|
2月も終わりかけているのに、ニューイヤーコンサートもないかと思いますが、わが町の隣に、2005年10月22日にオープンした兵庫県立芸術文化センターがあり、そこで今年はニューイヤーコンサートがありました。
芸術文化センターに所属する
管弦楽団の音楽監督は、昨年
ベルリンフィルを指揮した佐渡
裕さんです。
2012.1.4に上演されるプログラム
です。
最寄り駅の阪急西宮北口駅とは→のホワイエで接続されていて、
雨の日でも傘は必要ありません。
←ニューイヤーコンサートが
行われた大ホールです。 ↓
ヨハネス・ヴィルトナーがウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団を
指揮して、でヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」序曲、ワルツ「ウィーン気質」、ワルツ「皇帝円舞曲」、ラデツキー行進曲、「美しく青きドナウ」 等が演奏されました。
コンサートのチケットが幸いにも
入手できたので聴くことが出来ました。
2012.1.4 撮影
|
KOBEGAKU
[ リスト | 詳細 ]
|
西求女塚古墳(にしもとめづか)は、神戸市灘区都通3丁目にあります。阪神電車西灘駅より歩いて5分くらいで行けます。
西求女塚古墳は、従来は前方後円墳と考えられていましたが、発掘調査の結果、古墳時代前期の古墳では最大級の前方後方墳(四角い方墳が二つ繋がった形)であることがわかったそうです。
大きさは全長97メートル程で、竪穴式石室から中国製の剣・刀・槍などが出土しており、石室の石材は地元産のものだけはでなく、阿波や紀伊などのものも使用されているようです。
地元の土器は出土しておらず、祭祀に用いられた土師器には山陰系の特徴をもつものが出土していることから、山陰や四国・南近畿などの諸地域と深い交流をもって いたと考えられるそうです。
前方部に奈良の(一説には卑弥呼の墓ともいわれる)箸墓古墳と同じ形式を持つことから、この地方最古の古墳ではないかと考えられているそうです。
古墳の一部は公園となり、冬空の下で子供らが
遊んでいました。
2011.12.11 撮影
http://blogs.yahoo.co.jp/aki44mu/63171154.html ← 菟原処女の伝説の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/aki44mu/63173138.html ← 東求女塚古墳の記事
|
|
菟原処女伝説の張本人の墓です。
阪神電車石屋川駅を降りて南西へ5,6分歩くと処女塚(おとめづか)古墳にたどり着きます。この古墳は整備する前に神戸市教育委員会が実施した発掘調査により兵庫県下では珍しい、全長65mもの前方後方墳であることがわかりました。
その年代も従来考えられていたよりも古い4世紀代のものであることが明らかになりました。石屋川の扇状地上に造られた古墳です。
現在の位置は、海岸線から数百メートルほどはなれていますが、築造当時は海岸のすぐ傍だったのではないかと考えられています。
この場所から西2000mの位置ににある西求女塚古墳、東1500mの位置にある東求女塚古墳とともに、悲恋伝説の舞台として知られています。
綺麗に整備されていて表示がなければ
古墳であるかどうかわかりません。
処女塚(おとめづか)古墳の前の
交差点にも処女塚の表示が出て
います。
次回は西求女塚古墳です。
2011.12.11 撮影
http://blogs.yahoo.co.jp/aki44mu/63171154.html ← 菟原処女の伝説の記事
http://blogs.yahoo.co.jp/aki44mu/63173138.html ← 東求女塚古墳の記事
|
|
東求女塚古墳(ひがしもとめづかこふん)は神戸市東灘区住吉宮町にありました。
4世紀 後半に造られた前方後円墳だそうです。菟原処女の伝説に登場する茅渟壮士(ちぬおとこ)の墓と 伝えられていますが、実際にはこのあたりの豪族のものと考えるのが妥当なところでしょう。
元々民有地であったために、塚は崩されて原型は留めていません。現在は西側の前方部が市立遊喜幼稚園の敷地、東側の後円部が求女塚東公園となり、円形に土を岩で囲んだ残土の上に東求女塚之碑が立てられているだけでした。
後方の円墳の部分→
←後方円墳の上部
阪神大震災の慰霊碑→
2011.12.11撮影
http://blogs.yahoo.co.jp/aki44mu/63171154.html ← 菟原処女の伝説の記事
|
|
神戸市東部に、二人の男から求婚された娘が自ら命を絶ち、男たちが後を追って
死んだという菟原処女の伝説(うないおとめのでんせつ)があります。
古くは『万葉集』に歌が残されており、奈良時代から語られていたものです。
私はこの年にいたるまで知りませんでしたが、神戸市民なら誰でも知っているという
著名な伝説だそうです。生田川伝説としても名が通っているようです。
私は神戸市民ではないし、神戸生まれでもないので知らなくてもイイようなものですが、しかし、そうと知ったからには兵庫県民とし知っておいて損はないと思い、伝説を訪ねて歩いてきました。
神戸の東部から芦屋にかけてが、大阪湾沿岸の湿地に茂る芦を屋根にふいて葦屋(あしのや)と呼ばれていた頃の話です。
葦屋に菟原処女(うないおとめ)という可憐な娘がいて、多くの若者が彼女に思いを寄せていまさした。中でも同じ里の菟原壮士(うないおとこ)と和泉国から来た茅渟壮士(ちぬおとこ)という二人の立派な益荒男が彼女を深く愛し、妻に迎えたいと激しく争うようになりました。処女が母に語らく「卑しい私のために立派な男たちが争うのを見ると、生きていても結婚などできましょうか、黄泉で待ちます。」と嘆き悲しんで死んでしまったのです。茅渟壮士はその夜、彼女を夢に見て、後を追いました。菟原壮士も負けるものかと小太刀をとって、後を追ったという話です。
この3人の墓(古墳)が東灘区〜灘区にかけて10Km以内に並んでいるようなので
先日散歩してきました。
交差点の表示も処女塚となって
いました。
2011.12.11 撮影
|





