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ホンダの空冷エンジンを知っていますか?
我が家にあったホンダ車には水冷と空冷の車がありましたけれど、どちらも好きでした。
CVキャブレターが4連の車が水冷と空冷の車にあり、2連CVは空冷でした。
ホンダ F20Cエンジン:1999年登場
クルマに「名車」と呼ばれるモデルが存在するように、エンジンにも「名機」と呼ばれる優れたものがある。ここでは、1960年代から90年代の国産スポーティFR車に搭載された、そうしたハイパフォーマンスなエンジン10基を紹介していきたい。今回が最終回となる。 【写真】ホンダ F20Cエンジンの搭載モデルなどを見る ホンダ久々の縦置き直4エンジンとなるF20Cは、フロントミッドシップを実現するための小型化と慣性質量を抑えるための軽量化、そして世界最高水準の高出力を得るためのDOHC VTEC機構の進化を照準に開発された。 最大のポイントは、ローラーの中にVTEC切り替え用の連結ピンを内蔵した一体構造型のローラー同軸VTECロッカーアームを開発したことだ。コンパクト化と同時に約70%の動弁系フリクション低減を達成したことでも注目された。 この進化型DOHC VTEC採用にともない新設計されたヘッドまわりは、カムシャフト駆動ギアの小径化、バルブ挟み角の狭角化などにより、DOHC VTECながら従来のSOHCヘッドと同等レベルまで小型化された。 加えてカムシャフト駆動にベルトより幅の狭いチェーンを採用して全長を抑え、中空カムシャフトの中をオイル経路にしてオイル通路を集約。バルブスプリングも素材を見直し、丸線シングルにして慣性重量低減を図るなど、小型軽量化のためにワンオフと言って良いほどの新技術が投入されている。 ブロックはFRM(繊維強化金属)スリーブの採用でボアを拡大したアルミダイキャスト製。これをクランクシャフトセンターで上下に分割し、下部をラダーフレーム構造とすることで、小型化しながらブロック剛性とベアリング支持剛性を向上させている。 ムービングパーツの高回転化対応にも多くの新技術が投入されている。まず、アルミ鍛造ピストンは、コンロッド小端部のテーパー化や頭部形状の最適化でピストン高をきわめて低く設計し、軽量化とフリクションロスの低減を実現している。鍛造コンロッドは、新たに表面部を硬化させる浸炭処理を採用し、各部の厚みを減らして慣性重量を低減。 クランクシャフトは剪断疲労強度を向上させた新素材の採用で強度を向上させるなど、素材を含めたレース技術の投入が注目された。また、プラグにダイレクトに点火エネルギーを供給することで確実な着火を実現するイグナイター内蔵のプラグホールコイルの採用も、高回転化に寄与している。 吸排気系はレスポンスアップを狙ったもので、吸気側はスロットルバルブ以降のチャンバー容積を低減することでスロットルの動きに対するインマニ内圧のレスポンスを向上させる、新設計のストレートポートインテークマニホールドを採用した。 排気系は、集合部の形状にこだわったステンレス製大口径デュアルエキゾーストマニホールドで排気脈動を有効利用し排気効率を高めた。その結果、充填効率が向上し、超高回転技術と相まって5850〜9000rpmという広い回転域をハイバルブタイミング域に設定でき、2L自然給気エンジンとしては最高レベルの高レスポンスと高出力化を達成している。 最新技術の結晶とも言えるF20C型は、ホンダの創立50周年を記念して開発されたS2000のためのパワーユニットとして1999年4月に発売開始され、スポーツファンから絶賛を浴びた。また2005年には、北米向けの2.2L仕様F22C型が国内にも投入され、扱いやすい高性能で注目されている。 ホンダ F20Cエンジン 主要諸元
・型式:F20C ・主要搭載車種:AP1型S2000 ・発表年月:1999年4月 ・配置・気筒数:水冷直列4気筒・縦置き ・バルブ駆動機構:DOHC・チェーン/ギア ・気筒あたりバルブ数:4(吸気2/排気2) ・過給器:なし ・燃焼室形状:ペントルーフ ・総排気量:1997cc ・ボア×ストローク:87.0×84.0mm ・圧縮比:11.7 ・最高出力:250ps/8300rpm(ネット) ・最大トルク:22.2kgm/7500rpm ・燃料供給装置:PGM-FI(電子制御燃料噴射) ・燃料・タンク容量:プレミアム・50L ・燃費:12.0km/L(10.15モード) Webモーターマガジン
最終更新:8/19(月) 18:30 |
車・航空機など
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「ホンダCR-X(EF8)にスープラの内装を移植した問題作!」ガルウイングにドープ塗装など大技連発のエクステリアにも注目!違和感なし!スープラのダッシュボードを大胆スワップ!
