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津波に襲われ鉄筋の骨組みだけが残った防災対策庁舎。
遠藤未希さんは2階から放送で避難を呼び掛けていた
=26日、宮城県南三陸町
町民の方々の為に・・・
未希さんの放送でたくさんの方が救われた。
まさに宮城県南三陸町の未来と希望です。
安否はまだ分かりません。
願わくば早くご両親を安心させて、
また御婚約者の方にも笑顔を見せてあげて欲しいものです。
台湾のニュースでも取り上げられています。
またチャンネル桜でも放送されていました。
危険を顧みず、一生懸命職務を全うされた遠藤未希さん。
日本中が応援しています。
遠藤未希さんのような方が日本にいらっしゃる限り、
私は日本を誇りに思います。
日本を想い、行動しよう
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ニュース
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もしよかったら、拡散をお願いいたします
被災地から のメッセージボードです 陸前高田市の佐々木謙太郎くん、はなえさん お母さんのお友達から エールです! 先日、3月26日に 産経新聞に ニュース 「母さんはどこかで見てくれている」 で紹介された http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110326/dst11032601150006-n2.htm 被災地の陸前高田市の佐々木健太郎くんに向けて、健太郎くんのお母さん (美公さん)のお友達 から、successの記事へ メッセージを託されました。 http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/11591669.html 健太郎くん、(ご姉妹かな?) はなえさん、みんなが一生懸命応援してくれています。 健太郎くん、はなえさん、お母さんの美公さんへの応援の声です。 その声をお届けします。 どうか 受取ってください。 美公さんのお友達からのメッセージ
kuraちゃんさん(倉橋あけみさん)からメッセージ秋田県田沢湖の美公さんの同級生です。地震直後から美公さんにメールしていましたが返信はなく、同級生みんなから安否確認の連絡が私のところに来ていました。いつも年1回の年賀状で近況報告くらいでしたが、私たち同級生は保育園からずーっと一緒に過ごしてきていて兄弟姉妹のような関係でした。 はなえちゃん、謙太郎くん、私たちみんなも応援してるからね! キングオブジプシーさんからメッセージkuraちゃんさん同様、美公さんの同級の一人です。陸前高田の状況を聞いた時に、たった一人陸前高田にいる同級生を思い、「もしや?!」 と悪い予感が一瞬頭をよぎりましたが、「まさか…」と思い何日か過ぎた時に、実家の近くから、そしてkuraちゃんさんから連絡をもらいました。陸前高田には娘がバレーボール(秋田角館南高校)をやっていたこともあり、高田高校のバレー部保護者の皆様には6年間お世話になり本当に思いが強く残っている地です。そして、同級会があった時に美公さんから家に寄るようにも誘われたことを思い出します。 美公さんのご家族や高田高校バレーボール部の皆様の事を思うと、テレビでのあの情景は心が痛みます。「きっと大丈夫!」と陰ながら応援している一人です。 イクコさんより
『謙太郎君、高校合格おめでとうございます。美公が1日も早く帰って来る事を心より願ってます。』 (イクコより) ミチヨさんより『謙太郎くん、合格おめでとう。 今、日本のみんなが心をひとつにして前に進もうと しています。お母さんもきっと謙太郎くんが強くたくましく前に進む姿をどこかで見ていると思います。私たちも応援しています。頑張ってください。』 (ミチヨより) みどこさんより『美公のご家族様へ…1分でも1秒でも早く、美公がご家族と会えますよう、心から祈っております。』 (みどこより)キョウさんより『美公へいつだったか美公から貰った年賀状に、明るい色のチューリップが描かれていたね。覚えてる? 見ているだけでこちらも優しい気持ちになるステキな画だった。 地震があってその事を思い出し、美公の無事を願い、玄関に明るい色のチューリップをずっと飾っているよ。 みんなとても心配しています。みんなで待っているからね。』 (キョウより) みんな、きみたちのことを
心から応援しています 日本中のみんなが 後についています
どうか負けずにがんばってくださいね
追伸 もしこの記事を見られたら、下のコメント欄に、メッセージを残してくださいますか。 応援しているみなさんが、きっと喜ばれることでしょう。 http://farm6.static.flickr.com/5094/5525245921_3fdcce0b98.jpg
