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国民主権を実現しよう!

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沖縄の平和を願い行動する創価学会有志の会
 
沖縄を「戦争の基地」から「平和の要塞へ」!!
 
「核も、基地もない平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である。−それが、沖縄の人々の思いであり、また、伸一の願いでもあった。『本土復帰』という住民の悲願の現実を盾に、核兵器や基地を沖縄に背負わせるとするならば、かつて沖縄を本土決戦の“捨て石”にしたこと同様の裏切りを、政府は重ねることになる。」 池田大作 新・人間革命13巻p303
 
私たち創価学会員の師匠である池田先生は沖縄から基地がなくなり真の平和が訪れることを心から願っていました。その沖縄に多くの県民の反対を押し切って新たな基地の建設が政府によって強行されようとしています。今こそ学会員が立ち上がり、新基地建設反対のために声をあげるべき時ではないでしょうか!!
 
沖縄には約500年に及ぶ琉球王国の時代がありました。「万国津梁」の誇りを掲げ、交易と文化交流の豊かさを誇った沖縄は、当時の中国から「守礼の邦」の尊号を送られました。明治123月、本土から軍隊、警官約600名が首里城に乗り込み明け渡しを命じました。これを琉球処分と呼んでいます。皇民化教育が徹底され琉球の言葉(ウチナーグチ)を使うことも禁止されました。
 
70年前の沖縄戦では「鉄の暴風」とも呼ばれる凄惨な地上戦が行われました。地形も変えてしまうほどの凄まじい砲撃の雨、集団自決などの惨状は「この世のありったけの地獄」と米兵が形容したほど残酷なものでした。20万人以上の死者、10万人を超える県民の尊い命が失われ、沖縄は焦土と化しました。
 
戦後、日本が独立するのと引き換えに、沖縄は米軍の統治下におかれ27年もの間、日本国憲法も適用されない、いわば治外法権のような状況にありました。日本では当たり前の人権や自治権が持てない状態での中、米兵による犯罪も不問に付されていたのです。
 
沖縄の米軍基地は、戦中・戦後に住民が収容所に入れられている間に米軍によって接収され形成されました。その後も新たな基地が必要になるたびに住民を「銃剣とブルドーザー」で追い出し、家も壊して造られました。県民が、沖縄が自ら提供したことなど一度もないといいます。
 
日本の差別と矛盾の縮図と言われる沖縄。沖縄に憲法は届かないと言われています。私たちは生命尊厳の日蓮仏法を根本に、人間主義、平和主義の思想を学び生きてきた創価学会員として、戦後70年経った今もなお続く激しい差別と不条理をこれ以上見過ごすことはできません。沖縄に基地を押しつけ、犠牲を強いてきたのは紛れもなく私たち本土の人間であり、差別の当事者であることを忘れてはなりません。「人の犠牲の上に安逸を貪るのは、人間として恥であり、罪ではないか。」1999.2.28池田大作  
石井啓一国土交通大臣様
私たちは平和の党としての公明党をこれまで全力で応援してきました。その公明党議員の石井国交相が、沖縄県民の圧倒的支持で選ばれた翁長知事を訴えたことに深い悲しみを禁じ得ません。どうか政治家としての原点に立ち返って下さい。沖縄の民意を尊重し、翁長知事への告訴を取り下げてください。そして辺野古新基地計画を撤回し、普天間飛行場の危険を除去することに全力を注いでください。それが「民意に寄り添える政治家」を目指すと言われていた石井国交相の政治家としての志を果たすことではないでしょうか。
 

 平成28124日  沖縄の平和を願い行動する創価学会有志の会 


     

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