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 再び「教皇のバビロン捕囚」の現場、アヴィニョンの法王庁宮殿である。
「バビロン捕囚」とは旧約聖書に記録されている、西暦前5〜4世紀に生じた古代イスラエル人の民族ぐるみの流刑を指す。
モーセの律法に従わずに政治は乱れ、異教の人身供犠や偶像崇拝、不道徳などの悪行を続けたイスラエル人は、何百年にもわたる預言者たちの警告を無視し、最終的に神からの罰としてエルサレムはバビロニア人により攻め滅ぼされてしまう。
生き残った人々はパレスチナからバビロン(現イラクのバクダット近く)に民族ごと流刑に処された。
 ちなみに、耕す土地を失い都市生活を余儀なくされたこのイスラエル人たちは、食べていくために商売を始め、バビロニア人やギリシャ人たちから『ユダヤ人』と呼ばれるようになる。
『ユダヤ商人』の起こりである。
 
 その異教徒の奴隷となった期間が70年、中世になってカトリック法王がローマを離れ、ここアヴィニョンに留まったのも70年と、同じ年月なのでそう名付けられた。
確かに権謀術数が宮中ではびこり偶像が満ちていたという点では古代イスラエル人と同じで、法王庁は世界に名だたる不名誉な歴史を残している。
 その70年間、法王庁はこの宮殿を建て多くの装飾、美術品を集めたため、莫大な金銭がアヴィニョンの町に落ち、多くの芸術家、文化人が集まり、町は繁栄する。
しかし、法王庁が再びローマに帰ってしまうと町は急激に寂れ、この宮殿周辺も「強盗の洞窟」(イエスキリストが腐敗したエルサレムの神殿に関して言及した言葉)、売春婦の巣窟となった。
さらにフランス革命時の民衆の略奪で、多くの美術品が失われた。
 
とはいえ、一度は文化が花咲いた地。
現代ではこの陰鬱な宮殿とは対照的に、町全体は文化的で明るいイメージだった。
 
 
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踊りたくても踊れないアヴィニョンの橋「サン・ベネゼ橋」。
元々は20連ほどのアーチ橋だったそうだが、戦争や洪水でどんどん破壊されて行き、今ではアーチも3つ4つしか残っていない。
 
私たちが訪れた時は橋の老朽化で立ち入りが制限され、歌のように橋の上ではとても踊れない状況だった。
その後補強工事をしたようで、最近googleのストリートビューを見てみるとたくさんの人が橋の上を歩いていた。
曇り空のせいかデザイン的にもなにかパッとしない。
上流から見ると橋の上の礼拝堂が存在感があって悪くもないのだが。
まあ、残念ながらここは私にとってはがっかり観光地の一つだった。
橋の上を歩ければよかったのだが。 
 
せめてもと、このローヌ川の上流には美食の町リヨンが、さらに上にはスイスに入ってジュネーブ、アルプスの雪解け水をたたえたレ・マン湖からこの水は流れてきているんだ、というところに思いをはせてみた。
 
 
 
 
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 ローヌ川にかかるこのアヴィニョンの橋「サン・ベネセ橋」は「アヴィニョンの橋の上で踊ろう」という曲で有名だ、と、どのガイドブックにもしつこいほどに書いてある。
 
有名だと言われても全くメローディーを思い出せない。
結局、思い出せないまま現地に到着してしまった。
違うと知りつつも私の脳内に流れるメロディは「♪ロンドン橋落ちた、落ちた〜♪」
だって、この橋が、未完成というか、途中で流されてしまっている。
落ちてるから…、いやいやこの曲はロンドン橋だし…。
でもこのメロディが頭から離れない。
♪ロンドン橋〜 を脳内BGMにしたまま観光終了。
 
家に帰ってからYoutubeで聞いてやっとわかった。「ああ、この曲ね…」
 
 
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アヴィニョンと言えば「教皇のバビロン捕囚」の地。
その象徴ともいうべき法王庁宮殿前にやってきた。
 
