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ライデンの城塞で感慨深い時間を過ごした後、私たちは朝に出したコインランドリーに戻ってみた。 すると先ほどのエジプト人の男の子が丁寧に私たちの洗濯物をたたんでいる最中だった。 「できてたから、たたんでおいたよ。」 客の洗濯物(女性用の下着も含む)をたたむという、日本のコインランドリーでは絶対ありえない光景に、当初少しびっくりしたが、彼のさわやかな笑顔に、日本で考えるような心配は全くする必要がない、とすぐに理解でき、丁寧にたたまれた洗濯物を感謝して受け取った。 この後もいくつかの町でコインランドリーのお世話になったが、店員がいる店では、何も言わないのにたたんでくれることが多かった。ヨーロッパではそんな感じらしい。 ホテルに戻り荷物をまとめてチェックアウトした。これからキューケンホフ公園というオランダ屈指の花の公園に行く。 この公園へはライデン駅から直通バスが出ている。国内外に関係なくバスに乗るのはどうも苦手だが、これは直行なのでわかりやすい。 30分ほど待って、やってきたバスに乗り込む。さすがイギリス人やフランス人などの外国人観光客が多かった。出発して、バスはハイウェイに入った。 日本と違って高速道路は無料、まさにフリーウェイだ。 現在私たちは列車で旅をしているが、この高速道路を使って車でも国境を越えてヨーロッパ中をまわれるんだなぁ、と島国の人間だけに考えてしまった。 ハイウェイに平行して高い土手が続く。 運河だ。 オランダの大部分は海抜より低い。川や運河も海の近くでは堤防に仕切られて陸より上に流れている。これもまたオランダらしい風景だ。 バスは30分ほどでキューケンホフ公園に着いた。 さすが、オランダを代表する公園だけあって広大だ。 まずは入り口から時計回りに歩いてみることにした。すぐに林が広がっていた。 中はまさに癒しの空間。なだらかな起伏の芝生のあちこちに色とりどりの、様々な種類のチュープが植えられている。小川のせせらぎ、新緑の木々を通して柔らかな光がさしこんでいる。 人工的に作られた公園というのはどこかわざとらしく、無理があるものが多いが、この目の前に広がる緑の空間はすべてが調和しており、自然で、あきれるほどに美しかった。
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オランダ
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私にはライデンという街にあえて立ち寄った大切な理由があった。それはこの街が、世界で市民革命のさきがけとなった地だからである。 市民革命、もしくは運動として世界史に燦然と輝いているのは「フランス革命」や「アメリカ独立戦争」である。しかしそれらよりも200年前に市民が自らの手で貴族社会から自由を勝ち取った出来事が、ここライデンで生じた。 オランダは元々神聖ローマ帝国、ハスプスブルグ家の領地だった。しかし家が分裂するとここはスペイン・ハスプスブルグ家のものとなり、スペインの飛び地となった。 当時この地ではプロテスタント運動が盛んで、カトリックのスペインは当然これを弾圧、他の政治、経済的圧政に耐えかねた市民は、1568年オラニエ(オレンジ)公ウイリアムの指導の下、独立戦争を起こす。 そして1573年から一年間、ライデンはスペイン軍に包囲され、市民はこの城壁の中に立てこもり、飢えに苦しみながらスペイン軍と戦った。 時は大航海時代、スペインはまさに絶頂期で世界最強の軍隊を持つ国であった。対するオランダは靴屋や漁師が武器をとった単なる市民兵だった。にもかかわらず、最後にはオランダ側が水門を破ってスペイン軍を水攻めにして、世界最強の軍隊は退却した。 その後、ユトレヒト同盟により北部ネーデルランドはスペインからの独立を果たす。 ただの市民が貴族の軍隊を打ち破って独立国を作ったのである。しかもこの同盟には各都市の自治権と信仰の自由が保障されており、市民による商業大国オランダの歴史がここから始まる。 私は是非この地を見てみたかった。地図を広げると街の中心にBurcht(ブルヒト:要塞の意味)と呼ばれる円形の場所がある。 美しい運河沿いに歩いていくと、石畳の道の先にちょっとした門があり、その向こうにたいして高くもない緑の丘のがあった。丘の上には確かに赤レンガ造りの城壁が建っていた。 朝のせいか、そこにはほとんど人がおらず、ねずみ色の空の下、ただ静寂に包まれていた。 歴史的な場所にしてはインフォメーションブースもチケット売り場もない。 知らない人が見ればただの公園に映るだろう。