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山岡賢次国家公安委員長
あ〜うっとおしい顔だぜ!!!
マルチ商法の企業から政治献金を受けているなんて、以ての外である。
ましてや如何わしい団体の会長になっていたなんてとんでもない。
しかし、
「民主党政権下で政府が影響力行使し得る立場に、
革マル派活動家が相当浸透している」
と言うところに注目したい。
革マル派とは、
「日本革命的共産主義者同盟 革命的マルクス主義派」
の略である。
この左翼団体は、特に過激派で知られている団体である。
この山岡賢次は去年の参院選のとき、
第1次公認候補87人の中に、
JR総連政策調査部長の田城郁氏(比例代表)がいた。
この田城郁は、革マル派の支配を度々指摘されていた人物で、
01年には衆院国交委で漆間巌・警察庁警備局長(当時)が、
両組織への浸透を認める答弁までしている。
この田城氏擁立にとりわけ熱心だったのが
民主党の山岡賢治国対委員長(当時)で、
小沢一郎幹事長(当時)だったわけである。
【東京アウトローズ一行情報】革マル支配下の「JR総連」組織内候補を擁立した民主党 2010/3/5
こんな連中が政権の中枢にいるなんてどういう事か。
この連中は日本を骨抜きにして、
経済を疲弊させ、
軍事力もなくし、
中国従属国家に仕立て上げようとしているのだろう。
何としても民主党を下野させなければ!!
日本を想い、行動しよう
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打倒左翼
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マイケル・サンデル著 'これからの「正義」の話をしよう' http://amzn.to/gsPT9N
「サンデルらの主導するコミュニタリアニズムに頼ったドイツでは、
フランクフルト学派の企図した通り、
地域共同体から、
自国の歴史・文化・伝統が失われた」
サンデルの主導するコミュニタリアニズムは、
論理で「正義」と「道徳」を語る。
しかし、そもそも「正義」と「道徳」は生命にねざしたもの、
つまり「論理」では「ない」。
人は正邪を判別できる。
正邪は無原則ではない。
しかし、それは感覚によっており、論理による訳ではない。
「道」が理屈? ありえん事ではないか。
「正義」と「道徳」は、
生命・情緒・感情に基づいている。
物事がおこれば事後的に、
快不快の感情が生じ、
その快不快で
その物事のよしあしは判別できる。
事例がたまってくれば、
「知識」によってよしあしの判別もできるようになる。
でも、知識や論理によって正邪が成り立っている訳ではない。
ここが保守主義のキモだ。
社会主義、共産主義・・・
これらでは、「正義」は「理論」で成り立っている。
そしてそれに合致する人間の行動規範を、
”進歩的”道徳とでもよんでいるのだ。
人権しかり、平等しかり、民主しかり・・・
このような「正義」は、本物の正義ではない
「社会的正義」というニセモノである。
知識によって、論理によってのみ、
「正義」と「道徳」を成り立っていると考えたり、
成り立たせなければならないと考える一派がある。
仏教でいえば法華経、
神を殺したキリスト教の抜け殻たるルソー・マルクス・サヨク主義、
そしてサンデル率いるコミュニタリアニズム。
いずれも論理を神とする邪教。
論理が神である?
それならパソコンの世界、機械の世界だ。
そこには、生命・いのちはない。
そんなものを拝んで何がうれしい。
論理は所詮道具にすぎない。
もっとも、便利な道具ではあるけれど。
考えても見よ。
武士道が理屈で出来てるか?
茶道は?
なぜ「人の道」は例外だと思うのだろうか。
「正義」と「道徳」は、
音楽や料理と同じだ。
味わえばわかる。
理屈はあとづけだ。
ここを間違えてはいけない。
マイケル・サンデルはニセモノ。
まぁ、味の素みたいなもんだ。 日本は日本らしく!
我々は我々らしく!
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