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まだまだ多忙につき、どうも落ち着かない。
展示の原稿はいくつか残っているし、暖かくなってイベントも増えるのでバタバタしてきた。
自分の勉強不足を痛感しているので、死ぬほど勉強したい。
最近、今更だけれど、
文学と史学では同じ文献を読むのでも若干アプローチの仕方が違う?(あくまで?の段階)
ということに思い当たった。
そこで合わせてしまっては面白くないと思うので、私らしく歩調を合わせられればなぁと思う。
私は私ができることをする。
そのためには、人一倍知識を持たなくては。
それも、ただ詰め込むのではなくて、必要な時に使うことのできる知識の持ち方をしなくては。
できるうちにできることをやって、得られるものはなんでもたくさん得たい。
こういう時の精神力は馬鹿みたいに強い。
学生時代、熱が40度あるのを知らずに平然と陸上競技の大会に出たり、
骨にヒビ入ってるのに気付かず普通に10キロ走ったり。
本気になっていたら痛みすらきれいさっぱり忘れてしまう。
家に帰ってほっとして切れた瞬間に昏倒したりもするけれど。
友人に、内側からの攻撃には弱いけれど外傷には頑丈だと言われたこともあるけれど、言い得て妙だと思う。
今は自分の体調に気付くことも上手に付き合うことも覚えたので、無理しすぎたりはしないけれど、 お仕事には本気で命を懸けています。
――――とはいえ、お仕事ばかりしていると周りが見えなくなってよろしくないので。
最近読んでいる本。そのいち。
ミヒャエル・エンデ 作、大島かおり 訳 『モモ』
エンデといえば、一番有名なのは映画「ネバーエンディングストーリ―」の原作、
日本語訳『終わりなき物語』でしょうか。
映画自体は原作者との確執が色々・・・と、それは置いておいて。
私はこの『モモ』が一番好きなのです。
モモの持つ「めずらしい性質」を通して見ることでエンデが伝えたかったことは―――・・・・今度まとめます。
そのに。
梨木香歩 『不思議な羅針盤』
これは以前の記事や1つ前の記事で書いたものです。
梨木香歩さんが日常感じていることの色々を書いたエッセイ。
とても共感できると共に、
私が普段説明のできない「なんとなく」と称する感覚を、事細かに、正確に、描写している。
「性質」がよく似ているのだろうと思う。
なかなか説明できない感覚に頭を悩ませていたりするので、
もういっそこれを読んでくれ、とでも言おうかと思うくらいに。
そのさん。
野村美月 『“文学少女”シリーズ』
天野遠子と共感覚のお話。
ある感覚を別の感覚に置き換えて感じる、「共感覚」と呼ばれる感覚
(「聴覚」で感じるはずの音を「視覚」的な色として感じとる・・・など。)
を持った人がいるということから、
世の中には、遠子さんのような人もいるかも?というお話です。
これもそのうち・・・。
もっとうまい具合いに時間が取れる要領と体力がほしかった。
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読書感想文
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「感想文」なので、私の主観で好き勝手に書いています。
「こういう読み方もできる」という方、ぜひ教えてください。
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気温はまだまだ低いけれど、
空気が梅の香になり、空も日の色も春を思わせるようになってきました。
メジロ、ヤマガラ、アカゲラ、コゲラ・・・
甲高く鳴き交わす音、木をつつく音、微かな羽音が風に混ざる。
ウグイスはまだ鳴かない。
こういうことを職場のメールマガジンに書いたりしているのだけれど、
時々首を傾げられることがある。
普通の人は気付かないものなのだろうか。
どうも私は自分の感覚がズレていることへの自覚が足りない。
一体なにを普通と言うのか、謎だけれど。
余計な声まで入ってきてしまうので、人ごみは苦手。
今住んでいるところより都会には絶対に住めない。
そんなに敏感なのかと思えば注意力は散漫で、人より疲れやすい。
無駄な感覚に振り回されてる感が否めない。
梨木香歩さんの小説の言葉を借りれば、「そういう性質」なのだ。
この言葉が目に入ったとき、自分の中で、すとんと納得がいったように思えた。
こういうものを、とんとんと整え、なだめすかして、うまく付き合っていくこと。
梨木さんの小説やエッセイは共感できるとともに、迷ったときの羅針盤になってくれる。
否定も肯定もせずに、ただそこにあるものをそのまま穏やかに見つめる。
何も思わないのではなくて、自分の感じたことも主張もきちんと持って、
周りの声にも、自分の中の羅針盤にも、耳を澄ます。
そういう間隔は少しだけ、分かる気がする。
