐに列車が来た。列車は少し混んでいた。ドアが閉まる。列車は大きな揺れと共に出発した。車内を

見渡してみると、ここはやはりニューヨークのメトロと雰囲気がよく似ていた。もちろん白人が多いのだ

が、当たり前のように黒人やアジア人がいる。アジア人といってもインド系から中国系、アラブ系まで

様々だ。さすが名だたる国際都市である。ただ白人系の場合、やはり目が覚めるようなブロンドの長身は

少なく、髪は赤毛で背丈も170から190センチぐらいの人が多いように思われた。大方のフランス人の先祖

はアングロサクソンではなくケルト人をベースに古代ローマ人の入植者と、同じゲルマンでもフランクな

どのゲルマン諸族の混血である。イギリス人やスカンジナビアンとは違う。幾つかの駅に停まった後、列

車は右に左に大きく揺れた。キー、キーと列車がカーブを曲がる時に聞こえる独特の金属音がする。どう

もセーヌ川の近くまで来たらしい。しばらくするとシテ島の手前の駅CHATELETに到着した。

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10:パリ北駅-GARE DU NORD

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           ↑パリ北駅の3〜6番線のユーロスター専用ホーム前にて


 ヨーロッパの大都市の駅の特徴、それは行き止まり形式である。列車は駅に停車すると、もうその先へ

は進めない。そこで線路が終わっているからである。今度、出発する時は運転席を逆方向に移して反対方

向に出てゆく。さらにホームの数がやたらに多い。我等が日本の首都、東京駅で確か28のホームがあっ

たと思うが、ここGARE DU NORD(パリ北駅)は35のホームがある。しかも全てがここで止まっている。

そして東京駅は立体的な構造で在来線、新幹線、地下の総武線などを含めた上での28であるが、この駅

は平面的に、同じ空間に35組のレールが並んでいる。さらにヨーロッパの大抵の同タイプの駅は全体が

鉄骨とガラスでできたかなり高い屋根で覆われている。この高さは恐らく昔の蒸気機関車の排煙対策と思

われる。それぞれのホームの上に低い屋根がある日本の駅とは大きなデザイン上の相違だ。これはやはり

19世紀の帝国主義の名残であろう。この時代、主だったヨーロッパ諸国は世界の覇権をかけて互いにし

のぎを削っていた。鋼鉄製の造船技術は日進月歩で、それは我々アジアを含む海外の植民地政策に向けら

れていたが、大陸上での最新の移動と運搬の手段は鉄道だったのである。この放浪記の初めのほうでハブ

空港の国際競争について少し触れたが、当時それと似た競争原理が生じていたのである。当時、旅行者や

国賓は主に鉄道で各国の首都に入る。わが国のこの都市こそが世界の中心であり、ここから世界中にレー

ルが延びているのだ、とに大いに印象付ける必要があったに違いない。いわば当時の駅はその国の玄関、

今で言えば国際空港に相当したのである。そのために駅舎は大変豪華だ。ほとんどは大理石をふんだんに

使用した、外から見ればおもわず迎賓館か国会議事堂か?と見間違えるほどの立派な造りである。これら

の建物はその帝国の威信を背負っていたのである。また、当時は鉄の時代である。鉄こそが国の力と繁栄

の象徴であった。その流れと共に当時流行したガラスと鉄を組み合わせたアール・デコ調の滑らかなデザ

インが、ホーム全体を覆っている屋根に生かされている駅も少なくない。


 その一典型とも言える光景が、一気に私の目に飛び込んできたのである。これはもう感動ものだった。

私は元々鉄道が好きで学生時代はあちらこちらに鉄道写真を撮りに行ったし、世界史も好きである。これ

を感動せずにいられる状況だろうか。ホームにはたくさんの急行列車、特急列車が停まっていた。フラン

ス国鉄でよく見かける電気機関車、フランスの象徴と言っても過言ではない自慢の特急TGV,赤いシャ

ープなボディのパリ-ブリュッセル間を結ぶTHALYS、そしてユーロトンネルを経てパリ-ロンドン間を結ぶ

黄色いボディの最新の国際特急EUROSTAR まで、壮観な眺めだった。その上、駅は行き止まり形式のた

め列車の顔であるそれぞれの先頭部分を間近に見ながら歩けるのである。さながら鉄道博物館である。


 さて、感動ばかりもしていられない。ここは駅である。必ずこの中か周辺にATMがあるはずである。

早くユーロを幾らか引出してホテルを探さねばならない。が、どうも駅の構内にはATMは設置されてい

ないようだった。正面玄関から外に出てみた。駅の正面はすぐに大通りだった。考えてみれば今、やっ

と、初めてパリの街に出たのである。なるほど、街がニューヨークともロサンゼルスとも全く違う。その

