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越後の山間部にある外様の小藩でした。
そんな田舎の小さな藩も、いえ小さな藩だからこそ幕末期には様々な思惑が行きかい動乱の中を木の葉のように流されていったのでした。。。。
慶長3年(1867)5月、村松藩の藩政を握っていた門閥派の首領、堀右衛門三郎は藩内に拡がりつつあった尊王派の中心人物7名をついに処刑、尊王派の粛清を断行したのでした(村松七士事件・http://blogs.yahoo.co.jp/akatomoyuka/8469767.html)。
この事件を機に村松藩は佐幕へと大きく舵を切ったこととなりました。
しかし、右衛門三郎さんには折り悪くと言いましょうか。。。。
その年の慶応3年10月に大政奉還が、
12月には武力倒幕を目論む薩長により王政復古のクーデターが断行され、
翌慶応4年(1868)1月、ついに鳥羽・伏見の戦いに端を発する戊辰戦争が勃発しました。
時局は堀右衛門三郎ら、村松藩首脳の予想をはるかに超えた勢いで展開していきました。
3月には早くも官軍(北陸道総督軍)が上越の高田に到着し、越後の諸藩に忠誠を誓わせます。
村松藩も重臣を高田に派遣し、忠誠を誓う請書を奉じたのでした。
官軍の基本方針は越後と太平洋側の白河を押さえ、この両面から会津を挟撃し、武力により徹底的に討伐することにありました。
東北の大藩である仙台藩と米沢藩は官軍からの出兵命令に抗い、会津と庄内の赦免を嘆願しました。しかし、官軍にとって、特に会津の武力討伐は既定路線でしたから、それは敢え無く却下され、一層出兵を督促されることとなります。
一方、村松藩には慶応4年1月に入ると、しきりに会津藩から使者がやって来ては、事が起こったときの協力の依頼がなされておりました。事態が一層の緊迫する4月になると更に米沢藩も、村松藩を含めた下・中越諸藩への働きかけを強めていったようです。
5月に入ると、仙台藩と米沢藩はついに奥羽諸藩を糾合して列藩同盟を結成しました。その直後には米沢藩の働きかけにより、新発田藩、黒川藩、三日市藩、村上藩、村松藩の5藩が新発田で会合し、会津赦免の嘆願書の提出と、それが適わなかったときは薩長と戦うことを決したのでした。
先に小千谷会談で官軍と決裂していた長岡藩とともに、村松藩なども奥羽列藩同盟に参加、
慶応4年5月、ここに奥羽越列藩同盟が、改めて成立してしまったのでした^^;
村松藩にしてみれば、先に会津藩の圧力で藩内の尊王派を粛清しており、さらに隣接する会津(表高23万石・内高約40万石)、長岡(表高7万4000石・内高約14万石)といった雄藩から要請されれば、他に選択肢はあり得なかったでしょう(何と言っても村松は内高でも4万石の小藩っすから^^;)。
藩内になお多くの尊王派を抱え藩論が二分したまま、村松藩は佐幕派として戊辰戦争でも最大の激戦地のひとつ、北越戦争に巻き込まれていったのでした。。。。
参考文献
村松町史 下巻 村松町史編纂委員会 1982
https://history.blogmura.com/img/
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おはようございます^^。
東北に戦端が波及する以前の新潟県内各藩の同様が目に見えるようです…^^…♪
新潟港を巡る戦い・長岡近辺での戦い、この時点で奥羽各藩がまとまって援軍に向かうことができたら…
しかし残念ながら各藩の思惑を一蹴しまとめる人物が現れなかったということでしょうか…。
2010/10/23(土) 午前 6:58
こんにちは。
奥羽越列藩同盟。名前は聞いたことがありましたが、こういう事情があったとは知りませんでした。
幕末から明治にかけて、白虎隊で有名な会津をのぞけば、どうしても話題になるのは倒幕派、薩長同盟や坂本龍馬がらみで土佐関係です。
それぞれの事情があったこと、あきらかですのにね。
村&傑作凸
2010/10/23(土) 午後 3:19
ビナヤカさん、こんばんは^^
越後は当時の日本でも指折りの石高を誇る国でした。
だから幕府は小藩分立政策をとるのですね。
そこに幕末は会津藩やら桑名藩の飛び地が複雑に入り組んで。。。
長岡藩も雄藩言いながら表高7万4000石ですから、他藩に対して圧倒的な勢力と家格を有している訳ではなかったでしょう。
そんなところから、思惑をまとめきることはできなかったのでしょう。
それと長岡藩の河井継之助も一般に非常に評価が高いですが、どうも独善的な傾向も強かったみたいな感じで、他藩の積極的な協力を得ることができなかったみたいです。
もっとも、他藩はそれぞれの自分の藩の利益で動くもの、
それを河井継之助に求めるのは酷かもしれませんけど。。。
2010/10/23(土) 午後 9:10 [ akatomo ]
あとりさん、こんばんは^^
幕末維新は日本の国が根本からひっくり返った、今から見れば奇跡みたいな時代です。
幕府や薩長のような、時代の表舞台に立った者たちはもちろん、村松藩のような小藩や、はては民衆に到るまで、大変なことを経験した(させられた)時代だったんだろうと思います。
僕のひいじいさんが、このとき何をしていたか、
亡父から聴いたのは、維新のときに厩方の役人だったということだけなので、よく分かりません。
しかし、祖父の困窮などから、旧村松藩の士族が迎えた明治維新が多くの者にとって決して生易しいものでなかったのは確かだと思います。
2010/10/23(土) 午後 9:17 [ akatomo ]
ルーツを調べていたら
このブログに 辿り着いてコメントさせていただきますm(_ _)m
私のご先祖も 村松藩士でした。
江戸時代よりも前から
堀家に長く長くお仕えしていたようです。
そうは言っても
なかなか分からなくって
諦めて数年経っていたこの頃なのでした
(^.^)
2018/3/18(日) 午後 3:06 [ 幕末の小さな村松藩のドラマできないかなぁ ]