〜;*:☆ mahana ☆:*;〜

Iaorana!私は元気です☆多忙のためお休み中。。。

ちょっとお出掛け

[ リスト | 詳細 ]

◎ちょっとそこまで〜小旅行◎

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

ショッピング三昧。

イメージ 1

どこもバーゲンセール中ですね〜♪


みなさんは買い物にいかれました?

私はバーゲンセール目的というよりは、必要な物が色々とあったので渋谷、新宿、二子玉川、

その他のお店を連日ウロウロ。

でも、洋服や雑貨ばかりに目がいってしまい、手には沢山の荷物が。。。

次の日も、また次の日も、必要な物とそうでない物を買い漁ってしまいました(>_<)

靴ズレの為、足には絆創膏を4枚ほど貼ってま〜す(涙)。

買った物はこれで全部ではないんですよ〜!

一部は袋から出しましたが、昨日、今日の分は疲れきってそのまま(ーー;

明日は行かないつもりですけど、どうなるかなぁ。。。

鎌倉巡り〜高徳院〜

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

鎌倉巡りの最後を締め括るのは、高徳院です


鎌倉を代表する名所となっている本尊の大仏は、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の晩年に淨光という僧が

諸国を勧進して浄財を集めて歩き、暦仁元年(1238年)3月から大仏と大仏殿を造り始めた。

そして大仏開眼は5年後の寛元元年(1243年)6月11日に行われた。

泰時は前年の6月に62歳で亡くなった。

この時、建立した大仏は木造だった。

そして4年後の宝治元年(1247年)にこの大仏が暴風雨の為に倒壊したので、建長四年(1252年)に

あらためて金剛の大仏が造営され始めた。

大仏殿は建武二年(1335年)と志安二年(1369年)の台風で倒壊。

更に明応四年(1495年)の大津波で押し流され、以来、現在の様な露座の大仏となってしまった。

台座も含めると高さ約13m、総重量は121トンある。

鎌倉大仏は、鎌倉で唯一国宝に指定されている仏像。

与謝野晶子は『鎌倉や御仏(みほとけ)なれど釈迦牟尼(しゃかむに)は美男におわす夏木立かな』と詠んで

いるが、実は阿弥陀如来坐像だといわれている。

仁王門(写真1枚目)をくぐり、拝観受付を済ませて中へ入ると鎌倉大仏が見えてきます(^ー^)

鋳造当初は全身が金箔で覆われていたらしいですよ。

想像するとすごい迫力ですよね〜(^。^)y-.。o○

寄贈された大仏仕様の奉納わらじもこれまた巨大でした!!!

こちらも大勢の観光客で賑わっていましたよ。

帰りに鎌倉のメインストリート『小町通り』でお土産探し(*^。^*)

色々なお店があってどれにしようか迷います!

結局、定番の鳩サブレ、鎌倉壱番屋で胡麻と黒胡椒の煎餅、鎌倉ハム富岡商会(小町本店)で

鎌倉煮とウィンナーにしました(^^♪

胡椒の煎餅はビールによく合いましたよ(^。^)y-.。o○

鎌倉に行かれたら是非どうぞ♪

これで鎌倉の旅はおしまいで〜す☆

鎌倉巡り〜長谷寺〜

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

お待ちどうさまでした(^ー^)

今回は長谷寺です


この寺は鎌倉時代以前からある古寺で、天平8年(736年)の創建と言われ、坂東33ヵ所観音霊場の四

番札所です。

本尊の十一面観世音菩薩は高さ9.18mあり、木造では国内最大級で、つくられた時期についてはいま

だ謎に包まれているそうです。

この像は大和の長谷寺の観音様と同じ楠の一木造りで、立ち姿が美しいです。

康永元年(1342年)に足利尊氏が金箔を施し,明徳3年(1392年)には足利義満が光背を造って納め

たといわれています。

右手に錫杖(しゃくじょう・本来は地藏像が衆生を救うため全世界を行脚することを象徴して持っている)

を持つことで、地蔵菩薩の力も合わせ持つ。

宝物館には重要文化財の梵鐘や、元徳の銘のある十一面観音懸仏などが展示されています。

長谷寺といえば、名月院と並んで紫陽花が有名ですよね(^^♪

40種以上約2500株の色とりどりの紫陽花が、山の斜面に所狭しと咲いていました(*^。^*)

本当に見事でした(^ー^)

私は名月院よりもこちらの方が気に入りましたよ(^。^)y-.。o○

境内には経蔵という、お堂の中心にびっしりと一切経が詰まった回転式の経架があり、これ

を一周回すと一切経を読んだのと同じ徳が受けられるそうです。

私も少しならお経を唱えられますよ(^・^)

仏教系の学校に通っていたので、『摩訶般若波羅蜜多心経』を暗記させられましたから。。。

最初の方しか覚えてませんけどね〜^_^;

赤い鳥居をくぐると、山をくりぬいた洞窟の中に弁天様と十六童子を祭った弁天窟があります。

蝋燭の燈された薄暗い洞窟内を炎の明かりを頼りに手探り状態で歩きました。

途中、天井が低くなっているところがあるので、頭をぶつけないように中腰で進みましたよ。

長谷寺も堪能したので、残るは高徳院のみ!