ガルウイング解放時に目立つドア内張りもキッチリとカスタム! 峠小僧ご用達のボーイズレーサーとして一斉を風靡した2代目CR-Xをベースに、現代風のエッセンスを盛り込んだのがこのマシン。 エクステリアは生産中止となっている無限のフルエアロキットを装着し、ボディカラーは光が当たるとゴールドにも見えるドープのブラックゴールドをチョイス。ホイールはワークXSA02Cの17インチ(ブラッククローム仕様)だ。また、ガルウイング化に伴いサイドパネルが干渉してしまうので、ボディラインは作り直されている。 センター2本出しのマフラーはコペン純正を加工したワンオフ品。それに合わせてリヤバンパーも約50mm延長するなど、ボリューム感を演出している。 こうして様々なドレスアップテクニックおよびパーツをフル投入したスタイルは、全く古さを感じさせない仕上がりなのだが、そんなメイキングの真骨頂と言えるのが、乗った瞬間に「あれ?」となること請け合いのインテリアだ。なにせJZA80スープラのダッシュボードをそのまま移植しているのである。タイトな車内に戦闘機のようなインパネまわりが違和感なく収まっているのだから、そのインパクトたるやハンパではない! オーナーがスープラの“包み込まれるようなコクピット”に惚れ込み「自分のマシンに移植できないか?」と、スーパーオートバックス名古屋ベイに相談したのがキッカケ。 もちろん、サイズや形状がまったく異なるダッシュボードを移植するのは簡単なことではない。用意されたスープラ用ダッシュボードは、助手席側が20cmほど切りつめられ、車体との隙間はボディ形状にあわせてイチから造形。メーターパネルには追加メーターやコントローラーを埋め込むことで、オンリーワン仕様に磨きをかけている。 さらに完成度を高めるべく、ダッシュボードのデザインと違和感がないようにドアパネルやシフトパネルも製作。なお、ドアパネル内側はガルウイング開放時を想定してアルカンターラを貼り込み、 これまで同型車種のダッシュボードを流用したチューンドは数多く存在したが、他車種から移植をしたケースは超レア。いや、JZA80スープラのダッシュボードを移植したCR-Xは間違いなく世界初だろう。なにより、オーナーの難解なオーダーを200パーセントで応えたスーパーオートバックス名古屋ベイの技術力と想像力には感服だ。 |
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こんな事いやだ
そう思う方は最初から搭乗しなければよいだけですからね。
落下傘降下もスカイダイビングもしたくありませんが、皆さんは空から飛び降りたいですか?
生きてるといろいろなことがありますわね… フランス北部サンディジエ空軍基地で先月末行われたフランス空軍の飛行中、後部座席がなぜか緊急脱出モードに切り替わり、同乗していた民間人が戦闘機から空中に投げ出される事案が発生しました。空軍は急きょ主力戦闘機ラファールの飛行停止命令を発令し調査しましたが、くわしい原因はまだわかっていません。 【記事の動画】フランス戦闘機がなぜか緊急脱出モードになり民間人を座席ごと射ち出す Aerotime Newsによると、同基地は複座型のラファールB戦闘機の主な配備先。フランスでは複座型(2人乗り)戦闘機は政府高官、報道関係者、セレブなどの「見学飛行」に利用されることも多いのだといいます。 (米軍のF-35戦闘機も問題は山積みですけど、同種のアクシデントは起こっていません。単座(1人乗り)なので) 空中に投げ出された民間人(64歳の男性という以外、身元は不明)は仏ダッソー社の戦闘機ラファールBに乗って基地を飛び立ったんですが、離陸中どうしたわけか座席の緊急脱出モードが発動し、頭上のキャノピーを破って宙に勢いよく飛び立った模様です。キャノピーの破片によりパイロットも手に軽いけがを負いましたが、なんとか操縦桿から手を放すことなく着陸し、事なきを得ました。 投げ出された男性は滑走路にパラシュート着陸し、背中にけが。すぐさま近くの病院に運ばれましたが、仏空軍報道官の発表では「命に別状はない」とのことです。ラファール戦闘機の飛行停止命令は数日後解除となりました。 事故映像は公開されていないので、緊急脱出シートメーカーの英マーチンベーカー社によるデモ映像をはっておきます。 飛行停止命令は大事をとって出したものであり、事実経過は一切不明のままです。 戦闘機は普通、機内の人がかなり細かい操作を行わないと、座席が勝手に緊急脱出することはない構造になっています。