他人にはとても説明し辛くて、理解されないことも多いけれど。
友人たちには悟りを開いてるとか、逆に魔王とか言われていますが。
「そういう性質」なのだとちゃんと受け入れてくれて、大事に思ってくれる友人たちがいることは有り難いことです。
だからこそ、安心して、
ゆっくり、ゆっくり、春を迎えるように緩やかに、私の世界の色々とつきあっていく。
※梨木香歩 『不思議な羅針盤』
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梨木香歩 『りかさん』 |
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いつの間にか空の色が濃い。 |

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お仕事、楽しいです。
帰った来たら、ぐったり眠ることも増えました。
途中で何かにびっくりして起きちゃうんですけどね・・・。
お仕事している職場、ご夫婦で来られる方がとても多いんです。
それも、とても温かいご夫婦ばかり。
お互いのことを大事そうに見てらっしゃるのが、とても癒されます。
いいなぁ。
私もいつか・・・と、考えなくもないけれど・・・
男性、苦手なので・・・。
友人ならいいのだけれど、
そういう関係は無理。
気持ち悪い。
「うえっ」って、なる。
(考えて本気で「うえっ」ってなった)
でも、
竹下文子さんの『木苺通信』の「トプ」と「私」みたいなのだったら、いいなぁ。
同じ作家さんの『風町通信』の「彼女」みたいなのは嫌。
主人公「彼女」は少し不器用で、引っ込み思案。
ポストに手紙を入れてすぐに後悔して、どうしようもなくいたたまれなくなる。
歩いていて人を避けようと思ったらぶつかってしまうし、どうしたらいいのか時々混乱してしまう。
そして今、ボーイフレンドとお喋りをしているのだけれど・・・
ほんとうの「彼女」―彼女の心―は、一人、もっとわくわくすることをしている―思っている―。
空に向かってどんどん進んで、もうすぐ空に手が届く。
こんなに自由な自分が、心にあるのに―――。
そんなこと、「彼」はしらない。
つまんない。
だからこそ、「彼女」は心だけは一人他のところで遊んでいるのだけれど。
「彼」は「本当の彼女」のことを何一つ知らないのである。
知ろうとしないのか、見ていないのか。
目の前にいる「彼女」が“本物”じゃあないなんて思ってもみない。
・・・・愚かだなぁ。
「彼女」はそのうち、一人でどんどん遠くへ行ってしまう。
気付いたころにはつかまえられない。
『木苺通信』の「トプ」は「私」のことを見たまま受け入れる。
「私」は、見つけるたびに少しずつ違うかもしれない。
それでもいいんだ。
なんだっていい。
「私」はただ「私」であるだけで、それが自然で、そこが興味深くて、
それを「ふぅん」って言いながら見ている。
興味がないんじゃない。
優しい「ふぅん」。
きっと、ちょっと満足げに。
面白いことを始めれば面白そうに見る。
そして、時々「あんたのそういうとこ好きだよ」って言う。
きっと、目を和ませて面白そうに。
ただ、なんとなく、一緒にいて心地いい。
気が付いたら隣にいて、のんびり寄り添う。
ほんの少しの仕草で、ふと心が温かくなる。
くっつきすぎず、離れすぎず。
干渉しすぎないけれど、ふと思った時に呼んでみる。
そうすると「はいはい」(これも優しい意味の「はいはい」)って応える。
そういうの、いいなぁ。
見るものを無理やり矯正して同じものを見ようとするのと、
何を見てるのかな?って目線をたどってみたり、姿勢を変えてみたり、考えてみるのはちがう。
・・・・と、思う。
後者のほうが、きっと楽しいし、温かくなれる。
なにより、ちょっと見えた時に嬉しい。
何考えてるのかなって、何見てるのかなって考えるのが楽しい。
だから、いっしょうけんめいになれる。
きっと、相手のことがもっと好きになる。
そういうのもあるね、って認められる。
そうして考えたことは、とても大事になる。
私にとってこれは友人に対することだけれど。
そういうことを自然にさせてくれる相手なら、大丈夫かな。
ちょっと悩んだって大丈夫で、最後にはただ自分らしく好きなことを好きって言って、
なんだかにこにこ笑ってそっと隣にいられたら、大丈夫かなぁ。
その前に、
もっと自分とお話しするほうが今は大事だと思う。
私はまだ自分を持て余してる、ような気がするので。
そりゃあ耳は聞こえないし、寝れないし。精神ボロボロかもしれないけどさ。
潰されてる場合じゃあなかった。
負けないっていうのとはちょっと違う。
人はつい対抗してしまいがちだけれど、
そういうんじゃなくて、もっと自然で無理のない方法で、できることだってあるんじゃないかなぁ。
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