一週間前の記事ですが、少し気になりましたのでアップしました。
日本の文化が食文化、調度品、美術品、また漫画などでは無く、
日本人の在るべき資質が“伝統に基づいた日本文化”として評価された。
これは世界に誇れる事です。
また米軍の占領政策などにより変えられたかと危惧されたが、
やはり日本人としての“核”は変えられなかったという事ですね。
日本人に生まれてよかった。
日本人としての“核”は、
戦前、戦中、当然ずっと以前から培われて来たものです。
日本人、力を合わせて頑張りましょう。
私も本日、募金しました。
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文化
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本日は桃の節句でございます。 我が家は「供揃い」の方々はおりませんが、お内裏様(内裏雛)はいらっしゃいます。 なかなかかわいいものです。 それはそうと、 知り合いの保育園の先生に聞いたのですが、 兵庫県宝塚市の幼稚園では、いわゆる「雛壇」を飾らないそうですね。 理由は「雛壇」をつくると「壇上」と言う意味があるらしく、 下の壇の人たち(供揃い)に対して差別になるらしいです。 あくまで公平にするべきだと…。 どこが差別なのでしょうか? 差別を教えるのではなく、日本の古き良き伝統文化を教えようとは思わないんですかね? 日本の雛祭りはいつ頃から始まったのか歴史的には判然としないが、その起源はいくつか存在する。日本での起源は平安時代の京都で既に平安貴族の子女の雅びな「遊びごと」として行われていた記録が現存しており、もとは京都のものであったと推測される[要出典]。その当時においても、やはり小さな御所風の御殿「屋形」をしつらえ飾ったものと考えられる。初めは「遊びごと」であり、儀式的なものではなく其処に雛あそびの名称の由来があった。しかし平安時代には川へ紙で作った人形を流す「流し雛」があり、「上巳の節句(穢れ払い)」として雛人形は「災厄よけ」の「守り雛」として祀られる様になった。 これが江戸時代になり女子の「人形遊び」と節物の「節句の儀式」と結びつき、全国に広まり、飾られるようになった。この遊びである「雛あそび」が節句としての「雛祭り」へと変わったのは天正年間以降のことであり、この時代から三月の節句の祓に雛祭りを行うようになったと推測されている。 (中略) 江戸時代後期には「有職雛」とよばれる宮中の雅びな装束を正確に再現したものが現れ、さらに今日の雛人形につながる「古今雛」が現れた。この後、江戸末期から明治にかけて雛飾りは2人だけの内裏人形から、嫁入り道具や台所の再現、内裏人形につき従う従者人形たちや小道具、御殿や檀飾りなど急速にセットが増え、スケールも大きくなっていった。「ひな祭り」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%9B%E5%A3%87 (ウィキペディア) 江戸末期までは男女一対の内裏雛を飾るだけの物だったらしい。 しかし、雛壇ができて豪華になっていったのは、 何も差別する意味で壇を作ったわけではない、 お内裏様と一緒に、 桃の節句を祝う為に「供揃い」がいるのではないか。 別に「供揃い」が差別されているわけではないだろ? また桃の節句というのは季節からではなく、桃には邪気を追い祓う力があるという。 旧暦の3月3日は桃の季節でもありますが、それだけで「桃の節句」になったわけではありません。昔から桃には邪気を祓う力があるとされ様々な神事に取り入れられていたので、邪気祓いをする上巳の節句が桃の節句になったのです。 また、桃は不老長寿を与える植物とされており、百歳(ももとせ)まで長生きできるよう、桃の節句には桃花酒を飲む風習もありました。 (中略) 昔から邪気の象徴は鬼とされており(だから節分には鬼を祓います)、邪気を祓う力のある桃には鬼を退治する力もあると考えられてきました(節分に桃を使って邪気祓いをする神事も多数みられます)。この思想がベースとなり、桃から生まれた桃太郎が鬼退治をする民話が誕生しました。「なぜ桃の節句というのか? 〜桃太郎との関係」 http://allabout.co.jp/contents/sp_hinamatsuri_c/seasonalevent/CU20080212A/index3/ (AllAbout) 人権屋さん、 もともと平安時代、貴族の遊びごとから庶民文化になり、 人々に慣れ親しんでくる過程をもう一度、勉強してくれ。 |
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