アナーニ事件でカトリック法王庁がローマから避難してきたものの、その後イタリアの教皇領は神聖ローマ帝国に攻められ、帰るに帰れなくなりそのまま70年、7代の法王がここに留まったというヨーロッパ史の大事件。
当時の莫大な富をつぎ込んでこの宮殿を建てたらしい。
 
それにしても、この陰鬱で高い壁で囲んだ守りに徹した外観。
なにやら監獄に見えないこともない。
フランス王による事実上の教皇幽閉か、誘拐か、または法王庁側の政治的引きこもりか。
この建造物を見れば、決して華々しい出来事ではなかったことだけは、細かい歴史を知らなくても想像できる。
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 アヴィニョンの旧市街の中央通りをまっすぐに抜けて、いよいよ法王庁宮殿が見えてきた。
 
 が、ここでその朝のアルル駅での話に戻る。
アルル駅前で一夜を明かし、待合室で始発列車を待っていたのだが、祭日の始発と思えないほどバックパッカーたちが押し寄せ、切符購入待ちで駅はあふれていた。
そんな混乱の中、teenagerの男の子が手当たり次第に周りの人に声をかけていた。
 
 欧米人は見知らぬ外国人も「良き隣人」と考えるせいか、日本人ではありえないほど、誰にでも気軽に話かけて会話を楽しむ事が多い。
ましてバックパッカーなら、今から行く国や町のレアな情報が手に入るので他の旅行者と仲良くなるのは決して珍しいことではないのだが、それでも彼の行動は見た目に少し異常だった。
こんな朝っぱらからナンパか?!セールスか?お金がないのか?
皆もそれを察したのか相手にしない。
そして私たちを見つけると急接近して話しかけてきた。
 
 無視するのも失礼だし、一応話には応じてみた。
すると彼は私たちが日本人で京都の近くに住んでいるとわかると大喜びした。
さらに話を聞くと、彼はアメリカ人で世界中を旅しているらしい。
ワーホリかなんかで英語講師のバイトをしながら韓国に滞在していたことがあるが、日本はまだ行ったことがない、ぜひ行きたいとのこと。
ところで君たちはどんな家に住んでいるの?家族構成は?など聞いてきた。
…話の流れから、どうも彼はたくさんの外国人と知り合って、これからの宿泊先を確保しようとしているようだった。
 
 いや、旅先で友達になって、「今度君の国に行った時に君の家にステイしてもいいかな。代わりに君が私の国に来たらウチにも泊めてあげる」的なことはよくあることなのだが、ここまで露骨なのはどうしたものか。
「よかったらアドレス交換しようよ」と彼が申し出た時にタイミングよく始発列車がやってきた。
「ごめんね電車がきちゃった」と言い残し、群衆の流れに呑まれるように列車に逃げ込んだ。
彼は最後まで「ちょっと待って、せめてアドレスウゥゥ・・・」と叫んでいた。
 
 後でドイツ人の友達に聞いたのだが、欧米人のバックパッカーにとって日本は魅力ある国なのだが、なにせ滞在費が高いのが問題らしい。
日本はホステルは少ないし、安宿は英語予約ができないし、理解ある同業者(バックパッカー)も少ないし、家は小さいし見知らぬ外国人をいきなり泊めてくれる家もないし。
欧米人の代表的ガイドブック『Lonly Planet』なんて日本での安宿の一つとしてラブホテルを紹介している始末。
 
 まあ、ホームステイはバックパッカーの一つの裏技で「フランス人に泊まり来いよと言ったら本当にやって来た。ドイツ人に泊まりに来いよと言われたので行ってみたら嫌な顔された。」という笑い話も聞いたことがある。
ならばなおさら日本旅行の場合は、日本に住んでいる人と友達になり、そこにステイさせてもらうのが超裏技となっているらしい。
 
どうも彼は鯛を釣り逃がしてしまったようだ。
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