http://www.flickr.com/photos/djkubik/5525245921/ 日本中の心が 被災地のもとへ http://blogs.yahoo.co.jp/success0965/11591669.html 【東日本大震災】 「母さんはどこかで見てくれている」 2011.3.26 産経 http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110326/dst11032601150006-n2.htm 「母さんはどこかで見てくれています」。岩手県立高田(たかた)高校に合格した陸前高田市立第一中学3年、佐々木謙太郎さん(15)。津波で自宅が流され、母の美公(みき)さん(47)は行方不明だ。「高校で頑張って、成長した自分を見せます」と決意している。(SANKEI EXPRESS)
震災は中学の卒業式の練習中に起きた。校庭に避難した時、街から土煙のようなものが上がり、バババッと大きな音がして木材が流されるのが見えた。潮のにおいが漂ってきた。
津波の被害状況が分からないまま、教室で一夜を過ごした。岩手県一関市で経営する会社にいた父が夜中に来てくれたが、美公さんは来なかった。後で近所の人から「向かいの一人暮らしのおばあさんと一緒にいるのを見たのが最後だった」と聞いた。
父と一緒に捜しに行ったが、わが家は跡形もなく、植木が少し残るだけ。「家の跡を見たとき、声も出せませんでした」
津波の跡をたどると、小学校の校庭に美公さんの車がへしゃげて横倒しになっていた。夫婦で楽しんでいた水上バイクのライフジャケットが校庭に残され、車内から手作りの小さなバッグが見つかった。
震災後、父の会社に身を寄せた。合格発表のことは考える余裕もなかった。22日、合格を知り「生物や地球温暖化問題について勉強したいです」と意気込みを見せた。 受験勉強中に美公さんから「きちんとした生活をしなさい」とたびたびしかられた。今は「自分のために言ってくれていたんだ」と感じる。母はきっとどこかから自分を見てくれているはず。「将来は陸前高田の復興に尽くしたいです」。真っすぐな目で前を見つめた。 「やっぱり現実」
津波被害が大きかった岩手県田野畑村。小学生190人が無事だったのは、昨年4月に村内6つの小学校を高台の1校に統合したことが大きい。沿岸地域にある旧校舎跡地は浸水した。
村立田野畑小4年の佐々木海斗君(10)の父、卓也さん(46)は漁協職員で消防団の活動にも参加していた。地震後、いったん帰宅し、妻の五鈴さん(49)に避難するよう伝えた後、消防団着に着替えて水門を閉じに行き、波にさらわれた。
2日後に遺体で見つかった。「夢なのかなとも思うけど、やっぱり現実なんですね」。海斗君は自分にそう言い聞かせている。
心に残っている父との思い出は「いつも一緒にお風呂に入って体を洗ってもらったり、遊んでもらったこと」。親類宅に身を寄せながら、避難所に来ては学校の友達と遊ぶ。気は紛れるが、父親のことを忘れることはないという。今は父の勧めで始めた野球を頑張ろうと心に決めている。
村の教育関係者は親を亡くした子供たちの心のケアに乗り出そうとしているが、海斗君の兄で専門学校生の駿也さん(20)は「気を使われるのもかえってつらい。弟が元気で遊べるよう普通に接してもらえれば…」と話す。
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竹島、尖閣諸島が日本領であると言う表記で、
ニュースになるくらいなんだから、
余程日本の教科書は今までまともじゃなかったんだな。
確か「ゆとり教育」はこの男が張本人じゃなかったか↓
寺脇 研(てらわき けん)
京都造形芸術大学芸術学部教授、映画評論家
「ゆとり教育」はもともと、
1972年に日教組が学校五日制を提唱したのがきっかけで、
日教組の支援を受けて推進してきたのがこの寺脇研。
つまり「ゆとり教育」とは、国家弱体化が根幹にある危険教育だったのである。
2010年12月7日放送のチャンネル桜に
「ゆとり教育」関連の番組がありましたのでご覧ください。
民主党政権は日教組が支援をしている…
また戻らなければいいが…
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阪神淡路大震災
15年前の平成7年(1995年)1月17日(火)に「阪神・淡路大震災」が発生した時、
私もでありますが、現兵庫県西宮市議・今村岳司氏も被災された一人です。
その今村岳司氏のブログにこんな事が書いてありました。
以下抜粋
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2011-03-13
16年前に私は被災し、実家を全焼して失いました。
