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1年ほど前に、こんな記事を書きました。
今日は「ことばの日」
お時間あるようでしたら、よかったらお読みください。
まだ拙いブログテクニックで読みづらい記事かもしれませんが;

自分が「言葉」というものを強く意識している人間だということを。
自覚はしていたんですが、ブログを始めてさらに再認識している今日この頃です。


「ブログは言葉の発信基地」

私がよく口にすることですが。
楽しい記事でのおしゃべりもしかり、真面目な意見交換の記事でのやりとりしかり。

記事は、「書き手」からの「発信」。
コメントは、その記事を「発信」している人との言葉のキャッチボール。

そこにコミニュケーションが生まれていく。
そう思います。

文字と文字とのコミニュケーション。
それは実際に顔を見て話すこととは違って。
声音や顔色が全くわからないですから、受け止め方次第で。
時として誤解や勘違いを生じてしまうこともあります。

そんなことも以前、記事にしたこともありました。
【会話と脳】
(他にも下に「言葉」関連記事を集めておきました。)
その記事から今回必要な部分だけ引用しますが。
ブログでも、コメントという「conversation」がありますけど。
相手の顔が見れない分、余計に気を使う面もありますね。
しかも実際の会話なら、言い回しや声音でいろいろな表情が出せますが。
文字だけですから、自分の思っている通りに相手が受け止めてくれるとは。
限らないですよね。
タイムラグが生じてしまうので、訂正もできてしまうし消去もできてしまう。
本当の会話だったら、消去不可能じゃないですか。
自分の発言。
「今のは、なかったことに」と言ったところで。
簡単に忘れてもらえるわけもなく。
空気を変えられるはずもなく。
後悔先に立たず。
だからこそ、脳をフル回転して言葉を選んで話をしたいですね。
もちろん、素直な気持ちで。
脳をフル回転して言葉を選ぶということと、相手の出方を計算して話すことはまた別のこと。
今の自分の気持ちにぴったりの言葉を選んでいきたい。




「記事」は「見る」ものでなくて、「読む」もの。


記事を作成するとき、どんな記事でも少なからずエネルギーが要ると思うんです。
自分の考えや、出来事を「言葉」にしていく作業。
そういったエネルギーが込められている記事は、言葉ひとつひとつに。
しっかりと「書き手」の意思が見えてくるんだと思うのです。

そのエネルギーを感じながら記事を読んでいくことが、必要だと思うのです。

もちろん、手軽な気持ちで楽しめる占いやお遊び記事を否定するわけでもないですし。
私もそういう記事は大好きです。
それもブログの楽しみ方のひとつですし。
私の考えとして聴いてください。

今、私は「聴いてください」と書きました。
辞書を引けばこの「聴く」は【身を入れてきく】とあります。

この記事を書こうと思ったきっかけでもあるのですが。
先日、私はある方の記事へこのようにコメントをしました。

本当はそんなに難しいことを云っているわけではないのに、耳慣れない言葉だったり。
ややこしいんじゃないかという印象だけで「むずかしいことだ」と自分の中で定義してしまわないように、
いろんな情報を集めて何回も反芻して自分に吸収して行きたいと思っています。
本当に自分の中で消化できることかどうかはわからないけど。
ただ記事を「見る」のではなく。きちんと「読む」。頭で考えながら心で感じながら。
解らないことは何度も訊いたり確かめたりしながら、そうやって理解していくものなんじゃないでしょうか。
流されるのではなく、きちんと自分の頭で判断できるように考えながら知識を入れて行きたいと思います。

パッと見て、楽しそうな話題だから飛びつく。
難しそうな内容だから、敬遠してしまう。

それは自然なことだとも思いますが、「理解しよう」という気持ちで記事を読むのと。
ただ、何となく「わかんないなぁ」と思いながら読むのでは。
全く自分の中に入ってくるものが違うと思うのです。

要は、どんなに「書き手側」が心を込めた言葉で。
多くのエネルギーを使って書いたものであっても。
「読み手」に伝わらなければ「言葉を連ねた記事」も1/10くらいの価値になってしまうでしょう。
ちょっとわかりづらいような表現があったりして、理解されづらい記事も。
「読み手」次第で、その記事が生きたりすることもあるんじゃないかと思うのです。
読み手が受け取った「書き手」の言葉を、コメントという形で再現したり。
その場で交わされていく「言葉」のキャッチボールによってはじめて。
記事が生きていくことも、あるのだと思います。

難しいことを云っていると思いますか?