壁は全くの円形を成しており、直径は300mほどだろうか、小さい。この中に当時の全ライデン市民が立てこもったのである。 壁の中には城のような建物はなにもなく、芝生とこの地の主とも言えるような大木が一本茂っているだけだった。 壁の内側に階段があったので上ってみた。壁の上からはライデンの街を眺められる。決してちゃちな砦ではない、にしてもよくこれだけの城塞で当時のスペイン軍と一年も対峙できたものだと改めて感心させられた。 それにしても、当のオランダ人はこの城塞と、それにまつわる歴史をどう考えているのだろう。 きちんと調べれば、どう考えてもこの地で起きた出来事は、民主主義誕生において無視できない事柄である。 その後のオランダの発展や、世界の歴史の流れを考えればフランス革命にもひけをたらない出来事だと思う。 しかし、どうも当のオランダ人自身がこれを大々的に宣伝することをしなかったために、ただの地方の歴史に終ってしまったようである。 それはこの要塞がまったく観光地されていないことからもわかる。 このライデンが開放された後、こんな話がある。長い間、飢えと戦いながら篭城に耐え抜いた市民たちに、指導者オラニエ公は労をねぎらう意味で数年間の税金の免除を提案する。 しかし、当時の市民はそれを辞退し、替わりにこの街に大学を創ることを要望した。 一時的な金銭的利益を得るよりも、自ら学び、さらに優秀な後継者を育てて、この国の知識レベルを引き上げ、将来のより大きな発展にかけたのである。 そのような日常生活は質素に、しかし先行投資は怠らない寡黙なプロテスタンティズム的精神が、この勝利を世界に宣伝して歴史的な名誉を得るということに、人々を無関心にさせてきたのかもしれない。 そしてその時にたてられたのが、現在5万人の学生を擁するライデン大学なのである。 日本人としては、西周、榎本武揚らがここに留学しており、後の日本の近代化に大きく貢献した。 このような歴史に触れる時、改めて「教育」とはなにか?ということを考えさせられる。
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朝、目覚めるとあいにくの曇り空だった。だが、この悪い天気にもかかわらず、宿の窓から見える景色に改めて感心した。昨夜はだいぶ日が落ちてからここに入ったため、暗がりの夜景としての景色は見た、それでもこのいかにもオランダらしい景色に感心したが、日が昇って見てみてもやはり感動的だ。アムステルダムなどのオランダの町の写真はテレビや雑誌で見たことはあるが、こんなにもオランダらしい町並みは予期していなかった。改めてこの街に泊まってよかったと思う。 さて朝食をとりに下のBarへ行く。店が店だけに昨夜は夜遅くまで大音量のBGMが流れていたが、朝はまるで嵐の後の静けさだった。もっとも昨日は、ハードスケジュールも手伝って疲れ果てていたため、音を気にする間もなくベッドに入るなり爆睡してしまった。先客におばあちゃんと彼女の孫の男の子の2人がいたが、どうもこの店の家族らしい。これから学校に行くらしく、あわただしく食べていた。朝食はチーズ3種類とプレスハム3種類、それにパンとコーヒーだった。そこはやはりオランダでチーズもハムもたいへんおいしかった。 さて朝食も済んだところで、この旅が始まって以来の洗濯物がたまっているのでコインランドリーに行き、洗濯中に街歩きをすることにした。こういう時にロンリープラネットは便利である。ちゃんと地図にランドリー店まで載っている。洗濯物を抱えて町へ出る。車はやはり走っておらず、時折学生の自転車が行き来する程度でたいへん静かだった。水路沿いに行ってはね橋を渡ってしばらく歩くと店はあった、が閉まっていた。朝9時開店とある。ちょうど9時になったところだが開く気配もない。この辺のヨーロッパ時間もそろそろ慣れてきた。そのうち誰か来るだろう、と15分ほど待っていると、一人のアラブ系の男の子がやってきて店を開けてくれた。彼はエジプトから来た留学生で、バイトで働いているらしい。私たちが今ヨーロッパを旅行中であると説明すると、エジプトも大変興味深い国だからいつか是非来てくれと言っていた。歴史好きの私としては、エジプトもいつか行ってみたい場所だったので、遠い国が急に身近に感じられた。 ランドリーマシーンに洗濯物を放り込むと、再び街歩きを始めた。水路に、ボートに、風車に、跳ね橋…、まったくオランダという国をそのまま象徴したかのような景色である。その全てが調和していて美しい。どこまで行っても、まるでテーマパークのような景色に改めて感動する。後で地図を見て分ったが、このライデンという街は旧市街が城の堀のように水路で囲まれており、街中にも数本流れている。堀の外のに見える道路には車がたくさん走っていた。この旧市街だけはまさに別世界なのである。
