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例えば、古代史にある倭国と朝鮮半島の任那の関係について。これは今日では、歴史のテーマであると同時に、日本と韓国等との政治問題にもなった問題です。
それは、この倭国と任那という存在が、今日、日本と韓国等という「国家」に別れて、それぞれの国で、それぞれの立場で、それぞれの国で形作られた歴史の中で語られている、ということが原因でしょう。
ところが、この「国家」というものが明確にできたのは、近代になってからのことです。また、おぼろげにでも、異なったまとまりであると認識されるようになったのは、それぞれの地域の支配層が、6〜7世紀に律令国家を形成しようと、それぞれの勢力の及ぶ範囲に地方制度を整備し始めた辺りからではないでしょうか。
それまでは倭王なり百済王なり、それぞれの首長がそれぞれの勢力の及ぶ範囲を支配するといった曖昧な認識しか無かったと思うのです。
例えば、中国の史書では、いわゆる倭の五王たちは山川を跋渉し、数多の国々を征服したとありますが、彼らにとって、遠近の違いはあっても、関門海峡を越えるのも、対馬海峡を越えるのも、あまり意識に違いは無かったのではないでしょうか。
そういったことから観ると、「国家」という枠組は、それほど根源的、絶対的なものでは無い。
だから、倭国と任那の関係性に係る政治的問題は、過去にあったであろう事象とは、実はあまり関係が無い、日本と韓国等という異なる「国家」が形成された後の、今日的問題なのだと思います。
そして、この問題に限らず、歴史は常にそういうものを背負っている、そう考えて、相対さないといけない、そういうものなんだろう。
最近のニュースを見ていて、そんなことを考えてしまいました。
参考文献
「魏晋南北朝」川勝義雄 講談社学術文庫 2003(原著1974)
「グローバル化と世界史」羽田正 東京大学出版会 2018
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