あきたんのブログ

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桜の花が咲き散るころ



「桜の花にたとえられ戦場に行かされた若者がいたから、桜は好きじゃない」という人がいる!しかし自ら志願し戦った益荒男がいたことを忘れないでほしい!

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 ある施設での会話です。あるオバサンが「あら綺麗な桜、このカレンダーの桜は何処のなの」との質問に対し、施設のオヤジさん曰く「俺は桜の花なんか綺麗とは思わない。だって昔、桜の花にたとえて若者が戦場に行かされたじゃない、そんなんだから好きじゃない」と答えていました。
 その後、隣の私に「そう思いませんか」とその話をふってきたのですが、私は即座に「そうは思わない。あの時に戦わなかったら日本は植民地になっていた。だから戦わざるを得なかったんですよ」と答えました。
 施設のオヤジさんいわく「物資も充分じゃなく、相手にならないのに戦争に行かされたんだから、たまったもんじゃない」というので私は答えました「日本から戦争を仕掛けなくても、ルーズベルト(米国大統領)は昭和17年には日本を爆撃する計画書に許可のサインをしているんですよ」と。
 施設のオヤジさん曰く「悪い奴がいたんだな」。
 ※日米開戦前に、米国は建前上は退役させたパイロットを支那(いまの中国)に派遣し、義勇軍フライング・タイガースを結成させ、国民党軍に無償支援した戦闘機や爆撃機で日本軍と交戦していた。その部隊に昭和17年には日本本土を空爆させる計画が、日米開戦前に策定されていた。
 
 その後、その話を続けると、その施設での営業を邪魔する事になりそうなので、それ以上そのことを話すのを止めました。その施設のオヤジさんの事を人間的に信頼しているので、正直、その親父さんの「戦争観」の一片を垣間見て複雑な感情に襲われました。
 「無茶な指導者が無意味に戦争を起こし、若者がその犠牲になったとか、そんな話じゃなく。白人による植民地経営が当たり前の人種差別の時代に、日本国が日本として生き残るために最善を尽くした戦いが、先の大戦だったんです」と言いたいところですが、それを理解してもらうためには最短でも20分位は説明しないとダメでしょう、私の説明力では。だから、それ以上は言えなくなってしまいました。いやそれ以上に、人間関係がおかしくなるのが怖かったのかもしれませんね。

 ところで、日本が米英と大東亜戦争(太平洋戦争というのは米国側の表現)で戦わなかったならば、いったい日本はどうなっていたでしょうか。
 「馬鹿な戦争をしたもんだ」といった論調で語る人が多いですが、その人たちは日本が戦わなければ、今の日本国はもっと良い国になっていたとでも思っているのでしょうか。

 では日本が大東亜戦争、それ以前の支那事変(今は日中戦争と呼ばれている)、第1次世界大戦、日露戦争、日清戦争の明治から大正、昭和初期の時代は、どんな世界だったのでしょうか。
 いろんな見方があるでしょうが、一口で言えば白人至上主義、帝国主義に基づき、白人列強国が有色人種を支配し、労働を命じ、資産を収奪する、「白人の為の世界」であったのではないでしょうか。
 その当時、有色人種国家で植民地になっていなかったのはエチオピア王国(今は滅亡)、タイ王国、そして大日本帝国だけでした。それ以外の有色人種国家は、植民地として白人に支配され、人権を剥奪されていました。

 「自由で平等の国、アメリカ」と思っている日本人が多い事と思いますが、特に戦前の黒人は、アメリカでどんな扱いだったか知っているのでしょうか。
 黒人女性が、後から乗り込んだ白人にバスの席を譲らなかったために逮捕された事件(ローザ・パークス事件など)は戦後のことです。マルコムX、キング牧師、が黒人の公民権を訴えたために暗殺され、黒人の人権を求めたブラック・パンサーがライフルで武装し、警官隊と銃撃戦を繰り広げたのは、それほど昔の事ではないでしょう。白人至上主義のKKKはいまだに活動していますね。
 1919年国際連盟の常任理事国だった日本は「全人種の平等」を国連で宣言すべきと提唱し、米国の黒人は日本代表を激励し「全人種の平等」を願ったが、米代表ウイルソンが妨害し、多数決で宣言に賛成が多かったにもかかわらず否決され、有色人種の悲願は成就できませんでした。