要約すると、つまりは。
「読もう」という意思があってこそはじめて、「読んでもらいたい」言葉が伝わっていく
のではないかと。私は考えるのです。

それが意図している、受け止めて欲しい言葉とは違うことだってあるかもしれない。
でも、そこで「言葉」を交わしていくことで。
その相違を埋めていくことだって、できる。


だから、記事はしっかりと「書き手」の「言葉」を受け止めようとしながら。
読んでいきたい。


そういうことです。




私はこのブログで、「日記」として言葉を綴り、「意見」として言葉を綴り。
「作品」として言葉を綴っています。

そして、その言葉に対しての「会話」を楽しんでいます。

「言葉」ひとつで、いろんなコミニュケーションが生まれもするし。
誤解や摩擦が生まれることもあるでしょう。

「自分の気持ちがうまく言葉にならない」
「言葉にしなくても伝わる」
そんなときだってあるけど。




「言葉」を受け止めて返していく。



上手に「言葉」を使っていきたいなぁと思うのです。


魔法使いや像使いのように。(笑)


私はしっかりとした「言葉使い」になりたいなぁと思っている、今日この頃であります。










                                        2006/04/19  とわ












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閉じる コメント(42)

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ちょいとお邪魔致します。 私も他社のブログを観た事ありますが、ほとんどコメントのない素通りがほとんどですよね。ヤフーの面白さはコメントのやり取りもあると感じています。 また、これは私が思っていた事なのですが、作品(詩)を書いてその感想を聞きたいというのが最初からあったので、コメントを書いてくれるのはとても嬉しいです。 逆にトラバで詩に対しての意見を書くのはちょっと難しいような気もしています。 捉え方にもよりますが、コメントをよしとしないというのも私には味気ないと感じてしまうのです…。 横入り失礼しました。

2006/4/21(金) 午後 8:26 愛河小己 返信する

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とわちゃん(午前 0:21) : はい、間違いないです♪でも、難しいのは、「ブログとの距離感」「タイムラグの共通認識」が人それぞれ違うために起こる「すれ違い」には注意しないといけませんよね。 私は以前、コメント欄が盛り上がる事を『記事の熟成』と名付けた事があります。愛河さんの言うようにコメントでの様々な意見があってこそ、その記事が熟成されたものとなり光を増す事もあると思います。

2006/4/21(金) 午後 8:43 OYAJI 返信する

小己さん。私も今までどうしても身内だけになっていた「読者」ですが。全くの他人がどう評価するのかが私もとても興味があって、作品を載せはじめたことを思い出しました。「詩」の記事の感想を記事にするのは違和感を覚えますが。まるで和歌の返歌のように。「詩」に対して「詩」で返すなんていうやりとりができたら、素敵だなぁと私は思っています。

2006/4/22(土) 午後 6:44 とわ 返信する

話ずれちゃいましたが;コメントをよしとしないのは私も味気ないと思います。自己満足のためだけに書いているのならば「非公開」にするのだろうし、「公開」「コメント可」という時点で良し悪しはどうあれ「他人の評価」が付くのは自然なこと、拒めないことではないかというようにも思います。しかし「きちんとした作品として掲載したい」という意図でコメント不可にされている方も多くいらっしゃいますね。私はそういった使い方も「アリ」だと思っています。

2006/4/22(土) 午後 6:45 とわ 返信する

OYAJIさん。誤解がなくてよかったです。そうですね「ブログとの距離感」は人それぞれですし時間の感覚もさまざまですね。言葉が発せられてからの時間経過により、その言葉の「旬」というか「鮮度」が失われてしまうんじゃないかというのが私の持論です。発せられた瞬間にこそ。その言葉がその人の中で生きている言葉であるから。時間が経過してしまってその言葉が発せられたときの気持ちと「全く同じ」心理状態であることは決してないはずだと思うんです。「言葉は生き物」だと。

2006/4/22(土) 午後 6:46 とわ 返信する

OYAJIさん。だから私は発せられた言葉に時間が経過してしまうことを嫌う傾向があるんだと思いますし、この「言葉」の価値観の違いにより「すれ違い」が生じるのだと思います。OYAJIさんが云うように記事が熟成されるのは、その後に生きた言葉が連なっていくからではないのでしょうか。

2006/4/22(土) 午後 6:46 とわ 返信する

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コメントの可否の選択が出来る状態で、批判にしろ同意にしろコメントを拒む行為は無意味でしょうね。 また、削除するかしないかも自由です。どういう使い方にしろその管理人の器量で決まると思います。 だからこそ「想いを読み取る作業」が重要になるのでしょうね。

