あきらの株&ワンコ日記

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■必然と偶然■
 今年も、8月14日がやってくる。終戦記念日である。例年のごとく、テレビの特番がくまれ、あの戦争の悲惨な映像も放映される。しかし、地球規模の世界戦争であったにもかかわらず、風化はすすみ、かつて日本とアメリカが戦ったことを知らない高校生もいる。

 事の重大さに関わらず、歴史には2つのタイプがあるように思われる。原因と結果が明白、つまり必然性が高いものと、確率五分五分で、たまたまどちらかに転がったというものである。後者は歴史としては面白いが、前者を考えるとき、気分は重くなる。逃れようのない歴史の方程式のようなものを感じるからだ。
 この歴史の方程式は、複数の数式と、多数の変数からなるが、たいていの場合、変数の方が多いので、解は求められない。つまり、予測不能である。それでも、結果が出てしまえば、全ての変数が明らかになるので、歴史の因果律も読み取れる。そのとき初めて、原因と結果が目に見えてつながる。この歴史の方程式によってつくられた典型的な事件が、先の第二次世界大戦であった。

 SFネタにあるように、タイムマシンに乗り込み、1889年4月20日のオーストリアの町ブラウナウにジャンプし、ゆりかごの中のヒトラーを殺害してみたところで、第二次世界大戦は避けられなかっただろう。時間、場所、登場人物のディテールは違っても、似たような歴史がつづられていたに違いない。ヒトラー1人に世界大戦の原因をなすりつけるには無理がある。第二次世界大戦はそれほどの必然性を抱え込んでいた。

■第一次世界大戦の爪あと■
 ことの発端は、第一次世界大戦にまでさかのぼる。第一次世界大戦は、地球上で行われたはじめての世界大戦であった。イギリス、フランス、ロシアを中心とする連合国と、ドイツ、オーストリア ハンガリー帝国、オスマン帝国を中心とする同盟国が戦った。
 1914年、兵士たちは、次のクリスマスまでには戦争は終わるだろうと、愛国心に燃えながら戦場に向かったものだった。しかし、4回目のクリスマスが来ても、戦争が終わる気配はなかった。結局、4年もの年月と、1000万人を超える死者を出してようやく兵士たちは解放されたのである。

  地球全体が大きなダメージを負った。とくに、主戦場となったヨーロッパは荒廃がひどく、敗戦国は落胆し、戦勝国は復讐を誓った。第一次世界大戦の戦後処理のためにパリ講和会議が開かれたが、この戦争の原因であり、敗戦国であったドイツは、カヤの外におかれた。会議が終わり、ベルサイユ条約が締結されたが、その内容は悪意と憎悪に満ちたものだった。終始主導権を握ったのはフランスで、その根源にあるのは、ドイツへの復讐心だった。

 ドイツは、海外におけるすべての植民地を没収され、極端な軍縮を強いられた。さらに、どう考えても払える見込みのない、天文学的な賠償金まで課せられた。賠償金を払うのはドイツ政府だから、市民への影響は限られたものになるだろうという楽観は、たちまち裏切られることになる。それどころか、想像を絶する地獄世界が待ちうけていた。むろん、その悲劇はドイツにとどまらなかった。世界中が、第二次世界大戦という歴史上まれにみる殺戮の世界へと巻き込まれていくのである。

■ドイツの悲劇■
 1921年、第1のラッパが鳴り響いた。ドイツの賠償金額が増額されたのである。賠償金は200億マルクから1320億マルクに引き上げられた。ざっと6倍である。何かしらの理由があったのだろうが、ドイツにしてみれば理由などどうでもよかった。たちまち賠償金の支払いが滞った。こうして、第二次世界大戦の原因となる第1の歯車が回転を始めた。

 1923年、第2のラッパが鳴り響いた。フランス、ベルギーは賠償金が支払われないことを理由に、ドイツのルール地方を占領する。いわゆる差し押えである。ルール工業地帯はドイツ工業の心臓部で、物資の生産がたちまち滞った。モノが不足し、物価が上がり、結果、インフレがはじまった。しかしこのときのインフレは、常識をこえていた。

