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今朝も一点の雲もない青空が広がる能代地方です。ただし、気分は最悪。なにしろ百年の計を誤る「消費税10%」を、昨日国会が通してしまった。首都圏だってこれから小さな商売をやっている方々は大変なご苦労をされることだろうが、地方の中小都市、農村の事業者は言わずもがな。地方の疲弊は加速するだろうし、被災地の復興はどうなるのだろうと、不安になる。今朝の呈上雑記は、こんなふうに嘆いている。
「茶番のあとさき」 天下分け目の大一番。本来なら国民も固唾を呑み、手に汗を握って推移を見つめるところだろう。だが、後に残ったのはなんともいえないしらけた気分と、後味の苦さばかりだ▼行方定まらぬ漂流日本。その方向付けをめぐって、与野党が待ったなしの勝負をかけるというのならまだわかる。しかし、与党と有力野党の間では競技が整い、問題は与党の内部というのだから始末が悪い▼「国民との約束を守るのが第一」と小沢一郎氏は叫ぶ。しかし、沖縄の吉問題解決の期待を集め、政権交代を成し遂げたとたん、その約束を反故にしたのは盟友の鳩山由紀夫氏であり、頭感じ中として内閣を支えた小沢氏だったのではないか。いまさら「国民との約束」とは▼消費税引き上げを掲げる野田佳彦氏を、決選投票の末、代表に選んだのは民主党議員だったはずだ。総裁選の公約どおりにことを進める首相を、いまごろになって「間乳ふぇスト違反だ」と糾弾するのは、笑い話も度が過ぎていまいか▼「小沢党」の動向を主に、議員の離合集散ばかりに目が奪われて、肝心の政策論議は陸に上がってしまった。膨れ上がる社会保障の費用は、消費税引き上げでしか賄えないのか。無駄の削減を徹底すれば、引き上げは無用なのか▼どう転んでも国民の懐に直接跳ね返る話だが、肝心のそのあたりは議論が深まらなかった。どこの、誰を応援すればいいのか。民主支持者も、身民支持者も、居心地の悪いことだろう三角たちの悪い茶番を見せつけられている間に、消費税法改正案がきのう、衆議院を通過した。 ◇ これほど、今の気分を鏡で映すように文章にしてくれるとは! まさにわが意を得たり、である。 |
渟城雑記から
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今朝の「渟城雑記」は、「待ち遠しいC51」というタイトルで、SLが秋田県内を走るという話題を取り上げている。記事中にあるように、遠足・修学旅行などなどたくさんの思い出とともに郷愁を誘う姿、音、匂いがよみがえる、私もそういう世代だ。やはり待ち遠しい。10月10、11日きっとどこかでSLの姿をこの目で! と思う。今朝は、記事の丸写しはやめて、自分の筆で今の気持ちを文章にまとめてみたい▼私たちのように実際に乗って旅した年代の人はもちろん、終戦の引き上げ、地方からの「集団就職」の記憶と重なる人、そしてSLが現役を退いて「動態保存」となってから、その魅力に触れる年代までSL人気は幅広い。その魅力を文章で表すことは難しいが、そんな無駄な努力をしなくても、「SLって、いいよね」と言えば伝わるほど、人間にとって生理的に受け入れやすい存在なのかもしれない。やることなすこと人間臭いのだ。新幹線のスピードもスマートさも無いが、まるで息づく心臓の鼓動のようなその息づかいが「仲間」と感じさせるのかもしれない▼ずいぶん前のことだが、ある友人が「人間にとってSLの時代がちょうどいいテクノロジーだったんじゃないかな」とつぶやいた。それはちょうどSLがほとんど電気仕掛けの機関車に置き換わった時期だった。40年と少し前だろう。「高度成長」の前半に人々を田舎から都会へ運んだ蒸気機関車も後半には、お払い箱になって姿を消した。ちょうどそのころ、全国に原発がどんどん作られて、ふと気がつくと54基もの原発が日本列島にひしめいていた。テクノロジーはどんどん「進化」する。だがそれが人間にとって全て「有用」なものかどうか、疑って見ることも必要だろう。すべてを無条件に受け入れる「心の広さ」は危険もいっしょに受け入れてしまうことに、私はようやく気がついた▼さて、10月には、日本人がSLといっしょに何を過去に捨ててきたか? それを探しに行ってみたいと思う。 |
