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長野聖火リレー
アスリュート達よ偽善者ぶるな。
「政治とオリンピックは別もの」支那の言い逃れの言葉だ。この言葉を日本のランナー達が声にして、チベット弾圧に抗議さえできないでいる。恥を知れ、いつもの平和ボケは何処へ行った。自分さえ良ければ良いのか。ランナーに選ばれた人達は名誉かもしれない。しかし、今回の言動は空しく聞こえる。何時もマスコミに追いかけられて視聴者に対する影響も大きい。その連中が、後ろめたいのか、政治とオリンピックを別として言い逃れに終始している。
せめて、ランナーとして走るにしても聖火ランナーの始まりを考慮すべき、ベルリンオリンピックの際にヒットラーがランナーを走らせて各都市を偵察させた。この事実を分かって発言しているのか。元々聖火ランナー自体政治とオリンピックをリンクさせたもの、切っても切り離せない間柄。聖火ランナーの意味合いが今回の北京オリンピックほど、その成果が発揮された聖火リレーはない。今回の各国の北京オリンピックに反対した元は独裁政治性である。これは、第二次欧州大戦の発端とした政治性とオリンピックの繋がりが確認された結果である。
これからも聖火リレーは続けるべきである、その時々の開催国の政治体制を計るバロメーターとなるであろう。旧ソ連しかり、今回の北京しかり、今後も各大陸で大会が開催されるであろうが、大会が成功と観るかは、開催国ではなく参加国と他国民である。北京大会は今後まれに見る最悪の醜態を晒した。これが、各国が下した支那に対する独裁体制への判断である。
支那の国営テレビでは長野の聖火リレーを大成功として、妨害活動を一切報道しなかった。
アスリュート達よこれが政治性なしと捉えるのか。支那のおか持ちは止めるべきだ。
中国共産党機関紙、人民日報傘下の「環球時報」(電子版)は26日、日本の右翼が支那留学生を負傷させた、と報じた。支那は被害者とのこと、何処が世界中に支那の横暴を広めただけだ。支那人留学生を規制しなかった日本政府にも責任がある。どの様な結果になろうとも支那人には日本が邪魔であり、憎いのである。毅然とした態度が支那との良い関係を築く一番の方法である。
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同感ですね。競技・試合と政治は別物でしょうが、イベントと政治は、一体化した感があります。
そのイベントの一翼を担った以上、”私はアスリートでございます””私はタレントでございます”は通用しないと思います。それでは、虐げられ、必至に抗議する民族に失礼千万に写ります。
2008/4/27(日) 午前 0:12
KOKOさん書き込みありがとうございます。
日本人には、ながいものには巻かれろと諺があります。よく、会合などで大勢の前では言えないが、中心人物が転けると「俺も違うとおもっていた」などと、石を投げる人達が多く観られます。やはり自己主張はすべきです。
2008/4/27(日) 午後 11:26 [ BB ]