今日 コメントをまとめて返させていただきましたところ・・・
ふらふらさんからのコメントに 興味深い内容が・・・
谷中って、野暮天の語源になった土地ですか?
はじかみの産地なのですね。。
はじめ 「谷中しょうが」を天ぷらにでもしたものかと 半ば本気で思いつつ・・・
(ほんとに。。。)
少し調べてみました(・・・ても 検索です・・・)
東京の方にとっては きっと よく御存知のことかもしれませんね。(笑)
谷中(やなか)は、東京都台東区内の地名。東はJR山手線、北は道灌山通り、西は不忍通り、南は上野公園に囲まれた地域で、谷中一丁目から谷中七丁目まである。
名前の由来は、上野と本郷の二つの台地の谷間に位置することから名付けられたといわれる。
上野戦争で被災したものの、関東大震災や第二次世界大戦では被害が少なく、昔ながらの町並み・建造物が残されている。
最寄駅はJR・京成線日暮里駅、地下鉄千代田線千駄木駅・同根津駅。
谷中生姜
江戸時代、谷中は農村であった。特に、生姜(葉しょうが)の生産地として有名であった。明治時代までは、少数ながら農地も残存していたが、もはやそれを偲ぶものすらない。現在は、名を残すのみとなっている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より・・・。
上野の近く 山手線の際にあった農村のひとつが 「谷中」だったんですねぇ。。。
そこで出来た いわゆる「江戸野菜」のひとつが「谷中生姜」だったということでしょうか。
・・・といった 下町を紹介するページも発見。
なかでも 「ネコと暮らせば」の下町獣医さんの本には惹かれてしまいます。。。
(いえ・・・本題からそれたわけでは・・・(笑)
そして もうひとつの「野暮天」
野暮天(やぼてん) まったく融通が利かないこと。無風流なこと。気が利かないこと。また、その人。
『慣用句辞典』より・・・。
なんだかいい表現ではありません・・・ただ 「谷中」のことではないようです。。。
谷保天満宮(やぼてんまんぐう)は東京都国立市にある神社。甲州街道沿いにある。社伝によると、903年(延喜3年)に菅原道真の三男・道武が、父を祀る廟を建てたことに始まるという。府社。式内社穴沢神社の論社でもある。
東日本最古の天満宮であり、亀戸天神社・湯島天満宮と合わせて関東三大天神と呼ばれる。
拝殿
旧国鉄が南武線谷保駅の駅名を「やほ」としたため、地名の「谷保」までも「やほ」と言うようになってしまったが、本来の読み方は「やぼ」である。
それを裏付けるのが「野暮天」の語源についての逸話。 狂歌師の大田蜀山人(南畝)が、「神ならば 出雲の国に行くべきに 目白で開帳 やぼのてんじん」と詠んだ。 「野暮」と「谷保」の掛詞になっていて、ここから「野暮天」という言葉が生まれたのだが、「谷保」を「やほ」と読んだら掛詞にならない。そんなことをしたらまさに「野暮天」なのである。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より・・・。
・・・ということで どうやら 国立にある「谷保天満宮」から来た言葉のようです・・・
さらには「野暮天」語源も諸説あるようで・・・
この谷保天満宮、「野暮天」という言葉の語源なんだそうな。手元にある広辞苑第四版には−−、やぼ‐てん【野暮天】(谷保天神の神像から出た語という) きわめて野暮なこと。また、その人。やぼすけ。−−とある(ちなみに広辞苑第五版は語源が省かれていた)。
で、調べた由来諸説を並べてみると・・・。
(1)道真の三男は彫刻に関しては素人だったので御神体が不細工、つまり野暮なので、野暮天(神)といわれた。(2)江戸から遠いので、参詣に行く途中で日が暮れてしまうことから谷保天神=野暮天(神)といわれた。(3)江戸時代、飢饉などの影響で財政危機に陥った谷保天神は、10月(神無月)、目白で御神体を公開し賽銭を集めた。それを狂歌師、蜀山人が「神ならば出雲の国へ行くべきを 目白で開帳ヤボの天神」と歌い、広まった(神無月は出雲に八百万の神々が集まるという言い伝えがあることから)。
『web皆月通信』より・・・。
http://homepage3.nifty.com/webminazuki/sanpo1/sanpo001.htm
国立市と台東区。
距離もあり 多少息づいた文化の違いもあると思うのですが
関西人の私にとっては イメージしにくいもの。
今回 ふらふらさんのおかげで 暇にあかせて 調べてみることが出来
結構面白かったのでございます。。。
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