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今朝の北羽新報、一面トップは市の図書館などを「民間委託」する条例案が可決された、という嫌なニュース。実質審議した常任委員会で否決されたものをそのまま、逆転採択だそうだ。北羽新報の記者さんも署名記事で「誰のための議会か」と苦言を呈している。市民の側からこんなことを頼んだ人はいない。どこか、国会の風景とダブって見えてしまう。 さて渟城雑記は、賛否両面からよく考えなければいけない、震災の「記憶」について問題を提起している。 「津波被害の象徴」 「大津波警報が発令されました。高台に避難してください」。鉄骨だけが残ったその建物を前にして、3・11以降、テレビで何度も流れた遠藤未希さん(当時24歳)の防災無線の呼びかけがよみがえってきた▼津波に飲み込まれ、円堂さんら役場職員42人が犠牲となった宮城県南三陸町防災対策庁舎。復興応援の作業員やボランティア、支援ツアーの参加者らが次々と訪れ、庁舎前で合掌し献花していた▼われら秋田県からの仲間もまた、あの自信津波の甚大さを肌で感じながら手を合わせた。同僚と職責を果たそうとギリギリまで避難を呼びかけ、多くの住民を救った遠藤さんは結婚式を控えていたという。被害者の無念を思えば、押し黙り涙するしかなかった▼案内した宮城復興支援センターの若き事務局長は、その防災庁舎をめぐり保存か解体かの論議が続いたことを紹介した。津波被害の象徴として残すべきとの声が全国にあり、町長は保存の意向を示したが、「見るたびに思い出し辛い」と遺族が反対、8月に取り壊す予定だという▼北上して気仙沼市へ。港から800メートルほどのJR駅前に船が1隻。花が手向けられていた。津波で打ち上げられた第18共徳丸(前兆60メートル、300トン)。復興記念公園のモニュメントとすることが検討されているが、「船を見ると悔しさがこみ上げてくる」との声もあり、賛否がわかれているそうだ▼大地震大津波を後世に伝えるために被害の保存は有意義であろう。しかし遺族感情を考慮すれば解体やむなしでもある。自治体・住民のつらい決断を尊重したい。 ◇ 今朝は、肌寒いほどひんやりしている。秋田の梅雨時、前半は例年こんなふうに梅雨寒を実感することになる。 新聞の片隅に「能代北高、最後の文化祭」の記事。同校は市内唯一の「女子高」として、男子の憧れでもあった。少子高齢化の波は、とうとうその華やかな歴史を洗い流してしまおうとしている。能代商業と合併して別の名前になるらしい。せめてなんとか、記憶に残るモニュメントでも残してほしいものだ。 |
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昨日からの台風騒動。西日本の方では大きな被害があったようだ。能代地方はこの時間(20日午前7時)台風が一番近づいているようだが、風、雨ともさしたることはない。冬の季節風のほうがはるかに猛々しい音をたてて恐ろしいくらいだ。 いつものように、朝は緑茶をすすって寝ぼけた頭を刺激するところから始まる。さて、本日の北羽新報には、「北限の茶」摘み取りの記事が目を引く。
ただ残念なのはこの桧山茶は、生産量が少なくて能代市民一般には手に入らないことだ。いったいどんな味なんだろう。 <頭を低くして> テレビでは台風4郷の情報しきりだ。勢力が強いらしい。気象庁の予測によると列島を縦断することが確実となったが、直撃の際には気をつけたい▼21日は夏至。思い当たるのは1560(永禄3)年5月19日、織田信長が今川義元を破った「桶狭間の合戦」だ。日本市場、あまりにも有名な戦だが、旧暦5月19日は現在の暦では6月22日。夏至の頃の出来事だ▼東海地方の梅雨入りの平年値が6月8日、梅雨明けは7月21日だから、梅雨の最中の合戦だった。