大判カメラ日記

奥日光を中心とした写真撮影と大判カメラにはまっているマニアのブログです。

カメラの歴史

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残念、この3連休の突撃は見送りとなった。
週明けから絶不調で2日間絶食した上に、夜は熱まで出て大変だった。
これは体力失って駄目だなーと思っているうちに天気もどんどんダメとなり、いよいよ突撃不能となってしまった。
昨日が当たり日だったと思われるが・・・・。

こうなるともう年内、山に行くには湯元から登るしかない。
だが湯元発前白根経由奥白根行は、相当な健脚じゃないと辿り着けないと思う。
特に冬場は荷物が重い上に、外山稜線が吹き溜まりになるため、ワカンが必須アイテムになるのだ。結構地獄のコースである。
そのルートを正月3が日に登ったこともあったが、それはまだ馬力があった10年前のこと。今はちょっと・・・・という感じだ。たった10年でガッカリするほど体力が落ちてしまった。

かと言って今さら光徳沼とかで撮る気にもならないのだ。
だいたい、光徳沼は「沼」ではなく、川になってしまっている。
快晴無風の晴れた正月休みに撮りに行くと、邪魔だのどけだの怒号が飛び交う殺伐とした場所だ。

話を元に戻すと、調子が悪くなったのは、火曜の夜からだった。
ヤフオクで奇妙なカメラを見つけ、ずっと監視していたのだった。
「トーコー ニッキ」という聞いたことのないカメラだった。
前枠や後枠の形状を見るとウィスタなのだが、後枠前繰り出し部に見たことのない金具を使っている。それで「長岡製」となっている。
変だと思ってさっそく電話をかけてみる。

トーコーという会社は1970後半〜80年代にかけて、海外向けにウィスタの亜種を売り出そうとしたらしい。なぜタチハラではなく、ナガオカさんのところに話が行ったのかは、何か事情があるらしい。今度聞いてみたいと思う。
で、実際に作ったのは150台ほど。うち30台弱が国内向けに新宿ヨドバシで売られていたのだそうだ。120台の輸出というのは、ちょっとというかお宝的少なさだなと思う。果たして実際に売れたのかどうか?
今回出てきたのは、国内向けの一台だろう。35年ぐらい前のものではないかと思われる。結構お宝じゃないかなあ・・・と思って出品直後からずっと監視。

で、それを撃墜しようとして・・・・いるうちに、具合が悪くなってしまったというわけだ。
落札額はショックなことに、私の入札よりたった11円高いだけだった。
翌朝これを知って食事がのどを通らなくなり、熱まで出てうなされてしまったのだ。

現在楽しみなのは、「ハーレー」という会社のカメラだ。
ハーレーと言ってもバイクの会社ではなく、写真関連の会社だ。その会社でかつてカメラを販売していたことがあっるらしい。これも80年代のことなのだそうで、1980年代って、随分といろんなタイプの大判カメラが作られているんだと思った。
で、今回それがどうやら手に入りそうなのだ。

トーコーは手に入らなかったが、ハーレーが手に入れば、まあいいか。
あとは家の中にどう持ち込むか?
中に入れてしまえば、私の勝ち。カメラを隠すならカメラの中へ。

ハセミとイケダ

長谷川製作所も池田製作所も、どのカメラの本を見てもネットで漁ってみても、とにかく資料が無い。
もう完全に忘れ去られてしまったカメラなのだろうか。誰かまだ知っている人が居るのだろうか。

通称「ハセミ」は、長谷川製作所のカメラだ。神田に工場があったらしい。
昔から・・・1900年代のはじめごろの暗箱メーカーで、小西六にカメラを収めていたのが長谷川製作所らしい。小西六はそのご「コニカ」になりコニカは「コニカミノルタ」になりその後「ソニー」になっていくから、果たして100年前のことがどれだけ記録されていることやら?
時々ネットに出てくる「ハセミ」は、小西六に納めていた以外に出していたもの・・・1950〜60年代のもののようである。
ハセミには石井と言うカメラ作りの名人が居り、他の職人を仕切っていたのだそうだ。長谷川製作所の終焉は良く分からないが、この名人が居なくなった(亡くなった)ために廃業になったと推測している。