2006/4/22(土) 午後 8:47 OYAJI 返信する

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「旬」については、私の立場においては『非常に悩みどころ』であります。 コメント者の期待感に対する時間経過による「誤解や擦れ違い」と「有限である時間とキャパ(個人的許容量)」が目下の所、大問題です。 では、忙しいサラリーマンはブログは無理なのか?時間のある者だけが楽しめるツールなのか? という疑問がどうしても出てきますね。

2006/4/22(土) 午後 8:47 OYAJI 返信する

OYAJIさん。ですから私の持論です。さらに云えばブログコメントだけに限ったことではなく、私がいつも言葉と向かい合って行く上での考え方を述べただけです。もちろん、私はこの自分の価値観が正しいとも思っていませんし、ましてやこの考えを押し付ける気も全くありません。ブログは誰しもが限られた時間の中でその人なりの楽しみ方ができるツールだと思っています。

2006/4/23(日) 午前 1:41 とわ 返信する

OYAJIさん。矛盾しているかもしれませんが、私の持論はあくまでも理想論です。できることなら果たしたい。それが可能なときもあれば、もちろん不可能なときもある。でも、自分ではこういった姿勢で臨みたいという精神論でもあります。期待感がないとは云いませんし、「誤解やすれ違い」が生じる原因のひとつになることもあるのかもしれませんが。時間経過によるものが全てだとは思いません。「旬」を過ぎても逆に「旬」な言葉を返すことによって回避できるものもあるのかもしれませんね。

2006/4/23(日) 午前 1:42 とわ 返信する

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この記事を、記事内リンク&TBにてうちの転載・著作権問題の書庫の記事にご紹介させてもらってもいいですか?

2006/4/23(日) 午後 11:41 OYAJI 返信する

OYAJIさん。すみません、返答が遅くなりまして;タイムラグを自ら生じさせてしまいましたが。ご紹介ありがとうございます。

2006/4/24(月) 午後 2:08 とわ 返信する

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トラックバックしていただき、ありがとうございました。

2006/6/27(火) 午後 2:47 ごはん 返信する

ごはんさん。こちらこそ相互に貼っていただき、ありがとうございます。私は全てのトラックバックにトラバ返しを強要しているわけではありまsんので誤解ないようにお願いしますね。転載記事のみ、トラックバックしていただかないと記事作成者の私が記事を捜していかなければなりませんので。。。

2006/6/27(火) 午後 3:16 とわ 返信する

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こんばんは。古いエントリに突然のTB、お許しください。OYAJI氏のブログからこちらへ参りまして、この記事に共感したので引用させていただきました^^ 削除

2006/12/1(金) 午前 1:26 [ AdanKadan ] 返信する

Adan Kadanさん。いらっしゃいませ。とんでもない、こちらの記事を読んでいただきありがとうございました。

2006/12/1(金) 午後 8:39 とわ 返信する

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私も言葉をうまく使える人間になりたいですね^^
最近、私はブログを意識しながら書くようになりました。
例えば「きれい」という言葉。
「きれい」だけでも通じますが、詳しく説明する。
どんなふうにきれいなのだ、など。
こんな感じで、わかりやすいように、そしてもっとわかってもらうために、考えて記事を書くようになりました。

読むほうもそうですね。
きちんと、隅から隅まで読んで、しっかり理解したいです。
勘違いのないように。

やっぱり、言葉は実生活のほうでも考えて使わなきゃいけないんだと、改めて思いました。
これからの生活も見直して、少しでも後悔することのないように頑張りたいと思います!
傑作ポチ☆

長々失礼しました;;

2007/10/22(月) 午後 7:21 [ - ] 返信する

ゆっこさん。まったくその通りですね。
言葉の力表現力をつけていきたいものです。
とても素直でまっすぐなゆっこさんの言葉がとても嬉しく思います。
ありがとうございます。

2007/10/26(金) 午後 11:59 とわ 返信する

私が、とわさんのブログに惹かれる理由が少し分かりました。

私事ですが。

ブログにコメントを書いてくださる方々。
そのコメントを読んで、時には手が止まってしまう自分。

コメントは一度も無いけれど、いつも訪問してくださる方々。
訪問履歴から相手先を訪問し、不思議な気持ちになっている自分。

性別や年齢なども異なる会ったも無い方々との不思議な関係・・・

せめて相手の方を傷つけないように、「言霊」を使う気持ちで画面に向かいたいと想います。

2008/3/30(日) 午後 0:46 lqoj 返信する

lqojさん。この記事を読んでいただけて嬉しく思います♪
ありがとうございます。そう云っていただけて光栄です。
そうですね。。言葉だけで相手を慮ることの難しさと言葉だけでの交流を育む楽しさと
日々隣り合わせなブログライフだと思います。

2008/4/1(火) 午前 0:11 とわ 返信する

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