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将門首塚

所在地:東京都千代田区大手町1-2-1

平安時代中期、時の朝廷に反逆し、
関東の地で反乱を起こした平将門は、
藤原秀郷、平貞盛によって討たれた。
首は都に送られ、都大路で晒された。
その後、首は遠く関東まで飛んで、
力尽きて落ちたこの地に葬られたという。
(諸説あり)
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碑の傍らには何故か蛙の置物が。
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この首塚については、様々な伝説がある。
◎関東大震災後、大蔵省の仮庁舎を建てようとした際、
工事関係者や省職員、さらには時の大臣などの
相次ぐ不審死が起こった。
将門の祟りが省内で噂され、省内の動揺を抑えるため
仮庁舎を取り壊した。
◎第二次世界大戦後にGHQが周辺の区画整理にとって
障害となるこの地を造成しようとした時、
不審な事故が相次いだため
計画を取り止めたという事件がある。
隣接するビルは「塚を見下ろすことのないよう
窓は設けていない」
「塚に対して管理職などが尻を向けないように
特殊な机の配置を行っている」とされている・・とか。

将門伝説は各地に残っているが、
現代でも不可思議なパワースポットとして
お参りに訪れる人が多い。

管理人が訪れた、
東京の将門伝説由来の神社。

鳥越神社ー鎧神社ー水稲荷神社
(鎧神社と水稲荷神社は未訪)
七社を線で結ぶと、北斗七星の形になる。
これは関東に幕府を開いた
徳川家康の考えによるとされ、
北辰信仰篤かった将門の霊を慰めると同時に、
朝敵の将門を祀り、京都の朝廷に対しての
けん制策であったという説もある。
家康も将門の怨霊伝説を恐れていたのかもしれない。
三井物産本社ビルなどが立ち並び、
東京の一等地にあり、現在、三井不動産によって
ビルの建て替え等、再開発進行中だが、
この首塚は手を加えず、そのまま残すという。
天下の三井も将門の祟りを恐れているのだ。
将門恐るべし。




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