イケダは創業が1956年のようだ。
イメージ 2
イケダ-ANBAのANBAは「暗箱」からもじったらしい。
浅沼商会の下請としてカメラを収めていたようなので、調べれば更に何か分かるかもしれない。

この当時は、木工も金型も全部自前でやったという。外注したのは塗装と蛇腹ぐらいか。
イケダ-ANBAのこの蛇腹は、今作るとなるとびっくりの値段になるそうだ。
イメージ 1

タチハラのルーツ

都内を徘徊した折、カメラの歴史を探りに行った。
六本木のカメラも見たことには見たが、撮影不許可だし知りたいカメラはないし。大雨だったし。
私が知りたいのは木製暗箱史だ。
それで話を聞いていると、驚くべき内容があった。
タチハラのルーツだ。
タチハラは1933年創業、となっている。ウィキにそう書かれて居る。
しかしこれにはその前があって、

イメージ 1
もともとは「今井製作所」という木製暗箱メーカーがルーツなのだそうだ。
先代のタチハラさんはこの今井製作所がなくなったときにカメラの工場を立ち上げ、息子さんに受け継がれていったのだという。
知らなかった。
ほとんど知る人が居ないのではないだろうか。
写真の学校に行けば、この手の歴史に詳しい人が居るのだろうか。

カメラ史を調べる

都合で、軟禁状態になってしまった。
それでカメラの歴史を読んでいた。
この本は、比較的新しく、一昨年に出されたものだ。

ダゲレオタイプから、キャノンの5D、ノキアまでが載っている。編集は2013年に行なわれたものらしい。本という形だと、カメラの進化に出版が追いつかないようだ。

私が気になったのは、ある女性ジャーナリストの写真だ。
イメージ 1
フランシス・ベンジャミン・ジョンストンという名前らしいが、この人が手にしているカメラがとても気になったのだ。
ボードはジナー、カメラはどうやらバイテンらしい。

この女性は1952年に亡くなっているのだそうで、とすると、この写真は1930〜40年代、ということになる。1930・40年モノでこの形状のカメラは、何が考えられるのか?
Dアドルフにしてはフロント部の形状が違う。フィリップス?とも思うのだが確信が持てない。フィリップスの昔のバイテンはジナーボードであり、これが一番似ているように思うが、どうだろう。しかし当時はコダックもいろいろとカメラを作っていたはずだから、アメリカならコダックのフィルムだろうし、コダックのカメラと言うことも十分考えられる。
ベンジャミンジョンストンの記述は、全部英語だ。翻訳ソフトを使ったが翻訳が出来なかった。自分の英語力ではとても分からない。それっぽい単語を探したが、使っていたカメラの記述は分からなかった。
アメリカに行けば分かるのかもしれないが、そこまでの興味は無い。
しかしいろいろと推理してみるのは、面白い。

フォトックス

どういうわけか、フォトックスのパーツが置いてあった。
北上野の棚には、行くと毎回違うものが置いてあって興味深い。
このパーツは、9月下旬にはなかった。
イメージ 2
フォトックス6789の前期型の前枠だ。
ボードは8センチ角で、馬男仕様になっている。
この前枠と基台部、後枠が置いてあって、
イメージ 1
金具と蛇腹があれば、フォトックスが出来てしまうではないか!!

フォトックスの歴史は、そんなに古くない。
といっても、作られていたのは今から約35年前だ。
下請けはナガオカだ。1980年から約5,6年は軽量・コンパクトな6×9判として盛んに作られた。
前期型と後期型に分かれ、前期型の前枠は馬男ボードで、後期型がリンホフボードだ。
なお、これの初期型と言うのとワイドタイプもあり、こちらのレンズボードの大きさはかなり特殊である。
リンホフボードは生産量が少なく、貴重品なのだそうだ。

フォトックスの数自体が少なく、私には全部貴重品に見えてしまう。

このフォトックスの枠をどうするのかを聞くのを忘れてしまった。

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