街並みは疑いもなくパリだった。ちょうど通りの反対側のビルの下にATMを発見した。信号を待って行

ってみた。実は外国で国際キャッシュカードを使うのも今回が初めてなのである。あらかじめ国内のみず

ほ銀行で作っておいたのであるが、果たしてうまくお金は下ろせるのか?もし何かの手違いで下ろせなけ

れば、もうこの旅は終わりである。少し緊張しながらタッチパネルに触れてみる。最初の画面からENGLIS

HかFRENCHか聞いてきた。当然、ENGLISHを押す。画面が全て英語になった。これだけでもかなり安心し

た。続けてカードを入れ、暗証番号を打ち込み、金額を入力した。果たして数秒後、現金が出てきた。初

めて手にしたユーロである。全身から全ての力が抜けるぐらいホッとした。

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 列車を降りた私たちはエスカレーターで上に昇った。RERのプラットホームは地下2階にあるらしく、私

たちは地下一階に出た。そこはいかにも都会の地下空間らしく堂々とした広さに多くの人々が足早に歩い

ていた。パリに着いた我々は、まず一刻も早く駅を出てホテルを捜さねばならなかった。もう夜の9時な

のだ。ところが困ったことに出口がない。改札機は何箇所かにあるのだが、それらは全てRERから地下鉄

に乗り換えるためのもののようだ。案内板を見たり奥を覗き込んだりしたが、やはり回転式のバーの向こ

うは地下鉄のホームにつづく連絡路のようだった。


 どうしたものか、しばらく改札機の前で呆然としていると見知らぬおじさんが近づいてきた。彼はフラ

ンス語で、おそらくは「なんだ、わからないのか?お前の切符をかしてみろ!」と言っているようだっ

た。私が切符を取り出すと「ここにこうやって入れるんだ!」と言って私の切符を改札機に入れてしまっ

た。そして彼は足早にその場を去っていってしまった。一瞬の出来事だった。ところがバーは回らない。

しかも切符は機械に呑み込まれたまま出てこない。当然だろう、この切符は空港からこの駅までが有効で

この先は地下鉄で別料金なのだから。なんてことを!振り返ってみてもおじさんはもはや人ごみの中で見

えなくなってしまっていた。事態はより深刻になった。


 しばらく絶望していたが改札機のすぐ隣に切符の自動販売機があることに気が付いた。日本のように壁

に埋め込まれたものではなくジュースの自販機のように3台ほどが独立してそびえ立っていた。切符が失

われた今、どんな切符でもいいから買ってみて、それを機械に通さなければここから一生出られないので

は?そう考え、とりあえず切符を買うことにした。ところがどのボタンを押せばいいのかわからない。表

記は全てフランス語だ。その上自分がまだユーロを1セントも持っていないことを思い出した。現金を手

に入れるにはこの外にあるであろう現金引出機に行かねばならない。途方にくれた。もうこうなったら駅

員がいる改札口で事情を説明してここから出してもらうしか方法はない!そう決意して駅員がいる改札口

を捜した。しかし、やはりみつからない。鉄製の柵の向こうでは人々がさっそうと歩いている。この向こ

う側にさえ出られれば自由が待っているに違いなかった。その後、やっと出口と思われる改札口を探しあ

てた。が、やはり駅員はいない。そしてやはり切符がないのでどうしても回転バーは回らなかった。もう

いい加減腹が立ってきた。しばらく悩んだが、しびれを切らした私はとうとうバーをまたいでこれを乗り

越えてしまった。まるで映画のワンシーンのように。それを見ていた妻は最初驚いたようだったが、背に

腹は代えられない。彼女も私の後に続いた。少し良心が痛んだが、我々は何も不正はしていない。正規の

切符は持っていたのだ。それをあのおじさんが余計なことをするもんだから無くしてしまったのだ。それ

にここはヨーロッパだ。仮に見つかっても日本の駅員みたいに細かいことをグダグダとは言わないだろ

う。それよりも“ちょっとかっこよかったかな?”という思いのほうが正直強かった。実際、私たちの周

りに適当に人はいたのだが別段驚いた様子もなかった。やっと無駄なわずらい事から開放された思いだっ

た。


 何事もなかったように今度は地上に出られる階段を捜した。それにしてもあらためて見回してみると、

この地階が思っていたよりもっと大きく、スタイリッシュことに気付かされた。ここは芸術の都パリなの

だ。そしてついに上に上がれる階段を発見した。逸る心を抑えつつも足早に駆け上がった。上に出て思わ

ず足が止まった。そこにはこれまで写真でしか見たことがなかった、これぞヨーロッパの駅!という光景

が広がっていた。

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