 民主主義を戦後、米国から教えてもらったと勘違いしている日本人が多いですが、それも困ったものです。「天皇人間宣言」と呼ばれるモノが有りますが、そう呼ぶのは大きな間違いであり、「新日本建設に関する詔書」と呼んだほうが正しいです 。
 これは戦争の惨禍で焦土と化した日本を立て直すのは、大変な苦労があり、耐え難い事だろうが、それでもヤケを起こさずに、皆が心を一つにして、明治天皇が誓った「五箇条の御誓文」を基本として、新しい日本を建設し、世界に後れを取らず、そして世界平和に貢献してほしい、といった事を国民にお願いした昭和21年元日の昭和天皇陛下の御言葉です。
 陛下はだいぶ経ってから、「この新年の言葉を話した理由の一つには日本の民主主義が、米国から輸入されたモノではない事を示す必要があった」と記者会見での質問で答えられています。

 そもそも日本は建国された紀元前660年以前より、天皇が国をシラス事により、民衆が団結して暮らし、等しく天皇の宝(大御宝)として大切にされていたのです。天皇の権力ではなく仁徳で国を「シラス=知らす=統らす」我が国は、民主主義以上に国民が平和に暮らせる伝統が、連綿と続いている事実を見逃してはなりません。
 それは古事記に記載されている、出雲での「国譲り」にも表れています。出雲大社に祀られている大国主が「ウシハク」国、つまり専制君主国家では良くないので、我が子が「シラス」国にするべきだとアマテラスオオミカミが使者をだし、話し合いで国が大国主からニニギノミコトに譲られたのです。
 日本は世界に類例を見ない程の、ほぼ差別のない(社会的な地位、身分をこえて人権が公正な)社会を継続しており、それが敗戦により教えられたと思い込んでいる民主主義のお蔭ではない事を勘違いしてはならないでしょう。
 日本国内には多くのスパイが存在したために、戦中の日本は手紙や新聞の検閲を行っていましたが、それは戦後にGHQが行った「プレスコード」より遥かに緩やかなものです。というよりも、米国は日本人の精神と歴史観を改造するために、検閲をはじめ、あらゆる手段を講じて、手間と時間をかけ、莫大な予算を占領下の日本政府に出させ、そして「日本弱体化政策」を完成させたのでした。

 戦前の世界は欧米列強が支配する「白人の為の世界」でしたが、軍事大国に登りつめることが出来た日本は「下手に手を出したら痛い目に合う」と思われていたからこそ、辛うじて独立国として保てたのでした。
 隙あらば、侵略され植民地にされても、その当時の世界常識としては当たり前の事でしかなかったのです、有色人種国家は。

 日本が昭和16年12月8日に英米に宣戦布告し、大東亜戦争を始めたキッカケは米英が画策した「ABCD包囲網」による兵糧攻めに始まり、日本の支那大陸での特殊権益(正当に得たもの)を放棄せよと詰め寄る「ハルノート」を米政府が最後通牒として日本に突き付けたことによります。
 ちなみに、ハルノートの原案を書いたのはハリー・デクスター・ホワイト(ベノナファイルによればソ連のスパイであった)であり米国務長官コーデル・ハルはそれを見て「これでは日本に、戦争を決意させることになるじゃないか」と話しています。
 日本から戦争を始めなくても、すでに日本は経済的に攻撃されており、国力が弱れば、様々な手段で、どのみち欧米諸国のいずれかに侵略される事は時間の問題であったのでした。
 永野修身海軍大将の、開戦数か月前の会議での言葉が象徴的です、それは「戦わざるも亡国、戦うも亡国。しかし戦わざるの亡国は精神の亡国である。最後まで戦う精神を見せての亡国なれば、いずれ子子孫孫が再起三起するであろう」といった言葉です。

