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 昨日は、朝から別の大学にて午前、午後の授業に出席した。
本来は、今いるところにて、本格的に文法やらを終日学べば効果も上がると思われるが、
当初から決めていた計画どおり、敢えて午後を中心に他の大学へ足を延ばし、ビジネス
の一環としても表記のようなテーマにて授業を受けることになった。
 
 現在の宿舎より、朝方は1時間半以上かかることもあり、早めに住まいを飛び出したが
相変わらずバスは混んでいる。 最寄りのバス停より30分程してから、また、バスに乗り
換えるるわけであるが、乗り換えてからのバスは予想どおりのぎゅうぎゅう詰めで、うかう
かすると入口のドアからは乗車することもできない。 とにかく人の波がすごい。次から次
へと到着するバスの乗車口をめがけて、大勢の人たちが、まるで海岸に押し寄せる大波
のように、バスの到着に合わせて、そして停車する場所が常に一定していないため、大波
、小波のように人々が岸壁、いや停車場所に照準を合わせて行ったり来たりする。更に、
前の入り口が乗れないと思うと、次は後ろの入口へどおっと人のかたまりが移動する。
こんな状況がいつまで続くかはわからないが、とにかく目的地へは1時間40分程度で到
着した。
 
 午前中は、今回、国際会議関係の内容の授業となったが、本来、2クラス分の学生達の
出席ではあるが、出席率は半分程度の26名の出席であった。
 当然、前の方の席はガラガラで、後ろの方へまとまって、皆さんは座っている。講師も、
出席をとるのが面倒なためか、列ごとに本日の出席者名をメモ程度の紙に記入させ、出
席・点検の代わりにしている。
 そのメモを手元にし、出席している生徒を無理やり質問(しているように見えるが)し、少し
でも授業が盛り上がるように工夫を凝らしているようだ。
 授業の内容は表題のとおり中国への国際会議等の誘致を中心としたものとなり、当然の
ことながら教科書はないため、パワーポイントにて順次、要点を説明していた。日本でも同
様ではあるが、国としても国内への誘致目標を数値で定めている。当然、予算はとってある
。今回も出席率が良くないというのも、生徒の質が低下してきたのか、指導方法或いは管理
体制の問題に起因するのか、もうしばらく様子も見てみたいと思う。
 
イメージ 1
                (午後からの大人数での授業風景 皆真剣?:2010年11月3日 於B大学)
 同様に、午後の5・6節授業は14時から始まったが、こちらは多数の生徒も集まり、やはり
PPT映像等を使用し授業開始。国内を中心として、各地区での開発と環境保全全との問題を
中心に映像を見ながら討論することとなった。こちらは出席率は良いが、どうも生徒の方は
別の科目の(近日開催されr資格試験の問題集やらを)勉強をしている。私も、隣の生徒の
問題集・参考書を書き留めてきたが、内容的にはこちらの方が確かに面白そうである。
このクラスも、講師からの矢継ぎ早の質問に対して、授業とは関係ない科目の勉強をしなが
羅、教師の質問には手慣れた様子で答えていた。日本でも、一部、同じような状況にはある
のだろうが、これからの中国を背負って立つ学生達の将来・未来は、このような状況がいつ
までも続くとしたら、彼らの将来も一体どうなっていくのだろうか。そして大学としても、この、
今回のような現状・有り様をどう管理し、今後、どのように変革していくのだろうか。
 
 そういえば、半期ごとに大学の授業の内容は変更されていくが、同じ学科・学部内であって
も、半年後には、何割かが、消えてなくなる授業もあった。私自身も、前半に引続き、後半も同
じ先生の同じ授業を受講したいな、と思っていたが、後半は全くカリキュラムから、教師も授業
も消えているケースが見受けられた。これも大学側の様大学側事務局にその背景やらを訪ね
たこともあったが、退学側は去って行った教授・講師達のその後の連絡先や利用等は、当然の
ことながら明かしてはくれなかった。
 
 午後の授業内容、状況も、日本とはさほど大きな違いはなさそうな感じではあったが、2時間の
授業はあっという間に終了した。
 
 その後、授業とは全く異なる、一部ビジネスがらみの、来週月曜日に、当大学で開催される、
パネルディスカッションのため、私も急遽パネリストとして参加することになったため、その
打合せの為、更に別の事務所へ向かった。今回は、当大学の教授の他、人民大学の教授や
外国人の教授も同様に参加するため、英語での発表となるため、私も急いで発表用のPPT作
成に向け、今日、明日と準備にとりかかることとなった。
 本来の、漢語の授業が なんとなくおろそかになりそうで、来週中盤以降の授業も心配だ。
                                     (B大 ランダム記録より Beijing)
 
  1970年7月夏休みに行った時に撮った今の深圳・羅湖、いわゆる国境の駅である。
当時、香港の中国系旅行社にて中国の査証を申請し、九龍鉄道に乗り、終点となっている
この駅にて入国手続き等を経て、無事、中国側へ入国したことになる。
 途中、車窓から見る香港側、そして中国側の景色もほぼ同じようであったが、国境を過ぎ
てからの中国側の深圳の街は、当時、人口数万人から、今や、周辺を含み1000万人を超える
人々が住む大都市へと変貌した。当時、周辺には全くなにもなかったが、当駅の奥・後方には
やや大きめな建物もぼんやりと見えていたことが印象に残っている。
イメージ 1
                     (中国と香港との間の、当時の国境の駅深圳・羅湖にて:1970年夏休み)
 
 そして、こちらは今年夏休みに旅した中国と北朝鮮の国境の街の一つでもある、遼寧省の
丹東の駅である。この街へは、北京より夜行バスにて早朝到着したが駅周辺にはこれといっ
た特別な、特徴のあるモノはない。
 この街も深圳と同様に経済特区を目指し、今後も大いに発展するのかなと思ってはいたが
、やはり大飛躍するためには周辺地区を含めた交通網の整備や、交易・交流面の事を考え
ると、北朝鮮との双方向の交流は当面考えられないし、近隣地区・省との飛躍的な交流もあ
まり考えられないということもあり、暫くは現状のままで推移することになるのだろうか。
 そんなことを考えながら、ここ駅前から、歩いてすぐ近くの、国境沿いの河をな眺め、対岸
の朝鮮側の様子を 暫く眺めてから、また、駅に戻り2時間後のハルピン行きの鈍行列車に
飛び乗った。鈍行列車ということを 乗ってから気がついたが、同じ東北地区方面ということ
もあり、近いと思っていた終着の哈尔滨へは13時間後の夜10時前に到着した。近いとは言え、
遼寧、吉林、黒竜江の3省にまたがっての道のりを走るわけであるから当然、時間はかかる
わけだ。
イメージ 2
                    (北朝鮮との国境の街の一つ・丹東駅 2010年7月)
 
 
 

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