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本当はこの日はライデンを通過してアムステルダムで泊まる予定だった。しかし翌日、どうせまたライデンに戻ってキューケンホフ公園に行くつもりだったので、時間も遅くなったことだし、ライデンで途中下車してホテルを探すことにした。 少し不安だったのは日本のガイドブックにはライデンに関する情報が少ないことだった。観光地としてあまり魅力がない土地なのか。ここは世界のバックパッカーのバイブルLonely Planetに頼るしかない。やはり「地球の歩き方」とでは情報量がまるで違う。ただ英語なので読むのがめんどくさい。 アントワープを出て約1時間30分、ライデン駅に着いた。まだ明るいが、日がちょうど沈んだ頃だった。夕方5時ごろかと思って時計を見たらとんでもない、夜の9時過ぎだった。駅を出て急いでホテルを探すことにした。 駅を出て、まず驚いた。何を驚いたかっていうと、周りの町並みがまるでテーマパークのようなのである。ディズニーランドかハウステンボスにでも迷い込んだかのようだった。駅から町へ入るメイン道路はすべて石畳は当然として、車はほとんど走ってない。その代わりに自転車に乗った大量の若者たちが道を我がもの顔に走っている。建物もコンパクトでかわいらしい。思わずチケット売り場はどこか探してしまいそうなぐらいの雰囲気だった。 そう、ここライデンは5万人の生徒を抱えるライデン大学がある学都なのである。その歴史はドラマチックで、日本の歴史に大きな影響を与えたシーボルトも在籍していた。今でも日本学部がある。ここには世界中から学生たちが集まっている。見てからにこんなに若い精気にあふれた街は初めて見た。 街の雰囲気にとまどいつつロンプラで紹介されていたホテルに着く。しかしすでにFull(満室)のサインが掲げられていた。あきらめずに次に行く。すると運河に出た。もう涙物の光景だった。美しい。夕闇に運河と小船、伝統的なオランダの町並み、遠くには跳ね橋や風車まで見える。これ以上ないというぐらいオランダな景色だった。もうウソみたいな美しさだった。 運河の船着場の正面に小さなホテルやレストランが軒を並べていた。一番奥はPubだったが2Fはホテルだった。Pubのマスターに尋ねてみると部屋は空いているとのこと、部屋を見せてもらった。宿泊料が安い割には部屋はきれいで明るく広い。トイレとシャワーも付いている。何よりうれしかったのは窓の外には先ほどの運河が見えることだった。しかも朝食付。迷わずここにした。後でみてみたらここもロンプラに載っていた。 時間も時間だから急いで食事に行く。ホテルの周りのレストランは閉店、もしくはいまいちだったので運河沿いを歩いて町の中心部へ行く。もう夜の10時過ぎ、辺りは本当に真っ暗になってきた。幸いよさげなレストランがあったので入ってみた。レストラン内部の明かりは各テーブルのキャンドルだけでかなり暗かった。でもいい雰囲気だ。大学生たちや明らかに教授連中とわかるパーティーがディナーを楽しんでいた。
やってきたウエイターも明らかに大学生のアルバイトといった感じだった。内気そうな彼は小声でなにかモゴモゴ言っている。よく聞いてみるともう閉店間際であまり料理がつくれないらしい。遅く来たのは悪かったが、ここを逃すとこっちも今夜は何も食べられない。ヨーロッパには深夜営業のコンビになどない。何とかしてよ、と頼むと奥に引っ込んでしまった。 それから5分待っても10分待っても彼は戻ってこない。しびれをきらしてウエイトレスのお姉さんに聞いてみると彼は時間が来たので帰ったとのこと。はあ?!しょうがないからお姉さんにオーダーを頼むと「今夜は本当に何もないの。前菜とホワイトアスパラガスのメインぐらいしか出せないの」。 …この季節、ヨーロッパといえば初物のアスパラガスである。あの肉好きのヨーロッパ人が、この季節だけは初物のアスパラガスをメイン料理に供する。どうも日本人にとっての春のタケノコや、秋のマツタケ以上の思い入れがあるらしい。それは願ってもない、是非それを頼む、と言うと「本当にいいの?だってただのアスパラガスよ?!」となおも念を押してきた。彼女はアスパラが嫌いなのか、それとも地の果てからヨーロッパにやって来た旅行者に、野菜料理をメインに食べさせるのが忍びなかったのか。 出てきたのはホワイトアスパラガスのクリームソースがけだった。日本のスーパーで見るものより太くて長いのが5,6本のっていた。すごくおいしかった。思いがけず春のヨーロッパの旬を味わえた。もう大満足である。こうしてライデンの夜は更けていった。 |



