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今現在、世界各国から賞賛されている日本映画監督は、 日本の映画界から出てきた訳でもなく、 また映画界で学んだわけでもない。 そんな監督がフランスから「芸術文化勲章コマンドゥール」を授与されたのである。 (前略) フランス芸術文化勲章とは、フランス国内や世界で文化活動に大きく貢献した人物に授与される名誉勲章のこと。北野監督が受賞したコマンドゥールは、その中でも最高章の栄誉となる。今月8日にフランス・パリのカルティエ現代美術財団で行われた受賞式から帰国したばかりの北野の第一声を聞こうと、多くの報道陣が成田空港に集まった。 (中略) ちなみに今回の受賞はパリに向かう途中の成田空港の待合室で知らされたそうで、「(森)社長から、パリで文化相が勲章くれますよと言われたんで、黒澤(明)さんがもらったやつかな。そりゃありがたいことだと思いましたね。でも社長がいいニュースだと言うんで、事務所の脱税がばれたか、山本モナの浮気がばれたとか、カミさんが死んだとかそういうことかと思ったんだけど」とコメントし、会場を笑わせていた。 (以下略)北野武、仏芸術文化勲章を受章し凱旋帰国!手作り金メダルも持参で「紫綬褒章はいりません」 (シネマトゥデイ 2010/3/13) 私は日本映画界の快挙だと思っている。 とくに映画畑から監督になったわけでもなく、 漫才師という“撮る側”ではなく“撮られる側”からの転身である。 私は元来、映画監督というものはそうあるべきだと思っている。 映画ばかり観て、監督やら俳優やら、 知ってか知らずか、 演出や演技などを偉そうに語る無駄に詳しい人間より、 自分の創りたい“映画”に詳しい人間の方が監督に向いている。 北野監督はそれができるからいい。 たしか“ビートたけし”が映画を撮るとニュースで報道されたとき、 日本の映画界は結構バカにしてた。 日本映画界の重鎮たちは、 溝口健二、小津安二郎、山中貞雄など脈々と続いてきた日本映画を 「たかが漫才師に映画が撮れるか」と言って批判していた事実を反省するべきです。 ちなみに、 いまフィルムセンターなどで保存している日本映画は、 当時作られていた製作本数から考えても一部分でしかない。 それを裏付けるデータがある。 昭和13年に刊行された「映画」(吉岡重三郎著・ダイヤモンド社刊)という本である。 当時、隆盛を誇った日本映画界を産業面から見た貴重な本である。 最初のページは、基本的な日本の映画製作方法と、 アメリカの映画製作方法が写真、及び図解入りで説明されている。 この本の前半部分に「1937年度(昭和12年度)の各国映画製作高」が載っていた。 「1937年度(昭和12年度)の各国映画製作高」とは、 昭和12年度の世界各国における映画製作本数である。 果たして戦前、日本を始め、アメリカやイギリス、ドイツは年間何本製作していたのだろうか? 「映画」(吉岡重三郎著・ダイヤモンド社刊)より (前略) 米国商務省の調査によると、昨年度に於いて世界各国で製作されたフィチュア映画の総本数は二千三百十三本に達している。又、映画館の数は八萬九千九十七館を算している。その内訳示すと各々次表の通りである。 1937年度(昭和12年度)の各国映画製作高 国名 製作本数 アメリカ 504 日 本 500 インド 350 イギリス 225 ドイツ 125 フランス 123 ソヴェート 60 支 那 52 メキシコ 52 チエツコ 47 イタリー 37 ハンガリー 35 フイリッピン 32 アルゼンチン 30 スエーデン 25 (以下略) p32 参照 日本はアメリカに次いで世界第二位という製作本数を誇っていた。 世界有数の映画大国だったのだ。 何も昭和12年度だけではない。 この500本という製作本数は、 昭和12年以前の映画雑誌(キネマ旬報、映画評論など)にも わが国の製作本数が年間500本前後だったことを裏付ける記述がある。 資本力のある映画製作会社だけではなく、小さな制作会社も製作していたのだ。 何も映画は大会社だけのものではなかった。 当然、中には見るに耐えないものもあったと思う。 また、秀作もあったとも思う。 いろんな思いを込めた人が映画を撮っていたのだ。 それが日本映画のあるべき姿だと思う。 世界が認めた北野武の一連の映画は“自主映画”の類であるが、 そのほうが今の日本映画界とって良い条件であるように思う。
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