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

イメージ 7

イメージ 8

次は鶴岡八幡宮へ


鶴岡八幡宮は、1063年(庚平6年)に源頼朝の先祖である源頼義が山城国(京都府)の石清水八

幡宮を勧請して祀った元八幡(材木座)が始まりといわれている。

その後1180年(治承4年)、源頼朝が鎌倉に入った時、現在地に移した。

頼朝は八幡宮を平安京の天皇の内裏と位置づけ、幕府の儀式や行事は全てここで行われた。

さらに流鏑馬や相撲も奉納された。

のちの戦国武将や徳川幕府からも厚い信仰を受け、現在に至る。

鶴岡八幡宮はもともと神と仏がいっしょに奉られていたので八幡宮とよばれ、薬師堂、護摩堂、仁王門な

どの伽藍があったが、明治維新の神仏分離令によりほとんど破却離散した。

61段の大石段を登りきると目の前には本宮(写真2枚目)が。

文政11年(1828年)に徳川家斉が再建した流権現造で、国の重要文化財に指定されています。

本宮の東側に位置する白旗神社(写真4枚目)は源頼朝公、実朝公をお祀りする神社です。

祭神の御神徳にあやかり、必勝や学業成就の信仰のあつい神社。

源氏の二引きの白旗の先の石橋(写真5枚目)を渡ると旗上弁天社が。

明治の神仏分離令で一度は廃れたが、昭和55年に文政年間の古図を元とし復元されたそうです。

こちらは源氏池、反対側には平家池があります。

源氏池には島が3つ。

平家池には島が4つ。

それぞれの島の数が源氏の繁栄(産=3)平家の滅亡(死=4)を表すものだとか。

8月上旬は赤や白の蓮の花が見頃なので、またその頃見に来ようかな(^^♪

この他にも、静御前の舞で知られる舞殿(平成18年内は修理工事中)、

境内最古の建物で国の重要文化財に指定されている丸山稲荷神社(写真3枚目の朱塗りの鳥居の先にある)、

鎌倉の貴重な仏像などを集めた鎌倉国宝館神奈川県立近代美術館など、鶴岡八幡宮も見所が多いです。

鎌倉駅から江ノ電で長谷駅へ


雑誌でチェックしていたオーガニック料理のお店『麻心』に向かった♪

こちらのお店は『麻』と『オーガニック』をテーマとしたカフェで、健康志向のメニューが揃っています

私の目当ては『麻の実入りカレー』

と・こ・ろ・が、売り切れ(>_<)ショックー

『麻の実入りピザ』にしました。

すぐ目の前に広がる由比ヶ浜の海岸を眺めながら、美味しく頂きました(*^。^*)

次回は長谷寺です

鎌倉巡り〜建長寺〜

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4

イメージ 5

イメージ 6

続いて、鎌倉五山第一位の建長寺へ


因みに鎌倉五山とは、

・第一位 建長寺

・第二位 円覚寺

・第三位 寿福寺

・第四位 浄智寺

・第五位 浄妙寺

中国で発達した寺の格付け制度で、鎌倉時代に臨済宗とともに日本に伝わった官が任命した住持を順に上

位の寺へ昇進させていく制度。

建長寺は日本初の本格的な禅宗の寺として、建長5年(1253年)に鎌倉幕府の5代執権北条時頼によ

り、禅僧蘭渓道隆を開山として創建された。

まず、入り口の総門の前に立つと建長寺のシンボルで国の重要文化財に指定された三門(三解脱門)(写真1枚

目)が見えます。

この門を通ると心が清浄になると言われているそうです。

続いて見えてくるのが仏殿(写真2枚目)。

この建物は天保4年(1647年)、江戸の増上寺にあった2代将軍徳川秀忠夫人の霊廟の拝殿を移築した

もので、国の重要文化財に指定されています。

法堂(写真3枚目)、梵鐘(写真4枚目)、庫裏(朱印所)(写真4枚目)、方丈庭園(写真5枚目)。

方丈庭園は大覚禅師作の庭園で、『心』の形の池が見られます。

この他にも、半僧坊、回春院、正統院、天源院、龍峰院など、こちらも見所が沢山ありますよ。

鎌倉の旅はまだ続きま〜す(^ー^)

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事