作動装置はパイロットの脚の間か頭上にあり、それをすばやく引くと墜落機から同乗者が脱出できる、という仕組み。ラファールBが装備しているのは、上の動画の射出座席「マーチンベーカーMk.1 16F」で、マーチンベーカー社によると「過去4名の命を救った」実績があるんだそうですよ? 今回、戦闘機側には何らの不備も確認されませんでした。となると考えられるのは、座席側の誤作動か、民間人がうっかりトリガーしてしまった可能性ですよね。離陸時の興奮で触ってはいけないところを触ってしまった。もしくは民間人が意図的にやったか。緊急脱出するチャンスはもう一生ないと思い、そして、実行した。 だとしたら軍事ブログFoxtrot Alphaも脱帽するほかないです…はい。 Source: FOXTROT ALPHA satomi
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艦長と浣腸、環境と艦橋は良くないといけませんね。
艦長が体調不良になって浣腸するようでは指揮がしにくいです。そんな艦長たちがいる艦橋は環境が良いほどいいですね。
1915年8月24日、全力公試中の「扶桑」。改装前の姿で、艦橋の形状はかなり違う。 1933年4月28日に撮影された、改装工事が中断される直前の「扶桑」。 時代は「超ド級」、旧海軍は試行錯誤中
戦艦「扶桑」は、一度見たら忘れられない印象的な外見をしています。まず、そびえ立つ艦橋は増床を繰り返した違法建築ビルのよう。6基もある35.6cm連装主砲塔の配置も独特です。3番、4番砲塔は艦橋、煙突、後部艦橋にはさまれた位置に配置されています。かなり無理なレイアウトに見えますが、「超ド級」戦艦を造ろうとした旧日本海軍の、苦心の作なのです。 【写真】アメリカ側のキルマークでも一目瞭然な「扶桑」 「戦艦」の革新的存在となったのがイギリスのドレッドノート級戦艦ですが、世界はすぐにこれを超えた戦艦を研究します。よく使われる「超ド級」という言葉は元々「ドレットノート級を超える」という意味から来ています。 兵器に限りませんが、工業製品開発はつねに追いつけ追い越せの競争です。そうした渦中に飛び込んだ日本の、初の超ド級戦艦が、1915(大正3)年11月に竣工させた「扶桑」です。 「扶桑」は35.6cm連装主砲塔を6基も詰め込みます。この主砲塔は建造コストの削減や取扱いが統一できるというメリットから、「扶桑」のおよそ2年前に竣工した戦艦「金剛」はじめ4隻の金剛型と同じものです。当時、最大級の35.6cm砲を12門も装備した「扶桑」は「超ド級」にふさわしい戦闘力を発揮できそうですが、実際はそんなにうまくはいきません。 建造よりも長い時間を掛けて改装したが。
「扶桑」は日本初となる排水量3万トン超えの巨艦となりました。竣工時点では世界でもっとも強力な戦艦といってもよかったのです。ところが最高速力は22.5ノット(約41.6km/h)しか出せなかったため、ほかの戦艦(伊勢型24.5ノット〈約45.3km/h〉、長門型25ノット〈約46.3km/h〉)と戦隊が組めず、この速力不足が後々まで、文字通り「扶桑」の足を引っ張ることになります。
12門もある主砲は、横方向に斉射すると、爆炎が艦全体を覆って照準を妨げ、爆風で艦橋構造物が破損し、おまけに船体がゆがむという有様でした。また第1次世界大戦の海戦の経験から、戦艦は側面防御だけでなく、真上から落下してくる砲弾に対する水平面の防御も重要なことがわかりましたが、「扶桑」は甲板や主砲塔の天蓋装甲が薄いなど、水平面の防御力が不足していることも明らかになりました。 つまり「扶桑」は、日本海軍の期待とは裏腹に、走、攻、守とも欠陥を抱えていたのです。これを改善するため1930(昭和5)年4月から1933(昭和8)年5月、1934(昭和9)年9月から1935(昭和10)年2月の2度に渡って、述べ約4年をかけて近代化改修工事が実施されます。工期が2回に分かれたのは、1931(昭和6)年9月から1932(昭和7)年2月のあいだに「満州事変」が起こり、工事を中断して配置に戻ったためです。ちなみに「扶桑」の起工は1912(大正元)年3月、就役が1915(大正4)年11月ですので、建造期間より改修期間の方が長くかかっています。 そしてあの特徴的すぎる艦橋に