  第一次世界大戦前に比べ、物価は1兆3000億倍にも達したのである。このそら恐ろしい数字は、ただちに市民生活も直撃した。給与をもらったら、何はさておき、すぐに買い物にいかなければならない。数時間もすれば物価が2倍になるからだ。月給などという悠長な給与体系は意味を持たない。1ヶ月も待たされようものなら、給料はタダの紙切れになるからだ。
  年金ぐらしの老人は悲惨をきわめた。老後に備え貯め込んだ貯金はアッという間にゼロになり、年金の実質価値もゼロになった。多くの老人が世をはかなんで自殺していった。
 
  町には失業者があふれ、失業率は25%から30%、失業者実数は550万人にたっした。町では、猟奇的な殺人事件が横行し、人肉の缶詰が出回っているとの噂までひろがった。市民生活は完全に破壊され、人としての尊厳を保つことさえ難しい状況だった。
 こういう地獄のような世界に、ヒトラーは登場したのである。問題の根源であるベルサイユ条約を破棄すること、失業者をなくすこと。これだけ約束すれば、演説者はヒトラーである必要はなかった。こうして、第二次世界大戦の原因となる第2の歯車も回り始めた。
 
■妥協と救済■
 1924年、アメリカの銀行家ドーズによって、ドイツに課せられた賠償金の負担を軽減する案が作成された。無理矢理、賠償金をむしりとるよりは、無理なく取り立てたほうが利口だ、と考えたのである。ドイツは鉄道や工場を担保に、アメリカを中心に借金をした。その借金で国力を回復させ、生産させ、その売り上げからカネを取り立てようというのである。
 さすがに、ドイツの民族主義者たちから反対の声が上がった。しかし、ドイツは、最終的にこの案を受け入れる。それを確認したフランス、ベルギー軍もルール地方から撤退した。こうして、第二次世界大戦の原因となる第1の歯車は停止したかのように見えた。

  しかし、この案は良心的で理にかなったものではあったが、結局ムダに終わる。というのも、その4年前の1920年にすでにヒトラーがナチ党を結成していたのである。その頃すでに、ヒトラーは次のような演説を繰り返している・・・民族主義、社会主義、反ユダヤ主義。屈辱的なベルサイユ体制の破棄。ドイツ民族の食糧確保のために領土を拡大する。ドイツ人の血統をもつ者にかぎり、民族同胞たることができるのだ、と。こうして、第二次世界大戦の原因となる最後の歯車が回転を始めた。すべては遅すぎたのである。
  第一次世界大戦よりもっと悲惨な戦争がはじまろうとしていた。結局、この案がそれなりの意味をもったのは、起案者のドーズだけであった。ドーズは、この案によりノーベル平和賞を受賞したのである。

■ドイツの運命■
  ドイツの歴史は、コンクリートで固められたレールの上を走る機関車のようなもので、他に進むべき道などなかった。しかも、燃料切れ寸前の低速走行で、脱線することすら許されなかったのである。歴史の方程式は、念入りに組まれた歴史年表を、まるで列車ダイヤのように正確にこなしていった。

 1940年6月5日、第3のラッパが鳴り響いた。22年前、フランスが煮えたぎる復讐心でベルサイユ条約をつきつけたのと同様に、ドイツ機甲部隊は煮えたぎる復讐心で、パリに進軍を開始した。第二次世界大戦の原因となるすべての歯車が、大回転を始めたのである。もはや止める手だてなどなかった。この世界大戦は、それほどの必然を含んでいたのである。

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挨拶――原爆の写真によせて   石垣りん

あ、
この焼けただれた顔は
一九四五年八月六日
その時広島にいた人
二五万の焼けただれのひとつ

すでに此の世にないもの

とはいえ
友よ
向き合った互いの顔を
も一度見直そう
戦火の跡もとどめぬ
すこやかな今日の顔
すがすがしい朝の顔を

その顔の中に明日の表情をさがすとき
私はりつぜんとするのだ

地球が原爆を数百個所持して
生と死のきわどい淵を歩くとき
なぜそんなにも安らかに
あなたは美しいのか

しずかに耳を澄ませ
何かが近づいてきはしないか
見きわめなければならないものは目の前に
えり分けなければならないものは
手の中にある
午前八時一五分は
毎朝やってくる

一九四五年八月六日の朝
一瞬にして死んだ二五万人の人すべて
いま在る
あなたの如く、私の如く
やすらかに 美しく 油断していた。    


私たちは、今でも平気な顔をして、生と死のきわどい淵を歩き続けている。

最後の連の「やすらかに 美しく 油断していた」というフレーズが妙に心に突き刺さった。

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