『小さな命を救う人々』 渡辺眞子著 角川文庫
[本書紹介文より引用]
トラックが行き交う産業道路で子猫を救う人がいます。
保護管理施設で、譲渡を待つ子犬をシャンプーする人がいます。
交通事故で後ろ足を無くした犬に車いすを作って世話をする人がいます。
一匹を救えた喜びは「救えなかった命の多さ」にかき消されてしまうけど、
目の前のこの「小さな命」を救わなければ何も始まらない。
そして救うだけでは問題は解決しないのだと、真摯に訴える
「小さな救う手」を持つ人たち。
その活動を丁寧に語り描いた、あなたの心に問いかける一冊です。
本日は「2.猫の不妊・去勢手術助成制度について」の
区長答弁を掲載します。
【 答 弁 】
東京都の動物愛護施策については、東京都のハルスプランの中で、
動物とのふれあいや動物愛護事業などのさまざまな施策を展開している。
本区も基本的にはこのハルスプランの考え方に沿って事業を進めている。
23区におけるペット対策については、飼い主のいない猫、いわゆる
野良猫を減らしていくために、本区では、平成18年7月から、
「飼い主のいない猫の不妊手術等助成事業」を開始したが、区民の
皆様にも徐々に浸透し、実績も上がって来ている。
猫は、犬と異なり登録制度やつなぎとめる義務がないため、屋外で自由に
飼育されている例が多く、飼い猫・野良猫のそれぞれの対策を立てていく
必要がある。
飼い猫については不必要な繁殖を防止するため、屋内飼育あるいは不妊去勢
手術を飼い主の責任で実施するようお願いしている。
他方、野良猫については、餌を与えている方々に対して、野良猫による近隣
への被害を防止するための努力も併せてお願いしている。
具体的には、餌と排泄物の管理、並びに可能な限りの終生飼養や不妊去勢手術
をお願いして繁殖を防止することとし、将来的に野良猫の数を減少させていき
たいと考えている。
猫の不妊去勢手術費用の助成事業は、多くの区で実施しており、金額、対象等
も様々である。
本区としても、限られた予算枠の中で特に必要な助成額を措置している。
この助成制度には様々な問題をかかえており、その対応は一つずつは大変難しい
ものばかりで、今後、関係者のご意見を聞き、助成額を含めて検討したいので、
ご理解いただきたい。
また、本事業では、本区独自の方式として「野良猫のいる地域の確認」
を行っている。
猫の管理状況を確認することで助成金を適切に交付できることと、
地域台帳を作成し、野良猫の数や手術の実施状況を把握している。
一方で、この確認作業で区の職員が餌を与えている方と直接会って話をすること
によって、野良猫の餌やりについて理解を頂く機会を作ることにも役立っている。
猫の捕獲も、生き物なので捕獲することが困難なこともあり、東京都獣医師会墨田
支部と協議し、より効果的・効率的な捕獲方法についても検討させていただきたい。
続く・・・・・・・
【追伸:生と死】
皆様は、「動物の殺傷処分」が税金で行われている
ことをご存知ですか?
ペットブームの背後に潜んでいる闇の部分に私たちは触れようとしません。
知ったとしても、目をそらして何も知らなかったように振舞うことで心の安定を
はかっているのかもしれません。
私たちは「命の重さ」に気づいても、気づかないふりができる。
無知と無責任が横行しているのが現状です。
私は、一般の方々に現状を広く知らせていくことが、亡き動物たちへの供養の
第一歩であると考えています。
ここで問題なのは動物が好きか嫌いかではありません。
国民一人ひとりが、自分の社会的意識を持ち行動していくことが必要なのです!
社会的弱者に親切な環境は、全ての方々にとって住みやすく、平和に暮らす
ことができる場所になると思います。
皆様は、動物が目の前で死んでいく姿を見たことがありますか?
私は家で何匹も愛する動物たちの死を看取りました。
ふわふわで温かかった体が、だんだんと硬くて冷たい物体になっていくこと
への衝撃は言葉では言いあらわすことができません・・・・・。
どんなにかわいがっても、どんなに願っても、私よりも早く死んでしまう動物たち。
人間のエゴとわかっていても、一日も長い存命を願ってしまったこともあります。
苦しみを少しでも和らげてあげたい・・・何度そう思ったことでしょう。
病気で苦しんで死んでしまった子も、きっと今は安らかに眠っていることと思います。
「ペットロス」という言葉があります。
私もたくさんの家族を失い、心に深い痛手を負いました。
悲しみが私の心に暗いベールを覆って、しばらくの間その傷は癒えませんでした。
そんなときに私を癒してくれたのは流れる時間と残された愛する動物たちでした。
過ぎ去る時間の中で、私も彼らと同じように死ぬ定めだということを悟り、
「自分が死ぬ」ということが、少しだけ怖くなくなりました。
人はたった独りで生を受け、たった独りで死という形で去っていく。
過日に「出会いは別れへの序章」(4月6日ブログ)というタイトルで、
長い間の闘病生活を一緒に暮らした祖父の死を通じて、私が感じたことについて、
記事を書かせていただきました。
その記事を再度載せます。
「生まれたからには死は避けてとおることができません。
一日一日、死に向かって歩み続けています。
愛する人たち、愛する動物たちと別れる苦しみは、
胸がつぶれるという表現がありますが、
本当に息ができないかと思うほど辛いです・・・・・・。
今こうやって息をしていられることは当たり前ではないんですよね。
とてもラッキーで不思議なことなんですね。
日々の暮らしに追われる中で、自分の存在について考えたり、
自らも死ぬ定めだということに気づくことはできません。
常に他者の死を通して、「死」の存在を感じますが、
自分も死ぬ定めだと自覚することはなかなかできません。
だからこそ、他者の死を通して、私たちは自分の死への旅路までの
予行練習をしているのかもしれません」
未だに私は、「死ぬ」という体験をしたことがないのでわからないことばかりです。
でも、唯一わかることがあります。
「私が見送った彼らが乗り越えることができた苦しみならば私にも乗り越えられる」
自分が死ぬとわかっているからこそ、全力で生きようと思うことができるのだし、
明日が見えないからこそ、今の積み重ねしかないと気づくことができるのではないでしょうか。
だからこそ出会えた全ての出来事が愛しくて、素晴らしいことなのだと思います。
「生き様」という言葉がありますが、命が短いか長いかは問題ではありません。
死ぬ瞬間までに、どんなことを考えて、どんなことを行ってきたか、
ということが大事なことなのではないでしょうか。
最期に「有難う」と思えて、目を閉じれたらこんなにも幸福なことはないと思います。
私が苦しみ、悲しみの果てにたどりついた思いを短歌にしました。
限りあるいのちのすべて教えつつ我より先に旅立つ子らよ
血涙の闘魂の果て眠りゆく抜苦与楽を願うわたくし
◆抜苦与楽(ばっくよらく)
仏教用語で仏・菩薩(ぼさつ)が人々の苦しみを取り除き、
楽(心の安定や安らぎ)を与える慈悲の働きのこと。
あそう あきこ
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