『甲陽軍鑑』によれば、食事時の時間帯であったようだ。寝中傷に見舞われかねない天気が、にわかに強い風と篠突く雨に変わったのは事実だ▼「夏なれどもひようふり」とある。初夏とはいえ雹が降る程の荒れ模様になったらしい。『信長公記』にも「俄に急雨(むらさめ)石氷を投げ打つ様に」とあるから、その点は合致する。想像するに、雨霰の暴風雨のようだ▼最近のゲリラ豪雨や竜巻事情を思い出させる。信長も義元も、今日の余殃な気象情報は持っていなかったろう。だが、げんだいにしたところで竜巻の的中率は低いし、どこで発生するかもわからない。進路が分かっている台風からも逃れられない。昔も今も「お気をつけ下さい」という他ない点、同じことだ▼自然の脅威を私たちは口にはするが、その拾、傲慢なのは人間社会だと相手は思っているかもしれない。原発しかり、再稼働しかり。昔の人はもっと謙虚だった。神仏をも恐れぬといわれた信長でさえ、桶狭間へ抜かう途中、熱田の宮に祈ったという。暴風雨に頭が高いのは禁物だ。 ◇ どうやら、能代地方の台風騒動は峠を超えたようだ。では、行ってきます(^.^)/~~~ |
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今日の夕方以降、どうも梅雨時台風の影響を受けそうな能代地方ですが、朝は穏やかな薄曇り。起き抜けにゆったりと緑茶をすすりながら、新聞に目を通しております。今朝の渟城雑記は、岩手県田野畑村の話題。多少のご縁のある土地のこと。これはご紹介しなければなりません。 <田野畑村へ行けば> 東北地方も梅雨入りだ。空気が湿っぽい。ベランダの洗濯物が乾きづらくなる。ついでに愚痴っぽくならぬように、何か明るい材料はないものか▼晴耕雨読という身分ではないが、読んだ本の一説にこうあった。「ペリー提督の黒船に人の注意が奪われている時期に、東北の一隅で、もしかすると黒船以上に大きな事件が起っていた」(大佛次郎『天皇の世紀』)▼大震災で津波に襲われた岩手県の浜通り。幕末の南部領で起きた三閉伊一揆のことだ。弘化4(1847)年、そして嘉永6(1853)年の二次に及んだ一揆は、今も地名が残る野田通り、宮古通り、大槌通りの三つの地域にまたがった▼社稷(しゃしょく)が揺らいだ。1万人を超える人々が、半の重税撤廃などを要求し、いわばゼネストに打って出た。テレビの大河ドラマの幕末モノでは、西南雄藩の青年群像が毎度おなじみだが、鄙の国の個の一基を指導した青年リーダーたちを、とんと忘れがちだ。村の肝煎りなど、村方三役を任じる優れ物たちが、黒船に先んじて日本の近代の扉をたたき、押し開こうとした▼その一人、三浦命助(めいすけ)は家族に宛て、こう書いた。「天ハメグマセ玉(給)イドモ、国守ノメグミナキ故ニ、諸事ナンギ致也」(獄中記)▼大佛次郎をして「黒船以上」といわせしめた三陸の人びと。田野畑村へ行けば、一揆発祥の地として、その顕彰碑がある。若いとき見たが、村民が先人たちを誇りとして、けっして忘れてはいないことに感銘を受けた。あの像は、自信にも津波にも耐えて、梅雨空の下で今も力強く建っているだろう。
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田野畑村は、先の震災と津波で海岸に近いところは壊滅した。去年6月、会いたい人がいたので訪ねた。三陸漁師のきんちゃん(みさご丸・きんちゃん)とその愛犬・タロウくんに会えた。
きんちゃんはたまたま内陸の病院に入院していて無事。タロウくんは津波に流され3週間行方不明ながら自力で帰ってきたそうだ。 全て流されても、漁業復活を実現したきんちゃんと、その相棒タロウくんにまたぜひお会いしたいものだ。タロウくんは29日朝の「きょうのわんこ」に二度目の出演が決まっている。 震災から一年と少し。今は一揆など起こる気配もないが、オウムの逃走犯逮捕の報道の陰で「三党合意」による消費税増税、出来レース会談による原発再稼働…江戸時代なら、一揆が起こったのではないか? |