 人口で見れば日本の二倍の米国ですが、工業力、鉄鋼生産量、原油産出量、などの潜在的な国力は日本の数十倍です。その米国をはじめとする、大英帝国、オランダ、オーストラリア、支那(国民党軍)と日本一国での戦いです。
 普通に考えて「無謀な戦い」といえますが、戦わなくても日本が潰され植民地にされる事が容易に想像できる帝国主義時代(植民地主義時代)です。
 貴方なら「戦争反対」と叫び、欧米諸国の言いなりになることを良しとすると考えますか、それが植民地への道になると解っていても。それとも武器を取り人種差別的な欧米列強と戦う事を選びますか。

 今どきの戦中ドラマの様に「赤紙=召集令状」を受け取り、いやいや戦場に行かされた人もいたことでしょう。しかし赤紙を受け取り「よし、ついに来たか、お国のために戦うぞ」と兵隊になった国民も沢山いたのではないでしょうか。
 職業軍人の奥山道郎義烈空挺隊隊長は、敵に占領された沖縄航空基地に強行着陸し、特殊部隊による破壊工作を行う空挺作戦を前に「絶好の死に場所を得た私は、日本一の幸せ者です。しかし親孝行できずに死ぬことをお許しください」といった事などを遺書にしたためています。ユーチューブで出撃前の隊長の勇士が見れますが、爆撃機のコックピットで笑顔で手を振っているのが目に焼き付いてしまいます。人間魚雷回天で出撃する人たちが、港を離れるときに日本刀を大きく振りかざし、笑顔で別れを告げる映像も観れます。

 「花もつぼみも若桜、5尺の命引っさげて、国の大事に殉ずるは、われら学徒の面目ぞ、あーあー紅の血は燃ゆる」という唄『ああ紅の血は燃ゆる』は赤紙で戦地に向かった文化系大学生を歌にしたものです。大学生は徴兵免除されていたが、戦局悪化に伴い、パイロット不足に至り、優秀な大学生ならば早く操縦技術が習得できるという事で文化系学生だけ学徒出陣したのです。
 『同期の桜』も有名な歌ですね、この頃はあまり聞く機会がありませんが、少し残念です。
 靖国神社に行くと多くの桜が植えられていますが、よく見ると括り付けられているプレートに「第00連隊寄贈」などと書かれております。生き残って復員した兵隊さんたちが、戦地で桜の様に散った戦友を偲んで靖国の社に桜の木を植えているのです。
 桜の花を観て、戦地で散華した将兵を思い浮かべるのならば、「天晴に散った若桜達」のお蔭で、今の我々の平和な生活がある事に思いを巡らせてもらいたいものです。
 桜の花の様に戦地で散った英霊たちは「靖国で会おう」と言い合ったり、遺書に「悲しまないで、お父さんは靖国にいるから、いつでも会いに来てください」などと子供たちつたえています。
 桜のように散った英霊たちがどんな思いで戦地に赴き、何のために戦ったのかを知り、「可哀そうな戦争の犠牲者」などと考えるよりも「未来の子孫の為、我々の為、東洋平和の為に立派に戦い散華したモノノフ」と考えてもらいたいものです。「可哀そうな犠牲者」などと言われたならば、クサバノ陰の英霊たちは、それこそ悲しく悔しい思いになるのではないでしょうか。
 「桜の花のように美しく散った将兵達」の偉業を忘れずに、讃え続けることが、その恩恵を受けている我々現代人がなすべき義務であり責任です。そんなややっこしい事ではなく「ありがとうございます」と思う事が当たり前の事であると、誰もが思ってもらいたいものです。

 現代の世界的基準は「全人類は平等である」となっています、建前上は。それを実現するために最大の貢献をしたのは誰か。
 日本人は世界に貢献した先人の偉業を忘れてはなりません。単なる戦争の犠牲者などではありません。私はそう思っています。










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