それいらい、私はよほど小さな地震でも、気分が悪くなるほど怖いです。 記憶よりさらに奥のところに、あの恐怖が刻みつけられている気がします。 今回の地震は、一瞬眩暈がしたかと思いました。
でも、周りで揺れているものがあったので、それは地震だとわかりました。 吐き気を抑えなければいけないほど気持ち悪かったです。 --中略--
悔しくて、悔しすぎて、記憶から消していたことが、いろいろ蘇ってきて辛いです。
ひとつは、観光気分で来た自分探しボランティアの連中のこと。
彼らは、人から感謝されることを楽しみにやってきただけでした。
だから、汚れ仕事やしんどい仕事は何かと言い訳しながらやりませんでした。 彼らで集まって楽しそうに親睦を深め合っていました。 そんな彼らに「惨めな被災者」と扱われる屈辱。 何日か経ったとき、避難所のリーダーが耐えきれずに怒鳴り散らして 彼らを追い返してくれました。 彼らがいなくなっても、彼らに受けた屈辱は消えませんでした。 --中略--
記憶の中の彼らは、単なる匂いのない記号として封印されていたのですが、
他人の絶望をエンタメにすることしか考えていない無神経なテレビを見ていると、 記憶の中で彼らは解凍され、また腐臭を放つようになってしまいました。 自分が育った家がなくなったこと、
小さなころの写真が一枚もないこと、 家族がぎくしゃくして不愉快なことばかりだったこと、 大好きだった街が廃墟になってしまったこと、 そんなことは、もうなんとも思っていないのに。 --中略--
「被災経験のあるあなたに訊きたいが、被災地に対して何かできることはないか」
と友人に訊かれたので、こう答えました。 まずは、呼ばれでもしないかぎり、絶対に被災地に行かないことです。
被災地から出ようとする人、入ろうとする支援部隊や家族で アクセスはただでさえ大混乱ですから非常に邪魔です。 ただの野次馬観光客です。何の役にも立ちません。 自衛隊は、食糧から水から燃料から寝具から、全て自前で用意して出動します。 しかし、手ぶらのボランティアは、 被災者が食うべきものを食い、被災者が飲むべき水を飲み、 被災者が寝るべきところで寝るのです。 しかも生き地獄での救援活動に耐えうる技術と精神力を備えているのであれば、 行ってこればいいと思います。 次に、要請されないかぎり何も送らないことです。
何が不足しているかもわからずに送られてくるものは、(被災地に送られてくる)千羽鶴と同じゴミです。 「着るものがないだろう」とボロを送られても馬鹿にされたと思うだけです。 水もガスもないところにカップ麺を送られても意味ありません。 「○が不足しているのでどこに送って欲しい」という呼びかけに応えるのであれば、 ぜひ送ればいいともいます。 --中略--
要はプロに任せることです。
16年前、遠くのまちの名前が書かれた消防車やパトカー、 そしてなにより規律正しい自衛隊が来てくれたときには、 ほんとうに嬉しかったです。 彼らは、これまでに見たどんな人間より気高かったです。 彼らはプロとしての技術を持っていましたし、 彼らは私たちに感謝されることなど求めていませんでした。 被災地に必要なのは、プロだけです。 --以下省略--
(文中に段落を入れました。本ブログには段落はありません。)
西宮市議会議員・今村岳司氏のブログ
ようするに派遣村みたいに考えている訳なんだな。
行けば食事はあるし、寝床はあるし…。
ボランティアとはいっても、別に仕事をするわけでもないし…
こんな自己満足のボランティアなんて被災地に行くんじゃないぞ!!
お前は必要とされていない。
派遣村じゃないんだからな!!
それともう一つ
阪神・淡路大震災の時、民家の一階部分が崩れ、
その中に親族がまだ生き埋めになっている家々をバックに、
観光気分で来た若者たちがピースサインをして記念写真を撮っていた。
信じられないが、これはニュースでも取り上げられ、
被災地に行くのを自粛するように呼び掛けた。
おい!!
これから行こうと思っている奴!!見世物じゃないんだからな!!
被災者の気持ちを考えろ!!
馬鹿!!
一番のボランティアは節電する事。
不必要な電気は消す。
そして、募金。
少しでもいいから募金をしてください。
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やれば出来るじゃないか北朝鮮!!
見なおしたぞ!!
で、見舞金810万円
たったの?810万円?
おいおいキー局の40代職員の年収の方がはるかに上じゃないか?
それに「在日同胞に50万ドル(約4000万円)支援」てどういうことなんだよ。
いままでどれだけ日本国民の税金で食糧支援してやったと思っているんだ。
この時くらいどんと出せよ。日本国民に!!!
トンチン管首相!
在日朝鮮人の支援は日本の税金を使わず、
この50万ドルだけでいいんじゃないか?
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