2度にわたる改修の結果、主砲の最大仰角を25度から43度まで増やして射程が3万mを超えるようになり、射撃指揮装置も一新されます。遠距離の射撃観測、照準、指揮のため、艦橋も増築されて、水面から高さ50m以上(ビルなら12階建て相当)にまで延び、そこに最新の8m測距儀が据え付けられます。また3番砲塔上に水上観測機を発進させるカタパルトを増設したため、前部艦橋の背面下部がくびれたいびつな形となり、これが「扶桑」と同型艦「山城」とを区別するポイントにもなっています。 主砲の射程は長くなりましたが、精度は良くありませんでした。主砲塔を6基も並べた構造に根本的な問題があり、射撃時の衝撃で生じる船体のゆがみが原因ではないかといわれています。 水平面の装甲が強化されたことにより、排水量は約3割増加しました。速力不足を改善するため機関も強化されますが、船体のまんなかに配置されていた砲塔が邪魔になってボイラーなどの増設が難しく、充分な強化とはなりませんでした。煙突は1本にまとめられます。テストでは最高速力24.7ノット(約45.7km/h)を絞り出しますが、それでも鈍足戦艦であることには変わりありませんでした。 「戦ってはいけないフネだった」
1943(昭和18)年6月から1944(昭和19)年2月まで、「扶桑」の艦長を務めた鶴岡信道大佐は戦後、「結果的には、『扶桑』『山城』という戦艦は、本来、太平洋戦争で使ってはならないフネだったわけですね」と回想しています。 約4年をかけた改修にもかかわらず、欠陥を充分に克服したとは言えない「扶桑」は、太平洋戦争が始まると、「真珠湾攻撃」「ミッドウエー作戦」に参加するものの直接アメリカ軍と交戦することは無く、以後は性能不足と見なされ、ほとんど訓練や輸送支援などの後方任務についていました。実戦に復帰したのは、本格的に戦況が悪化してきた1944(昭和19)年10月18日に発動された「捷一号作戦」からでしたが、もう戦果は望むべくもありません。10月25日の「スリガオ海峡海戦」でアメリカ駆逐艦隊の待伏せを受け、12門の主砲を生かした砲撃戦を交えることなく午前3時頃、アメリカ海軍駆逐艦「メルビン」の1発ないし2発の魚雷が右舷中央部に命中して落伍、午前3時38分から50分のあいだに沈没しました。 「扶桑」の船体は真っぷたつに割れて大爆発を起こしたとの証言もありますが、アメリカ駆逐艦「ハッチンス」の戦闘報告書には、船体はふたつに割れたが爆発したとの記載はありません。「扶桑」の最期については、同じ日に撃沈された同型の「山城」と混同されたり、日米の資料、証言にも差異があったりして、正確なところはわかっていないのです。「扶桑」の生存者は7名から10名だったとされています。 2017年12月に故ポール・アレン氏の財団が、沈没した「扶桑」を発見したと発表しています。 【了】 月刊PANZER編集部 1921年に撮影された扶桑の3番砲塔。「YAMASIRA」とメモ書きされているが「扶桑」といわれている(画像:アメリカ海軍)。 1934年の改装後に撮影された戦艦「扶桑」。その艦橋の造形が特徴的 |
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中国のステルス戦闘機「賎20」
「セン」の変換は賎になってしまう中国の戦闘機名
空中分解もしないで飛行できるだけでも凄いよ
って言ってあげたくなる。 中国広東省珠海で6日、国内最大の航空ショー「中国国際航空宇宙博覧会」が開幕し、中国軍の最新鋭のステルス戦闘機「殲(せん)20(J20)」が公開飛行した。南シナ海などで米軍との緊張が続くなか、敵のレーダーに探知されにくいステルス機の能力向上をアピールした。 【写真】中国国際航空宇宙博覧会で公開飛行する「殲20」=6日、中国広東省珠海、益満雄一郎撮影 この日は3機を5分あまり飛行させ、上空で急上昇や急下降を演じた。中国空軍はJ20を2016年にあった前回の同博覧会で初公開。今年2月には空軍作戦部隊への配備を公表し、今後、量産化を予定しているという。 会場では、最新鋭のステルス無人機「彩虹7(CH7)」の実物大の模型も披露された。来年には試験飛行を行って22年から本格生産に入る予定といい、中国メディアは、米国の新型無人機と同等の性能があると報じている。 この日はまた、中国が22年に完成をめざす宇宙ステーションの模型なども展示された。博覧会は2年ごとに開かれ、今回が12回目。国内外から150機を超える軍用機や民間機が出展され、展示規模は過去最大という。(珠海=益満雄一郎) 朝日新聞社
最終更新:11/7(水) 1:16 |












