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キリギリス先生のひとりごと

のらりくらりの人生を楽しみながら・・・

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四国霊場 88番

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四国霊場 88番大窪寺です。


いよいよ遍路の締めくくりとなる、結願の「大窪寺」まで参りました。

結構山深い、矢筈山の東腹の徳島県との県境に近い山中にあります。

養老年間(717〜723)、行基が堂を建てたことに始まりますが、その後

弘法大師が巡錫中、胎蔵(たいぞう)ヶ峰の岩窟で求聞持法を修し、

薬師如来を刻んで本尊として堂宇を整えたと伝えられています。

この時大師は、唐の恵果阿闍梨(けいかあじゃり)から授かり持ち帰った

三国(インド・唐・日本)伝来の錫杖も本尊と共に納めています。

その後、寺は多くの信者を集め、僧坊も100を超える程だったと言います。

また早くから女性の入山を許していたので「女人高野」とも呼ばれ繁栄して

いましたが、天正の兵火で焼失してしまいました。


初代高松藩主松平頼重が寺領を寄進し寺の再興に尽力しました。

2代目の頼常も本堂や仁王門の修復を行いましたが、明治33(1900)年の火災で

堂塔を焼失し、二天門を除く現在の建物はその後再建されたものだそうです。


参道には、一本の桃の木がちょうど花を付けていて、私共の結願を祝福して

くれているようでした。

昨年の4月15日に1番〜6番まで日帰りで参拝したのがきっかけでした。

以来、毎月1回は四国巡拝の日を定めちょうど1年間で回りきりました。


2010.3.13 参拝

四国霊場 87番

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四国霊場 87番長尾寺です。

天平11(739)年、行基が路傍の柳の木で聖観音像を彫り安置したのが寺の始まりといわれています。

大同年間(806〜810)に、弘法大師は入唐を前に訪れて、年頭七夜の護摩祈祷を行いました。

帰国し、再び訪れた大師は入唐の大願成就を感謝し、大日経一字一石の供養塔を建立したと

いわれています。寺運は次第に栄えていきましたが、兵火に遭い堂宇を焼失してしまいました。

慶長年間(1596〜1614)に讃岐国守・生駒一正の援助があり再興されたということです。

その後、高松藩主松平頼重により庇護され、松平家の祈願寺となりました。葵の紋が入った香炉や

松平家の別邸である栗林公園から移築された東門が残っています。


一年かけて巡拝してきたお四国さんも残すところ1箇寺となりました。

2010.3.13 参拝

四国霊場 86番

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四国霊場 86番志度寺です。 

推古天皇33(625)年、薗子という尼が霊木で本尊を彫り、お堂を建てたのが始まりだそうです。

その後、天武天皇10(681)年、藤原不比等が妻である海女の墓を建立して「死度道場」と名付け

ました。その息子の房前(ふささき)が持統天皇7年(693)行基とともに堂宇を拡張して、僧侶の

学問所や信者の修行の場となりました。

縁起にも語られている「海女の玉取り伝説」は、謡曲「海士(あま)」のもとになっています。

仁王門は、本堂とともに讃岐藩主・松平頼重が寄進したもので、日本でも有数の名門とされて

います。その仁王像は、鎌倉時代の運慶作とされています。室町時代に作られた曲水式庭園や、

歌舞伎「花上野誉石碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)」の仇討ち話で知られる田宮坊太郎の乳母・

お辻が水垢離(みずごり)した「お辻の井戸」など、見どころも多いのですが、ご覧のとおり境内

には重機が入り工事中でした。立ち入りが制限されている所が多く裏口から本堂に入ったため

仁王門すら見られませんでした。

2010.3.13 参拝

四国霊場 85番

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四国霊場 85番八栗寺(やくりじ)です。

屋島の東に5つの峰が特徴的な五剣山があります。その中腹にあるのが

八栗寺です。唐へ留学前の弘法大師がこの山に登り8つの栗を埋めて、

旅の無事を祈願しました。

帰国後、再び当地を訪れて求聞持法(ぐもんじほう)を修した時、天から

5本の剣が降ってきて、同時に山の鎮守である蔵王権現の御神託もあった

といわれています。また留学前に植えた栗(8個)も無事に成長していた

ので、寺号を五剣山八栗寺とした寺を建立しました。

中世には山岳修験の場としても栄えたそうですが、天正の兵火により焼失

しています。文禄年間(1592〜1599)に無辺上人が再興に尽力したそうです。


また、この寺は「八栗の聖天(しょうてん)さん」とも呼ばれていて、札所でも

珍しい勧喜天霊場としても知られています。

勧喜天(聖天)はインド伝来の天尊で、商売繁盛・夫婦円満のご利益があると

言われています。

2010.3.13 参拝

四国霊場 84番

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四国霊場 84番屋島寺です。

景勝地・屋島山上にあり、源平合戦にも縁の深い寺です。天平勝宝5(753)年、

唐の名僧・鑑真和上が屋島北嶺にお堂を建てたのが始まりだそうです。

後に、弘法大師が現在の伽藍を屋島の南嶺に造営して中興開山の祖となりました。


4枚目の画像は蓑山大明神(みのやまだいみょうじん)の狸の像で、日本の三大狸

の一つといわれています。「太三郎狸」をまつる神社です。

太三郎狸は四国狸の総大将で屋島に異変がある時は直前に屋島寺住職に知らせた

といわれています。家庭円満、縁結び、水商売の神様とされているようです。

この狸像は本堂の(3枚目)右隣にありますが、かなり目立った存在でした。


2010.3.13 参拝

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